なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

平日の休みも結構忙しい

2007-05-31 00:19:08 | Weblog
今日は休みなので何処かへ出かけようかと思っていたのにあいにくの雨でした。
 (これは5月の初め頃の話です)
 それでも、お昼には何処かへ買出しに行くか夕飯まで我慢するかという秤にかけ無ければならないのです・・・やはり出かけるほうを選びました。
 自転車で出かけ道路とか歩道で横転したり、歩行者に迷惑をかけるのなら雨合羽着用で傘はささない・・・オジンですからバランスを崩すといけない・・・・だから強い雨ならば雨合羽、弱い雨なら防水ズボンに防水ジャケットに帽子、それで済んでしまう程度の小ぬか雨でよかった。
 (この方が傘よりぬれることは少ない)
 休みで家にいても本当に何にもしないで寝ていられるわけではありません。
  
 さて以前お話したかかりつけの総合病院から紹介された「生活習慣病専門医」の予約を取らなくてはいけません。
 <これは生活習慣病専門医に通う前の話。
 自分の健康のためということで仕方無いけれど
病気を得て長引くと、先生から厳しい言葉が・・・
   「真剣に取り組まなくてはいけませんよ」
   「自分の健康ですからね」
  好い方に向かわないのは全て患者の努力不足・どころか病気になったのも本人の責任みたいな・・・
  マア、愚痴っていても仕方ないか
  平日なら水曜日、もしくは土曜日ということで「紹介状有り」で予約
 初回は2時間近くかかるとか・・・いろいろ検査でしょう
  血糖値は薬ではコントロールしにくいらしい状態なので、専門医に見てもらうしか無いらしい
 しかしGW中は予約で一杯なのと病院の休みが重なっているとか、世の中同病の方が多いらしい。

 さてネット碁の方はただいま絶不調中
  真っ逆様の5連敗、全く情け無い内容です
 きっと打っている手が何とかの一つ覚え的なので進歩がない感じです。
  相手は変わるからさほどでもないかも知れませんが、その辺は自分が一よく分かる。
 私は進歩を望めない年令になっているのに、周りはマダマダ進化する人達が多いようです。
 だから総体的に落ち込んで行く傾向を感じて必死の抵抗の毎日です
  負けるときは4連敗・5連敗を喫します、そこまで行くと2勝1敗とか3勝2敗とかのペースで何とか元に戻る・・・そして暫くは勝敗が拮抗した後またドンと連敗・・・
 結果として現れる勝敗はそういうことで推移しています。
  きっと内容に問題があるはずなので・・・それを見つけなくてはいけないのが今の課題のようです。

 さてさて、前にも書いたけれど・繰り返し何度も書きますが局後の挨拶で「パソコンの調子が悪いので投了させて戴きました」・・・
 こちらが投了した時・数え碁で1目半足りなかったとき・更には捻り合いの攻め合いを制したとき・・・3局連続このコメントでした。
 毎度思うのだけれど意識しての挨拶だろうか
   ザマァ見ろ!、悔し紛れ・・・そういうことの表現か?
 それともクリックミスで別の定型文を選んでいるのに文字が勝手に化けている?
 本人は普通の定型文を選んでいるのにパソコンが違うものを選んでいる?
ともかく3連続ともなると放っておけない気分だし、暫く他のネットに移ろうかななどとも思ったりします。 

36500日

2007-05-30 02:20:32 | Weblog
 今朝は出掛けに息子に「1日を無駄にするなよ」と声をかけて出かけました。
 玄関で靴を履きながら、成人過ぎた息子に言うことではないなと思いながら、もし声をかけたセリフに続けて言うなら「1年365日、100年で36500日、何をしようとしまいと確実に減っていく」となるところでしょうか。
 さすがにこれは言葉にはしませんでしたが・・・
  第一”100年”と例えたのが地獄の鬼が聞いたら大笑いです。
 私は既に6割くらい消化しています・・・100年として・・・主治医の話しっぷりではそんなに甘くない、相当差し迫っている口調だし、心臓のバイパス手術は必至なのだそうです。
 それでも昔お世話になっていた近所の開業医のご託宣では「何時プッツンしても可笑しくない」と家族には告げていたとかだから、それから20年たっているということは・・・かかりつけの病院を変えたのが良かったのか、それとも私に粘りがあるのか?
 ともあれ玄関で靴を履きながら、アレは自分用のセリフだったなと苦笑いです

 「ムダ」ということで誤解があるかも知れないので説明すると・・・本当は息子にも言いたいのですが、「役に立つ」の対極にある「ムダ」ではありません。
 1日何もしない=「ムダ」と言っています・・・何もしない1日があっても良いような気もしないでも無いのですが、それは年寄りになってからということで。
 本を読んだりスポーツをしたりウォーキングでも良い・・・何でもよい、やりたいこと・今日出来ることをトコトンやれと言っているのです。
 勿論勉強でも良いけれど、囲碁を覚えたいのならもっと良い
  何処かへ行かなければ出来ないのなら出かければ良いし、今日即できないことならば今できる準備があるだろう。
 悪いことでなければなんでも良い・・・但しゲーム機相手に時間を・1日を浪費するのは最低に近いと思っています。
 創造性というか発展性というかそういうものに繋がらないと思う・・・そこのところが同じパソコン画面相手にネット碁を打つのとは大きな差があるように思う。

 自分の学生時代を考えたら、例え息子にでも自分のことを棚にあげてお説教じみたことはいえません、先ほど程度のセリフがが自分では限度です。
 私は地方から出てきて4畳半一間を間借りしていましたが寝るとき以外にはそこにはいない風な生活でした。
 たいていは植物系の部活の部屋か大学近くの駅前の雀荘・・・マア大学かその周辺には居た。
 当時は講義が一限2時間でしたから先輩たちは休講を利用して近くの雑木林に植物採集に行くのですが、私もこういうときは必ずついていきます・・・休講と関係なく。
 (その林は開発で見る影もなくなりましたが、貝塚があるのでその部分は手付かず・・・偶に横を車で通ると懐かしいですね)
 だから偶に講義に出席すると初顔合わせの教授など・・・「君があの○○君か」などしげしげと顔を見られたり、早速教授から質問が飛んできたり・・・予習しないと講義には出られませんね。
 講義には出ないくせに専門外の教授の部屋に出入りしていたり、変な学生で名前だけは知れていたり・・・
 ともかく好きなことをやっていたので1日が短いどころか、寝る間も惜しかった
  好きなことに時間と労力をつぎ込む・・・しかしそれは飯の種ではないから、マア単なる道楽息子でした。
 大学のある駅周辺の雀荘では少しだけ名前が知れていたり・・・そういうことは娘や息子には伏せています。
 それで自分のやってきたことを考えて子どもには「何でも良いから打ち込め!」と物分りの良さそうなオヤジをやっている。

 競馬についてはその昔血統書が愛読書だったり、レースを展開を覚えてしまうほどのめりこんでいたことはあるけれど、これは一歩間違うと経済的破綻が予測される・・・そこで娘が幼児期に足を洗った。
 中途半端には出来ないので、以来競馬場には足を踏み入れていない。
  マージャンはフリーで雀荘で遊んでいて週に2,3回徹マンとか連続72時間とか遊んだけれど、これは禁煙と同時に足を洗った。
 私にとって喫煙とマージャンは結びついているので、禁煙をするには止めざるを得ない。
 だから残っているのは囲碁オンリーです。
  これなら世間体からも女房殿からも公認ということですね
 例えば家で何かの用事とか、食事・入浴などと声がかかっても「只今試合中」の一言で回避できます・・・諦められているか、見捨てられているとも言いますが。

 ともあれ我が愚息!ゴロゴロしているなら囲碁を憶えなさい。
  かの孔子様だって2千年も前に、何もしないよりは余程良いと言っているのですから。 

「座布団の下から碁石」

2007-05-29 02:55:33 | Weblog
 今話題のビッグトトを買ったら見事に6億円なんて言う景気の良い話をしてみたい。
 「しんじられナーイ」とか「あり得ない」などと言ってみるのもおつなものかも
 「ヤア買ってみるものだね」とか「買わなきゃ当たらないね」などと変にすましてみるのも良いかも。
 現実は生まれつき、運とお金・名誉・地位と無いものだらけであるのは・・・不健康な体だけです。
 何とか借金と悩みと縁の薄い神経の持ち主ということでしょう。

 こういう「瓢箪から駒」的に思いついたものが皆上手く行けば人生楽しくてしょうが無いかも・・・そういう良い事と縁がなくても結構楽しんでいますからね。
 今日は「瓢箪から駒」の替りに「座布団の下から碁石」みたいなしみったれた話でご機嫌を伺います。

 熱戦が終わって、いざ数えてみたら盤面黒6目勝ち(これはコミを引いて白の半目勝ち)・・・黒さんなにやら誤算があったのかしきりに首を捻っていましたが、やおら立ち上がると座布団をひっくり返す・・・すると何と白石が1個出てきた。
黒さんが言うのには「これで黒半目勝ち!」
 こういう時貴方が白番なら黒の主張を受け入れて納得するでしょうか?
  座布団の下から出てきた石はハマとして認められるでしょうか?

