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【会津野】弾正ヶ原

2017年03月07日 | 宿主からのブログ

おはようございます。旅人宿 会津野 宿主の長谷川洋一です。

さあ、ここはどこでしょうか?(Facebookでご覧の方で写真がでていない方は、ブログ本体をクリックしてご覧ください)

喜多方市塩川町の弾正ヶ原へ行ってきました。

時は1882年(明治15年)、福島事件(喜多方事件)が、ここ喜多方で起きました。明治維新後の1871年から1886年まで、当時の福島県の長官(後に県知事と呼ばれる役職)三島通庸は、会津三方道路開削命令を出しました。この三方道路とは、会津を中心として、南の日光方面(現在の国道118号線と121号線)、西の新潟方面(現在の国道49号線)、北の米沢方面(現在の国道121号線)の3方向に建設した道路を言います。

この道路建設にあたり、三島は、民意無視、過剰な負担を地域の民衆に課したことから、民衆が蜂起したのがきっかけでこの事件が起こります。

その頃は、自由民権運動が盛り上がっていて、政府と自由民権派の対立が激化。ここ喜多方でも、民権派のリーダー宇田成一らが、次々と逮捕されていたのです。

リーダーを失った民権派は、ここ弾正ヶ原に集結し、喜多方警察署に押し寄せ、宇田らの釈放を要求。警察官は抜刀し、民衆を斬り付け、乱闘騒ぎとなり多くの負傷者を出したのが、喜多方事件です。

この写真に写っているケヤキの木は、瓜生直七がこの木に登り1500人の群集相手に熱弁をふるったところ。

自由民権運動の象徴的な場所として知られるところです。

東日本大震災後、原発被災した福島県のご当地電力である会津電力が起こるとき、現代の自由民権運動だ!という言葉を聞いたことを思い出します。

この原発事故後の再生可能エネルギーに続き、只見線の上下分離という問題がいま会津で大きな問題となっています。

豪雨災害により途絶えている区間を復旧した後、その区間の維持をするため、地域に過剰な負担(毎年2.1億円)を求めるのが、この上下分離の核心だからです。

明治時代の方々は、人足という労務を提供する形式でしたが、現代はカネです。

こういう状況のなか、ただ反対するだけではなく、智恵を出して現代の自由民権運動を勝ち抜かなければなりません。

すぐ近くには磐越西線の線路が敷かれ、この問題を提起したJRの列車が走り抜けていきました。

弾正ヶ原に立ち、明治の人々の想いをかみしめながら、福島の未来を考える。昨日は、そんな時間を持ちました。

今日も素敵な一日を過ごしましょう。

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