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【会津野】会津藩主「保科正之」

2017年02月18日 | 宿主からのブログ

おはようございます。旅人宿 会津野 宿主の長谷川洋一です。

「保科正之」(中村彰彦著)を読みました。

きっかけは、金正男氏の暗殺事件。ラジオで、金正男氏と金正恩氏の関係を報じているのを聴いたら、正男氏は庶子(正式な妻の子ではないこと)であるとのことでした。

そこで、水戸光圀と保科正之も庶子だったなという記憶を思い出しました。ただこの2人は、庶子にもかかわらず、しっかりと天下を治めた君主として知られています。

ほかに、文科省の定める教育指導要領にて、江戸時代の「鎖国」という言葉を使わないようにするよう方針変更する報道もありました。

江戸時代に、実際には蘭学者と呼ばれる方々が、外国の学問を翻訳したり、その考えを政治に取り入れたりする動きもあったので、鎖国とは言えないのが実際のところだという考えからです。

会津藩主であった保科正之は、朱子学を勉強したお方です。江戸時代の朱子学は、日本古来の学問ではないため、やはり鎖国状態ではなかったと言えるのでしょう。

さて、保科正之がこの朱子学の思想をもっとも政治に反映した点は、社倉という制度を作ったことです。

社倉とは、年貢として集めた米を備蓄し、もし凶作があっても農民に対し米を貸し与え、困窮が続いた人々にも、配給をする制度のことを言います。もともと朱子学は、武力による統治ではなく、法による統治である文治を目指す学問でした。保科正之は、この思想を民衆の統治に用い、現在でいう福祉政策を江戸時代に作った方なのです。

当時、南会津の地域は南山と呼ばれ、天領と言う幕府の直轄地で、実際の統治を会津藩に委託されている時代がありました。

保科正之は、この社倉を南山でも実施し、庶民は困窮したときでも、食うことだけは困らないという政治体制に守られ、安心な生活環境が行き渡りました。南山では、直轄地から会津藩の領地への変更を庶民が懇願するようなことも起きました。

そう、セーフティーネットが、江戸時代の会津にあったのです。

この時代、会津は、人口がどんどん増加し、とても活気のある時代でありました。

ほかの福祉制度に、こんな面白いものがあります。「御政事御執行之御趣意」という、政令です。

そこには、

1.90歳以上の人々に米を給付する。

2.中絶をしてはならない。産子を育てる支援を行う。

3.病気をした旅人には藩が医療を与える。

というのがあります。

1は、日本ではじめての年金制度。

2は、菊田医師事件をきっかけにはじまった特別養子縁組制度を連想し、現在の子育て支援そのものです。

3は、旅先で病気をしても会津なら安心というようなことを実践したのです。インバウンドが拡大する現在でも、このような地域は日本に存在していません。

これらの政策は、会津での暮らしを豊かにしたし、人口も増加、他の地域からの移住者(いまでいえば移民?)にも優しく、人々は名君のもとで、素晴らしい人生を送っていたのです。

新しく誕生したどこかの国の大統領のことや、暗殺された庶子のことが報じられるいま、かつての歴史を知ると、民政の大逆転が起きていることをしみじみと感じる今日この頃。

保科正之は民衆のための政治を行った。トランプ大統領は誰のための政治をしているのか。また、日本の政治は誰のためにあるのか。天下り問題のある行政は、いったい誰のための行政なのか。

やはり、政治や行政というのは、大事なことですね。選挙制度のない時代にできたことが、選挙で選ばれてもできない。

現在の制度のもとで、民衆はよく人物を見定め、保科正之のような人物を選出し支援していくことが、残された希望なのだろうか。

今日も素敵な一日を過ごしましょう。

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