脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」

過去から現在へ、脳脊髄液減少症、体験克服記。

脳脊髄液減少症での「大人の発達障害」類似症状

2012年11月17日 | つぶやき

水俣病の番組の感想については、まだまだ書きたいことがあるが、

最近以前より少しずつアクティブになるにつれ、

いろいろと余裕がなくてブログもなかなか書けない。

 

回復した患者さんたちが、脳脊髄液減少症についてブログを書かなくなるそのわけが

わかった気がした。

結果的に、インターネット上からは回復した患者が消えていき、治らない患者もしくは、悪化した患者、もしくは、今だ闘病中の患者だけが残ってしまうことになり、

その情報だけがまるですべてであるかのような誤解をする人たちもいる。

本当は治った人たちはたくさんいるはずなのだが、

健常者の世界にもどってしまっているのだと思う。

脳脊髄液減少症で苦しんだ患者だったことは過去のものとなってしまって。

 

本当は、治った患者こそが、その回復の過程を

自費出版本でも、ブログでも、講演会でも何でもいいから発信すべきなのだ。

でも、それがなかなか難しいことも理解できる気もする。

 

さて、昨日、NHKバリバラの「大人の発達障害②」を見て、

本日、録画したあった、11月9日放送のNHKバリバラの

「大人の発達障害①」を見て、改めて驚いた。

生きにくさの原因が「発達障害」と診断された方々のエピソードの数々が、

髄液漏れ漏れ状態だった、ブラッドパッチ前の私の状況とそっくりだったから。

(「大人の発達障害②」は11月20日の深夜0時30分~再放送されます。)

また、

来週11月23日金曜日には、

以前このブログでも記事にして紹介した、

障害者の

「セックスの悩み①」

NHKEテレでアンコール放送されますので、ぜひご覧ください。

 

過去記事はこちら

 

 

たとえば、物忘れ。失くしもの、しまい忘れが多いこと。

たとえば、片付けができない。どうしていいかわからないから散らかり放題の汚部屋になること。

たとえば、一度に二つのことを同時にできないこと。

何かをやっている時に、突然声をかけられたり、電話がなったり、チャイムがなったりすると、

頭が混乱してパニックになること。

何かやろうとして、そのことをやろうと行動した直後に他の目に入ったものに注意が行ってしまい、

それをやってしまい、またその途中に他のことに注意が行ってしまい、もともとやろうとしていたことを忘れてしまうこと。

それに、以前見たテレビで、自分の興味のあることばかりを話してしまい、相手の話を聞こうとしない、空気を読めないという特徴がある、

音に過敏、

手先が敏感で触覚が過敏、手先が器用に動かせない、という発達障害の特徴を聞いたが、

それも、かつての私にあてはまる。

 

「発達障害」という名前をつける前に

脳や脳神経の障害と考えれば説明がつく。

 

とにかくかつての私に似ている。

でも、私は生まれつきの発達障害ではない。

交通事故による、脳脊髄液減少症によって、そのような状況になった。

こうなったのは、私がだらしがないからでも、

努力不足だからでもない。

脳の機能障害だったのだ。

それが証拠に、ひどかったそれらの症状は現在は治まり、次第にいろいろなことができるようになってきている。

 

 

「大人の発達障害類似症状」に見舞われていた当時、私には起立性頭痛の症状はなかった。

でも、RI検査のRIのカウントで、髄液漏れと診断され、ブラッドパッチ治療を受けたら、

私の「大人の発達障害類似症状」は改善していった。

これは何を意味するのか?

 

発達障害と診断されている人たちの中に、何らかの脳機能の障害があることは事実だろう。

 

でも、その脳機能の障害はすべて「生まれつきで治らないもの」という先入観はありはしないか?

もしかしたら、

生まれつき、脳脊髄液の循環状態がうまくいかなくて、あるいは漏れていて、

髄液が常に減少した状態にある脳環境の中での脳がうまく機能できなくて、

でも、起立性頭痛とか、身体症状はほとんどないために、誰にも脳脊髄液減少症が疑われず、

 

そのために、誰も、「髄液と関係のある脳機能障害」「回復可能な状態」だとは考えないで

「生まれつきの発達障害」とひとまとめにされてはいないか?

 

「治療で治る症状」の人が放置されてはいないか?

 

小児科医にも、

精神科医にも、

脳脊髄液減少症の特徴が、知れ渡っているとは思えないから、

きっと見逃され髄液漏れ患者は、いろんな分野に散らばっているような気がする。

たとえば精神的なことが原因での不登校とl決めつけられてみたり、

たとえば周囲からはひきこもり青年と見られていたり、

たとえばうつ病と診断されて

方向違いのカウンセリング治療や、投薬治療が行われてみたり。

認知行動療法がもっともらしく行われてみたり。

たとえば、起立性調節障害と診断されてそれの治療がされてみたり、

更年期障害と診断されてみたり、

そして、

大人の発達障害と診断されてみたり。

 

たとえば、起立性頭痛がない、

だるさや全身の痛みなどがなくて、

聴覚過敏や触覚過敏などの身体症状が強かったり、

片づけが苦手だったり、

相手の気持ちを読んで行動することが苦手だったり、

物忘れや失くしもの、しまい忘れが多くて、失敗が多かったり、

そのことで、

周囲からダメな人だと責められて苦しんでいたり、

そういう、かつての私みたいな

起立性頭痛のない、髄液漏れ患者だっているんじゃないか?

いえ、いるに違いない。

だって、人間の行動も感情も、記憶もつかさどるのは脳だから、

その脳に何か起こった時、

その症状の現れ方は、人それぞれだと思うから。

 

髄液に関する脳機能のなんらかの障害による症状の現れ方として、

「発達障害用の状態」になる人がいたっておかしくないと思う。

 

それが、先天的なもので治療不可なものなのか、

それとも後天的なもので、治療可能なものなのか、

それを見分けるすべは、

いまだ、充分に医師側にあるわけではないだろうし。

 

言葉をそのまま受け止めてしまい、相手の言葉の裏が読めないとか、

高次脳機能障害の分野の症状が強い、脳脊髄液減少症患者もいるかもしれない。

 

脳脊髄液減少症の診断基準の中に、

起立性頭痛を絶対条件のように組み込まれてしまったことを

「そのうち変わるだろう」と言った甘い考えて受け入れてしまったことは、

結果的に、患者側の大失態だったんじゃないか?

 

これからそれを診断基準から覆すことは難しいだろうから。

 

結果的に、

多くの患者を見逃すよう、見逃すように仕向けられた診断基準が決まってしまったわけだから。

 

現実の脳脊髄液減少症の症状を知っているのは、医師じゃない。

この身で体験した患者だけだ。

患者が、脳脊髄液減少症の真実を伝えないで誰が真実を伝えられるのだ。

 

患者側の医師任せにしないで、真実の脳脊髄液減少症とはどんなものなのか、

自らの体験をそれぞれに伝え続けてほしいと思う。

そして、

早く広く、福祉関係者や、医療関係者のすべてに、脳脊髄液減少症の知識を普及させ、

診断基準がより、「脳脊髄液減少症の真実に迫るものとなり」

 

その患者の症状がどんなものであったとしても、

髄液漏れ患者、髄液が減少しているために起こっている症状は、

絶対に見逃さないで、治療に導けるような体制を作っていただきたい。

 

しかし、こんな年末にまた選挙をやるような、ガタガタした国では、

まだまだそんなことは夢のまた夢なのか・・・・。

 

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1 コメント

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Unknown (うた)
2016-10-23 19:02:12
本当に、現在の水俣病ですよね

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