読書の森

物語を読むのも書くのも大好きです。読書感想、創作、エッセイなど綴ってまいります。

東京オリンピック、1964。

2017-05-19 21:29:18 | エッセイ

1964年(昭和39年)の東京オリンピックは、半世紀以上経った今も私の記憶に生々しく残っている。

実際、都立高の特別授業としてオリンピック会場で陸上競技を観る事も出来た。
恐ろしく遠い席で観たも競技は美しい色合だけが印象にある。
第一、誰が何をやってるかは、情報機器が何もない当時全くわからなかった。

今から考えると、生でオリンピックを体験したという事は非常に豪華な思い出だった。



テロを危惧する事もなく、高度成長期真っ盛りの日本でオリンピックを開催するのは、現在よりよっぽど容易だったと思う。
当時の日本人の殆どは冷めてなかった。
まさに熱狂の連続で、日本は次々とメダルを持った。
池田勇人首相の時代である。
日本人はオリンピックによって達成感と誇りを持つ事が出来たと思う。

敗戦で何もない時代からのオリンピックの大成功はその後の日本の位置を形作ったと思う。

時代は動いていた。



しかし、その時私たち高校生は時代が動いてるなんて意識はサラサラなかった。

青春とは常に何らかの欠乏感があって切ないものだった。

オリンピック会場で友人は盛んにノートに選手の服装の色合いを記していたが、なんかつまらなそうだった。
私もせっかくのオリンピックにワクワクとは出来なかった。
憧れの男子と観られたら多分随分印象が違ったろうなと思う。

時代の渦中に置かれるとそんなものである。
ただ今の時代と全く相違した価値観はあった。
オリンピックで刻み込まれたのが「根性論」だった。

優勝した女子バレーボールの大松監督のスパルタ訓練が持て囃された。
信じられない程ストイックな練習の成果が尊ばれた。
今ああいう訓練をしたら顰蹙を買う程過酷なものだった。

多分昭和39年の東京オリンピックが私に教えたのは、自分の限界ギリギリまで努力すると何らかの成果は得るという事だ。
こういう考え方が正しいかどうかは時代背景によると今は思う。


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