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【会津野】津波被災地へ行ってきました

2015年05月14日 | 宿主からのブログ

おはようございます。旅人宿 会津野 宿主の長谷川洋一です。

昨日から会合で仙台へ出掛けてきました。今日のブログは夜のアップです。

13日は、朝早く震度5強の地震が起き、久々の緊張感がある朝でした。幸いにも会津の揺れはそれほどのこともありませんでした。

予定されていた仙台での会合に出発し、途中、仙台の南にある名取市の閖上地区を見てきました。写真は、閖上港近くの日和山(ひよりやま)から港の方角を見たものです。この日和山は約6mの築山で、山頂に立つ松の木が2.1m水に浸かった後があり、東日本大震災の津波が約8mであったことがわかります。

震災から4年の年月がたち、がれきはきれいにかたづき、嵩上げや道路整備などが行われています。ただ、かつて建物があった住宅の基礎などは、まだあちらこちらに残り、まだ人々がここで生活していたことがわずかながらわかります。

仮設住宅にお住まいの閖上地区の方々が手作業で作ったお土産物を販売しているプレハブのお店があったので寄ってみました。

売店の女性は、写真に写っている橋の先にかつて立地していたサイクリングターミナルを運営されていた方の奥様で、青少年施設を運営していた点で私と共通の経験がありました。震災後のいま、どのように社会へ貢献するか模索したとき、被災地を訪れる方々と被災者の接点になろうと考えられ、いまもその活動をしておられます。フクシマで宿を運営する私も、どのような社会貢献ができるのかということにいつも悩みますが、ひとつの立派な行動として私には映りました。

 

仙台空港近くにある、閖上地区の仮設商店街へも寄ってみました。ちょうど水曜日が定休日のお店が多く残念でしたが、魚屋さん、お寿司屋さんなど、水産業に関係するお店が多かった印象です。閖上の商業地区が整備された暁には、戻るお店とそうでないお店が出てしまうのでしょうが、まだまだその決断の日までは、相当な時間がかかりそうです。

津波で被災した小学校です。ここは、閖上から北ヘ向かい、仙台市の荒浜小学校。小学校以外はすべて更地のような状況となっており、なにもないところにこの小学校だけが残っています。外観からみた限り、各学年2クラスくらいの教室がありそうですので、そこそこの広さの集落がこの近くには存在したことがうかがえます。残念ながら、この地区は訪れる人もほとんどなく、どんな場所だったかを示す案内もありませんでした。

看板といえば、こういうものが立っていました。通常、災害に遭ったとき、人々は、自分が住んでいた土地・建物を修繕して住もうというのが、フツウの行動ですが、東日本大震災の津波被災地は居住制限がなされているところもあります。土地・建物があっても、居住の自由が奪われ、それに対し反対なさる方もいます。復興における大変難しい部分として、我々は知っておく必要のあることでしょう。

こちらは、仙台市にあった標高6mの日和山があったらしき場所です。かつては日本で一番低い山として知られた日和山は、東日本大震災の津波にのまれ、標高3mくらいで残ったと言われていますが、探し当てることはできませんでした。仙台港に近いこのあたりも、集落の跡がところどころにあり、漁村だったのかな?と思わされます。

今回訪れた地域は、閖上で復興工事が始まってはいるものの、まだまだ「時」が止まっているところもたくさんです。

でも行動を止めてしまい、こちらの時を止めてはいけません。まわり道をしてでも、前へ進む生き方をしなくてはならないことを被災地は教えてくれるような気がします。

今日も素敵な1日を過ごしましょう。

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