会津の旅人宿 地域との交流・旅人との交流が盛んな【会津野】宿主ブログ

地域の話題、旅人のホットな話題、季節のおいしい食べ物の話題など、会津へ旅する人々への話題中心の宿主ブログです。

学校がなくなる?

2015年02月12日 | 宿主からのブログ

おはようございます。旅人宿 会津野 宿主の長谷川洋一です。

今朝の会津野は、霧、−6℃。視界不良に、わずかですが朝日が差し込んでいます。

2日前のエントリーで神田昌典さんの著書について触れました。今日は、そこにあった7つの予報のうちのもう1つである「学校がなくなる」ということについて考えてみようと思います。

まず、この学校がなくなるというのは、本当に学校がなくなるのではなく、国が事業として行う教育の場としての学校がなくなると、神田昌典さんは言っています。

いまの学校では、定時に登校して、みんなと同じことを学びます。それがどれだけ理解できたか、記憶できたかで成績は決まります。その成績で行ける大学や会社が変わってくる訳です。

こんな教育で良いのか? 教育現場は悩みながらも、これと言った解決策を見いだせないまま、現在の教育が行われています。

将来に必要なのは、記憶できる人間ではない。より正しく理解し、言われた通りにやる人間でもない。自分で考える力を持って、そして想像できる人間を育てないと、この国は立ちゆかなくなる。

いまネット上では、人々が欲すれば、ハーバードや東大の教育を誰でもが受けられる時代。学校だけが教育をする場ではない。友達作りの場としての学校も大事だが、これは学校というスタイルでなくてもできる。

これが神田さんの考えです。

☆ ☆ ☆

ノーベル平和賞を受賞したマララさんは、「1人の子ども、1人の教師、1冊の本、そして1本のペン、それで世界を変えられます。 教育こそがただ一つの解決策です。」と、世界へ向け、戦争や紛争の解決策を示しました。

ここで言う教育は、短絡すると紛争地に学校を設置すると捉えてしまいそうですが、決してそうではありません。学校は教育をする場ではありますが、学校=教育ではないのです。

マララさんは、教育の機会を提供せよと言っています。

☆ ☆ ☆

先日、ラジオでフリースクールのことを話題としている番組がありました。フリースクールというと、登校拒否などに陥ってしまい、学校へ行けなくなった子供が通うところと思っている方が大半です。言葉は悪いですが、落ちこぼれ学校との認識が社会一般で思われているところです。

番組では、実際に中学1年生からフリースクールへ行き、成人した方の生の話を紹介していました。彼は、フリースクールでは決められたカリキュラムではなく、自分が勉強したいと思うことをスタッフと考え、それをスタッフやフリースクールの仲間といっしょに実行していくと言います。それは、授けられる教育ではなく、自分から欲する教育だと言うのです。

現在の学校という場は、こういう教育をする場になっているかと言うと、そうではありません。

義務教育である小学生や中学生に、このような教育を欲する場を提供するなんて無理だ!と誰しもが思うと思います。しかし、フリースクールの先生方は、自分から欲した様々なことを深めていく教育を行うことが、多様性を醸成し、社会を豊かにしていくことにつながると言います。現在の学校教育は、カリキュラムに沿った教育を行うがゆえに画一性が強く、結局は社会を豊かにすることを妨げていると言います。

現実として、中学校の不登校生徒の割合は3%にせまろうとしています。全国で、クラスに1人は不登校の生徒がいる状況です。

これらの子供たちが、現実に画一的な「学校」という制度から、離れた環境にいるのです。そして、体験者は、フリースクールが素晴らしいと言っている。フリースクールは、教育を欲する者に教育を授ける機会を立派に提供しているのです。

☆ ☆ ☆

では、これからの教育は一体どうなっていくのでしょうか?

いままでの学校教育の考えを大きく変え、多様な人々に対応するように変化できるのか?

それとも様々な制度が共存しながら、それぞれが選択するようなことになるのか?

学校というものがなくなる社会が来るのか?

☆ ☆ ☆

「国の事業としての教育」は、崩れそうな気がしてきました。そうしないと、豊かな社会へ向かえないと思わされます。しかし、学校という制度が崩れたら、先生方の確保はできるの?という疑問が生じます。これは、無償でも教えたいと思う高齢者があふれるほど存在していることから、案ずるより生むが易しのような気がします。そういう先生方は、若者の感性と教育の物々交換を生きがいとするのでしょうか。

もし、教育の場が、カリキュラムから開放されたら、現在の教育の場である学校へ行きたくなくなる生徒は、ほとんどいなくなるような気もする。だって、自分のやりたいことを勉強するための場へと変化できるのだから。

大人の社会では、やりたいことを勉強するのが当たり前。カリキュラムなんて存在しません。こうやって、将来を知りたくて勉強するのは、私が欲したことを実行していることだし、カリキュラムに縛られるようなことはありません。

カリキュラムをなくすこと。これは大きなハードルだろうけれど、こんな世の中になれば、素晴らしいだろうなと思います。

文科省はフリースクール支援へ向けた検討をはじめました。これが視界不良の教育制度に射す朝日のようになれば良いですね。

今日も楽しい1日を過ごしましょう。

※コメントはFacebook,twitterにて承ります。

ジャンル:
ウェブログ
この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 自然と向き合う旅(旅をする木) | トップ | 領収書の電子化からはじまる... »

あわせて読む