 さてこういう場合のルールは知りません・・・以下想像と私の感情で
  プロの対局で挑戦手合いなどでは立会人がいて、こういう微妙な判定は立会人の責任で裁くでしょう。
 そうでなくても、プロなら初めから並べ直せば済むことです。
  そういうエピソードもありますね・・・結果に納得がいかないで首を捻っている相手に「なんなら並べ直しましょうか?」と言ったとか。
 これは一見親切のようだが、もし並べ直して結果が同じなら当分話の種で笑われるでしょうから安易には乗れませんね。
 尤もこういうことは一から起きそうも無い
  
 アマならたいていの場合立会人はいない
  普通の碁会所とかコミュニティの話です。
 さあどうする?
  ネットではあり得ないことですね、座布団も現実のハマ石も
 それとは少し違うけれど半目に纏わる経験はあります。
ネットで相手の終局提案に同意して、パソコンが自動的に地合い計算をした結果私の半目負け!
 これは私の計算と違っているので、相手の結果に対する「同意要請」には安易に応じられません。
 この場合疑問を残したまま同意したとして、後で間違いに気がついても、一旦同意してしまえば結果は変わらないはずです。
 結果に対する同意書にサインしたことになります。
  そうは言ってもいつまでも放っておくのは、なにやらいやらしい感じもする。
 タイゼムなどでもこの辺りのことは慎重ですね・・・同意したら「結果は覆りません」という宣言が入ります・・・つまり結果に同意したのだから結果はもう確定しているということです。
 大急ぎで、少し時間を戴いてよく見たら相手の1線のカケ目場所がついで無かったのが分かりました。
 どういうわけかパソコンがそこを目と判定していた。
  そこで「対局再開要請」をして、その場所を埋めてもらい今度こそ終局したのでした。
 マアこれは座布団の下とは関係ない話でした。

 座布団話は畳の碁会所とかコミュニティではよくありそうな気がする
さて私としては座布団の下の石がハマなどと、論外です。
 私が最初に道場で教わったことの一つは「碁笥の蓋は相手から良く見える位置におき、ハマはそこに入れる」
 これはマナーかも知れないけれど、殆どルールに近いのではないだろうか。
  対局中地合い計算をする場合、プロなどは盤上の形で浜の数が分かるらしいのですが、アマの場合はハマ石を確認する必要がある・・・私を含めそうだと思う。
 だからこそ碁笥の蓋は相手からよく見えるところに置くのだろうし、碁笥を故意にいじるようなことはしませんよというパフォーマンスでもあるでしょう。 
 ともかく相手の持っているハマ石は数えられる。
(昨年だったか中国のプロが国際戦で、堂々と相手の碁笥の蓋に手を伸ばしハマを数えたとか・・・これだってルール違反ではない)
 正確を期すために相手にハマ石の数を訊ねるのもありでしょう。
  その場合嘘の数を伝えるのはアンフェア以上ルール違反でしょう。
 ましてや後で座布団の下から出た石を加えるなど・・・
  私なら絶対認めないつもり。

 コミュニティで私に3つ置いて打つY崎さんという人がいます
  (悪口っぽく言いますが、性格を非難しているのではありません)
 彼は取った石を碁笥の蓋に乗せる作業が実に雑な仕事です
  いつも碁笥の蓋の内外に石が散らばっているのです。
 この点は見た目だけではなく、マナーひいてはルール的に問題があると思われます。
 私はいつも彼に「碁笥の外に”落ちている石”ハマとは認めませんよ」と脅かすのですが、私程度の脅かしなど一向に意に介さない。
 碁笥に乗り切らないほどハマがあって、溢れているのなら少々零れても文句は言いませんが・・・こういう石の一つ二つが座布団の下に潜り込む可能性は大きいし非常に味が悪い。

 もし中国ルールならハマなどは計算に関係ないから何処に落ちていようと勝敗には関係ない・・・この点に関しては中国ルールの方がすっきりしている。
 もっとも対局中の地の数え方が難しそう  
 

神経質すぎる?

2007-05-28 03:32:15 | Weblog
 将棋のタイトル戦とか順位戦リーグなどをTVでの中継や囲碁将棋チャンネルなどで見ていると、駒の並べるのにも作法があるのですね。
 駒袋から取り出したというか、袋をさかさまにして盤の中央にあけて両者が取っていくのですが、王将(あるいは玉将)をまずおいて金を左に、次に右の金と言った風に並べていきます。
 アレはルールとは思えないので、恐らく作法なんでしょうね。
  マア多少儀式ばった感がしないでも無いけれど、これから大一番が始まる緊張感が伝わってきますし、徐々に緊迫感が高まっていく。
 さてその場合もう一つ儀式でも作法でもないことを見受けます。
  人により違うので基本的に夫々の自由なんでしょう・・・駒の置く位置です・一桝の中の何処に駒を置くのかということです。
 一番多いのは桝の自分に近いほうの線に駒の底の線を合わせるので、たいていはこの置き方ですが、中には逆に前の線に合わせる人、桝の真ん中に置く人もいる。
 いずれの場合も左右にはずれていません。
  これらの置きかたがばらばらの人はいませんから、皆夫々に自分の気に入った場所に置いているのですね。

 囲碁の場合は最初は何も無いのですからそういう癖と言うものはありませんが、多少気がついたこと・以前から気になっていることはあります。
 これはプロ棋士の対局風景ではお目にかからないことですが・・・ザル同士の対局ではままあることです。
 ザル同士・・・私の偏見では低段や級位の方たちのの対局に多い・・・
それも早碁に多いのですが、早打ちではない人もいるからこちらは必ずしも早碁ということでも無さそう。
 どういうことかというと、碁盤の石の繋がりが直線ではない!
  それも一定の法則で揺らめくような法則は無いから一個ずつの石が勝手にずれているのです。
 これは途中観戦ではお手上げですから即観戦を諦めるのですが、本人たちがそれで支障が無いのなら傍が文句を言う筋合いが無いから黙って隣に移動するしかないのです。
 要するに本人たちの問題ですが、偶にはトラブルめいたことが起こらないでもない・・・そういうためにもきちんとした位置に置くのが良いのですが、私にとっては「そういう並べ方をしていてよく考えられる」ということです。
  (一般に素人の碁では中盤に白熱してくると、気持ちが石の位置に現れることがあります・・・本来交点と石の中心が同じのはずなんですが、例えば逃げたい場合など、打った石の中心が自分がこれから逃げたい方向へ気持ちズレる・・・気持ち数ミリズレる>>>こういうのは見ていて可愛い方ですが・・・)
 盤上に置かれた石の中心は出来るだけ盤の罫線の交点でないと私はダメ
  それでも多少のずれは法則性があれば許容範囲ではある(例えば一定の方向に少しずれるとか)。
 しかし一個ずつ勝手な位置を主張されるとそれだけで疲労感がある。

 盤上の石は単に一手の石の座標的位置を表しているの過ぎないとすれば、それは概ね正しければ”表現”していると言えます。
   そうであるならば、例えば天元に置かれた石が多少前後左右にずれようと[10・10」を現しているのだから文字で棋譜を表せば何の問題も無い!?
 ところが私にとっては”視覚的”に問題なのです。
  視覚的に受け取った情報を頭に送る前に”拒否”されそうな感じです・・・拒否ではないにしても、こういう碁盤の風景に酔っ払う感じです。
 酒ではなくて船酔い状態に近いか。

 だから自分の対局では自分の石の置いた位置が気に食わなければ指の爪などで数ミリ押して修正します。
 (持ち上げて直すのは”二度打ちみたいだからやりませんが)
 相手の思考の邪魔にならないように気をつけますが、この辺は石の位置が気に入った所にないと落ち着かないというフラストレーションとの戦いでもある。
 これは自分が置いた石だから微調整的修正は出来ます・・・が、相手が置いた石の場合その位置が罫線の交点からずれていても勝手に手を出して修正するのは気が引けるだから自分の石と相手の石は別のスタンダードで盤上に置かれていることもあるわけで、こういう状態に神経が弱い。
 ましてや相手の石にスタンダードが無かったら本当に投了を考えたりします。

 一番困るのは交点と交点の中央などに打たれた場合、四分六ぐらいでも困る。
  こういうことは後で問題が起きることもあるので
 「ヤッ、ファジーな位置ですね。後で都合の良い方に移動します?」と尋ねざるを得ない。
 いずれにせよ私には盤を見たときにきちんと石が並んでいないと神経が逆撫でされたような不快感が沸いてきます。
 それは対局者が親しい人であろうと無かろうと、盤上の風景にギブアップです。
  ”上手まっすぐ下手こすむ”→”上手まっすぐ下手曲がる”→”上手まっすぐ下手グチャグチャ”という気分。
 私は”まっすぐ好き”なんだけれど”上手”では無い・・・それも問題です。

