心にうつりゆくよしなしごと / 小嶋基弘建築アトリエ

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間取りの現実(構造計画から)②

2006年01月22日 | うんちく・小ネタ

さて、前回の続き。前回紹介したような間取りが特別ではないことを紹介しましょう。

上段が2階建ての2階、下段が1階の間取りです。

 今回は都市部でも見られるような規模の住宅ですね。

 

前回同様2階平面図の柱位置を○で囲み、それが1階でどのように載っているかを1階平面図に記入しています。1階図面で○印が1階にも柱が計画されている所、□印が1階には柱が計画されていない所です。斜線/の範囲は2階のバルコニーを図示しています。

 

2階柱43本中、1階直下に1階柱を計画しているものが8本です。上下率≒18.6%ですね。 (・・;)

 

地方と都市部の違いにかかわらず、構造計画に確かな配慮を行って間取りを設計している住宅というのは、残念ながら私の2000棟の構造チェックの経験からでは、少数と言わざるを得ないのが実情です。

 

前回、生意気ながらに申し上げましたように、設計能力が品質合格レベルに到達されていない方が間取りを作成しているのです。私はこれらのような図面をもらう度に、それを描いた”一級建築士”に対して『…だからここに柱が必要なんですよ!』と柱の位置からさえ一から教えていかなければならなかった訳です。

 

間取りがこうも構造計画の配慮を欠いているということは、実際の構造設計となると、もう全く理解していない訳です。これが現実です。

 

国は『住宅の品質確保促進に関する法律』(通称:品確法)を導入して建築基準法を超える品質を持つ住宅の供給を方向付けしたのですが、柱の位置すらまともに設計出来ない設計士に、例えば”壁倍率”ならぬ”床倍率”の概念を持ち出したところで、糠に釘、豆腐にかすがい、のれんに腕押しなんですよね。

 

これだけ無知な設計者が氾濫してしまった最大原因は、教育の不毛なのだと私は思います。

 

木造住宅は日本で一番建てられている建築であるにもかかわらず、大学教育で、まともにカリキュラムに組み込まれていないようです。

 

実際に学生自らが課題で設計した平面図・立面図・断面図といった意匠図から基礎伏せ図・土台伏せ図・1階床伏せ図・二階床伏せ図・小屋伏せ図・矩計図(かなばかりず:断面図を構造図として詳細に描いた図面)・軸組み図といった構造図を描き、それを基に割り箸大の木材を用いて、住宅の構造軸組みを接着剤使用ではあるものの製作している学生というのは、私の知る限り極少数です。

 

私は文化学院という4年制専門学校に学びましたが、それらをカリキュラムとして学習しました。しかしながら大学でそれを行っている学校は極少数のようです。

 

学校で教わらなければ、それが全てのようです、今の人間は。弟子として使って貰い、厳しい修行から体得するなんていうのは、出来ないみたいですね。

 

私の場合、日曜日以外は毎日朝4時半起床で宮大工棟梁の下で使って貰い、技術を”盗み”、現在に至っているのですが、学校では教えないことが本当にたくさんあるのです。また、弟子として使って貰ったからといって、教えてはくれないんですよね。木組み一つ、墨付け一つ教えて貰いませんでした。

 

でもね、だからこそ向上心に駆り立てられていくんですよね。反対に棟梁の立場からすると、学校を出たからといって、実務の右も左も分からないくちばしが黄色い若造相手に、刃物の砥ぎから時間をくれたことに、今この年齢になってみて、本当に感謝しています。『育ててくれたんだなぁ…』と。設計を目指す若い人間も、修行すればいいのに…と私は思うのですが、今、どうなのでしょうか?

 

さて、話が脱線しましたが、構造計画欠如の最大原因が多分これですね。

 日曜日毎に入ってくる新聞の折込チラシです。

 

お好きな間取りでどうぞ』『フリープランでどうぞ』が全てですね。

こういうのを、経済至上合理主義、売れれば正義って言うのでしょう。客のマイホームへの夢をあおるだけあおっておいて、構造上のルールには完全に目をつむる営業手法です。

 

ここで業者のチャッチフレーズの奥の意図を汲み取る気はありませんから、これを信じたとして、建築の素人に間取りという平面計画の設計をさせておいて、平屋建てならともかく、2階建て以上ではまともな構造が出来る訳ないでしょ?

 

『間崩れって何?』という素人やプランナー、設計士が作った間取りが耐震性に富むと考える方が、間違ってますでしょ?今の耐震強度偽装問題は決して他人事ではないのですよ。

 

イラク戦争の日本人人質問題や耐震強度偽装問題で ”自己責任” なる言葉がクローズアップされましたが、これも正にそうで、建築についての知識の無い人間が間取りを考えて(≒設計)しているのだから、いざ大地震時に倒壊して生命と財産を一瞬のうちに奪われたとしても、”自己責任”といわざるを得ないのではないでしょうか。

 

例えば自動車で、『あなたの好きなデザインでどうぞ』と自動車を設計したとして、それが100キロ出た時に走行分解してしまうような自動車を設計したのは誰ならぬあなたなのですよ、といったら分かり易いでしょうか。

 

私は決して建築主である建て主さんの夢を踏みにじろうと苦言を呈しているのではありません。

 

私が言いたいのは、少なくとも建築士法が規定している『木造建築で階数が1または2で高さ13メートル、軒の高さ9メートル以下で面積が100平方メートル以下であれば建築士でなくても設計・工事監理が出来、300平方メートル以下迄であれば木造建築士以上でなければ設計・工事監理が出来ない』ことの遵守です。(というか、この法律も改正の必要があります。現場にいる私は思うのですが…)

 

分かり易く言えば、建築は構造という大変高い専門性をクリアしてこそその間取りや室内外の素晴らしさを担保出来るのであって、そうでなければ、大変危険な凶器にもなってしまうことの現実を直視していただきたいということなのです。

 

過去のブログで私は書きました。『人は大地震で殺されるのではない。大地震によって倒壊する建物によって殺されるのだ』ということを。震災直後の神戸の状況を見た人ならば、心を痛めたはずです。

 

構造というものを熟知した設計者と施工者、伝統大工のことを、そしてその心血を注いだ仕事を信じていただきたいのです。

 

彼らは営業マンではありません。お客様受けするような言葉や対応には不慣れなのですが、出来上がった建物には紛れも無い高い品質が宿っています。それは、世界にも誇れるような、本当に高い品質なのです。