読書の森

物語を読むのも書くのも大好きです。読書感想、創作、エッセイなど綴ってまいります。

『青春の墓標』の中の青春 その4

2017-07-11 20:12:12 | エッセイ


当時の大学生、特に女子は政治意識の高い人が多かった。
つまり『青春の墓標』の彼女の様に知的で良心的で懐疑的な友人はいた。

戦後は終わったといえ、当時の学生は最もリベラルな教育を受けた者が揃っていた。
難解なマルクス、エンゲルスを読むと進んだ人間に見られた時代である。

左派の思想を齧る事は抵抗がなく、逆に意識の低い人間を程度が低いのと同一視する点も見られる。これが所謂団塊のエリートの主流をなしていた。

勿論、ノンポリは多かったが自分の将来の為に意識的に避けた群れだった。
学園紛争の時、デモに誘われると嫌とも言えず参加したノンポリもいた。

不謹慎過ぎるが学生運動は流行だったとさえ思える。
それはごく少数の本気で世の中を革新的に変化させようとする若者と、その考え方を「いい事らしい」と漠然と考えて、デモに参加するその他大勢だった。

そして、むしろただのノンポリ以上に、学生運動を真剣に考えた人が転向して、資本家として成功した人間が多かった、それは私たちの仲間にもいた。



ただ、広まるに連れ学生運動は先鋭的で怪しげに変化した。
派閥が多く、暴力的行為がのさばった。

内ゲバがあったという話を民青の部室で何回も聞いた。
同じ日本を若者の力で良くしていこうというのなら、何故一致団結出来ないのだろうか?
それが私の単純素朴な疑問だった。

それは政治意識がまるきり分かってないバカだとあしらわれる。

文学や芸術や、繊細な心理とほど遠い理論を面白げに操り、青春のエネルギーのはけ口を暴力にやつす、私には彼らがそう見えてしまった。
民青は一番暴力的でない組織であったが、肌に合わないと私は一学期で退部した。

退部するにしても、何故政治意識を高めようと努力しなかったのか、未だに後悔している。
そうすれば、後に起こる個人的問題をより広い視野で考えられたと思うからだ。

学生運動家の中でも、恋が生まれて結局恋も革命も失って挫折した女子を私はずっと見てきた。
学部も違い話した事もなかったが、学内で日常的に起こるデモの真ん中でマドンナの様に輝いていた人である。

バラ色の頬と大きな澄んだ瞳としなやかな身体付きは、嫉妬の念が起きる程際立っていた。

しかし、1年後彼女は別人の様に痩せてそそけ立った顔をして仲間らしき女性に支えられていた。
虚ろな目は何も見てない様だった。
「理想が死んだんだ」直感的にしかもちょっと意地悪な気持ちで私は見てしまった。

今、その彼女に『青春の墓標』のイメージが重なっている。

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