NPO法人 被災者応援 愛知ボランティアセンター 公式ブログ

震災から5年を迎えた今も、孤児遺児応援、石巻市牡鹿半島十八成浜ボランティア…、現在進行形で被災者応援活動を行っています。

十八成浜復興プラン~なぜアーモンド苑なのか?なぜ植樹ボランティアが必要なのか~

2016年10月17日 18時30分39秒 | 宮城県牡鹿半島十八成ボランティア

代表の久田です。

今回は、一般社団法人十八成ビーチ・海の見える丘協議会(以下、十八成協議会)事務局長として、『なぜ、十八成浜で日本一のアーモンド苑を創ろうとしているのかということ、そして、十八成浜の将来構想をどう考えているのか、ということを改めて皆さんにご説明したいと思います。

限界集落の十八成浜、いずれは消滅集落に?
十八成浜は、明治時代に捕鯨会社が十八成浜に進出し、捕鯨に関連する肥料工場などもでき、1960年代には人口1,000人と隆盛を誇りました。しかし、商業捕鯨禁止を境に、急激な過疎化へと進み、2005年に、十八成を含む旧牡鹿町は石巻市と合併しましたが、過疎地への歯止めとはなりませんでした。東日本大震災前には人口は240人になり、震災以降は100人以下になっています。復興住宅への移転は当初の希望者の8割以下となり、震災によって人口流出にさらに拍車がかかっています。住人のほとんどが高齢者で、まさに限界集落となっています。残念ながら、現状のままではいずれ消滅集落になる可能性が極めて高いといわざるをえません。

十八成浜の特長は…
牡鹿半島の歴史を繙くと、8世紀に聖武天皇が東大寺の大仏建立の際に、宮城県で、日本で初めて産出された金がつかわれ、それを記念して、牡鹿半島沖の金華山に黄金山神社が建立されており、千年を超える歴史があります。十八成浜に平家の落ち武者が住みついたという話も残っています。また、捕鯨会社の受け入れにみられるように、十八成は一般的にありがちな閉鎖的な過疎地ではなく、開放的な気質を持った過疎地と考えられます。こうしたことが、愛知ボランティアセンターが十八成浜で受け入れられた背景にあるといえるかもしれません。

十八成浜を将来に渡って維持していくことが十八成協議会の一番の願い
震災前には遠浅の鳴き砂の砂浜として有名で、地名の由来となった十八成の美しい砂浜。向かい側の網地島が天然の防波堤となり、波穏やかで遠浅の海に。十八成海水浴場は海水浴の隠れた穴場として全国から観光客が訪れ、海沿いに、6軒の民宿があり、最盛期には7万人もの海水浴客が訪れ、賑わいをみせていました。しかし、その砂浜も東日本大震災によって約1.2mも地盤沈下し、砂浜は海の中に完全に沈んでしまいました。
この砂浜を再生し、歴史ある十八成浜を将来に渡って維持していきたい、というのが十八成協議会の一番の願いです。

砂浜の再生は、石巻市の公式復興プログラムに、しかし実現は2020年頃
十八成浜の象徴ともいえる砂浜。この天然砂浜の再生と、かつて住宅があり津波で流された低平地を砂浜公園とすることを中心とした十八成浜復興プランを十八成協議会は2012年に策定し、カタールフレンド基金にエントリーしました。エントリーのためには市長の推薦が必要で、石巻市長と2度の話し合いや牡鹿総合支所とも協議する場をもちました。この基金には採用されませんでしたが、行政との協議を通じで、十八成協議会が策定した再生プランのほとんどが石巻市の復興計画となり、2015年末には住民への説明会が行われました。この再生プランが完成するのは、復興住宅の完成、県道2号線の完成などの後になるために、遅くとも2020年頃となりそうです。 