馬耳東風

2007-05-27 00:15:35 | Weblog
 昨日話したように、もしKさんFさんの対局で参考になるような・・・つまり何かの勘違いか”おかしな形”が定型みたいにくりかえされていることに気がついた場合、あるいは錯覚というか起こりえないようなことが現実に起きてしまい、しかもそこのところを”さらっと”通り過ぎてしまった場合、アドバイスすべきかどうか?。
 勿論その場での口出しではありません。
  マアそこで投了ともなれば原型に戻しやすいし、彼等の関心もまだのこっているでしょうから話は出来る。
 さてそれが良いことかどうか?。

 昔の囲碁仲間にM田さんという人がいました。
  彼は病院の院長先生ですから、社会的地位もあるし普段なら出会うことなど無い種類の人でしょう。
 そこのところが趣味の取り持つ縁でしょう、お互いに”先生”と呼んでいるのですからね。
 尤もあちらは正真正銘の先生で、こちらはだいぶインチキ先生。
  さてこの先生性格がおおらかで口調もベランメエに近い・・・かなり言いたい放題も言う。
 そういう性格だから、そういう対局を見て楽しむ人もいるわけで・・・これが何だかんだとアドバイス?・解説したがる人なのです。
そういうときの先生の常套句は「頼みもしないのに教えたがる奴がいる!」
 喧嘩ではありませんが、気持ちとしては苛立っているでしょう
  敵もなかなか、このくらいでは・・・暫くは静かなのですが
   ”教え魔”というより”解説魔”ですね。

 それで、私のしようとしている事は単なる”解説魔”的動機だろうか・・・そう受け取られる可能性は大きい。
  私は彼らと4.5子で打っていますが「打ってくれ」=「教えてくれ」ではないと思っています。
 勿論言葉としては「教えてくれ」ですが・・・
  しかし今までに彼らのほうから敗着・敗因を教えてくれと言われたことがないのです。
 当然私も分からないことが多いのですから、頼まれても期待に沿える自信は無いにしても、一緒に考えることは出来ると思う。
 私としてはそういうことを含めて”碁を打つ楽しさ”だと思うのですが。
  もしかしたら私の方が間違っているのか・・・あるいはこの辺が楽しみ方の分岐点なのかも知れません。

 これまでに彼らには2つのことしか話していません(細かいことでは話したかも知れませんが)
 打っていて余りにも損な分れを平然と打っているのを見かねて”つい手の内を見せた”ということです。
① 黒の星に小ケイマにかかり、黒の1間ハサミに白三3に打ったときの変化。
  黒押さえに白ノビ、普通は黒3本ノビですが、これを2本で押さえ、白の下がりに黒も押さえで白が切って>>>黒のハマリ
② 黒隅の星から小ケイマしまりの構えのところに、白裾カカリ
   <言葉だけなんで分かりにくいでしょうが、すみません>
 さて黒さんたちは自分から嵌りに来るような気がします・・・「嵌め手」ということでもないのだけれど・・・知っているのと知らないのとでは大きな違い。
  しかもこういうことが続くと”こういう勝ち方をしていて良いものだろうか”という疑念というか心地悪さが広がってくるものです。
  ですから昼休みの終了に時間が残っているので、この辺の説明をした。
 この程度で彼等の棋力が上がるとは思っていませんが、4.5子の置き碁では私が打ちにくくなることは確かですね。
  白は勝たなくてはいけないわけではないのですから良いですが。

 昼休みの碁ですから、トレーニングというより単なるジョギング程度の意味なんでしょうが、彼らはそれしか打っていないに近いらしい。
  もし「碁が楽しい」から「そして強くなりたい」に変わった時、今の接し方では無理だと思うのですが、どうだろうか。
 つまり”打ちっぱなしの碁”を繰り返しても、楽しみの時間ではあっても棋力のアップには繋がらないのではないだろうか?
 その辺を「毎日みたいに碁を打っている」ことで勘違いしていないだろうか
  寧ろこういうことで時間を空費したと、後で思わないだろうか?
 もしそういう後悔をした場合は、私も共犯ですね。

 言葉にすると大げさで素人としては気恥ずかしいけれど、勝敗もさることながら「視野が広がる」とか「思慮が深くなる」とかに喜びを感じてくれると良いのだけれど・・・もしそうなら私と同じ程度にならなれることは保証できそう。
 でも、今のままの楽しみ方なら、楽しみ方は好き好きですが棋力は何年経っても・・・
 私も人事ではないが、一生勉強と言いながら、何処かで棋力の上達が止まるということはこの辺の原因なのかも。
  但しこれを押し付けるの分けにも行きません。
 それは頼まれもしないのに「私のおせっかい」
  しかも耳に逆らうような力は無くて”耳をなでる風”程度のものでしょうね
 全く難しい 
 

速すぎる!!

2007-05-26 01:47:48 | Weblog
 雨の中午前中は市内出張でした。
 この予定は1ヶ月以上前から予定されていたのですが全く失念していました・・・デスクの予定表に入っているのに・・・ですから朝出勤すると「あれっ今日は出張では?」という声がかかって内心ハッと気がついた。
 そ知らぬ顔で「これから出かけるところです」
10分くらいどうでもいいような事務仕事をしてから出発です。
(気持ちが動転していたせいか、目的地のビルは憶えていたけれど、階と会議室番号を書いた紙を忘れて、携帯で確認するというかっこ悪い・・・)
 これは来月施行される法改正に備えての講習。
  いつものように自転車で出発・・・バスとか電車とかの交通機関はあるけれど、自転車が好きなんです。
 蒸し暑い夏の雨合羽、真冬に霙交じりの雨は苦手ですがこの時期の雨なら問題は無い。
 マア風さえ無ければ苦にしません。
  周りから見ると不思議らしいのだけれど、一人で市内に公用車で行くのも、あるいは運転手さんに頼むのもね・・・
 尤も困ったこともあるにはあった。
  目指すビルに余裕を持って着いたのは良いけれど雨合羽を着替える場所が無い!マア下に事務服を着ているから裸になるわけではないから、私が気にしなければ良いだけのことなんですが。
 そういうことですから私は支給品のズボンにYシャツ姿、勿論ノーネクタイです。
 一応大きな名札を首から吊るしています・・・私としては講習は仕事ですからこのスタイルが正しい?スタイル。
 ところが周りを見ると、出席の皆さんは全員背広にネクタイ着用・・・そういうルールがあったのか?案内状には何も書いてなかったけれど
 考えて見れば彼らは県内各地から集まっている、遠い人は片道車で2時間以上かかる・・・車なら背広でなくても?・・・それとも終わってからの予定かな?
 私だけがお膝元の事務所だから、近いことだし、マアいいか!
  それに彼等の多くは1日講習、私は午前中でタッチ交代。
 再び自転車で帰路、事務所の前のセブンでサンドイッチを仕入れて帰った。
  それが12時45分・・・事務所の中の男子休憩室の前を通ると「どんど晴れ」のテーマ曲に混じって石を片付ける音がします。
 これは1時15分前に終わったのではない!
  イヤ何局目かが終わって次の一局の準備なのでした。
 着替えて休憩室に行くとKさんFさんが熱戦中
  余り近づかないで離れた土間から立ったままサンドイッチをほうばりながらの観戦です。

 今日もKさんが白石を持っている・・・4月にはKさんは「Fさんに3つ置いてる」と言っていたけれど、これはだいぶ様子が違う。
 これで今度はFさんが発奮すれば、二人は良いライバルで伸びていける・・・のだが・・・
 余りにも速い!速すぎる!!
  恐らく1手に1秒もかかっていないのだろう
 時として手が止まりかかる時もあるから、平均して1手1秒です。
   実際にはそれだと1分で60手進んでしまうから10で600手?・・・ということは1手平均2秒余り3秒以下という辺り。
  気合が良いというか思い切りが良いというか・・・
 多分彼等の言い分は、昼休みの残り15分に合わせたということでしょう
  でもそれまでに2局打っていればこれで3局目ですから、殊更せかなくても1局15分だから・・・これは完全に餅つき碁のリズムを上回っている
 ともかく私みたいな観戦者泣かせです。
  「何かありそうだ」と考えたくても場面はドンドン進行していくからとても追いつけない・・・勿論彼らにしてみれば観戦者の為に打っているのではないのですが。

 さてこういう対局でも、ここ(事務所)でしか打たない人だそうだから打たないより良い(少々嫌味を込めています)
  しかし打てば良いというものでもないような気もする

 私もKさんFさんくらいの棋力の頃・・・ここまでの早打ちでは無かったけれど
  その頃のことを思い浮かべると・・・「考えろ!」と言われても「何を考えれば良いのか分からなくて」・・・それでも”考えろ”と言ってくれた人の手前直ぐには打てずに石を手に持ったまま立ち往生したことがありました。
 「考える」=「時間をかける」は内容に違いがある
  だから私のは「下手な考え休むに似たり」どころか休んでいたようなものでした。
 今彼らに考えて打つように言っても、ただ小うるさいオジイが煩いことを言っているとしか思われないだろう・・・けれど・・・彼らに最も足りないのはここだと思う。
  さてさてどうしたものか思案投げ首 

