なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

チョッと覗きに

2007-02-28 01:44:08 | Weblog
 「囲碁チーター対策」のプリントが出てきたのがきっかけでyahooのゲームサイトに行ってみました。
 そうこのプリントはヤフーでのチーター対策をイメージして書かれているようなのです。
 ここでは、2,3年前に数局打ったことがあります。
  だからヤフーのHPから入ればいいのは分かっていたけれど、IDとか忘れてしまっていて困ったのですが、「マア取り直せばいいか」という感じで登録・・・
 登録できません。
  メールアドレスが既に使われているとか、既に使われているIDだから変更してくれとか・・・
 さすがにたいしたものですね古いデーターを憶えている(当たり前か)
  それに私などが思いつくIDネームなどもう登録済みのものばかりです。
 ですから「○○2003」はどうですか?みたいに訊いて来ます。
  ○○だけではダメなことは分かった・・・それで後に数字をつければ良いということのようですが2006ではないと言うことはそれは塞がっているらしい。
  何だか訳が分からずいじっていたら、なんとなく入れてしまいました。
   知らない間に古いIDでヒットしたらしい?

しかし毎回驚きます、囲碁コーナー3900人近くが接続しているらしい
  これはタイゼムで2000人規模の部屋が3つくらい埋まっているのと同じくらいです。
 唯、よく分からないのですが、表のページに3900人以上の人数が表示してあるのですが、対局室は(1部屋100人くらい)合計すると600人程です。
 この差は何でしょう?
  接続数と対局数の差かな
さて、ここの碁盤は相変わらずで困る。
  私もここで打ったことがあるけれど、引っ越したと言うか疎遠になった理由の一つはこの碁盤です・・・まるで改良されていない。
  そう思うのは私の個人的な基準でもあるのです
   要するに私の視力とか識別能力にはフィットしているとは思えない。
 薄緑なのはマア良い(本当は違和感がある)、しかしサイズが問題です。
  私のパソコンの画面の6分の1強のサイズです・・・これはつらい
 集中すれば使えないことは無いのですが、この画面では何局も打てそうもありません。
 まるでタイルの上で碁を打っている気分になります
  このサイズは昔確かナショナルで出した囲碁のゲーム機のサイズみたいです。
 ポケット・鞄で持ち運んで問題などに挑戦するとか棋譜を再現するとか本の代わりと言う意味ではそれでも良いけれど、碁を打つサイズとしては・・・
 私はそうなんだけれど、これだけのファンがいると言うことは私が自分の都合で我侭を言っているだけなのかも知れない?
 無料なんだから「嫌なら止めろ」だとしたら・・・確かにその通りだから止めたのですが。

 さて私にはIDネームの横に「仮レート」と言う表示があります。
  「仮」が取れる前にご無沙汰したからその時のレートなのか、それとも今日改めてのレートなのか・・・分からない。
 余り込み合っていない対局室に入ってみる。
  レートの数字はさまざまですが、いくつかにランク分けしてあり小さな色分けのカードがついている。
 レートと段位の換算と言うか相場が分からないので、取り敢えず真ん中くらいのクラスの対局を観戦しました。
  
しかし、これは圧倒されました・・・私としては善い意味ではありません。
 マア当事者同士の勝手なのですが
  ともかく早い!!
 まるでついていけません。
  もともと碁盤が緑と言うのにも慣れていないし、碁盤が小さいし。
 猛烈に速いから状況についていけなくて、どうなっているのか全く分からない。
 これで手を読むとか、地を数えるとか出来ているのだろうか?
  対局途中で入室して10分もしないうちに酔っ払った気分です。
   これ1局だけだから他の事は分からない
  まさに「木を見て森を見ず」だけど何だか怖いような気分です。
それと、「碁盤を用意して誰かが来るのを待つ」というやり方に慣れていない。
 サンサンで「対局待ち」と言うのと同じだとは思うのですが・・・
  久振りのヤフーで驚きましたが、驚く内容が前と同じみたい→と言うことは私は進歩していない!やはり。
 それとIDネームになにやら気持ちが落ちつか無かったのかな(ブログは皆そうだから今更変だけど)、印象を一言で言うと「仮面舞踏会」でした 

仮想世界のお金

2007-02-27 02:17:18 | Weblog
 先日NHKの「クローズアップ現代」で取上げられた問題。
 ゲームマネーの現金取引のことです。
  インターネットでゲームに参加して・・・私はよく分からないのですが、巨大なゲームに参加して、その中でポイントを獲得していろんなアイテムを装備したり、レベルアップをしていくのだそうです。
 そういうサイトがあることは2,3年前に机を並べていた若い同僚から教えていただいていました。
  彼もあるゲームの会員だそうです。
 その時に教わったのが、このゲームマネーを現金で取引するという話。
  当時の彼の説明では「ニートと呼ばれる人の中には一日中ネットゲームをしていて、稼いだポイントを現金化して商売をしている人もいる」程度だった。
 好いこと事ではないが、小遣い稼ぎ程度に受け取っていましたが、この間の番組ではそのアンダーグランドの活動が企業化しているのだそうです。
  一つの要因は、昼間仕事をしていて「あまり時間が無いのだけれどお金はある人」のゲーム参加が増えていて、そういう人がこのゲームマネーを現金で買うのだそうだ。
 初めからアイテムやスキルがあれば相当楽にゲームを出来るのは確かですが、何だか”お金で買えないものは無い”!?

さて、一日中ゲームをやってポイント稼ぎ=これは手作業ですが、近代的?効率を考えるとそれだけでは企業にならない!?
 自動的にゲームの画面上で動いて、勝手にポイント稼ぎをするソフトを操って、ゲームマネーをかき集める・・・ボットと呼ばれている(ロボット的な動きから来たとか)物もありました。
 中国東北部から日本の拠点を経由してこういう違法活動をしてかなりの額を稼いでいる
  ゲーム運営者はこれらを禁止しているのだけれど、対策が後手後手なのが実情

明らかに違法行為なんだけれど、こういうものがはびこるのは、需要があるからだと考えます。
 お金でゲームマネーを買う人がいなければ成り立たないはずで、本来ゲームで”働いて”手に入れなくてはいけない”子供銀行券”を”働いて”と言う部分の替わりに現金で買うのです。
 それは他人の労働に対して対価として報酬を支払うのですから一見正当な経済活動みたいにも見えるけれど”働く”事を”楽しむ”と言う部分が抜けています。
 そこがスポーツとかゲームでは重要なところのはずなんだけれど・・・
   全く”虚”の世界なのに本物のお金が・・・

何だかコマーシャルの文句みたいで「お金で買えるものもある」
 「努力の過程、その結果を大事に」なんていうと古臭い道徳の塊みたいですが、こういうものを古臭い=人前で言えないと考えることもおかしいのだろうな
 だから自分もこういう風潮に多少の責任もあるのかも知れません。

これをもし囲碁のネットで応用したら・・・
 例えば、自分の名前で強い人に打って貰って点数を稼いだりランクを上げてもらう・・・自分で打って下がってきたら応援を頼む・・・
 こういうことは顔が見えていなければ出来ないことも無さそうです。
  マア対局ウォッチャーみたいな人がいれば「○○さんは強い時とそうでないときの差が激しい」と思われる程度でしょうか?
 「勝つときの打ち方と、負けた時では大分違う・・・ほんとに同一人物かな?」と思う人がいるだろうか。
  最も重要なのは、そうやって点数を確保して楽しいかどうかです。
 もしこれが楽しければ「囲碁代打ち」というか「ゴーストプレーヤー」という商売?が成り立つでしょうね。
 囲碁将棋では昔から盤側の助言問題はあるけれどそれは”偶々”のアクシデントみたいなものでしょう。
  これを商売としているというのは聞いたことは無い・・・
 最も「目碁」の世界ではあるのかも知れない・・・
  (その世界のことは分からないのです)
 いずれにせよ勝利を金で買うというか、ゲームで金に物を言わせる・・・それでも楽しいと考える人がいれば、”有る事”かもしれない?。

 マージャンの「代打ち」なら昔随分やりました。
 学生時代に雀荘でアルバイトをしていたので・・・昼の営業時間を任されていたようなものです。
  普通4人揃って打ちに来ますが、偶々一人遅くなる時など「代打ち」が当てにされる。
 時間を無駄にしない?で遊ぼうというのです。
  ただマージャンですからいくらかのレートが乗っています。
 ですから「代打ち」が負けてもタダということは無い。
  お店が半分負担でした。
 勝てば全部いただけるのですから結構真剣でした。
  (但し、代打ちとはいえ商売の一環ですから”さわやか?”に勝たなければいけない・・・その辺の呼吸は難しい)

