会津の重ちゃん日記

日常の出来事、地方紙の記事、街中散策して見聞したことを発信。

白虎隊士

2016-10-07 20:51:38 | 地域情報
2016年10月7日(木)晴 21.7℃~13.8℃
 「白虎隊士の墓標」

 ウインドウズ10のパソコンの具合が悪く、「会津の重ちゃん日記」が何度投稿しても正しくアップできませんでした。
 セブンでアップしてみました。何とかなりそうです。
 いつの間にか9月が過ぎ10月になっていました。金木犀の香りが漂い、秋海棠が咲き秋が深まりました。


 「飯盛山洞門くぐり」をしたブログの続編を書いてみます。当日の講師 石田明夫氏の資料を一部お借りしました。
 慶応4年(1868)8月22日(新暦の10月7日)藩主 松平容保公が滝沢本陣から白虎隊に出陣を命じた。
 戸の口原で戦った白虎隊士中二番隊は37人いました。その隊長は、日向内記で、小隊長は山内弘人(戦い後の行動不明)が指揮した山内隊20人、半隊長の原田勝吉が指揮した臨時編成原田隊は7人、篠田隊17人(日向が不在となると篠田儀三郎が指揮)。

 飯盛山の墓標19人は、飯盛山で自刃した篠田隊の16人(飯沼貞吉は除く)と戸の口原で戦死した伊藤悌次郎ら3人を含んだもの。
 戦闘は1868年8月23日(現在の10月8日)朝 午前5時頃。
 最新兵器と多数の新政府軍に対しては勝ち目なく敗退。篠田隊は飯盛山で自刃。
 山内隊と原田隊は若松城に入り籠城し戦った。

 これらの史実は、蘇生した飯沼貞吉が書き残した「白虎隊顛末記」や酒井峰治の「戊辰戦争実歴談」によるところが多い。
飯沼貞吉は後に貞雄と改名し79歳で亡くなり仙台に墓があり、飯盛山にも墓が建てられた。



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