皆さん、明けましておめでとうございます。
代表の久田です。韓国の高校生との交流から帰った翌日の30日夜から、スタッフの久世君、武内君とで「愛知ボラセン 年越しスペシャル」として、くぐなりで年越しをしました。後藤さんご夫婦も参加。
ひっそりとのつもりでしたが、みなさんから手料理をお持ちよりいただき、大歓迎の大宴会に^^
牡蠣、海鼠、鯨、蛸、烏賊の海鮮物、唐揚げ、筑前煮、はまちの唐揚げのマリネ、茶碗蒸し、フィリピン料理の生姜たっぷりの煮物、稲荷寿司、デザートの手作りチーズケーキも。
もちろんおいしいお酒も、大吟醸の日本酒、ウィスキー、ビール、ワイン、焼酎、韓国焼酎、マッコルリと多種多彩!
これまでの私の年越しの中で、最もすてきな年越しでした。みなさん本当に大歓迎ありがとうございました。
紅白を見て、年越しそばを頂き、年が明けて、白山神社、神明神社、金毘羅神社、稲荷神社を参拝。暗闇のくぐなりを歩くのは恐怖感を覚えました。しかし、美しく輝く星々に感動。闇の中での希望を覚えました。
元旦、鮎川では素晴らしいご来光を仰ぐことができました。いっしょに見ていた地元の人も、こんなにすばらしい日の出初めてと言っていました。めったにみられない初日の出でした。ちなみに「旦」は水平線や地平線から昇る太陽の象形文字です。文字通りの「元旦」でした。
ちなみに、借りた車のナンバーはなんと3117。ボラセン携帯の番号ですね。これには東日本大震災発生の311と阪神大震災発生の117をあわせた数字です。何かもっている愛知ボラセンにちがいありません\(^o^)/
本年も私たち(被災地のみなさんと私たちボランティア)のいろんな関係を深めつつ、応援を続けて参ります。
2012年もよろしくお願い申し上げます。
愛知ボランティアセンター
代表 久田光政
代表の久田です。韓国の高校生との交流から帰った翌日の30日夜から、スタッフの久世君、武内君とで「愛知ボラセン 年越しスペシャル」として、くぐなりで年越しをしました。後藤さんご夫婦も参加。
ひっそりとのつもりでしたが、みなさんから手料理をお持ちよりいただき、大歓迎の大宴会に^^
牡蠣、海鼠、鯨、蛸、烏賊の海鮮物、唐揚げ、筑前煮、はまちの唐揚げのマリネ、茶碗蒸し、フィリピン料理の生姜たっぷりの煮物、稲荷寿司、デザートの手作りチーズケーキも。
もちろんおいしいお酒も、大吟醸の日本酒、ウィスキー、ビール、ワイン、焼酎、韓国焼酎、マッコルリと多種多彩!
これまでの私の年越しの中で、最もすてきな年越しでした。みなさん本当に大歓迎ありがとうございました。
紅白を見て、年越しそばを頂き、年が明けて、白山神社、神明神社、金毘羅神社、稲荷神社を参拝。暗闇のくぐなりを歩くのは恐怖感を覚えました。しかし、美しく輝く星々に感動。闇の中での希望を覚えました。
元旦、鮎川では素晴らしいご来光を仰ぐことができました。いっしょに見ていた地元の人も、こんなにすばらしい日の出初めてと言っていました。めったにみられない初日の出でした。ちなみに「旦」は水平線や地平線から昇る太陽の象形文字です。文字通りの「元旦」でした。
ちなみに、借りた車のナンバーはなんと3117。ボラセン携帯の番号ですね。これには東日本大震災発生の311と阪神大震災発生の117をあわせた数字です。何かもっている愛知ボラセンにちがいありません\(^o^)/
本年も私たち(被災地のみなさんと私たちボランティア)のいろんな関係を深めつつ、応援を続けて参ります。
2012年もよろしくお願い申し上げます。
愛知ボランティアセンター
代表 久田光政