話が取り留めの無い方へ行ってしまいました。
 ともかく違法かどうかの前に、まず楽しいのかどうかが問題ですね。
  勿論お金が動いて、そのお金が別のアンダーグランドで使われて、悪いことがはびこるというのは困る。
 それにしても、ゲームアイテム・ゲームでしか通用しないマネーを現実のお金で買って・・・ゲームの中でレベルアップしたり、活躍するのが楽しいのでしょうね。
 それは現実の世界で満たされない部分なんでしょうか。
  しかしこれは仮想世界ですから、皆がレベルアップしてきたらレベル頭打ちみたいになるでしょう・・・最強のアイテムといわれているものがあっても、それを上回るものを提供するようになると思われる。
  そうなるとこれは上向きのスパイラルというか、膨張する宇宙みたいなもので、際限の無い話になりそうです。
  囲碁では・・・謝礼を払って初段免状を取得しても、碁敵に笑われそうで見せられない・・・などと言う話は可愛いものです。 
  

机の中から

2007-02-26 00:25:09 | Weblog
 もう2月も残り僅か、3月になれば大好きなJリーグが始まります。
 まさに今年の春の始まりです
  3月は納税申告の季節で頭を痛めてる(半分は幸せな)人もいるでしょうが、私には縁が無いので、ひたすら春を楽しみたいですね。
 ただ、一つだけ今年はいつもと違うことがあります。
  今年の4月から別のところに移動がある予定。
 行き先は既に分かっているので、リストラの恐怖ではないのですが、今まで慣れて来た人間関係も仕事内容も心機一転となるので、一抹の不安はある。
  マア仕事内容といっても、それほど期待されているわけではないのですから、「ソコソコ」人間としては焦ることも無いのですが、それでも人並みには出来ないといけないですから心配ではある。
 それらのことは先のこととして、ともかく「飛ぶ鳥・・・」ですから、身の回り・といっても仕事のデスク周りとロッカー靴箱くらいですが片付けなくてはいけない。
 掃除が大の苦手人間としては一月以上も前からそこが悩みの種なのです。
  それで目立たないようにボチボチ開始
 早速机の中から印刷した紙が数枚出てきました
全部で4つに分けられるようです
① 「囲碁チーター対策」 (6枚)チーターの手口や対策を書いたものでどこか  のサイトのものをプリントしています。
② 「投了」についてのウィキペディアについての記述で2枚。各種のゲームでの  投了についての記述
③ 「小倉百人一首」のうちの約20首。本来は14枚のプリントのようですがそのうちの1/14だけ残っている。
 さてこういうものは・・・興味のあるもの、調べたいものを我が家のパソコンではなくて、ここでプリントしたものですね・・・
  少しズルかな・・・ここはモノクロで印刷しますが、スピードはかなりです。
 百人一首はともかく①②は使えそうなプリントです。(尤も②は既に使ったかも知れない・・・)
 ここにあるということはまだのような気もします。

ところで4枚目のプリント
 これはアルファベットでプリントしてあるけれど、私がタイピングしたのですから英語ではありません。
 これは要するにローマ字で打ち込んで変換しないだけです。
  更に決まった言葉については記号を使っています。
 例えば「碁」は*で「対局」は***みたいに打ってあります。
  どうしてかというと、誰かが通りがかりに私のパソコンの画面に目が行ったとして、アルファベットと記号だけの画面ですから、瞬時には何が書かれているか判断できないからです。
  マア画面に「碁」という言葉が出ているのを読み取られるのを防いでいるということでしょうか。
  仕事中にこんなことばかりやっているのではありませんが、通勤途上で思いついたこととか、何か頭をよぎったことを直ぐに書きとめておくための”方法”でした。
 手書きでメモ用紙とか小型手帳に書いておけば同じことではありますが、キーボードの方が早い気がする。
  携帯で投稿できるそうですが同じような感覚でしょうか。

机の中の片づけを始めて4つのプリントで今日はお終い・・・この調子では一ト月では終わりそうも無いです。
 
ところで新しい職場は今よりも家から近くなります。
 今のところで自転車なら35分から40分ですが、今度は20分あれば良さそうですから約半分。
 体力的にはありがたいけれど、ますます運動不足になりそうです。
  それと通勤時間は頭の中で「下書き」をする時間なので、単純に短くなればいいというものではない・・・気遣って声を掛けてくれた人には言えませんが自分ではそう思うのです。
  周囲の人は「近くなって良かったですね」と言ってくれるのです・・・。
 帰り道もも今から気苦労です。
まともに帰ったら家に早く着きすぎてしまいそう。
  買い物しながら早く帰ったて、おかずの1品でも作れば良いオヤジだけれど
   マア早く帰ってお風呂など良いかも知れない・・・しかし、そこから碁会所まで10分あれば行けるシ、コミュニティだって15分で行けます。
  そこの閉館までに2局は打てる時間です
   やはり早く帰れるという事は良いことに違いないが、毎日帰り道の選択肢に迷いそうです。
  ちなみに今問題の「残業問題」とは縁がないのが救いですが、あまりに脳と神経が楽をしすぎているかも
 やはり帰りには碁会所かコミュニティに寄らざるを得ない?
  全く飲めない人間はそちらの選択は無いのですがこういう心配があるのです。 

対局相手

2007-02-25 01:04:03 | Weblog
 昨日は「両極端」の対局相手についてお話しました。
 同じ碁会所に通う囲碁仲間とは思っていないのでしょうね、ザルなど全く見向きもしないでプロの指導碁しか受けない人・・・逆にプロの指導碁は決して受けない人・横の方で指導碁があっても見向きもしません。
  そういう極端な人も実際居るのです。
 それ以外にも典型的なパターンで、見たり聞いたりした方々のお話です

碁会所でもコミュニティでもいるのですが・リアルでは時々見かけるタイプ
 先ほど話した「プロとしか打たない人」とチョッと似ています。
  アレの「対アマチュア版」とでも言いましょうか
 どういうことかというと、自分より上手と打つことを好む人・場合によっては上手としか打たない人がいます。
 (嫌味な表現もしますが、マア悪口を言うつもりではありません。感じたままを言うと)
 私の経験では初段か2段くらいの人に多いかな?・・・別に統計を取ったわけではありませんが。
  たいていこういうタイプの人は自分と同じ棋力の人を見下している傾向があるようです。
 「馬鹿にしている」ということではありませんが、きっと自身の棋力を過小評価しているのかも知れません・・・だから同じレベルの人と打つ気がしないのかも。
 こういう人は自分より3子程度上手の人が手空きだと「1局お願いします」となるのです。
  勿論それは好い、上手に教わるのは好いことです。
 しかし、上手が空いていない時に誰と打つかというと、実は打たないで、なんとなく時間を潰して何人かの上手の手が空くのを待っているのです。
  つまり、同じ棋力・下手とは打たないのです。
 「自分より上手に挑戦すること」が楽しみなんですね。
それも楽しみ方の一種ですか? たまにこういう人は居るのです。

その逆も勿論ある。
 絶対ではないけれど、自分と同じくらいの相手とは打たない人も居ます。
  そういう傾向と言うことです。
 「同じ力の人とギリギリの碁を打つのはしんどい」のかも知れません。
   事実そういう話を本人から聞いたこともある
 先ほどの人の裏返しで3子とか5子置かせて、軽口を叩きながら楽しむのが好きらしい。
 高段同士のピーンと張り詰めた感じは嫌だということなんでしょう。
  マアそれも楽しみ方の1つの形かもしれませんが。

こういう両者が噛み合うと、棋力の差がある二人が好いコンビとなるから面白い
 誰とでも打つというのが必ずしも理想ということでもないのでしょうが
  碁会所では”誰とでも打つ”という形で活性化するために月例リーグなど工夫していますが、決まった二人が打ち続けてもルールもマナーも違反ではない。
 だからいつでも同じ相手が打っている・・・というコンビもある
  私の行くコミュニティでも少なくとも私が知っている限り過去3年間他の相手と打っているのを見たことが無いコンビが居ます。
 彼らのコンビの結束は凄いですよ
   ほぼ毎日同じ相手としか打たないのですから。
 一日5局としても週に5日として25局・・・月に100局・・・年に1200局それが3年間同じ相手なのです。
  例えば一局終わってのトイレ休憩・・・は無いのです。
   彼らは中座している間に碁盤を他の人に使われて、場所がなくなるのを恐れているようです。
 それではトイレはどうするのかというと
  対局開始してから10から20手打ったところで二人で席を立つのです。
 対局中の碁盤を置いていくのですから、余程の厚かましい人で無い限り手を出さないでしょうから、安心して用を足せるらしい。
 映画館などの席の確保に、一寸したものを置いて席を立つのに似ています・・・本人たちは何も言いませんが観察結果間違いないだろうな。

決まった相手というとネットで不思議な光景がある
 ある方=点数からして5段か6段の女性が対局待ちをしていて・・・それがいつも「対局指定」ですから、誰かとネット待ち合わせです。
 このこと自体は珍しくは無い。
  ただマア強い女性と打ってみたいという当方の願いはあるのですが実現しないのは残念です
 それはともかく、この方のお相手が決まっていて、点数から見ると4,5級くらいの女性です(名前から見て)。
 そしてなんとも不思議なのが点数が下の方が白です。
  いつもそうなっている
 不思議なんですが「相手指定」の対局ですからさすがに覗きに行くのは遠慮しているから内容は分からないのです。
 同じ「相手指定」でもリーグ戦とかプロの指導碁などでは遠慮なくお邪魔出来るのですが

