読書の森

物語を読むのも書くのも大好きです。読書感想、創作、エッセイなど綴ってまいります。

冤罪

2017-05-16 14:22:21 | エッセイ


松本清張のヒット作の一つに『霧の旗』がある。
してもいない罪に陥れられて無念の中で死んだ兄の敵をとる美少女が主人公である。

このような冤罪をテーマにした物語は多い。
又、この世の中に冤罪を被り、身を滅ぼす人が想像以上に多いのは確かである。

痴漢行為とかセクハラとか暴行とか、実際に本人が知らないところで通報者がいて成立する犯罪がある。
公が調べれば大丈夫と言うのは間違い、公が勘違いする事は意外とある。



私は冤罪というテーマに興味を持ち、実例を並べた書物を読んだ。

一つ例を挙げよう。
独身女性が行方不明になった時、最後に残した携帯記録の男が疑われた。

その男は自営業の妻帯者である。
不倫を清算する為に交際相手を殺害して何処かに死体を隠したと警察は先読みした。
他に疑いをかける人間が居なかったからだ。

彼は過酷な取り調べを受けた。
しかし、確かなアリバイは無いし女と別れたかったのは事実である。
そんな事はしないと叫び続けても、犯人は必ずそういうと責められる。
朦朧した頭で本当は殺したのかもと迄思い出した。
心身共に憔悴した彼の噂は噂を呼び商売は廃業に追い込まれた。
ただ女の死体は何処からも出てこないし、行方不明になって生きてる可能性もある。
とうとう警察が諦めた時彼は廃人同様になっていたという。

実例としてこのような例が何件も見られる。
疑われた人間こそ被害者であるのに、一旦警察に疑われたという過去が世間的に彼を苛んでいる。

これを理不尽と言って何が悪いだろう。



事実を確認もしない内から、最初から疑ってかかる愚を避けて欲しい。
パソコンの記録に残っていても、それが人の記憶と異なる事はしょっ中である。

パソコン上に残った言葉の方が必ず真実となる今の世の中は疑問だ。
本人はその後別の考えを心に持ち、それに従ったのかも知れない。そういう想定がなぜ出来ないのだろうか?
心のない機械に全権を委ねるほど危険な事はない。

私が一番危惧するのは冤罪を作る事以上に、白か黒か上から告げられると、単純に白とも黒とも判断する人の頭の構造である。

見た目が全てではないし、人の噂が全てではない。

ありもしない誤解があったとして、本人が晴らそうとすればするほど、本人を窮地に陥れる社会構造は改めて欲しい。

まずクリアな立場から人を見る事であり、既成概念を捨てる事は大切である。

私が今まで言ったのは、現代のネット社会にある盲点、情報が驚く程早く伝わる為に真偽が定かでない欠陥への危惧だった。

本人自身の言い訳を拒否する頑なさが大人の対応ではない。
世の中の出来事は単一ではない。

それだけの深さ襞を持てる大人でありたい。




当ブログは、共謀罪の批判ではありませんし、最近増加した痴漢行為の誤認逮捕に対する批判でもないです。

警察の取調べが過酷で言った犯人を真犯人としてしまう批判でもありません。

人間の細やかな感情を無理矢理単純に方向付けする考え方が、今の時代蔓延ってると思うのです。

1番怖いのはAじゃなければBという一様な考え方をする単純さです。
人の考え方を俯瞰するのは世の中を俯瞰するより難しいです。

人の脳内がそんな単純構造であって良い訳はないのです。
自分の脳で思考していきましょう。
言われた事を一旦咀嚼しましょう。

自戒を込めて提唱します。
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