読書の森

物語を読むのも書くのも大好きです。読書感想、創作、エッセイなど綴ってまいります。

心の襞

2016-11-02 14:39:02 | エッセイ


最近の社会は、人の心が隠れる隙間が無くなってしまったと思う。
ネットが行き渡り、情報が容易に得られる時代である。
人の行動は多くの目でチェックされて、有名人のスキャンダルは直ぐに世間の明るみに出る。


管理の対象とされた人は、裸身を公衆の面前に晒している様なもので心の休まる暇は無いだろう。
「それは犯罪から人を保護しているのだ」と言われるかも知れない。
それなら、何故以前殆ど起こらないかった狂的な事件が頻発するのだろうか?

先日、72歳の元自衛官が家庭の不和や金銭的問題があるにせよ、不特定多数の人間を巻き添えにする為に自爆した。

「誰でもいいから殺したい」という殺人事件の続出は、つまり他人は、皆敵対する相手だという意識の表れで無いだろうか?

自分の周りは敵ばかりと言う平板な感覚が支配してる様に思える。

それはやはり今の個人情報を探り出す社会に一因があると思えてならない。



大上段な話をするが、まさか私が社会的に成熟してるなんて、思った事もない。
ただ、自分の親が自分を愛しながら憎む事を体感して人が二面性を持つ事を知っている。

だから、どんな仕打ちをされても驚かなくなった。
人間くらい態度が変化する生き物はないと思ってるからだ。

おそらく二律背反した状況に置かれる事が人一倍多かったからこう思えるのだろう。

愛と憎しみとは裏表で、真実の形は一様ではない、というのが今日まで生きてきて学んだ事だ。
一見単純な女の言動しか出来ないが、心の中は複雑である。

たとえば、老母は私の足枷であり、憎いと思う。
しかし、幼女の様に自分を頼る1人で生きる力の無い人間を助けたいと思う。
だからフーフー言いながら介護してる。
母はいい意味でも悪い意味でも非常に無邪気な人なのだ。

男女関係でもそうだ。
私がツイッターで「男女の付き合いはなかった」と言ったのは露骨に言えばSEXをしなかったと言う事だ。
そういう関係に至るまでの過程で苦しんだ事は何回もある。

何故最終段階までいかなかったのかは、失恋のせいでも欠陥のせいでも無い。
複雑な人間関係が邪魔したとしか言えない。



そしてこうして年を経て、弁解をしても人は結果でしか見ない。
今は、事実の表面のみを説明する事が求められている。

実際どれ程金があるかとか、どれ程の恋人があるとか、どういう地位にあるとかでしか評価出来ない世の中というのは歪だ。
その過程が無視され過ぎている。

小説を大好きなのは、こういうあからさま過ぎる平板さがなく、豊かな想像力を展開してくれるからである。

形あるものだけを信じる世の中はおかしな世の中だと思う。
神とか魂を信じるという事でない。
ただ、いくら個人情報を晒しても、心の中まで誰も詮索出来ないと思うだけである。

(^o^)
実はこのブログを作った理由は、現行の公の機関の情報管理の欠陥にあります。
カルテは5年間保存されて、同じ病院であれば科が違っても過去の病歴が生きています。
精神科の病気の場合、それが誤診で本人がたとえ現在その病気でなかろうと病歴が生きるというケースもあります。

別の病院を受診したり、介護者の立場で公的機関を利用すると、早速それが付いて回ります。
私はどれ程の屈辱感を味わったか知れません。

この情報管理の在り方を、より心に対する思いやりのある制度にして欲しいものです。
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