そして今日、愛知ボラセンの前身ともいえる「阪神淡路大震災でお父さんお母さんを亡くした中学生高校生に奨学金を贈る中学生高校生の会」発足時に高1だった学年の同窓会がありました。参加者は125人くらい。発足時のメンバーや会長を経験した卒業生も参加していました。幸いに教員を代表して会の冒頭に挨拶する機会をもらいました。与えられた5分を意識せず、愛知ボラセンのことを語り、311エール1stの運営協力券の購入を率直にお願いしました。筆頭幹事が「先生、一緒に販売しましょう」と言って、会場をまわってくれたました。もっていった運営協力券は100枚でしたが、カンパ込みで大人券134枚分の協力がありました。500枚普及すると宣言してしまいましたが、とりあえず約25%達成です!皆さん、年始のいろんな機会を捉えて運営協力券普及に顔晴りましょう\(^o^)/
縁起のいいスタートです^^
★大晦日にお越し下さると伺ったとき、『ご家族とご一緒に新年を迎えなくていいの~?』と、戸惑いました。
十八成では、普段なかなか会えない子供たちが里帰りして 家族で、が、通例だと聞いていたからです。(ちなみに私は仙台出身で、 十八成とは風習がかなり違う部分があります)
久田ボスはそのことを十分に理解しておられて、『白山神社で初詣したい、できれば、牡鹿半島で初日の出を拝みたい、って、こっちが勝手に行くんだからさ、そっと行って ひっそりと年を越させてくれれば』と仰り、最初は民宿目黒泊の予定でした。 「あらあ」と私は言いました。「談話室にお布団もあるし、泊まれるよ」
最初は誰にも言わないつもりでした。久田氏の心遣いを無にしたくなかったし、それこそ ひっそりと年を越したい住民もいるかも と思えたからです。
でも結局は 自主的に集まってくれた(それも 各々 手作りのご馳走持参で)十数人の大宴会になってしまいました。久田ボスの思惑とは だいぶ違ってしまいましたが(大笑い)
★実は私は 暮を そして正月を迎えるのが、嫌だった。怖かった。 ライフラインの悪化で 姑が5月に亡くなり、 正月様を迎えられないということもあり、そして 一年前には何もかもがあった 自宅で暮らせた暮・正月を 今年は夫とひっそりと、仮設住宅で・・・・その時の私って さすがに落ち込むだろうなと、思えていたからです。
昨年末に 寂しい思いをさせないで下さって、本当にありがとうございます。
★そして、談話室のすぐ近くの仮設に住んでいる『タケサン』に、「おいでよ」と声をかけ、宴会に来て、「ばあさん(母親)が死んでから、暮に、こんなご馳走を、こんなに楽しく食べられたのは、初めてです」といった言葉が、しみじみと、静的な感動でした。
★海を見るのが辛い日々でした。初日の出を見ようと、水平線を長い間見つめ、海に「なんであなた、あんなふうに暴れたの?」と心の中で話しかけられた瞬間でした。
★今年はどんな年になるのかなわかりませんけど 納得できる日々を積み重ねていくからね、と、お日さまに 約束できました。
久田先生、久世さん、武内さん、十八成で年越しをしていただき、ありがとうございました。
震災前、すぐそばの父の家で年越しをしていました。同じ年越しができないので、寂しく思っていましたが、先生方と一緒に食事ができて、
寂しい思いをしないですみました。
優輝も初めて賑やかな年越しを過ごし、本当に嬉しそうでした。
先生方と一緒に白山神社へ行かないでしまいましたが、
元日の午後、優輝と二人でお参りをしてきました。
その帰り、急に砂浜へ行きたくなり、震災後
初めて砂浜におりました。
変わり果てた景色でしたが、優輝は変わらず楽しそうに浜で遊んでいました。
とても懐かしく、そして、浜に行きたいと思えるようになったことが、本当に嬉しかったです。
今年も愛知ボラセンを楽しみに待っております。よろしくお願いいたします。
あらまぁ!良い年越しで
家族を顧みず(私も同じ)、、、
今年も十八成浜で会いましょう
