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【会津野】イザベラ・バードが見た会津高田をさらに調べてみた

2016年10月04日 | 宿主からのブログ

おはようございます。旅人宿 会津野 宿主の長谷川洋一です。

昨日のブログ【会津野】イザベラバードの東北紀行(会津高田の巻)では、明治11年当時にイギリス人旅行家イザベラ・バードが会津高田を訪れたときの観察として、生糸・縄・人参・紙漉きが行われていたことをお知らせしました。

イザベラ・バードは、日本を旅した1878年の2年後に「日本の未踏路ー蝦夷の原住民、日光、伊勢訪問を含む奥地旅行記ー」を発表しています。また、その後の1885年に省略版としてスッキリとさせたものを発表しています。その省略版を邦訳した「日本奥地旅行」(高橋健吉訳、1973)が、日本でのイザベラ・バードの旅行記として良く知られていますが、省略されてしまったところに、会津高田の紙漉きについての記述がありました。

それを示していたのは、「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」(高畑美代子訳・解説)です。

これによると、イザベラ・バードは、駅検断(駅逓)の坂内家(なんと間口が29間半(約53m))に立ち寄り、大農家田中家(こちらは間口16間(約29m))で紙漉きのことを訊き、訪れたことが記されています。

田中家では、自家用に紙を作っていたようですが、何に使っていたかといえば、木枕のパットカバーとして「紙」を使っていました。枕のカバーに「布」ではなく、「紙」を使っていたのです。

枕といえば、高田は「梅」の産地で、梅漬けをするときに不要となる「種」をたくさん集めて「梅の種枕」というものが作られていました。(現在でも伊佐須美神社近くの「有機果菜食品」さんで梅の種枕の製品が販売されています)

「梅の種枕」と「枕カバーの紙」の組み合わせとして現代風にアレンジすれば、会津高田に特化した特産品このうえなしなどと、あれこれ創造してしまいました。

駅検断の坂内家は、現在の商店街中央部付近だろうから、そのあたりで間口の大きい坂内家と田中家の末裔を探し、当時のことをさらに探ってみようかと思っております。

今日も素晴らしい一日を過ごしましょう。

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