 いくつかの例を話しましたが、そこまで極端ではなくても文字通り「誰とでも打つ」ということは無いのかも知れません。
 相手が偶々居ないとか偶然もありますが、どこか心の隅で相手を選んでいるかも知れません。
 やはり「友達は選んだ方が好い?」そういう格言は当てはまるかな 

「打たない」人

2007-02-24 05:27:36 | Weblog
 落語の世界では物事をデフォルメしておりますが、本質を捉えていることも多いようです
 囲碁・将棋の好敵手・・・マア例えば横丁のご隠居と出入りの植木職人とかのレベルではありますが。
  仲が良くて三日と上げずに対局しないではいられないのですが、仲が良過ぎるといにも時としてお互いに我侭が出てしまい、待った」「待たない」から喧嘩をしてしまうというのがお定まりのストーリーのようです。
 こういうのは碁会所・コミュニティでは確かにある
いつも決まった相手と7,8局立て続けに打つような人もよく見かけるのです。
  さすがに落語の世界ではないし「待った」とか「待たない」は無い
(尤もこれはコミュの囲碁の方の話で、衝立一枚向うの将棋の方では時として「待った」「待たない」「汚いぞ」などの声が聞こえることがあるから全く”絶滅”したのでは無さそうです)
 さてこういう”お神酒徳利”みたいな人たち 
  反対に、見てると殆ど対局しない相手というのもあるように見受けられる。
 犬猿の仲というのではなさそうですが・・・しいて言えば周波数が合わないとでも言ったら好いのか、多分お互いに対局しても楽しくないのでしょうね。
  だから無理に対局することも無いということなんでしょう。
 だから、余程他に相手がいない場合に打つこともあるという程度
  「久しぶりにやりましょうか」などと言いながら始めますが・・・顔は毎日合わせているような人たちなんですが、打つのはほんとに久しぶり。

  さてこういう人間関係と言いますか、気の合った人と打つ場合と
 違う尺度で対局相手を探すように見える人もいます。
  (そういう時もあるのか、いつもそうなのかは断言できないけれど)
プロ絡みの話では(プロ棋士自身の問題ではありません)
 ある碁会所に通っていた時のことです
  そこには中国囲碁協会のプロ棋士がほぼ常駐していて、指導碁を受けることが出来ました。
 指導碁には2種類あって、月例リーグ戦には先生も参加してくれていて、リーグ戦対局として打つことが出来ました。
 そのほかに、指導碁を希望すれば有料ですが指導碁を受けられたのです。
  そこに地元の大学の医学部の先生が二人通っていて、よく顔を合わせました。
 しかしさっきの話ではないですが、顔は合わせるのですが1局も打ったことは無いのです。
 私の方から拒否したり、忌避したりなどしていませんが、彼らには私と打つ気は無いのです。
 いえ、私だけではなくそこに通ってきている誰とも打つ気は無い!
  彼らははっきりは言いませんが、私の想像では・・・私の僻みっぽい耳にはこのように聞こえます・・・「棋力向上の為にプロに教わりに来ているのであって、筋の悪い素人と打つと悪い癖がつくから打ちたくない・・・」
  当たらずといえども遠からずのように思う。
   あるときプロの先生が「どうですか」と勧めてくれたけれど、彼らは「イヤー・ムニャムニャ」だった

 マア、打ちたくない人と無理に打つことも無いけれど、「筋悪な相手と打つと筋悪がうつる」みたいに思うようです。
 確かに私は筋悪ですが何だか黴菌扱いされたみたいです・・・相手は大学病院の先生だから・・・何だか辻褄があっているみたい。
 ま、彼らは少なくともそこでは「素人は相手にしない」のでした。
  そんな感じだから意地でもこちらから「打ちたい」とは言いにくい。 
  では彼らの棋力はアマは相手にしないくらいに、そんなに高かったか?
    私の目には私と互い先くらいに見えましたが・・・。
 一つだけ弁護的に考えると、彼らは大変忙しい身にも拘わらず囲碁を打ちに来ているので、せっかくの貴重な時間だからプロとだけ打ちたかったのかも・・・

さてそのお医者さんたちとは逆に、「プロとは決して打ちたがらない人たちもいます。
 「私らごときがプロに打ってもらって何になる?」と言います。
  プロに教わるのも無料でもないし・・・
 「今更教わっても強くなれるとも思えない」そんな理由でしょうか
「プロに教わる暇?があったら仲間と打つほうが楽しい」ということでしょう。
  
そのお医者さんたちの意思は「向上心」の極端型で、もう一方は「お楽しみ」型とでも言いましょうか?
  しかしこの二つは両極端で相容れない要素なのでしょうか
 「楽しみながら強くなれる」という都合の良い物は無いのだろうか?
それがあれば一番良いのですがどうだろうか
 それが難しいとしたら「楽しむ」ことと「棋力向上」をメリハリをつける・・・
   都合が良すぎるかナ
 「楽しむ」のはアマの特権だし「少しでも強くなりたい」は本能みたいなものですから、両方無くては面白くないです。 
 

海外で

2007-02-23 00:45:32 | Weblog
 碁を打つために(実は半分は別の目的もあったけれど)、飛行機に乗ってやってきていたIさんの話をしましたが、私にも飛行機に乗って行った先で碁を打った事があります。
 といっても碁を打つために飛行機で行ったのではないから大分違います。
たいした内容ではないのですが、話せば長い話・・・
 今から20年近く前のことです。
  前にも話したことがありますが、囲碁好きの社長の下で働いていた時のことです。
  この会社は地元の県をフランチャイズとして活動していましたが、全国の姉妹関係にある会社とキャンペーンを何年か置きに行いました。
  内容は応募の抽選で当たった人とお得意様「招待旅行」でした。
 行き先はカナダで駐日カナダ大使館も協力してくれていましたから、普段は日本人団体旅行お断りみたいなところでも宿泊できたりしました・・・余談ですが。
  その時の団長がその囲碁好きの社長が勤め、各社から自分のところのお客様世話係みたいに一人ずつ参加していました。
 当社は社長が団長役なので、別に世話係が行くことになり、「運善く?」私が行かせて戴いた・・・
  同僚から羨ましいと言われたのですが、ドッコイ単なる観光旅行ではなく、お世話する相手も自社のお得意様だけではなかったのです。
 旅行社の添乗員もいるのですが、何といってもお客様に快適な旅行をして頂くのが役目ですから、ホスト側の仕事といっても添乗員のアシスタントみたいなものです。
  更に、自分の会社の社長が団長ですから、社長の鞄持ちみたいな・・・
 お客様もよく分かっていて?いろんな苦情や希望を旅行社の添乗員ではなくて
招待側の団長の秘書的な私のところへ持ってくるのです。
  自社以外の招待客の苦情・要望も引き受けなくてはならないムード
 全く上手いところを突いてきます。
  更にそれだけではなかった。
 いろんな地域に経営者の親睦会みたいなものがありますが、社長も私的に地元のクラブに参加していて、今回はそのお仲間も自費参加していた。
 つまり社長仲間が自前で旅行費を払って旅行に相乗り参加していました。
 (招待された人も、別に家族などが参加したいときは自費です)
 ですから、この社長のお友達グループ+その家族の個人的秘書役も・・・
せっかく太平洋を渡っても猛烈な忙しさです。
  何といっても旅行3日目辺りで、「日本食が食べたい」と泣きが入る人も・・・本職の添乗員は楽をしていたに違いない!! 
 マア、この場合の旅行は仕事ですから仕方ないのだけれど、息は抜けない。
  しかしこの期に及んで?も囲碁の本と、携帯用の磁石盤を持って行ったのだから自分でも呆れてしまう。
 
