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SEALDs『民主主義は止まらない』(河出書房新社)/『日本×香港×台湾 若者はあきらめない』(太田出版)―たった一人の個人として― 

2016-10-17 23:21:13 | 書評

 2015年5月3日の憲法記念日に発足した『自由と民主主義のための学生緊急行動』(SEALDs、以下はSと略す)は16年8月15日の敗戦記念日に解散した。元来、安全保障の問題とも不可分である秘密保護法に反対する学生グループSASPLとして出発した彼らだが、15年夏の安保関連法の審議中には、毎週のように行われた国会前での抗議活動に数万人を集め、音楽も取り入れたコールや個人単位のスピーチによって注目を集めた。デモや街宣が有名だが、勉強会・講演会に加えて、動画製作や102冊に及ぶ選書プロジェクトなど多様な活動を展開した(数が半端なのは、2冊が彼ら自身の本だからと思われる)。同法成立後は、「安全保障関連法に反対する学者の会」や「安保関連法に反対するママの会」などと共に「市民連合」を結成し、16年の参院選では、しばしば相互に反目してきた野党4党の間を取り持って政策協定を結んだ上で、32の一人区の全てで史上初めて統一候補の擁立を実現した。そのうち野党系は11で勝利し、元来野党の力が弱いため敗北が目立った西日本の一人区でも、ほとんどの県で統一候補が4野党の比例票の合計を大きく上回ったという成果を挙げたことは、評価以前の客観的な事実である(共闘の効果の明瞭な分析として『毎日新聞』16年7月12付17面を参照。なお共闘がなかった前回13年は与党が2選挙区を除き全勝。そのうち岩手選挙区で当選した無所属候補者は、後日自民党入り。)。

 緊急行動として期限付きで活動することが決まっていたSだが、解散を前にした16年6~7月、著書を2冊出版した。これらの書評を通じて、日本の政治・社会に大きな影響を与えた彼らの業績を振り返り、彼らに対して広く流布している誤解を解くことも課題としたい。

 『民主主義は止まらない』(以下「民」と略し、頁数と発言者名を表記する)は、「社会は変えられる」という小熊英二氏と東京のSメンバーとの対談と、「マイナス3とマイナス5だったら、マイナス3を選ぶ」という内田樹氏とSEALDsKANSAIメンバーとの対談、および三浦まり氏が監修した「選挙を変える、市民が変える」という表題の下、Sメンバーらによる「市民連合とは」「野党共闘とは」などと題された短い論考の数々から成り立っている。小熊氏の「世の中にどういうふうに変わってほしい、どのようにあってほしいと思っていますか」(民44)という問いに対し、メンバーの一人が「一人ひとり違う個性をもった個人が、それぞれの個を大切にしながら、一緒に生きていける社会にしていきたい」(民44、溝井萌子氏)という答えがあり、その理念を実現するため、野党共闘を応援して「『自由と民主主義』の対極にある自民党をどうやって議会のなかで数で上回るか」(民57、本間信和氏)という具体的な選挙に関わる、という流れになっている。背景としては当然、基本的人権を著しく制限していると批判される自民党改憲草案がある。「マイナス3を選ぶ」は、S KANSAIが15年11月の大阪市長・府知事選挙で、苦渋の決断の下、生活保障の削減や病院数の減少、大学の統合などを推進した(民139参照)大阪維新の会の候補者に対抗するため、自民党の候補者を支持した事実に由来する。いかに悪い状況でも、傍観、冷笑するのではなく、「ダメなもののうちで『よりダメでないもの』を選ぶ」(民142、内田氏)、初めから最善の理想世界のみを追求するのではなく、常によりましな世界のために最善を尽くすというリアリズムによる肯定的な姿勢が鮮明に表れている。たとえ自民党の候補者でも、Sをはじめとする勢力の支持を受けて勝利したとすれば、多少なりとも彼らに配慮した政権運営をせざるをえなかっただろう。

 他方、『日本×香港×台湾 若者はあきらめない』(以下「若」と略す)には、Sメンバーらと、香港で愛国教育に反対した「雨傘運動」の中心を担った「学民思潮」と台湾で中国との貿易協定の締結に抗議して国会を数カ月にわたり占拠した「ひまわり学生運動」の活動家との対談が収録されている。 

香港と台湾はいずれも日本よりも遙かに直接的な仕方で中国と対峙しており、香港に至っては普通選挙制すら完全に保障されていない。それ故にこそ民主主義を求める運動が、言論の自由を脅かす03年の香港特別行政区基本法案をきっかけに早くから盛んになった。年齢層はSよりさらに若く、中高生も入ってくるとのことで、驚かされる(若110)。

インターネットを通じて、一国の運動でもリアルタイムで世界中に伝わるため、Sメンバーらも、若者らがデモを主導する姿に衝撃を受け、香港の運動なくして、自分たちはなかった、と認めている(若18)。

他方台湾では、国会占拠後に行われた国政選挙で、ひまわり学生運動から派生した新党「時代力量」が、後に与党となる民進党とも協力し、5議席を得る成功を収めた。

本書を通して、東アジアはもちろん、スペインで独自の政党を結成し成功を収めた「ポデモス」や米国大統領選の民主党予備選でクリントン候補を追い詰めたサンダース候補を応援した若者らの運動を含め、Sの動きもグローバルな潮流の中にあることが理解できる。