勝っても喜べない

2007-05-25 02:36:12 | Weblog
 今日は昼休みにお弁当を食べてから少し迷った。
 F氏はお弁当を食べ終わってから喫煙コーナーに消えていったから、今日は打つ気は無さそうです。
 となると今日は昼寝でもしようか、それともパソコンで遊ぼうか?
  パソコンはゲームではありませんし、ブログの下書きでもありません。
 仕事に必要な統計表を作ろうかなということです。
  ホストコンピューターにはいろんなデータが集積されているので、そこから必要なものだけを取り出して表を作ります。
 元のデータ量が多すぎてややもてあましているのですが、こういうのは嫌いではない。
 これをやると多分周りから昼休みですから休んで下さいと声がかかるのは必至・・・ということで迷っていた。
 
 この辺りの感覚というか、個人的癖というか・・・私は少し変わり者かも知れません。
 これは小学校の頃からなんですが、例えば算数の時間にある種の問題が面白いと感じれば、休み時間でもそういうものに取り組みます(逆もあります=イヤなら絶対やらない)。
 だから、皆が校庭で遊んでいてもひとりで教室に残って問題を解いています・・・だから「がり勉」だと思われていたようです。
  ”ようです”というのは周りを気にしないから、母親が他所で聞いてくるまで知らなかったのです。
 尤もその母親は話を聞いて大笑い・・・「家では全く勉強をしないんだから、そんなガリ勉ある?」
  こういう性格を50年近く引きずって生きてきました。
 だから今日のようにパソコンで面白いテーマがあれば昼休みだろうと関係ないのです。
 それはオーバーに言うと”生き方”にも影響があって、その場合は決して良いことばかりでは無い・・・寧ろマイナスかな。
 というのは同僚・例えばこれからお話するKさんなどを見ているとよく分かります。
 私みたいなタイプは「一点集中」とも言えるけれど、碁に関して言うとプロはおろか高段者の足元にも及ばないのだけれどタイプとしてはそういう分類でしょう。
 だから、マージャンだって競馬だって面白いと思えばとことんやるタイプ。
  それに比べ周りの”大人”たちは「バランス型」というか・・・生活を仕事中心に遊びも生き抜き程度にバランスよく楽しむタイプ。
 彼らは良識・常識派とも言える(私などは生活を遊び中心に考えるのだから”無頼派”なんだろう。

 さて話はお弁当を食べ終わったところへ戻ります。
  今日はKさんから声がかかった。
 私が昨日休みだったので、昨日はKさんとFさんが打って、今日はKさんと私という具合に決まっていたらしい。
 ”対局場”の1階の休憩室に下りていく階段で、Kさんに話かけました。
 「Kさんは本当に碁会所では打っていないのですか?」
 「はい、一度だけJRの駅裏の碁会所に二人で行って打った事はありますけれどね」
 つまり、碁会所の常連メンバーなどとの交流は無いのですね、単に空間というかそこを利用しただけで終わっています。
 するとKさんは職場の昼休みか、偶に終業後帰宅するまでの間しか打っていな
い。
 休日にTVなどで観戦するかも知れないけれど、誰かが碁を打ちに来るということも無いらしい。
 
 私にはこういうことが反って不思議に感じてしまうのです。
  「碁が好き」とか「碁が面白い」という人が「碁との付き合いがこの程度で満足できるのか?」
 人それぞれというしかないし、どんな楽しみ方をしようと自由ではある。
  自由であるゆえに、多少複雑な感情があります。
 彼は昼休みの碁は暇つぶしの意味が強いにせよ「勝ちたい」「強くなりたい」と思っているだろうか?
 多分思っているだろう>>>そうでなくては当方も困る
  私としては「教える」などということは出来ないけれど、一緒に楽しみながら少しでも強くなって欲しいと願っているからです。
 将来振り返って、「あの昼休み碁が役に立った」と思い出して欲しいと思いながら
今碁を打っているのです・・・但し現実は厳しい
 今日は5子で私が連勝してしまいました。
  先日Kさんが6子になるカド番を凌いだのですがこれで再びカド番です。
 私としては普通に打っているつもりなのですが、余り時間を使わず、勝負どころで急所をはずす、凹んだり妙に強気だったりする今日みたいなKさんの打ち方を咎めないわけには行かない。
 こういうところをそのままにして通過すると、そういうものだと言う感覚が出来てしまう・・・それを咎めると黒さんは潰れる。
 この辺りはジレンマです。
  「強くなるを楽しむ」みたいなことは出来るでしょうか?
 いくら黒がひどい手を打っても潰してしまうと楽しみまで潰すことになりはしないか。
  でもそんなときのKさんのコメントは「考えないで打つから・・・」
 本心で言うと
  「考えて打って潰れると勉強になる」
 いつも潰れてから「考えていない・・・」は無いですよ。
「私はKさんよりキャリアがあるから、一目で急所など分かることがあります」
「そういう差は大きいのですから考えて打ってください」
  「白を取りに行ったのが間違いだったのでしょうね?」
「白はいかにも弱そうに見える・・・多分正しく攻めることが出来れば白が潰れるでしょう」
「取りに行くのが間違いというより、攻防の急所をはずしているのです」
  
 マアその時の棋力で出来ることも、出来ないこともある・・・でもまずは盤上をよく見て、考えながら・何かを感じながら打って欲しい。 

師匠の初負け

2007-05-24 00:18:54 | Weblog
 水曜日はGW後の久しぶりの週日の休暇でのんびりと惰眠・およびベッドでゴロ寝状態でネット碁観戦。
 年寄り状態です・・・年寄りなんだけれど。
  こういう休みが偶にあると少なくとも体力的には救われます。
 しかも週の真ん中なので今週はだいぶ楽をさせてもらえる・・・と言ってはなんだけれど来月の地方である(これは東京から見て地方であって、私の出身県)サッカーのお気に入りチームの観戦のためのバスツアーを電話予約(新宿を朝出発して応援・観戦後その日深夜東京に戻るバスツアー)。
 この日はそれ以外にやらなくてはならないことがない!
  再びベッドでゴロ寝・・・すると部屋の戸が音もなく開いた!
 怪談話には少々季節が早い・外の気温は夏日かも知れませんが
  先日のリフォームで戸を替えてから、やたらとスベリが良いのです。
 従来の襖の戸では戸が敷居の上に直接接しているのですが、これは車輪つきの戸
、そういうのは当たり前かもしれないのですが・・・殆ど力を必要とせず、触ればスーっと開く感じです。
 さて息子が入ってきた。
  学生なのでこの時間に家にいても不思議ではない・・・用件はいたって簡単「お昼どうする?」
 昼間男二人で家にいたらこれが一番の問題
  結局最も安易に外食
 二人でチャリで近所のレストラン・・・帰り道に息子に教訓めいたことを話しながら別のことも考えていました。
 マア自分の息子相手だから偉そうなことを言いますが、実際は人には言えるような中身は自分にはないですね。
 ともかくお説教めいたことを言ってもまともには受け止めないでしょうから、最近の経験談から何がしか役に立ちそうな話ですが・・・一方でかなり昔のことを思い出していました。

 思い出した話の前に、実はこういうのは私の特技の一つだと思っています。
  錯覚かも知れませんが、或話を・この場合息子に話をしながら頭の中に別のことを思い浮かべている・・・たいへん効率が良いと言うか・でたらめの頭というか・・・単に集中力が無いだけなんでしょう。
 
 さて思い出したのは、かなり昔M囲碁クラブに通っていた頃のH瀬さんという人のことです。
 私は当時級位で彼は5,6段だったから、棋力に関しては雲の上の人で、打ってもらったことは2,3局だったかな。
 思い出したのは彼の常套句3つ
  本当はこういう「気の利いたセリフ」とか「からかい」などを交えて碁を打つのが彼流でしたから、もっとレパートリーはあったのでしょうが今思い出すのはこの3つです。
「黒さんやりたい放題、そろそろお灸を据えてやら無くてはいけない」
 別に気が利いたセリフではないのですが、私が目一杯に頑張り過ぎると・・・この言葉が返ってきます。
 これは反撃の狼煙で、お灸をすえられるのは私ですから、このセリフはよく憶えています。
「碁は勝ちと見て和尚の昼寝」
 ”これだけ優勢なんだら挑発には乗りませんよ”と言っているわけで”形勢をよく見なさい”の意味でもあります。
 このセリフは彼の得意なんだけれど、彼はサラリーマンなんですが頭を丸めれば直ぐに和尚になれそうなムード(および体型?)だったので”和尚の”セリフはいつも面白く聞いていました。
「師匠の初負け」
 これもよく彼は口にしていました・・・別段彼のオリジナルではありませんが
  その日の口切の一局に負けたときなどに使っていましたが、”偶には負けてあげるのも良いでしょう”ぐらいの負け惜しみ的セリフ。
 本当は・・・多分・・・お師匠さんが弟子に初めの一局を打つときに弟子に勝たせる・・・これを励みに今後一層努力しなさいというくらいの意味だと思う。
 これが転じて<勝手に意味を変えて>師匠が負けたのは実力では無くて、弟子のやる気を損なわい為・・・という匂いがつけてある。