よく囲碁の船の旅では、甲板に出ないで客室で囲碁を打ち続けるという話を聞きますが、さすがにこの旅行ではそういうことは無かった。
  それでも、太平洋の上を飛んでいる時とか、時差で寝付けない時に囲碁の本を読んだりもしましたから他の人から変な奴だと思われていたでしょう。
 「何もこんな時まで・・・」という感じでしょうが、私としてはこれが自然な生活スタイルではあったのです。
 その辺のところは所謂碁キチと碁を打たない人の差でしょうか?
  対局はロッキー山脈を越えたホテルの中で社長のお友達の一人と一局だけ打ちました。
 ホテルの中の社長の部屋に友達が集まって来ていて私もそこに呼ばれてお相手をしたのです。
 「飛行機の中で碁の本を読んだり、碁盤まで持ってきているなんて、さすがに熱心だね」などと褒められているのかからかわれているのか分かりませんでしたが。
 マアそれでも親子ほども年令の違う人たちに可愛がって戴いていたのでしょうね。
 10日近くの旅行の中で打ったのはこのとき1局だけですから、結果から見ると磁石の携帯碁盤をわざわざもって行ったのがよかったかどうか分かりませんが、ともかく全くの無駄にはならなかったという事でしょうね
 もっとも対局内容は全く覚えていません
  確か向う3子くらいだったような記憶はあるのですがはっきりしません。
本当に打ちたければ・・・
 バンクーバーなどは東洋系の住民が多いから、探せば現地の囲碁クラブなどはあったかも知れませんが、自由時間が無かったし言葉の問題もあり現地の事情に疎いのですから短期の旅行では無理だったでしょう。
  そういうことからすると携帯用碁盤は一応正解だったかも知れません。
 もし今ならノートパソコンを携行すれば行った先のホテルでネット碁なら打てるでしょうね・・・
  もしそれが出来たら
 外国のホテルで自室に閉じこもってネット碁を打つみたいなことになるかも知れませんね 
 ともかく私が海の向うで碁を打ったのはこのときが最初・・・そして最後かも知れない 

意地っ張り

2007-02-22 00:08:55 | Weblog
 これはなんとも後味の悪い”事件です
 事件と言っても世間を騒がせるレベルでは無くて、せいぜい当事者同士の間のトラブルです。
 しかも他人様から見たらどうでもいいような気がしないでも無いし、当事者の片割れの私としてもそう思うのですからね
  発端は、平日の休みで家にいて、午前中に1局打ってみようかなと思ったところから始まります。
 偶々、ネットで相手も対局待ちをしていたので対局開始・・・全く何ということは無い流れです。
 手合いは向う先で逆コミが少し。
   終盤から終盤にかけて、私がヌルい手を連発して敗勢が決定的となった。
 ここで投げてしまえば全く問題は起きなかったのです。
  しかしそれは”後”だから言えることではある。
 終盤付近で相手がダメ詰まりをウッカリして1隅がセキになったので、差はグンと詰まった・・・けれど残念ながら勝敗までは左右されません。
 ここまで打ってしまって(細かな1目のヨセまで打ってしまって)いるので、ここで投げるのは返って失礼なんだろうと最後まで打ったのです。
  ここで問題が発生しました。
先ほど話したセキの部分です・・・相手の方はセキ形の中に1眼あるのを1目と数えているらしい。
  だから、勝敗はともかく結果の目差が1目合わない。
   問題は「1目ならいいじゃない」と思うかどうかです
    とりあえず勝敗を確定させておいてから、問題があれば調べれば済むことではある。
 お互い1目ずつを持っていて、互いのダメは詰められない形です。
  その1目の形が、相手の形はしっかりした形ではっきり1目です
 私の方は1一にいかにも欠け目の形になっている
そういうことで黒氏はセキとはいえ黒には1目あるけれど、白は欠け目だから目は0と見ているらしい。
  セキのルールでそんなのありましたっけ?
 ここは両者目が無しと見て、リアルでは全て石で埋めて数えるはずです。
仮に大きな花六などの中手が絡む場合など、セキではあっても外ダメがあるうちに
中手の石を取って相手に中手をさせて・・・セキの最終形にする。
 そういうことはあっても、整地の際にはどちらも目が0として埋めてしまう。
だからセキでどちらかに1目あって片方は0というのは経験が無い。
 
私としては結果については「相手の勝ち」として送信しましたが、1目の相違点について相手が認めてくれないのです。
 1目の差が出来るのは、そのセキ部分の認識でしょう
  私は自分の負けで結果を送信しているのですが、相手は認めないのです「もう1目差が大きい筈だから、それを認めろ」ということらしい。
  勝敗+目差をセットでなくては受け入れないということでしょう
 私も妙に依怙地になっている・・・「どうせ結果は負けは負けだから1目くらいの問題ではない」とは思いながらも、「この件に関しては相手が間違っている」と肩肘を張ってしまいました。
 いつまで待っても反応が無いのでメールを送りました。
全部で3回です
「○○の部分は目ではないですよ」これで分かるはずなんだけど無反応
「何処が違うと考えていますか?」やはり返事が無い
「返事が無いので失礼します。ありがとうございました」
  暖簾に腕押し状態で、何の返事も返ってきませんから、仕方なく退席しようとしたらネットのソフトから「対局中に退席してはいけません、退席するなら投了ボタンを押してください」
 何と「機械は正しい反応をします」
  退席するならそういう操作が必要だそうです・・・たいていはこれが正しいでしょう。
 しかし、終局して数え終わってから「投了」は無いでしょう
  機械の操作を現実に合わせて動かせばそうなるかも知れないけれど、「終わってからの投了」なんていかにもさまにならない。
 負けたのは私ですが、相手は負けの中身を認め無いで、当方の連絡を無視しているように思えます。
  ここで私も「意地悪なオジサン?」になった
 パソコンをそのまま放置して、昼食休憩にしました。
画面を見ていると、あれこれ考えてしまうので別室に移動してTVを見ながら昼休み?です。
 暫くしてパソコンの前に戻ると、対局者の相手の名前が消えている
  とうことは相手は・・・「投了」したのです
   そんな馬鹿なという気がします。
 こういうときこの対局の棋譜を事務局預けにすれば好いのに・・・
  もともと勝敗については問題は無いはずです。
 「1目」というプライドが問題だったらしい。
   私の方は「セキのルール」を盾に意地悪をしたことになるのか?
私が昼食で中座している間に、彼はこちらの提案通りの目差に変更して同意を送ってきたのだろうか?
  それとも最後まで平行線の1目差にごうを煮やして投了したのだろうか・・・
 なんとも後味の悪い1局でした
  しかしこんなことで「あいつは悪い奴だ」とブラックリストに入れられてしまうことが心配です 

雰囲気

2007-02-21 03:14:30 | Weblog
 先日久しぶりにコミュニティに寄って感じたことなどです
 日曜日の午後なので囲碁も将棋も盛況ですが2面ほど開いていたので、そこに座って横の対局を観戦し始めた。
  ここは座敷に足付き碁盤を並べて、座布団に座って対局するスタイルなので、私は立って上から覗くのが何だか気が引ける。
 特に嫌がられる分けでもないのですが、自分が座って打っている時に立っている人に見られるのはなんとなく落ち着かないから好きでは無い。
  そういうことを気にする人と、しない人がいるらしく立ってあちこち観戦して歩く人と、座って観戦する人の2種類あるようです。

さて、座って観戦していると世話好きのYさんがやって来て、立って見ている年配の人と私を対局するように勧めた。
 「この人は強いですよ、○段で同じくらいでしょう」と紹介してくれました。
私は自分がさして強くないと思っていますが、紹介してくれたYさんには向こう3子だから、彼よりは強いことは確かではある。
 しかし○段というのはここでのリーダー的な人と同じ段ということになる
 私はこの師匠には2子で幸いに2連勝しているけれど、善くてもせいぜい”先”だろうと思っているから・・・○段が本当なら相当強いかも知れない。
 ”知れない”といったのは、Yさんの評価に若干の疑いを抱いているからでもあり、段は何処そこの段かでかなりの差があると思っているからでもある。
  それでも○段というからにはそれなりの敬意を表す必要がある!?
 Yさんが横から「握り」と言っていましたが、私はかまわず「とりあえず私が先で」と断って黒の碁笥を手元に取りました。
 「宜しくお願いします」といつもの形で右上の星、白すかさず左下の小目、黒右下星、白左上小目・・・相手の着手が何だか異常に早い気がする。
 黒左下小ケイマかかり、白すかさず小ケイマ受け・・・
  こういう進行は何百局と打っているだろうから、何も考えることは無いのかも知れない・・・しかし初対面の相手との対局でもそうだろうか?
 少しナメられている感じがしないでも無いけれど、顔を見るとそういう性格でも無さそう。
 恐らくこれが彼のペースに違いない・・・のだけれど
  こういう打ち方の人で強い人は見たことが無い・・・
 いや、あのゼイ・ノイさんなどはアマ相手にはもっと早いけれど雰囲気が違う
あの先生はプロ中のプロ、この方はただ早いだけ?
そう10手も進行するうちには、私が相手を「○段は無いでしょう」と考えるようになった。
 勿論口には出しません、そう思っても負けてはサマにならないから、寧ろ気合が入る。
  Yさんの紹介ということは、彼はコミュニティや生き生きプラザなどに顔が広いから、どこかそういうところで知り合ったのでしょう。
 一般にそういうところは、上の段を言いたがる人が多いので、段級が上にスライドしていることが多いようだから・・・
 例外的には、彼はシャイな性格で初対面の私にいつもの力を出せないでいる・・・ということも無いではないが、私の方にそういう風に相手に気を使わせるような空気はまとっていない筈なんだけれど。
 段などはさして問題でもないから、彼を非難しているのではなくて、要するに「○段が持っている雰囲気」みたいなものを感じなかったのです。
  本当にそういうものがあると断言は出来ないのですが、やはり打っていると雰囲気というか”重み”を感じるのです。
 私のお師匠さんのK畑さん初めそのクラスの方々には何か雰囲気を感じます。
  強いのを知っているから感じるのか、そういう空気を持っている人が強いということなのか・・・
 ここで発想がジャンプします。
例えばプロ棋士の先生たち・・・皆さん個性的で同じに顔には到底見えません。
 それで、もし囲碁を知らない人・プロ棋士の顔に今まで興味を持って見たことが無い人が顔写真を見たら何か感じるだろうか?
   プロ棋士と、囲碁も他の勝負事やプロスポーツなどと縁の無い人の顔写真を10枚ずつカードにして、プロを当てるクイズをしたら・・・
  あまり面白くないかな?
   発想としては「笑っていとも」的です
 確率では50%ですが、何か雰囲気とか「オーラ」が感じられれば60から70%くらいの正解率があると想像するのです。
  もっとも”生”と”カード”の差があるからダメかも知れない?

