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十津川村と新十津川村

2015年03月03日 | 宿主からのブログ

おはようございます。旅人宿 会津野 宿主の長谷川洋一です。

今朝の会津野は晴れ、気温−7℃です。春を迎える頃特有の晴れた寒い朝です。

今日は、奈良県の十津川村と北海道の新十津川村の話題をしましょう。

昨日、お泊りになったお客様は、いわゆる卒旅(そつりょ)でした。(近頃、卒業旅行のことを卒旅と略します)

大学で何を勉強されていたのか尋ねてみると、「まちづくり」とのこと。福島の復興にも、まちづくりは大きく関係することなので、福島を見にこられたようです。

さて、十津川村の話をしましょう。明治22年8月、奈良県十津川村で三日三晩降り続く集中豪雨がありました。そのとき、大きな山津波が発生し、村の4分の1を壊滅させる事態となりました。11の集落が消滅し、一夜のうちに37もの湖が出来たほどの大きな大地の変化です。168人が死亡、70%の田畑が消え去り、復旧には30年の年月がかかると言われたほどです。時の明治政府は、被災した600戸、2489人を支援し、人々は新天地を求め北海道へ移住することを決めました。これは、いまから114年前の話です。

北海道開拓の先駆者として石狩平野に移住した人々は、広い大地を開拓し、農地を広げ続け、いまでは北海道の米作の中心地として歩みを進め、いまの新十津川村があります。

災害で破壊されてしまった十津川村は、明治・大正・昭和の時代に林業による再興を目指し、昭和40年には人口が1万人を超しましたが、昭和後期からの林業衰退で、いまでは約3600人ほどの村になっています。

十津川村は、平成23年8月の台風12号でも大きな被害を受けたことは、まだ記憶に新しいところです。このとき、村は一時、全村孤立の状態となり、村を貫く国道168号線が寸断。この災害でも、人口減少に勢いがつきました。

二度の大きな災害に見舞われた十津川村ですが、村の面積の96%にあたる山林資源を活かし、分散している集落であることと、人口減により低効率化してしまった、インフラ維持のコストを効率化させる"まちづくり"が始まりました。

点在する高齢者の福祉を効率良く行うために、高齢者の村内移住を促し集約化し、そこで働く若者世代の職場整備を行い、行政コストの軽減をはかる行動をはじめました。また、林業には、切った木を運び出す"道"が必要ですが、かつて無駄な公共事業や自然破壊として非難された「林道」整備ではなく、未舗装の作業道としての整備が行われています。民間の林業会社も、現地駐在員を配置し、将来の基盤作りをはじめました。

こうやって、災害で破壊されつつも、残った資源を活かし、維持コストを低減化させる試みは、一定の成果を上げ始めており、これからの山間地のモデルとして注目されています。

一方、新十津川村は、コツコツと大規模農業への転換を進め、農地という資源の活用と、生産コストの低減に一定の成果をあげています。

人が暮らすには、一定のコストがかかります。これをいかに削減し、与えられた資源からの収益を最大化していくか、人という資源か大地という資源かの違いはあるものの、都市でも田舎でも、やろうとすることは同じ。市町村合併は都市機能だけを集約させた出来事でしたが、いまは、資源からの収益最大化に向かって動くときのようです。

眠れる資源、これを枯渇させることなく活かす、山にも観光にも同じことが言えそうです。

"まちづくり"に力を注ぐ、若者たちへ、宿主は昨夜、こんな話をしてみました。

今日も楽しい1日を過ごしましょう。

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