会津の重ちゃん日記

日常の出来事、地方紙の記事、街中散策して見聞したことを発信。

旅行 6

2017-06-09 22:57:04 | 旅行
2017年6月9日(金)晴 28.1℃~14.6℃
 「松が崎公園(上杉神社等) 散策 」

 旅行の続きをアップします。



小野川温泉を午前9時に出て、西宮に帰る友人を米沢駅へ送る。
その後、上杉神社へ移動。

市にある神社。松が岬公園(米沢城址)に位置し、上杉謙信を祀る。旧社格は別格官幣社。
杉謙信が天正6年(1578年)、越後春日山城で急死した際、遺骸は城内の不識庵に仏式にて祭られたが、
次代の上杉景勝が会津を経て慶長6年(1601年)に米沢へ移封されたのに合わせ、謙信の祠堂も米沢に遷された。

以後、米沢城二の丸の法音寺を主席とする十一ヶ寺が交代で祭祀を執り行ってきたが、
明治に入ると神仏分離令、廃城令などにより、謙信の遺骸が城内から上杉家廟所に移され、
その守護のために法音寺も廟所前に移転した。
併せて米沢藩中興の名君である上杉鷹山を合祀し、山形県社「上杉神社」とした。

明治9年(1876年)5月21日、現在の旧米沢城奥御殿跡に社殿が遷座された。
明治35年(1902年)4月26日には別格官幣社に列せられる。

上杉家十代上杉鷹山公は、困窮、崩壊寸前の藩を復興させた江戸時代随一の名君として知られる。
十四歳の時から折長学派の儒者細井平洲師事し十七歳で藩主となるや、
大倹令・産業開発・藩校興譲館の創立・綱紀の粛正などを断行する。
凶作に備え、城下や村々の麓にもみを備蓄し、天明の飢饉に領民に配り一人の餓死者も出さなかったと伝えられる。
十一代治広公の家督を譲るとき民主主義の原点を記した「伝國の辞」を与えた。

伝國の辞
一、国家は先祖より子孫へ伝え候国家にして我私すべき物にはこれ無く候
(国(藩)は先祖から子孫へ伝えられるものであり、我(藩主)の私物ではない)
一、人民は国家に属したる人民にして我私すべき物にはこれ無く候
(領民は国(藩)に属しているものであり、我(藩主)の私物ではない)
一、国家人民の為に立たる君にて君の為に立たる国家人民にはこれ無く候
(国(藩)・国民(領民)のために存在・行動するのが君主(藩主)であり、
”君主のために存在・行動する国・国民”ではない)
右三条御遺念有間敷候事(三ヶ条を心に留め忘れなきように)

天明五巳年二月七日  治憲 花押

米国第三十五代大統領ジョン・F・ケネディは政治家で最も尊敬する人は,上杉鷹山公であると述懐したことはあまりにも有名である。

鷹山公が家臣に示した和歌
「なせば成る なさねば成らぬ
        何事も 成らぬは人のなさぬなりけり」
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