偶々かもしれないが、あの彼には雰囲気を感じなかったのです。
 本当は自分に人を見分ける目があるかどうか疑わしいのですが。
  でも「これは違う」と感じたのです。
 彼は「○段」と紹介されて、いちいち否定するのが面倒なだけだったのでしょう


囲碁フライト

2007-02-20 02:51:56 | Weblog
 私はリアルで打つ時はサウスポーです。
 理由はこれまでに何度も書いていますが、マアまだ10年にも満たない俄かサウスポー。
 右でも左でも出来るといえばそうなんですが・・・若い頃野球ではスイッチヒッターだったし、投げる方は右でしたがソフトボールではフリーバティングのピッチャーが出来たりしました。
  今はそういうことは到底無理でしょうけどね。
 走れない投げられないですから
  いつも通勤途上で中学校の横を通るのですが、帰宅時間に通りかかると部活の時間帯で、グランドでは野球・サッカー部が活動中ですからつい目がそちらに行きます。
 自分でも昔やっていたり、今でも興味のあるスポーツだからどうしても見たくなります。
 そしてその向うのグラウンドの隅では女子ソフトボール部が練習をしている。
  ランニングしているところを見ると少人数で、何とギリギリの9人に見える
 いつもそうだから間違いないだろうな
人数はともかくフリーバティングや素振り練習の時に見ても、どうやら左バッターがいないようです。
 右でやれるのに無理に左の練習をすることは無いとも言えるけれど、ソフトボールに関しては打つ時に右と左ではかなりの優位性が変わります。
 指導者の先生も充分分かっているのでしょうが、中学生の時期なので基礎作りに主眼を置いているのでしょうか?
 おせっかいなことを考えながら通過します。

さてそのサウスポーですが、昔N囲碁センターにも一人いました。
 今でこそ「書く事も鋏も料理も本人のやりやすい方で良い」みたいな感じですが私の子供時代は右手のことを「箸を持つ手」左手は「茶碗を持つ手」と言っていたのですから右手と左手の機能は決められていたようなものです。
 そういう時代ですから本来の左利きでも、社会のルールみたいに強制的に右利きに変えられていたこともあったようです。
  時代劇で侍が右の腰に刀を差すのは見たこと無いし。
 だから囲碁でも右手で打つのが圧倒的な多数派・・・というより「左手」は例外だった気がする。
 (今でこそ左で打つ人も珍しくないですが)
 そういう時代彼Iさんはサウスポーでした。
ルール違反ではないし別に咎められることは無い、多少困る事と言えば整地や石を収める時に向かい側の人と利き手が違うとぶつかることがあるくらい・・・でしょうか。
 碁笥の置く位置、ハマを入れる蓋の位置が違うくらいで、手合い時計の場所などは寧ろ喜ばれるくらいです。
 私の手元に(自分で書いたのですから当たり前ですが)「Nスケッチ」というタイトルでここに集まるメンバーの一人ひとり、碁に関することなどを書いたものがあります。
 昔のデスクトップパソコンで、薄型の5インチFDを使っていた時代のもので、プリントしてあったので残ったという感じです。
 今ではこのFDでは再現できるパソコンを持っていませんから、もしプリントしていなかったら諦めていたかもしれません。
  その原稿からここでも「棋士銘々伝」的に使ってきましたが、Iさんのことも書いてありました。
  ある意味では彼は凄い碁キチなのかも知れない。

彼は大手の旅行会社に勤めていました(現在のことは知らないので過去形にして置きます)。
 当地の勤務が長かったのですが、沖縄とか南の方の島に現地駐在員として転勤した時のことです。
 沖縄の時は何と2週間に1回は碁会所に姿を見せたのです。
  まあ囲碁と同じくらい「馬」も好きだったから現地にいては生で見られないから帰ってきていたらしいから、馬と碁がどちらが本命ということも無かったでしょうが、月に2回も飛行機で来るエネルギーになっていたようです。
 私などはからかい半分に「沖縄にも碁会所はあるでしょう?」と聞いたことがありますが、彼の答えは「勿論ある」
 「碁会所はあるのだけれど、慣れない場所で打つのは、そこの雰囲気に慣れ、人の中に溶け込んでいくのに相当な時間と努力が必要」とのことだった。
 確かにそういう傾向はある。
  しかし月に2回飛行機に乗って碁を打ちに来るエネルギー!!
   
 「あちらでは金額はともかく賞金を載せているところが多くて、そういうところでは”ヨソモノ”は敬遠される」のだそうだ。
 その点ではここN囲碁センターは顔見知りばかりだし「賞金打ち」は」断固拒否しているので、かなり明るい雰囲気ではある。
 だから「中山」「東京」が無くても彼は息抜きに当地に碁を打ちに来たでしょうね・・・ここは成田に近いですから。
 そしてそういう彼の「行動パターン」は海外駐在でも変わらなかった。
  海外と言ってもヨーロッパではないですが、比較的近いといっても太平洋にある島です。
 頻度としては最低2ヶ月に1度くらい。
  競馬のクラッシックレースに合わせることが多かったのですが、囲碁センターに碁を打ちに来たものです。
 これは国内に転勤するまで数年続いたのです。
   彼の人生は馬と碁を中心に回っているのかも知れません。
  そして国内に転勤、と言っても隣の県の県庁所在地ですから、ここに来るには一旦東京に出てから、JRで乗り換えてくるので相当手間と時間がかかる。
 そういう障害をものともせずにほぼ毎週顔を出していたのだから、呆れるというよりやはり頭が下がる。
 マア飛行機に乗って打ちに来たくらいの人ですから、電車の数時間はなんとも無いのかも知れませんね。

さて棋風は、行動パターンと関連があるか、こうと決めたら断固押し通す感じ?
 かなり急所に迫る棋風(そういう表現で分かるだろうか)
  つまり私みたいな生ぬるい手を嫌い、相当きつい手を打つのです。
 但しその棋風は両刃の刃でもあるので・・・ポカも多い
  一杯一杯の碁を目指しているので、自分で躓くのでしょうね。
だから藤沢秀行さんではないけれど「ポカさえなければ」と嘯いていますが・・・まあレベルの問題はさて置き、そういう面はある。
 尤もそれを言ったら皆当てはまる

彼の出身地は東京近郊の中央線沿線の市で今でもそこに親御さんの家がある
 だからN囲碁センターの帰りはそこになるのか、直接勤務地に帰るのか・・・
  N囲碁センターでは碁の後は将棋というのが彼のパターンです。
 こちらの方は彼は筋が良いらしい。
  囲碁でいじめられた上手を将棋ではギューギュー言わせている。
    互角以上のようです。
 さて、そんなことだからお嫁さんが見つからなかったのか・・・いや本人の視野に無かったのでしょう。
  それにしても懐かしい
 私の俄かサウスポーから見るとサウスポーの本家みたいな人です。 

勝手にスタンダード

2007-02-19 00:20:28 | Weblog
 最近世間を騒がせた洋菓子メーカーの賞味期限切れとか細菌の問題・・・確か似たようなことが昔牛乳メーカーでもありましたね。
 それと自動車のリコール隠し、ガス関連のメーカーの改造事故などなど
  健康問題に絡むものを食の安全と考えるから、自動車・ガスなどは命の安全で、「安全」がどこにあるのか分かりません。
 そういう問題は、事件が顕在化した会社の固有の問題ではなくて、その業界の持っている常識と世間の常識がずれていて、そこが偶々現れただけのような気がしますね。
 この種の問題は後を絶たないのですから
  談合問題もそうだし、原発のデータ改ざん、建築での設計基準・・・
 ところで、問題を起こした(実際は問題点が指摘された・問題は昔から起きていて見つからなかっただけ)会社の社長・幹部が3人くらい並んで記者会見で謝罪する風景がパターン化してきているような・・・
 ”とりあえず誤っておいて、嵐が通り過ぎるのを待つしかない”と考えているとしか見えませんね。
 そしてチョッと気になったのですが、たいていの会社が「ISO」を取得しているように見えました。
  ISOは世界基準に合格したという認証制度というか運動みたいなものですね
 取得するには、それなりに厳しい基準をクリアーするとか、いろんな改善運動に取り組んでいなければいけないはずで、そういう会社が事件を起こすということは・・・
 チョッとしつこいです、というのも
  私自身がかつて勤めていた会社はISOを取得して、社内でいろんな改善運動・資源節約運動をしていたけれど、社長個人の脱税とか使途不明金問題で会社の規模を半分以下に縮小しなければいけないようになったという経験がある
 そういう意味で「ISO」の理念は素晴らしいけれど、流行というか、自分をもっともらしく見せるためのアクセサリー程度の認識かも知れないという嘘ら寒い現実があるようです。
  