 何故これを思い出したのかには訳がある。
  火曜日の職場碁でKさんに負けたのが引き金になっている。
 5子の碁ですから勝敗などは問題ではなく内容が大事・・・勝敗は単なる結果です。
 そういうことは頭では分かっているつもりですが、局後のKさんのホッとした顔を見て「師匠の初負け」を思い出しました。
 4子から始めて彼は3連敗し、5子になっても彼の思惑とは違って連敗。
  Kさんは5子なら何とかなると思っていたらしい・・・この日が彼のカド番の対局で、もし負ければ次から6子なので相当心中期するものがあったらしい。
 対局は終盤近く私に失着があったので投了したのですが、打った瞬間気がついた、正確に打てば白の大石に凌ぎがあって何とか細かくはなったらしい・・・勝敗までは読みきれませんが。
 そうなると、細かい碁の様相では黒が勝ちきるにはこの先いくつかのハードルがあって、黒マダマダ大変かも。
 しかし、今日は負けてよかったと思いました。
  こういう碁も勝負に持ち込むと、(それも勝負なんですが)勝負の厳しさは実感してくれるでしょうが、白の強さというか碁の奥深さではなくて白の(私の)いやらしさばかりが印象付けられるような気がします。
 何よりKさんにとっての”楽しさ”は置き去り状態です。
  何と言っても職場の昼休み碁ですから「勝負」と「楽しみ」のバランスが大事だと思います。
  「彼はこの一局を境目に、益々碁を好きになってくれればこの一局は単なる昼休み碁ではなくて、彼の思い出・ターニングポイントになってくれるかも」などと心の中では思いました。
 実際は師匠ではないし、偉そうなことを言えるほどではないのですが。
  わざと負けるということでは無くて、綺麗に負けることを心がけるようにしようと思ったのです。  

なんだか嬉しい

2007-05-23 00:21:03 | Weblog
 日曜日の夜のことです、サンサンに入ってみると初めて見る名前の人が[対局待ち]となっています。
 表示の点数からすると私とほぼ同じだから、丁度タイミングよく接続したことになる・・・他の事では短慮だし・ダボハゼみたいなところがあるけれど、こと囲碁に関しては慎重というか臆病なところも兼ねて持ち合わせている。
 町を歩いていて、遠くから怖そうなお兄さんが歩いてくるので、あらかじめ道の反対側に避けていく・・・そういう表現をしたら相手に失礼ですね。
 
 ネットに接続するといくつかのリストを見ることが出来ます。
入場して一番初めに大きく出ているのが対局一覧表
 これは両対局者および点数・手合い、それと進行状況に入場者数=3人以上ならば観戦者有りです。
 プロ・プロとかプロVSアマ高段者などの対局室は70から80人くらい入っていたことがあります・・・本当の対局室なら溢れてしまいますね。
 ともあれ、このリストで何処の対局を覗こうか決めるのです。
  対局の進行状況は[対局前][序盤][中盤][終盤][対局終了]の5種類
 両対局者および観戦者全員が退室すると、このリストから消えます・・・ということは誰かが残っていれば何時までも消えません。
 誰かが研究をしているか・私みたいに見ながら寝てしまうダメオヤジがいるかどちらかです。

 さて入場者一覧表はサンサンに接続中の全員が上はトップの401点のプロから初級者の220点台の人まで点数順に並んでいます。
 ここには氏名・在住県・会員種別・過去の勝敗が出ています。
  これで何ほどのことが分かるのか訊かれれば答えに窮しますが、それでも何となく分かった気がするというか、何にも無いよりずっと良い。
 年令は分からないし、性別も名前からの類推ですが私にとってはIDネームというものに比べようも無いくらい安心感がある。
 まあ実際に対局するとなると、顔は見えないのですが名刺を交換してから対局しているような感じでしょうか。

 さて対局希望を出す前に、どんな人が今日は来ているのかなと対局リストをチェックします・・・私が対局希望を出した時応じてくれそうな人が予測できることもありますからね。
 初めて見る人・・・もし私がここで対局希望を出せばこの人との対局が確定するので、その前に入場者リストをチェックして成績確認(いやらしく)
 その方が何県に住んでいようと碁の中身に影響は無いのだけれど何となく親しみは感じます・・・県別の気質なども余り信じる方ではないけれど・・・繰り返しますが何処の誰と打つのかは私にとっては重要かもしれません、例え顔は見えなくても!。
 もっとも重要なのは過去の戦績・・・今までお馴染みで無い人は以下の3つのどれかです。
① ホンの稀にしかないが、かなり上の点数の人が、点数急降下した場合
② 低く登録した人が急上昇してきた場合
③ 新入会員さんとであった時
  ①から③まであるけれど、臆病なのでイロイロ考えます。
 ①の場合想像では分かるはずが無いけれど、原因を考えてしまいます。
 それより自分との対局がきっかけでまた元に戻るのではないかという心配
 つまりここが底かも知れない?
 本来はピークの時にコチトラよりずっと実力があった人ですから、きっかけがあれば怖い。
 ②これは棋力から見て低く登録して、本来のポジションに動いているのか、伸び盛りの若者かのどちらか・・・
 怖いもの見たさというか、火傷覚悟で行きたいですね。
 かつて私が先輩諸氏にお世話になったように、自分が若い人の肥やしになれるのならそれはそれで嬉しいことです。
 ③新入会員の場合は新しい仲間ですから嬉しく無いはずがない。
  しかし②で話したように、何となく”見えない人”と打つような気分です。
 だから今の点数は仮登録みたいなものです。(TAISENに仮の点がありましたよね)
 この方の場合[0勝1敗]・・・なんとホヤホヤ・・・しかしこれでは何も分からない。
 一瞬どうしようか迷って、[対局クリック]寸前にこの人に手合いがついた。
  誰だって初めは新入りで、私も皆さんのお世話になったはずなんだけれど、どうもこの初めの半歩が遅い。
 気持ちは仲間が増えて嬉しいのですが・・・ 

時間厳守

2007-05-22 01:58:06 | Weblog
 例によって思い出話から入ります。
 恐らくこのブログに来ていただいている半分以上はまだ生まれていない頃、私は高校生でした。
 悪というほどではないけれど、先生には素直に従わないという生意気な高校生・・・と言って社会的な迷惑を撒き散らすということは無い・・・当時仲間とジャズ喫茶に入り浸っていたり、ハスラーにあこがれてビリヤードをしたり・・・尤も田舎育ちのせいかどこぞの知事さんの亡くなった弟さんのカッコよさというものは理解できませんでしたが。
 脱線しました。
  当時の高校の先生は始業のチャイムがなると職員室を出て教室に向かう先生多かったのですが、それはそれで生徒としてはなるべくゆっくり来てくれるのは歓迎、この教室は4Fでエレベーター無しだから結構時間がかかる・・・終業のチャイムがなった時が問題。
 若い先生の中には、授業を始める実質時間が遅れているのだから、終業もチャイムが鳴ってから遅れて終わって当然という迷惑な?先生がいました。
 こういうことを黙って見過ごすような生徒ではありませんでしたので、仲間のS君と二人で先頭に立って抗議をした。
 「先生!、始まる時間が決まっているのですから、終わりの時間も守ってください!」
 先生の立場は予定のカリキュラムの進行を重視しているのだから、この生意気な二人と「そうだそうだ」と言う感じのその他大勢に対して憤然と怒った・・・らしい
 但し根がおとなしい先生なのでその場は「よく分かった」の一言でしたが
  さて次の授業の始まる2,3分前件の先生は廊下で待機していた。
 遠い昔の懐かしいエピソード・・・あの先生も数年前にはリタイアしているはず
こういうことを「時間厳守」などのキーワードで思い出します。
 
 最近このキーワードに2回ぶつかった。
  一つはあるブログに載っていた話。
pegaさんのブログですが、最近ネットの対局に遅刻したらしい
 それは、行き着くのが遅れたという遅れでは無くて、開始時間を勘違いしたということです。
 これは残念ですね。
  ウッカリ・勘違いは誰でもありそうですが、現実に待っていた人がいたのですから、いたしかた無いと諦めるしかない。
 時間にせかされてスタートラインに滑り込んでも結果は思わしくないかも知れませんが、ともかく決められた時間にスタートにつくしかないですね。
 この話はどちらかというと「時間厳守」というより「失念」「勘違い」の話かも知れません。

 もう一つは今の職場でのことです
  私はある方面の申請を受け付ける仕事でカウンターに出ることが多いのですが、仕事とはいえなんだかシックリしないことが有りました。
 お昼休みに関して
有る方から電話での問い合わせです
 「そちらは何時から何時までやっています?」
 「一応9時から5時」までです」
 「12時過ぎに行っても良いですか?」
 「12時から1時までは昼休みなので、誰かが事務所にいるかも知れませんが出来るだけその時間を避けていただけませんか?」
 一応付で営業時間を伝えたのは・・・8時半から5時半まで誰かかが居て、誰かがいさえすれば”開店状態”では無いという意味です。
 この電話の相手は多分年配のご婦人・・・「一応訊いてみた」ということで笑って了承してくれた。
  