それまでに、美しい十八成浜を創りたいと阿部恭一さん
阿部恭一さんは砂浜ができあがるまで、待っていられない、桜のようなきれいな花を十八成浜に咲かせたい。きれいな浜には心がきれいな人があつまるから、と考えました。私は恭一さんの思いを叶え、できればインパクトのあるものにできないだろうかといろいろ考えました。単純に桜を植えることにしなかったのは、「桜」「被災地」で検索すると30も40も同じような復興プログラムがあったからです。
植物の専門家の方々からお話を伺うなかで、桜と同じバラ科で桜とそっくりな花をつけるアーモンドを教えていただきました。

日本一のアーモンド苑を十八成復興の象徴に
アーモンド・・・。恭一さんのイメージは損なわず、多くの人々が大好きな桜にそっくりにもかかわらず、そしてアーモンドを知らない人はほとんどいないにもかかわらず、アーモンドの花を知っている人はほとんどいません。日本一アーモンドの木がある場所を調べると、九州に1,100本の町があるだけでした。十八成浜に因み、1,800本のアーモンドを植樹すれば、日本一のアーモンド苑になる!と考えました。
観光名所にできる!神戸市にある東洋ナッツ㈱の敷地内には30数本のアーモンドが植えられ、毎年、3月末の土日に開催されるアーモンドフェスティバルには2万人もの観光客が訪れます。
そして、アーモンドの花言葉は「希望」。これを知ったときには心と体が震えました。アーモンドを植えよう!できれば十八成浜の復興を応援したいと思っている方々に苗木のオーナーになっていただこう。将来も十八成浜に関心を持ち、十八成浜を訪問してもらえるきっかけになるはずと考えました。
2014年度は100本、2015年度は350本を植樹しました。2016年度は200本を目標としています。砂浜公園が再生する頃までに日本一のアーモンド苑にしたいと考えています。

年間10万人の訪問客が目標
十八成協議会では、海水浴客を年間3万人、砂浜公園では砂浜を利用した高齢者の足腰を鍛える介護予防プログラムの実施(市長からの提案)で年間2.5万人、週末の各種ビーチスポーツイベントや大型イベント開催で2.5万人、遠足やビーチスポーツサークルの合宿誘致で1万人、アーモンドフェスティバル1万人、合計年間10万人の訪問客を目標としています。 

十八成浜の高齢者が生きがいをもって働ける場所に
年間10万人の訪問客があれば、砂浜公園の管理・運営、飲食店、土産物店、駐車場などが必要になります。自宅からすぐ近くの場所に働く場があれば、高齢者にも働きやすいはずです。働くということは収入はもとより、人とつながり、人からあてにされ、感謝されることで、高齢者の生きがいづくりになると考えています。

地域が利益を得ることで、高齢者に必要な施設の運営を
10万人の訪問客にお金を使っていただき、一人1,000円の利益を得られるとすれば、1億円の利益を十八成浜は生み出すことができます。そのお金で働くことが難しくなった高齢者に必要な施設(ディサービス、クリニックなどなど)を運営したいと考えています。自分の住む町で、老後を、明るく、そして静かにすごす。このようなことをイメージしています。

そして、高齢者が移住したくなる十八成浜に
それでも最後には空き家がでてきます。高齢者に住みやすい街づくりをすすめていけば、十八成浜から離れた方々が晩年はふるさとで思いたくなる、同じように十八成浜を訪れた方々が十八成浜を終の棲家としたくなる、そんな街づくりを十八成協議会はめざしています。限界集落を限界集落のままで維持する考え方もあるのではないかと考えています。

このプランを推進するのは・・・
限界集落の十八成浜。中心になってこのプログラムを推進できる人は、今はほとんどみえていません。ですが、アーモンドが咲き、砂浜ができ、ここで新しいこと、なにか期待できそうなことが始まりそうだとみえてくれば、石巻市内中心部から、あるいは愛知から、きっと移住したくなる人がでてくると私は確信しています。そんな無責任なことをと思われるかもしれませんが、私には多少の自信はあります。
愛知ボラセンは2015年度だけでも1万人以上もの方々が活動に関わられました。私が生徒実行委員会の責任者を務めている東海高校のサタデープログラム(土曜市民公開講座)には、年間6,000人の方々が、顧問を務めるカヅラカタ歌劇団にも年間6,000人の方々が訪れています。
また、私は2021年度に定年退職を迎えます。いろいろな選択肢を考えることはできます。