 さてやつあたり気味に・「千代若」並みに(そういっても若い人は知らないだろうな、昔の夫婦漫才で「ボヤキ漫才」というパターンを持っていた)ボヤキたくなるのには分けがある。
 原因は単純=要するに勝てない!!!
  先日来の”好調”は何処へやら、まっさかさまに絶不調に飛び込みました
 デッドロックならば、船が不注意で暗礁に乗り上げたということですが、そんな生易しい表現では言い表せません。
  波の中にそそり立つ岩にまともに突っ込んで行く感じです。
 この間負けパターンという話をしましたが、アレよりひどいのです
何かが狂っているという感じです・・・”何か”が問題です
  考えるというか、感じることの基準が狂っているみたいです。
 まず第一に、着手の順番は「緊急性」「大きい順」ということで、私もそのようにしているはず・・・ところがこの着手順位の評価が相手と違う時がある。
 つまり相手が正しくて、私のが間違っている・・・
  スタンダードが違う
 私のは自分のスタンダードに過ぎないらしい、相手のは囲碁界という世界基準なので、この差は大きいからとても勝負にならないのです。
 私は私の信じるように、相手は相手の信じるように打ち進めると、平和的に?私が負けているというわけです。
  こういう平和的解決は困ります
 対局に負ける時に、仮に「一手バッタリ」の手を打ったのが原因で負けたとしても、それは原因がはっきりしている。
 それなら良いとは言いませんが、原因のはっきりしない負けのほうがつらい
  そして、どうも自分の持っている羅針盤がおかしいらしいと感じていても、何処をどう修理すればまともになるのか見当がつかないので、全くお手上げ状態です
  どうもこれは調子が良いとか悪いとかの問題ではないらしい。
 できることなら、頭に囲碁ナビみたいなものを装着しなければ解決しないみたいです。 
 

手作業

2007-02-18 00:16:40 | Weblog
 今日は久しぶりに図書館に行きました。
 久しぶりというのは気分で、実は2週間に1度は訪れているのは、ここ数年の習慣です。
 寧ろ今日は予定より少し早い。
  返却予定日は次の火曜日だから、今日行く必要は無いのだけれど、借りた本は読んでしまったので次に何かを借りたかったし、他にも理由がありました。
  私が例によって、ものぐさ太郎を決め込んで、自分の部屋でベッドで横になってパソコンを覗いたりしていると、突然部屋掃除が始まりました。
  私が自発的に掃除をすることはないし、ましてや誰かに掃除を命じたり頼んだりも無い。
  だからといって、止めるように言うのも・・・
 ともかく”やれ”とも言えないけれど、始まったものを止める力は無い
  私は、部屋の中が汚れているとは思わないのだけれど、私は便利だからやっているのですが、あちこちに物が置いてあると片付けたくなるらしいのです
 そして僅かな埃を見つけると”汚い”となるわけです。
  今日は更に強力な理由がありました。
 去年からボツボツとリフォームしてきたのが、来月私の部屋で終了予定で、細かな寸法確認に職人さんが来るのだそうだ
 こういう時・・・人が来る時は掃除をしたくなるらしい
  そういえば昔「家庭訪問の日」は母も掃除をしていたはずです
 私などは「どうでも好いですよ」という感じなんだけど、私の方が正常ではないらしい・・・どうも家でそういう扱いを受けています。
  大まかな注文は伝えてあるし概算見積もりも出ているので、私としては職人さんが物差しで寸法を確認する横にいても仕方がない・・・ということで図書館へ避難したようなものです。
 気分としては”脱出”です、本日は”公認”で逃げ出した。
  家に居ても(床の間など無いけれど)床の間の飾りにもならにのです。
  
図書館は、丁度今月約1ヶ月かけて「休館」「一部休館」が続いています
 どうやら蔵書の点検とか、今度から始まる新しいシステムの準備らしい
  家の電話だかパソコンのネットとかで本の予約が出来るらしい・・・携帯のメールで出来るかは確認していませんが。
 そういうことで、日によっては全面休館なので、この間戴いた予定表を確認すると「一部事務」となっているから、勝手な解釈でいろんなジャンルで閉鎖されている本棚とやっているところがあるのかも知れないと都合の好い解釈。
 図書館に着いてみると確かに「一部事務」はしていた。
  それは「返却」オンリーでした。
   本のコーナーには入れないようにバリケード
 ここまで来てしまったのだからしかたが無いので本を返却しました
  これでは次の火曜日に来ても同じだったけれど、読み終わっているのだからマア好いか。
 しかし家から自転車で5分・・・帰りに5分では脱出してきた甲斐がない
  ということで併設のコミュニティ囲碁クラブへ行きました。
    
さて今日は大変混んでいる。
  畳の部屋に10面は出ていて、みな塞がっている。
   更に窓際の板敷きのところに2面出ている。
その中に懐かしい顔があった。
 数年前にリタイアしたけれど、それまでは某国の駐日大使館勤務だったという噂のK氏・向うの隅で機嫌よく打っている。
  その隣はIさんで元は私の弟子と言われていた人です
   別に何も教えてはいないのですが、私を組しやすいと見たらしく、一時期一番手直りで挑戦されていました。
 反対側の隅には、昔教わったAさんです。
  彼が囲碁クラブをやっていた時、私は通ったことがある
 私が2級で通い始めて、先生は6段格だったから当時は雲の上の人でした。
マア棋力はダンチでしたが商売ではあったでしょうが、親切にしてもらいました。
  私が30前の頃のことです
 尤も、その当時の6段格もどういう基準かは分かりません。
  今は他のコミュニティでは9段格だとう冗談みたいな噂は聞いていましたが・・・それは多分自分が初段だと主張する人がAさんに8つ置いて好い勝負なんでしょう。
 もしかしたら自称5段に4つ置かせているのかも知れません。
  最近はこの先生とは打っていませんが、1年程前には向う先で勝っているからそのコミュニティにいったら私も超高段者にされてしまうかも知れない・・・
  もしかしたら、ありがた迷惑なんだけれど、「郷に入っては郷に従え」なのか
案外好い気持ちで、自分が強くなったように錯覚するかも・・・恐ろしい
 井の中の蛙、お山の大将、鳥なき里の蝙蝠・・・いろんな言葉がある。
  幸いこのコミュニティには強い人がいて、その方はそういう段位を名乗らないから、ここはインフレに陥らずに済んでいます。
 マアAさんも自分でも段位が間違いだと分かっていても、回りの人の気持ちを配慮しているのでしょう・・・彼は人が好いから

 今日時間調整みたいなもので観戦していたのですが、私の横に顔見知りのお兄さんが座って、誘われたので断り切れませんでした。
 彼は中国出身ですが、生活に困らない程度には日本語が話せます。
  囲碁の方は、恐らく本国で憶えたのだろうが今発展途上です。
 彼のここでの囲碁のお師匠さんはいるのですが、その先生はあいにく他のお弟子さんと打っている・・・と言うことで、私のところへ来たのです。
 私は「石を持って打つのは久しぶりだから、あまり沢山置かないでね」と対局開始
 結局4子で始めました。
  このくらいが丁度好いかも・・・しかし彼の棋力にしては(そういう言い方はおかしいかな)よく考えるから、もしかしたら3子かもしれないし・逆に読みぬけもあるから5子かもしれない。
 そういう意味で4子くらいかな?
  しかし4子5子の白番は私が苦手な置き碁ですから、かなり慎重になります。
 2局打って1勝1敗でした。
  さてどうするかなと見ていると、彼が黙って石を置いたので3局目に入った。
 自然にそうなった感じです。
  でもマア指導碁的・お付き合い的な対局ですが、勝負となったら負けたくは無い・・・但し白としては変な手も打てない。
  いくつかの碁盤を覗いているギャラリーもいる・・・だからというわけではないけれど負けるならば堂々と負けなくてはいけない。
 勝つとしたら、「こちらは普通に打っているのに、黒が間違ったから負ける」そういうイメージでしょうか。
  白が勝つのではなくて、黒が負ける>同じ感じですが、打っていて少し違うと思っています。
 そんな気持ちで、3局目は白の1手目は天元で行ってみました。