 両書ではSの活動が全体的に語られているが、本稿では紙幅の都合もあり、私がSを特徴付ける上で最も重要だと考える側面を中心として論じたい。それは「たった一人の個人として思考し、発言し、行動する」という姿勢だ。これは奥田愛基氏が15年9月に安保法制の参考人として参院の公聴会で与党議員に対して呼び掛けた「グループに属する前に、たった一人の個であってください」という言葉に由来している(SEALDs『民主主義ってこれだ!』、大月書店、127頁から引用)。この姿勢は、「民」を通じても存分に表れている。「私たちSは抗議行動を起こすにあたり、『私』という個人のまま参加することをモットーにしました」(民185、奥田愛基氏)。「去年の夏に国会前の街中の風景を変えたのはSや議員だけではなく、個として立った一人ひとり、私やあなたです」(民207、矢野和葉氏)。

 立憲主義を活動の軸としてきたSだが、このような姿勢は、憲法13条の「すべて国民は個人として尊重される」という個人主義の理念の体現だともいえよう。この姿勢と共鳴する形で、社会運動としては異例なほど、あたかも実存主義哲学におけるように、「孤独」が強調されている。「ひとりで思考する時はとても孤独に感じます。しかしその孤独が重要で、そこからの組織としての立ち上がりは強いものになります」(民175、玉城愛氏)。「『知る』ことはあなたを助け、『知っている』ことはあなたをひとりにします」(民206、矢野和葉氏)。

 先の引用では組織という言葉が使われていたが、一般にはSが組織であること自体が否定されることもある。SNSによるつながりが中心で、名簿すら存在しないため(若124)、「厳密には組織じゃない部分がある」(若125、牛田悦正氏)。「組織よりも個人の方が重要」「Sに依存することを良しとしない」(若105-6、同氏)、「組織になると思考が停止」する(若124、奥田愛基氏)とすらいわれる。組織それ自体が「ちょっとずつ“悪”を産んでいく」(若125、同氏)という洞察からは、Sが既存の学生運動や、組合や政党による運動と比較すると、いかに異色であり、一緒くたにすることがいかに不当な誤解であるか、理解できるだろう。自分たちの利益を防衛し、個人に優越する局面を持たざるを得ない組織への警戒感が、Sを最初から緊急行動として立ち上げ、1年強で解散したことの理由の一つでもあるだろう。これは組織化の重要性を強調し(若107参照)、自ら政党を立ち上げた香港の学民思潮との違いであると思われる。

 日本の政治状況を踏まえるならば、組織優先ではなく個人に徹する在り方こそが、Sが野党共闘の実現に貢献できた理由の一つではないだろうか。彼らも人間であるから必ず好き嫌いはあるはずだが、私が知る限り、何党だから良いまたは悪いといった差別はしなかった。自分たちが個人であろうとしたからこそ、個々の政治家をも個人として見ることができ、政党単位ではなく一人一人をその意見にのみ基づいて評価したからこそ、政党間の分断を乗り越える「ムーブメントを作る触媒」(民63、小熊英二氏)になりえたのではないだろうか。そもそも『民主主義は止まらない』の副題は、ALL THE LIBERALS IN JAPAN, UNITEであった。こうした態度には、若さとは相反するような精神的成熟が見て取れた。

 一般市民にとってほど遠いものだった政治について、十分に学習した上で、安保のみならず学費や貧困の問題など自分たちの生活に直結する課題として公の場で堂々と語る姿勢は、少なからぬ人々の共感を得ると同時に、ネット上を中心にすさまじい反発を引き起こすに至った。私自身、S主催の活動に対し、脅迫まがいの言葉を大音量で流して妨害する街宣車を見かけたことがしばしばあるが、最も代表的なのは、創設メンバーである奥田愛基氏への殺害予告である。ネットの匿名社会の傾向に抗うように、実名で個人として責任をもって発言し、言論の自由を体現するのがSの最大の特徴だが、かつてSのホームページに掲げられていた「自由と民主主義の盾になる」覚悟とは、現代社会では命懸けの行為なのだ(殺害予告などの経緯は、同じ時期に刊行された奥田氏の単著『変える』で詳しく報告されている)。彼らが一部の人々にそこまで憎まれる理由は、「Sが闘っている相手は、安倍政権のようでいて、むしろそういった感覚[注:自治と参加の感覚]がない人たちだ」(若64)という奥田氏の言葉が一番よく説明していると思われる。権力者や専門家へのお任せ、丸投げを是とする人々からすれば、Sの活動の矛先が政権ではなく彼ら自身に向けられているように感じるのであろう。しかしどちらの態度が民が主の民主主義の精神から望ましいかは、明らかではないだろうか。

いずれにせよ、最近まで「高校生の政治活動は望ましくない」という文部科学省の通達が有効だったことに象徴されるように、政治について語ること自体が、場の空気や人々の調和を乱すという意味でも事実上の悪として忌避されてきた日本社会で、このタブーに風穴をあけた業績は大きい。

 解散後もS元メンバーは各地の市民連合や政策提言を行う団体ReDEMOSで活動や発言を続け、16年9月には沖縄・高江の「ヘリパッド建設に反対する緊急行動」を立ち上げた。これからも、あくまで個人として少しでもより良き社会のために行動し続けるであろう彼らに注目し続け、また路上で巡り合うことを期待したい。

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