読書の森

物語を読むのも書くのも大好きです。読書感想、創作、エッセイなど綴ってまいります。

角田光代 『八日目の蝉』 最終章

2017-08-09 10:30:41 | 書評


この小説は一見母性について問いかけてる様に見える。
しかし、今の私にはそれを通り越した人間の愛の在り方を書かれた印象が強い。

愛する人の子供だから、自分の子でなくても、愛しいのではない。
自分の子供でなくても、子供が愛しい事はある。
人は愛しいものが欲しい動物だとも思う。
愛し一緒に暮らす対象が欲しい、それは男も女も一緒の心理ではないか。


情愛に恵まれなかった子供が、親になり子育てする事によって精神的に満たされる例は多い。


角田光代はこの作品において、女の持つ母性を純化した形で書いたと思う。






希和子の取った行動は客観的に見れば、愚かで衝動的にしか見えない。
惨めに描かれていないのは、自然に溶け込む描写の豊かさによる。
ここで描かれた瀬戸内の海は見事である。

「茶化すみたいに、認めるみたいに」光る海は、憧れた母の愛そのものに感じる。

希和子は「がらんどう」と言われた苦しみを埋める為に罪を犯してまで子供を誘拐したとも見える。

人は多様な不幸を負っているが、広い視野で見ると、誰でも不幸の欠けらは持っている。

様々な人の様々な想いを海は呑み込んでくれる。
瀬戸内の小島の海を描くラストシーンが私は好きである。


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