さてリアルの碁を打つのは久しぶりですが、打つほうは何とか普通ですが
 地を作る時、整地作業が今一自分の手の感じがしない。
  今日は3局打って全部中押しでの勝ったり負けたりだから「整地」は無かったのですが、最後に石を片付けて碁笥に戻す時、何だか「もどかしい」感じがする
 これは数年前に倒れて以来の感覚で、以前より悪くなったということではないが何年か経ってもあまり良くなっていないという苛立ちはある。
  普段はネットですから自分でも忘れているのですが、リアルでは手作業は避けて通れませんから直ぐに気づかされてしまいます。
 打つほうは今はサウスポーに変更して、「打つ」よりも「置く」プレイスタイルだから打つ時は違和感は感じない。
  普段パソコンのキーボード以外に、仕事ではボールペン、サインペン、鉛筆、マジックなどで手書きすることが多くて、それは何とか人並みに出来ているつもりですし、書いている時に手に違和感は無い。
 しかしもっと大まかな仕事のはずの”整地作業”は下手なままです。
  鮮やかな手つきで打つ人、整地がスムーズな人、碁笥に石を戻すのが早い人・・・対局の内容と同じくらい羨ましいものです。
 相手に笑われない程度にはやっていますが、じれったいことです
   

通学風景

2007-02-17 05:22:17 | Weblog
 私はおもな通勤手段は自転車です。
 それで、通勤の約6割の距離までに・ほぼ初めの20分くらいのところまでに中学校が3つあります。
 家を出てすぐのところにある中学の近くを通る時は時間も早いので、生徒たちも余裕があって、小さなグループで楽しそうにおしゃべりをしながら通学しています。
  そこから自転車で約10分くらい離れた中学のところでは、あまり生徒と出会わない。
  ここは通学時間が早いのか、もうこの時間には殆どの生徒が登校しているように思えます。
  その隣の中学・・・ここの通学風景が面白い
   いや、面白くもなんとも無いことを私が面白がっているだけです。
 私が面白がっている理由は昨年のことから話し始めなくてはいけません
去年私がここを通る時は、多分登校時間ギリギリだったようだ。
 というのは、学校の門のところに(多分)教頭先生らしい人が立っていて、私とは毎朝顔を合わせる顔見知りで、いつしか会釈を交わす程度の関係になっていた・・・話したことは無いのですが。
 この先生は、通学してくる生徒と朝の挨拶をする・・・そして時間が来て、全員登校が済んだと思われる時点で門を閉める。
  ところで、私はその先生が待っている門のところを通過するのだけれど、その50mか100m手前で追い抜く生徒がいた。
 毎日、同じ生徒です。
  かなりしっかりした子のような気がする(歩き方で?)。
   いつも後ろ姿だけで横顔も見たことは無いけれど、そういう印象です。
 追い抜く時に見ようと思えば横顔くらいは見えたはずだし、見ようと思えば追い抜いてから振り返ればいい・・・しかし相手は女子生徒ですから、おじさんとしてはそんな胡散臭いことは出来ません。
  さてその彼女いつも、決して慌てている風は無い
 片手に鞄を持って常にマイペースで歩いているのです。
  つまり、いつも最後の登校者であっても、遅刻はしない自信があるのでしょう
門で待っている先生も、「この生徒が来たら全員お終い」みたいで待っていたような気がします。
  それが、去年の4月・・・つまり今年度になってから状況が一変した。
 まず、彼女がいなくなりました・・・多分卒業したのでしょう。
それで、去年までは彼女が最後の登校者だったのが、今年はその日によって違ってきているようです。
 恐らく、その年の最高学年・・・3年生が登校時間ギリギリのようですが
  去年の彼女が走っているところは見たことが無い・・・ということはギリギリであっても歩いて通学して遅刻しないということでしょう。
 ところが今年の風景は、私がここを通りかかる時にたいていの生徒が走っている。
  大勢の生徒が走らなくてはいけない時間帯で通学しているらしい。
 今年はこの学校を通り過ぎたところで、いつも走ってくる女子生徒とすれ違う
こういうことが続くとまるで日課みたいです。
 毎朝走らなくてはいけないということは・・・
  
ところで、心の中で小言を言いたいような気分になって・・・
 私も高校の時などは同じようなものだったことを思い出した。
  夜中に起きていて、眠るのが早くて朝5時、起きるのが8時10分前
 それでも朝飯は食べる。
  身支度して8時10分には家を出ればセーフ
 高校まで歩いて7、8分・・・8時20分までに高校に着けば後は階段勝負
職員室が2Fにあり、教室は4Fなので、職員室を出た先生が教室に入る前に階段で追い抜けばまさに滑り込みセーフ
  こういう日常だったのだから、いくら年をとって・昔のことを誰も知らないとはいえ人のことは言えない
  しかし自分のことは棚に上げてもわが子にはお説教を垂れなければいけない時もある・・・そういう時が心の中ではつらいものです。

 通学風景でいつも昔の自分の姿を見ているのかも知れません。
そして囲碁でも似たようなことがあるのです。
 同じ趣味で碁の道で後輩に当たる人に、結構鋭い批評をしてしまい、言った後でしまったなどと思うのです。
 人の碁について言ったことは、結局自分に言っていることが多いのです。
例えば、自分の好きな定石、序盤の形などを打つ傾向がある・・・
 それが局面にマッチしていれば問題は無いのですが、「好き」が優先することがあるわけです。
 局後に「アレは損な手だよ」と批判を受けても、もともと善悪ではなくて「好き」で打っている手・・・繰り返し懲りずに。
 確信犯的アホです。
  そして、良い悪いを判断できずに、無自覚的に繰り返す・・・
   こういうのを「弱い」というんですよね。

毎朝わかっていてもギリギリの時間で走って登校している生徒を笑えません
 しかも私の場合は、三分の一は遅刻していたのだから・・・
  階段勝負で勝率6割6分という風には見てくれるはずが無いから、高校から父兄に呼び出しがあって母が謝りに行く役でした。
  囲碁に関して、こういうムードは変わっていない
   尤も、囲碁では結果は全て自分に返ってくる。 

負けパターン

2007-02-16 00:43:34 | Weblog
 寄せては返すさざ波・・・ならまだ良いのだけれど、時には板子一枚地獄の底へ引きずりこまれそうな大波も来る。
 ネット仲間というか(名前しか知らない)顔見知りのMさんなどは、やや私と似ているが、アチラの大波は持ち上がる時も凄い高さまで持ち上がる。
 うかうかすると2つは置かなくてはいけないかという勢いです。
  マアその逆もあるわけで、「Mさん、向う先で逆コミは困ります」と愚痴を言いたくなるときもある。
  ともかく、上にも下にも大きく動く。
 さて私の場合は上に行く大波は無い!!
  少しずつ上がっていって・・・ドンと落ちていくのです
   この間も例えたように、砂丘の崖登りです。

さて、勝った数と同じくらい、当然負けたことがある。
  それで勝因を考えると、口に出すのはおこがましいというか、「勝因」なるものがあるのかどうか疑わしい。
 反対に、相手の敗因とか私の運が好かったところはある
  ということは、少なくとも私に限って言えば「勝った時に、好い気持ちで勝因らしきものを振り返ろうとすることは間違い」ということです。
  実際に棋譜を再現していくと、「ここでこう打たれたら逆にやられていたかも」とか「相手が急戦に来ないで、ジックリやってきたらどうなっていたかわからない」などと背筋が寒いことは日常茶飯時なのです。
 これは決して謙虚さとは関係なく実際そうなのです。
   ということは、中盤以降で「必勝手」というものが存在する場面はあるかも知れませんが、一般的には必勝手は無いでしょうね。
  そういうものが布石段階にあったら、つまらないゲームになってしまうでしょう。
  必勝手は無いけれど、その反対に「負ける」「形勢を損じる」手はある。
 「常に悪手になりそうな手」「その場面ではよくない手」・・・
あるスキルを身につけて棋力が上昇することもあるかも知れませんが、実際には「負ける手を排除する」事が上達には重要のように思います。
  
 そのような偉そうなことを吹いていますが、実際には同じような敗因を繰り返しているようで内実は大変情け無い
① 緊急性の低い手を打つ
   何か碁盤のどこかにこだわりがあったり、打っても相手は困らないのについ打ってしまったり。
  手抜きされて困ったり
② 大きな手を打ったつもりが他にもっと大きな手があったりする
③ 狙いを重視しすぎて、取り返しのつかない犠牲が大きすぎたり
    犠牲を顧みずに取りに行って、取れなかったり
④ 尻尾抜けに気がつかず攻め続けたり、自分の石が切れているのに気がついていなかったり
 全く情け無いものです
こういう失敗を何年も繰り返していることになる・・・
 懲りない人間というか、進歩が無いというか。
  しかし考えてみると(考えなくても)こういうパターンは弱い証拠
   弱いのだからしょうが無いけれど、森の石松=馬鹿は死ななきゃ直らない
  死んでも直りそうも無いかな?