 ところが先日は昼休み直前に若い男性ビジネスマンが二人やってきました。
  突然の来訪で公文書の閲覧を申請。
 手続きをすれば断る理由は無い・・・だから当然応じるのですが・・・
  閲覧が公文書ですから、事故等の恐れが無いでも無いので結局は私も彼らが見えるところでの昼休みと相成った。
  これは彼らが当然の権利を行使したのだろうとは思う・・・
   「住民票」などの窓口なら昼休みも交代で対応してますね・・・そういう前提で執務体制が出来ている。
 しかし、ここはもともとが小人数で、こういう体制などとりようがない。
 しかも私は誰に命じられてもいない事柄を行っている・これは好意の作業のはずなんだけれど・・・ 
  けち臭い話をしていますが・・・実はこれは個人的に昼の囲碁タイムを返上しているのです。
  いつもなら碁を打っているか、午後の執務に備えて仮眠しているかの時間
 たかが職場碁!されど職場碁!です。
  ともあれ公的機関の対応のレベルではなくて個人的な判断での犠牲的?対応

 ここまで書いてきて、またまたかなり昔の記憶が蘇りました。
  場所はバンクーバーで円をカナダドルあるいはUSドルに替える必要があった時のこと。
 イエ買い物だけなら日本円でも出来ました・・・但し商品を売る店がその日のレートを睨みながら独自に設定した為替レートに納得すればです。
  こういうレートが紙に書いて壁に貼ってあります・・・お上りさん的日本人観光客対策でしょうか。
 当然5%から10%は差があるように思えます。
  ですから市中の銀行に飛び込んだ・・・行けば何とかなる筈
 「エクスチェンジ」の看板が有る窓口を発見、ブロークンでも何でも「エクスチェンジ」さえ言えれば何とかなると開き直って、並んで3人目。
  ところが窓口は突然閉まった!!。
 これは一体どうしたことかと戸惑うのですが、門口を閉めた行員さんも、私の前に並んでいるお客も平然としたもの・・・
 要するに「只今昼休み中」なのです。
  たいした「時間厳守」です。
 その割には汽車も飛行機も遅れることはあるのに・・・一度トランジットの飛行機が時間厳守で、入管手続き中に、目の前で飛んでいってしまったことがあったっけ。
 おかげで10人乗りのプロペラ機に乗れたけれど

 さてこじつけ的教訓
  囲碁は時間管理も碁盤上の内容も全て自分の責任なのが気持ちが良い!  

「情け無い」碁確認

2007-05-21 00:19:19 | Weblog
 夕べもネットで碁を打ったのですが、どうもいけない。
 それは結果ではなくて・・・現在4連勝・3連敗・2連勝とマアマア好調なのですから星のことではありません。
 勝ち負けが繰り返されて重なっていくようなさざ波みたいな安定感ではなくて、連勝と連敗の中波が続くのは何処かに問題があるかも知れないのですが。
 それはさて置き、対局の途中でも気がついたのですが、非常に情け無い手を打っていたのです。(イヤ、手では無く)
 多分相手の方も気がついて、「偉そうにしていても弱い白だ」と嗤っていたに違いない。

 お相手はMさんという方で向う3子です。
  入場すると対局待ちリストにこの方の名前があり、対局条件で”上手とはいくつでも良い”になっているのは知っていたけれど、点数差からするとこの方とは当たらないと思い込んでいました。
 イエ、それは問題ではないし、対局したことを悔やんでいるのではなくて、単なる勘違いの話です。
  私の対局条件は、普通の時間の碁でも早碁でも下手の方は3子までとしているので、この方とは4子だと思い込んでいたので、私がエントリーした瞬間に対局が決まったので少々驚いた。
 ともあれ向う3子で黒コミ2目半でいざ対局開始。

 この方はなかなか積極的な打ち方をする人で、白1で空いている隅の星に打つと黒かかってきて、これを挟むと黒も挟み返すといった具合。
 更には白唯一の先着隅の三3も奪われる・・・
  厳しくて地に辛くて力もありそう。
 3子としてはかなり厄介な相手かも知れません(厄介でない相手はいないのですが)
 地に辛いというところは自分に似ているかも?・・・イヤそういうと聞えが良いけれど私の場合はケチナだけです。
 もしも、似ているタイプならば、相手は地を取る相手に弱いはず!?(自分を基準に類推します)
  だからここから相当な地取り作戦に変更:勢力も欲しいけれど現ナマ優先。
 すると黒も対抗して、勢力を利して大きな地を作ってきた。
  そんなものが出来てしまったら、元の置石が物を言って白は到底追いつけません・・・と言って、今から再度の方針変更は無理なようです。
 黒の大勢力を少しは削るにしても、そんなものでは厳しいみたい。
  そこで、大模様の反対側にある黒の一団に目をつけた。
 この石ははっきりした1眼はある・・・しかしもう一つは少し怪しい・・・したがってこの石を脅かしてもがいて頂き、ドサクサで黒の大模様になだれ込む。
 (自分に都合の良いことを考えます・・・スポーツマンのイメージトレーニングに似ているかな?)
 あるいは、相手にコウでの凌ぎを画策せざるを得ない状況にして、大模様をコウ材で削減する・・・マア当然のことでしょうが、時代劇の悪代官か越後屋並みに悪知恵を巡らします。

 そういうことは相手のMさんもお見通しなんでしょうね、変な逃げ方はしない。
  したがって、「その場で凌ぐ」あるいは「白にダメージを与えつつ凌ぐ」という方針らしい。
 結論から言うと黒に凌がれてしまうのですが、局中も何処か納得が行かない気分でしたので、局後に棋譜を並べ直しました。
 そして先程までやっていまして、この話を書いています。
  棋譜無しでは見えないでしょうが・・・
 黒は134手目が無理な手で、20子程の大石を生きる手はあった。
  これは地で言うと50目は下らない・・・但しこのとき5子の石はちぎられる・・・これが約20目に相当する。
 それで、黒は全部生きようとする方針だったのでしょう。
  白もこれらが全部取れれば70目を下らないのだから、万難を排して取り専門でいく手もあったかと思う・・・なのに”生かしてしまった”
 黒が”生きに行くタイミング”で生きに来なかったのに!!
  黒が生きに来る手があって、そうは打たなかったということは、白からそのタイミングでは手段があった!!
  実戦はそこを通り過ぎている
   時間は・・・最低でも20分は考える時間があったはず>>>時間のある無しではなくて、気がつくか・感じるかという感性の問題と、疑問に思ったら立ち止まって結論を見極めなければ次に進むのを躊躇うくらいの粘り・・・
  これが情け無い。
 この周辺で、勝負どころでどころで何となく打っているのかも知れません。
  結果は26目という大差勝ちにはなったけれど・・・それはあくまでも結果の話であって、白としてはこの時に局面というか勝負を決めていなくてはいけなかったはずです。
 勝負のチャンスは逃がしてしまうと二度と回ってこないことの方が多い。
  この対局は二度目のチャンスがあったけれど、情け無い一局には違いない。
 先程から棋譜を見ていて本当にそう思いました。 
  こんなに情け無いのだからまだ上達の余地は有る?
   余地は昔から充分に有るのだけれど
 ともあれ情け無い碁であり、そういう碁を打つ自分でした  
  

I駅周辺

2007-05-20 00:32:11 | Weblog
 先週から[生活習慣病]の専門医の診察を受けています。
 内科的な病気の中で、高血圧・腎臓疾患・メタボ・糖尿病など生活習慣が大きく関わっている病気専門のクリニックです。
 私は公立の総合病院にお世話になっていますが、4月から担当して戴いている先生から自分の能力を越えている・・・というありがたいご託宣で心臓を中心に今まで通りに、それ以外は紹介状を貰った専門クリニックということになった。
  2つほど病院を紹介されたけれど、一つは家から自転車で5分くらいなんだけれど専門が少し違うような気がする。
  それでこちらのクリニック・・・I駅の駅前ロータリーに面している。
 さてこれは、効果的に病気に対処する方法のようですが、実体はマア見捨てられたんでしょうね・・・ひがみっぽく。
 なかなか病気が改善されないので、主治医が学生の時に教授だった先生が開業した専門クリニックに・・・
 さて先週最初の診察を受けた。
  診察の前にイロイロ検査
 身長・体重から始まって血液・尿・心電図・眼底この辺までは事前に看護婦さんが検査
 診察が始まると足の裏とか、手足の運動機能とか
  更に問診では病歴の確認・・・言葉は丁寧なんだけれど、時間的経過などの確認でなんだか尋問を受けている気がしてきます。
 マア、一人の患者を把握するのに必要なんでしょうが、総合病院から持っていったカルテの写しは役に立たないのだろうか?
 そういうことはともかく、問診の際に先生はなにやら微笑んでいる・・・イヤ実際は苦笑しているように感じた。
  「よくマア、ここまで放っておいた」というように・・・