例を見ない被災者団体と災害ボランティア団体による被災地復興
以上述べてきた十八成浜復興プランが達成できた場合、それは被災地復興にとどまらず、全国各地にある限界集落の復興、されには高齢者福祉にも大きくコミットし、今後の高齢化社会のあり方にも影響を与えるものだと私たちは自負しています。

しかし、今、3年目のアーモンド植樹に苦しんでいます。このままこのプランを頓挫させるにはあまりにも残念です。
どうか、こうした将来構想を踏まえ、昨日も皆さんにお願いしましたように、アーモンド植樹ボランティアへのご参加や、アーモンドオーナーになってくださいますようお願いいたします。

 

最後に阿部邦子さんのメッセージをご紹介します。
東日本大震災で道路は陥没し、がれきの山に埋もれていた時から、愛知ボランティアセンターは十八成浜に通い続けてくれました。当時は本当にありがたいことに、100人、200人の参加者がいらっしゃって、行政が動き出す前から、丁寧にがれきを取り除き、行政の穴を埋めてくれました。ボランティアバスの参加費は高校生、大学生の方でも参加できる金額でした。 

それが今では、行政はボランティアを締め付ける立場になっています。がれきを取り除いたからと言って、それだけが復興ではない、と被災者が訴えても、行政は聞く耳を持ちません。  

2年が限界と言われる仮の住まいでしかない仮設住宅に5年も居続けさせられ、土台がかしいで斜めになっていたところから、ようやく高台の復興住宅に移れたからといって、それが平穏とはなりません。 

自営業の方で、ご主人がなくなって、一人分の国民年金だけで生きていかなければならない高齢者にも、高台の復興住居は公営住宅ですから、家賃が発生するのです。公共交通機関は誠にもってお粗末な地域ですから、大きな病院に予約で通院しなければならない人も多く、車がなければどうしようもない状態です。

しかしそういったことには、被災者のみんなは「しょうがない」と思うしかありません。希望など持てず、ただただその日をどうにか生きていくしかないのです。

そんな私たちに 希望を与えててくれたのが アーモンド苑でした。

『希望』と言う花言葉さながら、植えた苗が翌年には花を咲かせ、実まで実らせてくれました。

十八成の住民はほとんどが、75歳以上の高齢者ですから、そして腰や心臓に持病を抱えていますから、気持ちはあってもアーモンド苑のメンテナンスの手伝いを頼むわけには行かない、と恭一氏は判断。痛む足首をかばいながら、毎日パトロールを続けています。ですが、恭一氏にとって、それは決して精神的負担とはなっていません。もう、わが子のようにアーモンドを愛でています。

ただ、台風や強風のあとは、鹿避けの網がどうしてもねじれます。また、苗がまだ小さいので、冬場以外には草刈が必須です。鹿避けネットの補強と草刈はアーモンド苑を成功させるためには大事な活動で、一人では到底無理です。それと知って、「苗が枯れて、アーモンドのオーナーになってくれた方々を悲しませたくない」と、有志の方々が 月に一度、駆けつけてくれています。

こんなに長い期間、同じところに同じボランティアが通い続けてくださっていることは、日本では始めてのことではないでしょうか。 そうして、がれき撤去だけでは決して住民の方々に笑顔は戻らないと言う思いは、これからのボランティアの見本、いや先達となりえることだと思います。

人は生きている限り、いろいろな困難を抱えます。

東日本大震災の被災者だけが辛いのではありません。ですから、『希望』のアーモンド苑は、日本中の方々に希望を持っていただける癒しの場になりえると思えます。 

ここまできての頓挫はあまりに残念です。お金もかかりますし、時間もかかりますから、いろいろ大変だとは思いますが、どうか皆様方のお力をよろしくお願いします。

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