「足が遅くてもしっかりした手」と「とりあえず足早に展開」の区別をする”心がけ”の気持ちはあるけれど、実際に適正かどうか
 気持ちだけが先走っていたり、なにやら意地みたいな手だったり
  そして相当に状況が悪くなって「結果はともかくやるしかない」という状況になった時には逆転の可能性は限りなく0に近い。
 
  そういう恥ずかしいことの繰り返しですが、中でも最近多いのは・・・
 相手が考えている間に当方も考えて(?)いて、相手が打った時その手と関係なく、自分が考えていた次の手を打ってしいてまうのです。
 つまり、相手の手を見ていない!
   どこかで勝手な進行を描いている・・・
 全く自分で自分に「困ったジイサマだ!」というしかない。 

ああ5連敗

2007-02-15 04:48:34 | Weblog
 ここのところかなり調子が良かった。
 とはいっても、自己MAXの点数に4点差まで迫っていることは先日話ましたが、そういうことは点数制ですから瞬間風速的なこともあるのですが、
 自己MAX-4点からー6点の間で動いています
  この狭いゾーンで安定できるならマズマズかもしれないのですが、人間の欲はきりがないというか、「這えば立て・・・」ではないけれど。
 これは水前寺清子ではないが3歩あゆんで2歩下がるに似ているが、それよりもっと微妙な動きです。
  2歩上がって2歩下がるのを繰り返していたのです。
 これは砂丘の崖を上るようなもの
砂丘の上にもう少しで上がれるところまではいくのですが、後少しのところで足元が崩れてしまうのに似ています。
 これってもしかしたら蟻地獄みたいなものかな
  さてこういう状況が続くと、この辺りに点数があるのが”普通”だと思い込むわけで、なぜあと少し勝てないのか焦りに似たような気持ちになる
 およそ、ザルとは言え碁キチなら、”楽しんでいます”と口では言っても本音のところでは、「今より少しでも強くなりたい」でしょう
  それは老若男女皆同じでしょう。
   年令とか今の棋力で、目標は違うでしょうが・・・
 私の場合は特に具体的な段位ではなくて、ともかく今より半目でも良いから強くなりたい・・・
  半目というのは置石の半石ではなくて、コミで半目でも好い
 実際には点数制で打っているから点数の最低変動幅「1点」でもです
そういう中で貴重な1勝を挙げて、取り敢えずの・目前のピークにあと3点というところまで来ました。
  こういうチャンスはこの半年くらいは無かったことです。
 「時は今」(明智光秀みたいな言葉が浮かんできた・・・それが良くなかった)
丁度世の中3連休で私は火曜日も休みだから4連休。
 気持ちは「勝負!!」ですが
得てしてこう時は結果は期待を裏切るのです。
 考えたら私だけが連休ではないのですから・・・少なくともこのネットに集まる人はいつもより多いのです
  見事に5連敗!!!
 時間があって、気持ちが入れ込んでいるのだから、2連敗くらいで冷静に様子見にチェンジするのは難しい。
  連勝は難しいけれど、連敗に歯止めがない感じです。
 こうなるとやけになって「毒皿」気分です。
5連敗はあっという間ですが、仮に5つ勝ち越すに5勝4敗を5回繰り返すくらいの覚悟は必要になる。
  ともかく5連敗で1つ楔になるか?1つは勝てた、この後の1戦に負けるとまた5連敗を繰り返すような気がして暗くなりそうだから、気分としては次の1戦が一つの山です。

 さて点数製で打っていると、こういう危うい変化は日常茶飯事ですが・・・
  最近はご無沙汰しているタイゼムでは段級差で打つ形
 そして同段、一段上、一段下くらいの相手と対局して20戦で7勝13敗=勝率
.350ならランク維持、逆に13勝7敗なら昇段を逃す。
 ということは原点0として+6かー6の範囲ならば段級位維持となる
  これは1戦ごとに点数が変わる制度と幅を考えると似ています。
ところで、タイゼムの時に不思議なことがありました。
 (ヘボだから不思議でも何でも無いのかも知れないけれど)
  成績不振で降段する・・・これは20戦単位の中での成績ですからあること
 あることだけれど、下がってもそこで維持するとか、元に戻るのが普通のはずですが・・・私は、もう一つ突き抜けて2つ落ちたことが2度あります。
 その都度、2回とも連続昇段して元に戻った。
  こういう温度計みたいというかボウフラみたいという変化は自分で考えても余りまともではないような気がしている。
 そして自分でも「おかしく感じるのです」が
  このように2つ段が下がるということは、三つの段を行ったりきたりしていたわけで・・・
 そういう時一番上の段の時が「自分に本来の姿」みたいに思い込むことです
  だから2つ下がった時は元に戻ることを「原点復帰」みたいに思うことで、2つ下がった時が原点に戻ったとは思わない。
   
 さてさて5連敗してやっと1つ勝ったところ。
  次が問題です 

B型

2007-02-14 00:40:17 | Weblog
 今日は朝から好い天気で日の光に溢れていて、湿度も低いようです。
 これは普通なら季節の中で最高の日になるのですが、私にとっては少々気持ちが思いのです。
  暖冬ですから花粉の影響は多少あるから少し鼻水が出たり、目がさっぱりしない・・・それはマア好い、毎年ですから慣れて来ている。
  私にとって苦手な掃除がやってくるのです。
 私の生活スタイル?では、ベッドで寝て、そこに座って何か書いたり本を読みます・・・寝そべって読むこともある。
  パソコンはキャスターつきの「コ」の字型のミニテーブルに載せてあるから、テーブルはベッドの上で、キャスターはベッドの下も出来るから、あたかも病院状態でパソコンが打てる。
  確かに持病があるので名実ともに「病人生活」
 そしてベッドの背後にミニ本箱を置いておき、ベッドサイドには固定式のミニテーブルがあるから、手を伸ばせば読みかけの本にもメモ用のノートと筆記用具も届く範囲です。
  これが私のスタイルだと自分では思うのですが、家族・とりわけ女房殿には「なんともものぐさ」で「不清潔」な生活をしていると思われている。
  私だって外の空気は嫌いではないから、時々は窓を開けて空気を入れ替えているのですが、その程度では許してもらえません。
 ですから、休日でこういう天気の日は必ず「掃除」がやってくるわけです。
  窓は大きく開け放たれ、ベッドの布団類は日や風に当てるために持ち去られてしまいます。
 更に掃除機をかけたり雑巾がけの為に物理的に邪魔な存在となる。
  まさに粗大ゴミです
 いや、この状態でもここに居座ってパソコンを打ったり、本を読むことは出来るかも知れない・・・暖房の無い状態で我慢できればですけれど。
  この形が30年は続いている
自分の好きなことはかなりの努力・集中力・犠牲などものともせずに取り組むのだけれど、嫌いなこと・やりたくないことは梃子でも動かない。
 勤め先などで、自分の信じていることについては損得を気にせず・・・
  要するにものぐさだけでなく、単なるアホなんですが、その因ってくるものは血液型・B型ということになっている
 たった4つの血液型で全てが決まることは無いのですが、マアお遊び的話として聞いています。
  組織で嫌われる?、他の人と”合わせる”気が無い。
 やることは相当なことを集中してやるが、その気が無いものは決してやらない
   成る程その通りだ!
 最近は家の外では多少”丸く”なって、合わせないまでも邪魔にならないようにすることは出来るようになったけれど。
  もしその原因が主としてB型ということならばそうなのでしょう。

 好きな囲碁のことならば、かなり遠くでも出かけたり、知らない人の間にも入っていきます。
  これは囲碁と関係なければ出来るだけやりたくないことです
   それほど多くも無い小遣いも囲碁に関する費用なら、あまり惜しいとおもは無い・・・だから碁会所の席料・囲碁に本の代金などはほぼ必要経費で、その他は例え食費でもそれらの余りで考えること
  マア酒は飲まないからその方の付き合いも少ないし、10年以上前からタバコも吸わないから・・・
  それでも「付き合い」という思考回路が無いか希薄なのもB型のせいだと思われている。
  それはあるかも知れない
 私の亡くなった父などはB型で”飲む””付き合う”方に血液型因子が働いたのだろうか
  マアB型に起因するものがあるとして、何に作用するかで変わってくるでしょう・・・私の場合は「囲碁」「読書」などは+方向に、掃除洗濯などはマイナス方向に働いているようです。
 洗濯は過去30年で、止むを得ない時に2,3回やったかな?
  掃除は・・・記憶に無い
 自慢できることではないのですが事実です。
  
しかし考えると・・・夫婦ともB型で、娘も息子も全員B型でした。
 だから皆の持っているベクトルの方向が違っていることが多いから、揃って何かをやることはめったに無い。
  そういうことだから、掃除をやりたい女房殿が自分の意志を通して私の部屋を掃除しているということだろうか?
 チョッと都合の好い解釈だろうな
  ま、しかし自分の部屋の掃除中に、ノートパソコンを抱えて居間に避難してこの話を書いています。