 この専門医のクリニックは評判が良いらしい・・・総合病院のお医者さんの恩師という権威だけでは無くて、実績もありそう。
 でも初日の検査だけでは、今までとそんなに大きく違う訳ではない・・・
  私の感じたのは
 大変なことが起こっているとか、起こりそうだとか患者自身が覚悟が出来るのではないのでしょうか?
 今までですと、いつものように=定期検査だから、「目に見えて悪くならなければ良い」なんだけれど、「そういう半端なことではいけないと言われている感じですからね。
 そして1週間後の今日、経過を見るための採血、来週は診察+治療方針決定+栄養指導・・・今までだと6週間ごとの診察だったのが、毎週となっている。
 真面目にやらないと先生に叱られる>>>誰のためかまだ分かっていない。
  さて今日の採血>>>「夜の8時以降は食べないで、朝も食事抜きで来て下さい」を忘れていた!!
 夜のほうは水とかダイエットコーラ、お茶くらいだったから殆ど問題は無いのだろうが、今朝何気なくクロワッサンを1個食べていた。
  看護婦さんから「今朝は何も食べていませんね」と確認されて、「ああ、そういえば何も食べてはいけなかったんだ」・・・真剣みが足りません。
 さすがに「1つ食べました」と正直に白状せざるを得ません。
  何とか検査は出来たのですが、世の中には私の上を行く人もいる。
 やはり血液検査のご婦人が「コーンフレークを食べてきた」とか、「牛乳をかけていると脂肪値が影響します」と言われていた。

 さて、ここはI駅の駅前ロータリーの前、ここに着く直前の道路の脇に2階建てのアパートがあって、2階の角部屋の窓に「碁」の文字が見えます。
 それは小さな碁会所のようです。
  以前からここに碁会所があることは知っていたのですが、一度も寄った事が無かったのですが、バスで横を通って思い出したのです。
 ホントに小さな碁会所です、2DKくらいのアパートの1部屋が碁会所のようです。
 バスはその建物の横を通って終点のI駅に到着。
  診察(採血)予定は10時で、その時は9時半、30分も余裕。
 それなら、そこに行って見るしかない!
  尤もいくら土曜日でも10時前から営業しているはずが無い・・・建物の下まで行って「窓は開いているけれど、部屋の電気は消えている」ので引き返した。
 診察が終わってから再度この碁会所に再チャレンジ
  階段を上がったところが碁会所の入り口ですが、先程と同じでひっそりしている。
 でも入り口のドアが開いていて碁会所のカウンター周りは覗ける
  部屋の明かりはついていないけれど、書いてあることは読めます。
 上がりきったところに営業時間の案内板が出ている・・・「それによると終わりは10時らしいが、土日祝は12時開店」
 ということはまだ10時半だから今日はとても無理。
  壁の長押付近に、あの剣道とか柔道の道場にかかっている段位と名前の札があるのが見えました・・・五段が5,6人に六段が7,8人・・・さてこの碁会所の段位はどういう基準だろうか?
 碁会所の明かりがついていないし、中に誰かいるかどうかも確かめなかったけれど、今日のところはこれで引き上げることにしました。
 でも生活習慣病専門医に通うことになるから、きっとここには寄ることになりそうです。
 碁の愛好者の世界は広いようで狭いからきっとここの常連さんの中には一人や二人顔見知りがいるに違いない。 

 

潮の変わり目

2007-05-19 00:05:07 | Weblog
 私は生まれて直ぐ川に面した家・窓の下を川が流れている家に引っ越して、少年期はそこで育ったのです。
 川幅が10mも無い小さな川のほとりで、海も直ぐ側です・・・海と川の境目がはっきりしていまして、海から50mしか離れていません。
 (中学1年の時生まれて初めて碁を打ったのもそこです)
 ですから満潮になると潮が川を遡るのです。
  橋の上から見ていてもこの潮の力は強い・・・川の流れをせき止めて上流へ押し上げていくのです。
 遠浅で干満の潮の流れが急なところでは、沖で泳いでいて浜に帰ろうとした時に引き潮に遭うと、なかなか浜まで帰れないのです・・・
 そこで力尽きれば大事故ですし、反対の時は沖に行きたくても、何処まで行っても足がついてしまったりします。

 <ここまでが枕>
 負けが続くと、もう勝てないのでは無いかという気分になってしまいます。
 これからの生涯二度と勝てないのではないかということではないにしても、それに近い感情かも知れません。
 点数制のネットですから、一局ごとにハンデが変わります・・・相手が変わるので正確な調整ではないにしても、負ければ少し楽になる筈・・・なのにこのネットでのポイントで10点くらいはあっという間に変化する(下がる方に)。
 大きい時は15点は動くのですが、これは手合いで2子となるのですから、段位で言うと二段下がったことになるのです。
 さすがに全て一気に下がるというよりところどころに踊り場があるのですが、気分としては飛行機のエアポケットみたいなものです。

 不思議な心理ですがこういう時ほど碁が打ちたいのです・・・そして不調というか・実力を露呈して遺憾なく発揮してしまうのですから絵に描いたような敗戦の嵐となる。
 こういうときは、実力はともかく自分では気がつかない微妙な歯車が狂っているのですよね。
 でも昔の栄光というか、元の・さっきまでの点数に早く戻りたいという心理が働くのです。
 早くというのは一刻でも早くという意味と、一局でも早くという意味があって、両方をあわせて達成するには、続けて打つしかない・・・
 これが負けても負けても打ちたい心理で、地獄のスパイラルに巻き込まれる仕組みなのですね。
 だからこれはお相撲さんの稽古みたいに、転がっても転がっても起き上がってぶつかっていく・・・そうして強くなるのとは少し違っていそうです。

 負けている時ほど打ちたいのですが、こういう心理が対局原動力になって負け続けるのかもしれませんが、反面二度と勝てそうも無いので、打つのが怖いという気持ちもある。
  これはアクセルとブレーキみたいなものでしょうか
 潮流の裏に反流が隠れているみたいなものかも知れない
  要するに負けるのが怖いのなら打たなければ良いのですが・・・それが出来ないのがザルたる所以。
 ”打ちたい”と”怖い”のジレンマというかフラストレーション

 偶に連勝している時の心理はと言うと
  変な負け方をすると連勝からいきなり連敗スパイラルに陥るかも知れにと言う恐れを感じるのです。
 そこが丁度潮の変わり目みたいなもので、逆らえない力に引きずられるみたいな

 マア、打たなければ負けない・・・勝てないけれど。
 碁が大好きなのにどっちも怖い!
  これはザルの癖に結果に拘りすぎ・・・自分でも痛いほど分かるのですが
 禍福はあざなえる縄の如し?では無いけれど、勝ったり負けたりの一喜一憂だけでなく盤上の出来事そのものに集中できるようにならなくてはいけませんね。
 これが意外と難しい
  [河豚は食いたし、命は・・・]少し違うか
  [競馬もマージャンもやらなければ負けない・・・]そんな諺は無いけれど、こっちに近いかな。
 それでも石を持たずにはいられないのだから、ザルはつらい、ザルは楽しい。
  
 ところで、点数は今のところ波の様に変化している。
  連敗から連勝に変わる時、まさか棋力が下がっていたものが棋力が回復したのでは無いでしょう。
  ザルでは許容範囲というか、生息域が広範なので潮の流れに漂っているだけなのでしょう(失礼ながら対局相手の多くも)。
  しかし、そろそろ年・・・下がったまま反発が無くなったらどうしよう。
 それでも”石を持つと楽しい”みたいに綺麗に枯れていると好いのだけれど

バージョンアップ

2007-05-18 00:09:28 | Weblog
 最近サンサンが久々にバージョンアップしました。
 接続した時に玄関の様子が違う
  初めに事務局からのあるメッセージが出て来ます・・・そこでOKクリックすると[接続かキャンセル]かのボタンになります。
  囲碁と同じくらいサッカーに例えると、選手入場を先導するフェアプレイフラッグに選手はサインしてからピッチに入るようなムードかな?(それなら善い)
 その後に[入場者一覧・・・取得中][棋譜一覧・・・取得中]など出てきますが、これはわざわざ断ってくれなくてもいい・・・但し[取得中]はジッとしているようにというサインかも知れないけれど。
 他にも細かなところを変えたようですが、私の一番興味のあるのは何と言っても初めの[メッセージ]です。
 メッセージ曰く
「碁を打てるひとときは、碁かたきの贈り物です。囲碁を愛する数少ない仲間を大切にしましょう」
 このことに大賛成です。
  表現で多少の違いはあっても、相手を大切にする=自分も大切にすることに通じるし、囲碁そのものに敬意を払う気持ちに通じると思うのです。

