読書の森

物語を読むのも書くのも大好きです。読書感想、創作、エッセイなど綴ってまいります。

宮城音弥 『天才』 その2

2016-11-04 22:06:41 | 書評


天才が異常だと言っても、当然その逆は真ではない。
異常な人の殆どは天才ではない。

異常性を持つ事は普通の社会生活を営む上でかなり困難を生じる。
天才と違う人はここで有り得ない妄想に浸るだけになる。

しかし天才は激しいエネルギーを生まれ持つ為に、自分の中で創り上げた世界を実現する事に邁進する。
ガリレオもルソーも人と相容れず不遇の内に死ぬが、彼らの妄想と言われるものは実は真実だったのである。

彼らの自分の意見に固執する態度が、周りの人にとってかなり迷惑だった為に、妄想と取られがちだったのだろう。


そういうメカニズムがあったにせよ、本著で挙げられた天才は皆狂気を孕むとされる。
しかし、宮城先生の分析は言わば結果論である。

ここで、天才の育った環境や愛の歴史は掘り下げられていない。
ただ、注目すべきは強いコンプレックスが創造性を刺激するという推論である。
そのコンプレックスが異常性をも生む訳である。

天才は又自分の異常性に無知ではない。
自分がおかしいと危ぶみつつも、内なる欲求を推進していくのである。
分かっていても、その豊かな独創がわく時の異常な傾向が止められないと言う。

ここでかなり首を傾げてしまった。
確かに天才と狂気は結びつき易いが、となると狂気を治療する過程で天才は天才でなくなる訳だ。
この論理でいくと精神科治療は天才を喪失する事になる。
大量に薬を投与して頭をマヒさせた昔とは違う。

例を挙げるのは失礼だが、文化勲章を受けた程優れた芸術家草間彌生さんは天才である。
しかうして治療も受けてらっしゃるのだ。


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