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【会津野】イザベラバードの東北紀行(会津高田の巻)

2016年10月03日 | 宿主からのブログ

おはようございます。旅人宿 会津野 宿主の長谷川洋一です。

「イザベラ・バードの東北紀行[会津・置賜篇]」(赤坂憲雄著)を読みました。

イギリス人の女性旅行家「イザベラ・バード」は、1978年(明治11年)6月28日に、大内宿から会津高田の町を通り、会津坂下まで旅をしました。

その時の旅行記は、「日本奥地紀行」という書物で邦訳されていますが、赤坂憲雄さんの本では、特に会津の部分を詳しく抽出し、現在との対比が行われています。

それによると、当時の会津高田の街は、300戸余り、1マイル(約1.6Km)の通りの全ての家が店屋だったといいます。ものすごく商業が盛んだった様子が伝わってきます。その内訳は、生糸、縄、人参の取引が多いと記され、その他に紙漉きが行われているところを、バードはわざわざ訪ね、フィールドワークをされています。また、明治元年(1968年)の戊辰の役では、245戸が焼失、9戸が半焼となり、江戸時代のままの家は50戸あまりだったことがわかります。

生糸は、農家の冬の副業として蚕を飼い内職していたことがうかがえます。また、縄も冬に男手が編んでいたのだろうと思われます。人参は、薬用人参(朝鮮人参)のことで、現在でも僅かではあるものの、会津美里町では生産が続けられていますが、当時は盛んに栽培されていたのでしょう。

驚いたのは「紙漉き」で、これは現在では見られません。ただ、数年前に「ケナフ」という紙の原料となる植物を育て、和紙を作成した方が知り合いにいらっしゃいます。当時は、会津高田のどのあたりで作成されていたのか、近いうちに調べてみたいとおもいます。

紙漉きといえば、もう30年近くも前ですが、九州の秋月(福岡県甘木市)で紙漉きを体験したことがあります。クワ科の植物・楮(こうぞ)を冷たい水にくぐらせて紙を漉いたことを思い出しました。

イザベラ・バードが訪れた当時の紙漉きは、こうぞと豊かな水が必要だっただろうから、山の近くだったのだろうかと想像を膨らませています。

紙屋さん(和紙屋さん)を復活させることは、とてもこの土地に合っているような気もしてきました。

今日も素晴らしい一日を過ごしましょう。

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