 繰り返しますがとても良い言葉です
  囲碁は遠い昔日本に伝来してきて、歴史的・文化的に輝いていたと思います。
 昔の武将の殆どは囲碁を嗜んだらしいし、ご存知のように徳川時代は幕府に保護されてきました。
 明治になってやや斜陽になったものの元勲とか経済界の援助もあった。
  そして割合最近までは「お家芸」的な時代も長く、そういう既成概念があったように思う。
 誤解を受けないように断っておきますが、日本が最近東アジアの中で囲碁が余り振るわないのを残念には思いますが、現状を考えると仕方無いのではないかなと感じる・・・そういう観点から話を進めます。
 そんなに難しい話ではないと思います。
  要するに底辺の問題ではないだろうか?
 質も・量も・・・どちらも心もとないのではないだろうか?
  量の面で、ザルのアマがどれほどいようとプロの質とは関係ないように思いますが、量がある程度質に影響するとは言わないまでも、プロおよび囲碁界はやはり広範なアマのサポートが必要でしょう?
 私たちに出来ることは少ないし大きなことは出来ませんが、まず第一歩としてファンなら誰にでも出来ることは「碁を大事にすること」だろう。
 少し漠然としていますが、どんなことでも良い
  だから当然「碁かたき」を大切にしなくてはいけないのです。
 論理的・・・ではないけれどともかく”碁と碁を打つ人を大切に”という結論

 今回のバージョンアップでこのメッセージはシステムのアップとは関係ないけれど、碁を打つ人のバージョンアップ・棋力アップ以上にマナーの面中心のバージョンアップを図ったというか、低下を防止するためだったように思えます。
 
 ネットの普及で手軽に碁を楽しめる・世界中の人と打てるというメリットの裏側に、顔が見えないせいか勝負だけに拘った人が横行する・・・ホンの一部なんでしょうが。
 勝つためには手段を選ばない・・・そういうことを楽しみにするなら何も面倒な囲碁でなくてもいいのにね。
 そういう人たちはチーターと呼ばれているのですが、彼らはIDネームで碁を打つ匿名のサイトだけだと思っていたところ、実名のこのサイトでもどうも<?>がいるような気がしていた・・・そのことは以前ここで話したこともあるし、今回の事務局からのメッセージも無縁ではないような気がします。
 先日話した「1手も打たない相手」
  これは持ち時間45分の碁なら、45分+秒読み30秒で時間切れ負け。
 早碁なら1手目の30秒+考慮時間10分+秒読み30秒で時間切れ負け。
  どちらも「打たない人の負け」だから、打たないのも権利のうちでそれは黒さんの勝手だと思いますか?
 そうは思わないでしょうね。
  まさか武蔵を真似ているわけではないでしょうが・・・
 私など「いざ始まったのに、相手が一手も打たないなんて、そんなに嫌われていたのか」と悲しくなったり悔しくなったりしますね。
 そういうことは、かなり嫌味なことでしょう
  しかも、相手が短気に席を蹴ったら、蹴った方の負け=打たない方が勝ち・・・これを狙っているのか:つまり対局相手が決まって、とてもかなわないと感じた時に一かバチの”知らん振り作戦?”

 私としてもっと嫌いなのは・・・
局後の挨拶で「回線の具合が悪いので投了させて戴きました」とか「パソコンの具合が悪いので投了させて戴きました」みたいなメッセージです。
 事実この通りかもしれないけれど、碁キチの常としてそんなことで投了するものですか・・・
 しかも勝った方が口先で「投了させて戴きました」は無いでしょう。
 まさに嫌がらせであり揶揄>>>更に
  中にはいかんともしがたい局面に陥って投了したのに挨拶は「パソコンの・・・」
 こういう挨拶は、結果が変わるわけではないからチーターとは呼ばないでしょう
しかし、特殊な稼業の人たちのように、勝てばかさにかかる、相手をおちょくる、捨て台詞を吐く・・・まさに”ゴアイサツ”

 同好の士は世の中全体から見たら多くはない。
  碁・囲碁仲間を大切にしない人は許せないですね。
 尤も事務局は商売ですから、頭ごなしには言えないのでしょう 
  だからあのメッセージになったのかな?
 もう一つ変更箇所がありました。
  これはルールの変更と言って良いですね
 「対局開始から5分打たなかったら時間切れ負けとする」とあった。
  これなら最大45分も待たされることは無くなった。
 いろんなことの対処の為にルールも考え出されていくのでしょうね

  勝って「幸いしました」と言うのは古臭い?
  勝ったのは「私が強くて、お前がヘボだから」とかなり客観的?唯物論?
  勝ったら言いたい放題が言える、勝った方は負けた方をからかえる、強い人は弱い人を遠慮などしない・・・いかにも超現代風?
  
 悪貨に駆逐されない良貨でいたいですね・・・安物貨幣ですが。 

オナガが叫ぶ

2007-05-17 02:23:18 | Weblog
 今朝も目が醒めるとベランダの外が騒がしい・ここ数日続いている。
 酔っ払いとか、子供の泣き声とか、車のアイドリングではないから、不快とか気になる音でもないから好いのですが・・・
 ここはマンションという名前の集合住宅で、ベランダの外は中庭になっていてけっこう緑が多い・その木に鳥たちが来ているのです。
 そして家は2Fだから丁度彼らか彼女たちかと同じ高さになるようです。
  それは小鳥とは言いがたい・・・と思うのだけれどこの辺の分かれ目の基準はどうなんだろう?
 スズメとかウグイス、モズは間違いなく小鳥で、ヒヨドリとかムクドリもどちらかといえばその仲間でしょう。
 ここにも時々現れるドバトは多分小鳥ではない・感覚的にそんな気がします
  大きさ+可愛いかどうかも基準のうちにはいるのかな?
 そこのところも含めて、今朝来ている鳥たちは微妙!

 さて10羽くらいの鳥たちがあちらの枝からこちらの木に止まったり飛び回ったり、バタバタという羽音が聞こえてきそうです。
 葉っぱと鳥が接触する音は聞こえます
  さて鳥たちは綺麗な長い尾羽を持っている、そうオナガたちです。
 彼らはマズマズ綺麗な鳥たちで、飛び方も特徴があります・・・しかし何と言っても彼等の特徴はあの声ですね。
 「ギャー」というか「ギェーイ」というか、全く見てくれと声のイメージが一致しません。
 小鳥の中にはモズみたいに結構可愛い顔をしていて、かなり気の強い鳥もいるように見てくれのイメージと実体が一致するとは限りませんが、オナガほど違うのも珍しいです。
 これはセクハラを恐れずに言うと、水商売の女性と昼間すっぴんで出会ってしまったとか・・・イヤもっと違う。
 細つくりの美形のご婦人が、話し声がかなり低かったり、ハスキーだったり・・・こういう方は「鈴を転がしたような声」というイメージになっているのでしょうね・・・誰が決めたわけでもないのに。
 そうすると、姿かたちが良くて声も好い・・・すると天は二物を与えたもうたことになるから、それはチト不公平か。
 脱線ついでに最近の女性は声が低くなってきているような気がする・・・気のせいかな・・・体温も低くなってきているとか・・・関係ないけれど。

 ともかく見てくれによってイメージが出来てしまう・・・
  恥ずかしげも無く自分のことを言うと・・・ブログだから誰も素顔を見ていないので言いたいことを言うと、私は見た感じ”おっとり”しているらしい。
 <本当は、そう思われていると自分で勝手に感じているだけの可能性が強い>
 マ、そういうことにしておいて戴かないと話が進みません。
 ”おっとり”=人当たりがよく、やわらかい、いかにも育ちが良い!!・・・とは中身は一致しないのです。
 赤カブではないけれど、見てくれと中身は違うのです
  のんびり屋の面はあるけれど、単に動きがスローなだけ
 「先んずれば人を制す」みたいな先陣争いに参加しないのは、要するに反応が遅いので無駄な争いに加われないだけ。
  これが超好意的に解釈してくれれば”育ちが好い?”になるのかも?
 実体は・・・人には見せない腹の中・感情はかなりの瞬間湯沸し器だし所謂過激派でもあるのですが・・・感情に基づいて脳が行動を命ずるのが人より1拍も2拍も遅れるで本来脳が命じた言葉・行動が出し遅れになってしまう・・・要するにノロマなだけなんです。
 しかた無しに”好い人”を目指すしかない><

 さて碁に関して言うと、私は年齢的には団塊世代ですから、まあまあザルの中では経験はあるほうで、体が大きく(関係ないけれど)ゆったり気味なイメージなので黙って座っていれば、そこそこには見えるはず。
 体型とか見てくれの貫禄とかは碁とは関係ないのですけどね
  昔のことわざに「偉そうなほうが二つ置き」というのもあったと思う。
 マアそれはさて置き、体型的安定感はあるのだけれど、見てくれのイメージと実体のギャップがばれない為には、人前で碁を打ったり、何かのコメントをしてはいけないということになる!!
 これはオナガの仲間ということです。 

 蛇足ですが
  私の住んでいる市の前市長は日本棋院から破格の免状を貰っていた。
 それなりに謝礼をしているのでしょうから、商売と名誉の取引で誰にも迷惑はかかってはいませんが、実戦となると問題が出てきます。
 隣の市とジャンボ対抗戦があって、ともかくトップ対決は市長VS市長
  ところがあちらの市長は実力高段者で同じ段でもこちらは名誉高段者
 だから勝負は最初から予想できる
  ということで序盤戦が過ぎたらその後は「打ちかけ」になるのです。
 成る程江戸時代の「お留め(止め?)碁」なのです・・・余りに高い段の免状を貰うと免状の権威を守るために不自由なことが起きるのです。