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『七脚川事件』から100年 台湾 旧日本軍が先住民族制圧 『仲直りしなければ』(東京新聞)

2008-12-14 00:00:00 | 先住民族関連
七脚川事件』から100年 台湾 旧日本軍が先住民族制圧 『仲直りしなければ』
2008年12月14日 朝刊

台湾の花蓮県吉安郷で、七脚川事件の追悼式典で伝統の舞を演じるアミ族の女性たち。後方は修復された慶修院


 日本の台湾統治時代に、東部・花蓮県の山あいで日本軍と先住民族が衝突した「七脚川(チカソワン)事件」から、十三日で百年。この日に先立って事件の犠牲者を供養する追悼式典が開催され、日台の交流に新たな歴史が刻まれた。どれだけ月日を重ねても、この土地は、双方にとっての「故郷」であり続ける。 

  (花蓮で、栗田秀之、写真も)

 チカソワンとは現場一帯の先住民族の呼び名だ。事件は一九〇八年十二月十三日に起きた。

 国立東華大学原住民民族学院の林素珍助教授(43)によると、日本軍は、勇壮なタロコ族の反撃を防ぐため、同じ先住民族のアミ族を登用して防戦ラインを敷いた。しかし、待遇をめぐるもめ事をきっかけに、日本軍はアミ族に対する武力制圧に反転。アミ族の犠牲者は三十数人とも三百人とも言われるが、正確には不明だ。

 アミ族が追われた七脚川周辺(現在の花蓮県吉安郷)には翌〇九年以降、徳島県の吉野川流域などから日本人の移民が始まり、吉野村ができた。村の中心部には一七年、真言宗吉野布教所が建てられた。

 布教所は戦後、慶修院に名前が変わり、廃屋同然に寂れた時期もあったが、李登輝元総統の時代に「地元の歴史、文化を再認識しよう」という市民運動が巻き起こり、花蓮県政府が二〇〇三年、当時の様子を復元した。

 今年十一月二十二日、事件の追悼式が慶修院で催された。広島県神石高原町、長命密寺の佐伯憲秀住職(84)が供養文を読んだ。佐伯さんは吉野布教所の住職の長男として生まれ、十三歳まで吉野村で過ごした。

 「立派に修復してもらった。こうして故郷に戻ってこられてありがたい。生きている限り、ご供養させてもらいます」と佐伯さん。門の横には額が掲げられ、佐伯さんら日本人僧侶の連名で「和好(仲直りしましょう)」と書かれている。

 一方、「故郷」を追われたアミ族は各地への分散を余儀なくされ、文化の伝承もままならなくなった。自らもアミ族の林助教授は「事件を知ることで、自分たちの言葉や文化、歴史を見直そうという動きが若い世代で高まっている。『七脚川』は花蓮の人、日本人、そしてアミ族が共有する場所。先住民を犠牲にして吉野村があったということは忘れないでほしい」と願う。

 アミ族の現在の頭目ローオフ・カサウ(日本名・村田次郎)さん(73)は慶修院から車で約十分の集落に住む。「事件の話をすると日本人も悲しむから言わない方がいい」と言葉少なながら、日本語でこう話した。「過去のことは思わない。仲直りしないといけないよ」


なかのひと


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