打越通信

日記ふういろいろ

実家へ

2016-07-11 21:21:17 | 日記ふう
2週続けて熊本に帰った。
博多の街は「祇園山笠」で賑わっているが、それを避けているわけではない。
別にあわてて帰る必要もなく、ゆっくりと朝食でもとりながら国道を熊本に向かった。
自宅の打越町に着いたのは午後の1時半過ぎだった。
家に着くなり庭の草取りをしていると、息子が実家に帰ろうと言う。
そういえば実家には今年に入って何回目だろうか、随分と経ってしまった。
熊本から100km、博多からは200km、随分と遠くなってしまったものだ。
地震影響もどうだったのかは甥っ子のジュンから聞いてはいたが、実際にどうだったか見に行くことにした。
梅雨の晴れ間というのか、空を見上げると真夏の空に入道雲が出ていた。
いつもなら松橋インターから九州道に乗るのだが、時間が時間だけに益城インターから高速に乗る。



高速に乗るなり、車線は片側1車線の対面通行になっていた。
左側の通行止めの車線を見ながら走っていると地震のすごさが生々しかった。
通行できる車線も速度制限がかかっており所々に段差があり地震のすごさが残っていた。
完全復旧にはしばらくかかりそうな感じだった。
高速は日奈久から自動車専用道路に接続していて、実家の隣町までその道で進む。
実家に着くとジュンが来ていた。
久しぶりにあうジュンも元気そうで頼もしくなっていた。
さっそく家の周りを見て歩く。
特に地震の影響は外観からは見られなかった。



農機具などを置いている小屋の前のコンクリートにひび割れが出来ていて、サッシの窓が完全に閉まらなくなっていた。



庭は毎年のように雑草が腰の高さまで伸びている。
前回、草刈り機で綺麗に刈ったし、ジュンも3月に同じように草を刈ったという。
わずか3ヶ月でこの有様なのだ。
畑を見ると竹の成長は止まったようだ。
除草剤の効果なのか根っこの方まで枯れてくれたのかも知れない。
家に入りすべての部屋を見て回ったが特に問題は無かった。
風呂場に行き、入れ替えたばかりの温水器の水を入れ替えた。
蛇口をひねると赤っぽい水が流れ、しばらくそのままにして温水器の水を入れ替えた。
窓を開け空気を入れ換える。



ジュンとも久しぶりだったのでいろいろと地震の事など話をする。
しばし話をしてトンボ帰りだった。
親父が亡くなってもう少しで3年になる。
後を追うように母も亡くなった。
同じような経過を持つ従兄弟は実家を処分するという。
確かにどうにか考えなければならない事なのだが、まだ家の整理も心の整理も出来てはいない。
しばらくはこのままにしておく事にする。
そうそう、帰り際に息子が
「保険は無理かな」
そう、息子は保険が出るかを気にしていたわけだ。
それでも息子が実家の家を気にしていてくれたことに感謝するのだ。