それがいつの間にか、段々に衰退して・・・。同居していた舅が亡くなり、毎年 暮に来てくれていた実家の両親も相次いで亡くなり、そしてライフラインの悪化がもとで昨年五月に姑も亡くなり・・・。
★過去 最も寂しい暮になるなと 思っていました。それが・・・。
久田ボス・久世切り込み隊長・武内ムードメーカーがいらしてくれることになり、ボスは、住民の皆さんに迷惑をかけたくないから そっと行くから・・・と言ってくれたのですが 嬉しくなってちょっと口を滑らせたら
❤いっぱい世話になったからと、たくさんの新鮮な材料で、たくさんのご馳走を作って駆けつけてくれたとみ子さん。
家族ぐるみで、心から歓迎してくれた、典子さんと息子の優輝 その両親の泰子さんとごんちゃん。
愛ボラのホームページに、母親の短歌が載って以来、愛ボラのファンになってくれて、神戸から母親と正月を迎えようと里帰りして、愛ボラにぜひお礼を言いたいと、年越し蕎麦を作ってきてくれた 川端道子さんとその息子さん。
寒くさせてはいられないと、沢山の布団を持って駆けつけてくれた 後藤文吾さんご夫婦。
お酒を差し入れしてくれた沼倉憲ちゃん。
31日、娘さんがきたんで家を出られなかったけど、せめておいしい朝食をと、元日に早朝からご馳走を作ってくれた美奈子さん。
そして『母親が亡くなって以来、こんな幸せな暮を過ごせたのは初めてです、ありがとう』と涙ぐんでくれた タケサン。
思いがけずに賑やかな 楽しい大晦日でした。
★実は本日 夫が腹痛を訴え 病院で大腸がんの検査をしたらポリープが見つかり、内視鏡で切除、出血したら大変なので一泊入院。
駄々をこねたら私も泊めていただけたろうけど やらなきゃならないことがいっぱいあるんで 私だけ 戻ってきました。
震災後 初めての 独り。
パソコンと本があれば 私は一人でも平気 そう思っていたけど 一人がこんなに寂しくて 心細いとは。 思わなかった。
寂しいって そう思ってしまうのって 被災者にとって一番怖いことかもしれないと 思えました。
愛ボラさま。まだもう少し…甘えさせていただいてよろしいでしょうか
投稿ありがとうござます。
皆さんに大歓迎され、また皆さんに喜んで頂き、愛知ボラセンは幸せ者だなと改めて実感しました。
本当にありがとうございます。
恭一さん、少し心配ですね。
邦子さん まだまだずっと愛知ボラセンに甘えてください^^
私も大腸ポリープ体質で、この3年で2回切除しています。昨年の3月11日は大腸ポリープを切除し、ちょっとお腹が痛いなとテーブルに伏せっていた時に、「揺れてる…」と感じ、あわててテレビをつけました。
私は好奇心の塊なので、術中はずっとモニターを見て、自分の大腸の中を観察しています。意外にもきれいな腸…、もっと腹の中は黒いと思っていたのに^^;
典子さん、神社や海岸など、今まで行けなかったところに少しずつ行けるようになってきているんですね。年明けは来週14日に帰ります。もう少し待っててください。
蛸さん 家族の深い愛情と理解があってのことじゃないですか^^;
今年も十八成の応援、一緒に楽しみながら顔晴りましょう^^
夫 無事退院しました
ちなみに私も好奇心の塊で なんともないのに検査をやって 「わあ、きれい~」と 自分の腸内に ほれぼれ・・・でした。
ピンクで ぷりぷりしてて つるつる つやつやで 若いころのほっぺみたい
実年齢はともかく 精神年齢 ( クリスマス時期に限る ) 5才
腸内年齢 18才 よろしくです
やっぱり来ないと寂しいです。
14日に来るのが楽しみです。
来週は帰るからね。
それと特急電車のカレンダーをゲット!
来週のお土産を楽しみに^^
心配です。
14日、十八成浜に帰るからそのとき、話を聞かせてもらおっと。