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災害時の宿屋の役割(覚え書き)

2014年11月28日 | 旅行

おはようございます。旅人宿 会津野 宿主の長谷川です。

昨日、本日と遠出をしてきました。移動中に聴いたニュースでは、長野県北部地震の避難が長期化するため、仮設住宅建設までの期間、旅館・ホテルに避難していただくことを報じていました。阿蘇山の噴火では、避難ということにはなっていないようですが、居住区に被害がでるような大きな噴火とならないことを願うばかりです。広島の土砂災害では、避難所が最後のひとつになり2世帯5名を残すのみになったと報じていました。

3年前の東日本大震災から、こういう避難を伴う災害が多発しています。今日は、東日本大震災のとき宿屋として行動したことを覚え書きとして記し、万が一同様の大災害が起きたときに、宿屋さんが災害時の社会的役割を担う参考になればと思い、当時のことを記してみます。

平成23年3月11日、会津は震度5強の揺れが襲ったものの、建物の損壊や地面の地割れなどはあまり目立たず、避難生活をする人々が発生するとは思えませんでした。

翌日の12日から、ときどき電話回線がつながるようになると、避難の問い合わせが入るようになり、避難先として会津が捉えられていることを感じるようになりました。

13日には最初の避難者が宿に入りました。この時点では自主避難と呼ばれた人々がおいでになりました。

14日・15日は続々と避難者が到着し、元の居住地は原発から少々離れた相馬、郡山あたりの方が多い状況でした。市中では生鮮食料品が品薄になり、食事の提供は手に入る材料でできる簡素な内容に切り替えました。

このあたりから、受け入れキャパを超えるようになり手に負えなくなってきたので、公的な避難所開設情報に気を配り、電話問い合わせの際に、適切な案内ができるように努めました。また、役場にも現状を連絡し、情報の共有に努めました。我が町も町民は避難をしなければならない状況の方は大変少なく、町民向け避難所は開設されていたものの、町外者の避難受け入れについての想定がなかったため、役場も対応に困惑していました。また、役場には、東京電力と書かれたダンボールに支援物資(食料)の入った箱が置かれており、配るあてのない支援物資を役場職員が機転を効かせ、「避難者用に」と持たせてくれました。役場の方が、保健所に町外避難者が宿に逗留していることを知らせたらしく、保健所から「スクリーニング検査」の連絡がありました。この検査を受けていない避難者を、検査を受けるように誘導することを依頼されました。

我が町には宿泊施設の組合組織が存在せず、役所と宿屋の連絡体制がないため、結局はこちら側から連絡をしつつ、さまざまな情報を聞き出すしかありませんでした。旅館組合が存在するところは、組合に属している旅館・ホテルには、逐次必要な情報が入ったようです。

のちに、避難が長期化してことから、避難者を旅館・ホテルに移動させる「二次避難所」の開設が決まりました。これは、ネットで福島県の観光交流課のページに情報が出されました。日頃からこのページを見ていたから知り得たものの、偶然に知ったも同然でした。今回の長野県北部地震では、報道各社が「二次避難」として11月26日付で報じているものの、まだ現時点では白馬村が二次避難所の意向調査をしている段階のようです。

福島県では、知事が専決事項として二次避難所の開設を決定し、すぐに実行に移されました。

我々宿屋は、県の観光交流課を窓口として、受け入れキャパを連絡し、地町村災害対策本部へ伝達され、避難者へ二次避難を誘導する仕組みでした。

二次避難は、食事提供なし、あるいは、3食付きのどちらかで受け入れる体制となり、避難者にとって食事提供なしの二次避難所は、一時避難所とあまり変わるところがないので避難所として選ばない様子を感じました。私のところは、3食付きで受け入れたました。

福島県の場合、避難者1人あたり食事なしで3000円、3食付きで5000円の公負担となり、月に2回実績を県に報告する仕組みでした。

この体制は、4月8日に初めての二次避難者が入り、8月20日まで続きました。

この間、宿泊施設としての提供、食事提供の他で必要なことは次の3点でした。

1.市町村災害対策本部との連絡調整(私のところは楢葉町災害対策本部との連絡調整でした)

2.行政職員が訪問する際の相談コーナーの設置および日程の避難者への連絡

3.医療チーム訪問の際に診察室設置およびそのサポート

3については、滋賀県の医療チーム(医師、看護師、薬剤師、保健所職員のチーム)が主に週1回程度の頻度で訪問してくださいました。宿としては、ベットと目隠しを用意し診察できるコーナーを設置し、医療チーム派遣の調整をする地元の保健所職員と連絡をとることでした。

これがおおまかな宿屋して災害時に実施したことです。

そして、二次避難所としての必要性を終えたのち、町内の宿泊事業者で集まり連絡組織を組み、連絡体制の確保をいたしました。

いつ何時、どこで同じような災害が発生するかわかりません。宿屋を運営している方にとってこの事例が少しでも参考になれば幸いです。更に詳しい当時の状況を知りたい方は、HP掲載のメールアドレスにご連絡ください。

※コメントはFacebookにて承ります。

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