世相を斬る あいば達也

民主主義や資本主義及びグローバル経済や金融資本主義の異様さについて
定常で質実な国家像を考える

●自ら放った矢に射抜かれたアメリカ 巨人の再生はあるのか?

2016年07月19日 | 日記
未来からの警告! 2017年 超恐慌時代の幕が開く
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●自ら放った矢に射抜かれたアメリカ 巨人の再生はあるのか?

今夜は、聖人君主のような高みから、森本あんり氏のコラムを引用する。おそらく、キリスト教信者であるだろう同氏のコラムは、さらりと読めば、なるほど納得なのだが、筆者の目からは、視点が極めて偏狭なコラムとして読んでしまった。なぜなら、アメリカ内政的見地から、オバマの苦悩を論じている。精々、関係しているのは、日本に触れる程度だ。しかし、陰に日向に、アメリカ・オバマ政権が表立って、時には非合法的裏に回り、世界を股にかけた国家と云う、ヘゲモニー次元をネグレクトしている。意識的か、無意識的か判断はつかないが、アメリカがヘゲモニー国家であるために起こしている「二律背反」、ダブルスタンダード、時にはトリプルスタンダードな立ち位置について、まったく検討されていない。

 ≪反知性主義は、しばしば既存の権威への反抗を旗印にするが……その発現形態はポピュリズムと踵を接しており、民主的選挙という虚構の大衆化で近年は特に目立つようになった。今次の大統領選挙における民主党のサンダース氏や共和党のトランプ氏の台頭も、この背景から理解することができる。≫、と書いているが、サンダース支持者まで、トランプ支持者同様にカッコで括るのは、相当にマヤカシである。サンダースに対する支持は、高学歴と若い世代として捉えるべきで、反知性主義の例示には相応しいとは思えない。同氏の観念からいくと、既存の権威への反抗はすべて、反知性になってしまうようだ。かなり変だ。

≪ 彼は、人種や性別や性的志向にかかわりなく、すべての人の人権と市民権が守られることを求めた。できるだけ多くの人が医療保険の恩恵を受けられる制度の導入をはかった。 ・移民の受け入れを促進し、死刑制度への憂慮を公言し、所得格差を縮めるための施策を推進した。そして彼は、他宗教への寛容を説き、イスラム国家との 友好関係を築き、テロが起きてもけっして相手やその宗教を批難せず、乱射事件が起きるたびに現地へ飛んで、涙を流しつつ傷ついた人びとを慰めた。≫と書いているが、ここなどはまさに、アメリカの内政と、覇権国としての対外政策に、おびただしい齟齬があるわけだ。アメリカ国民の、差別をなくすことであり、他の世界の国々に対するメッセージとは、原則の部分で、逆さまと言ってもイイのだが、それは目を瞑るでは、原理も原則も糞喰らえだ。

オバマは、あるインタビューでアメリカ人を評して≪「人びとはみな善意と品格と常識に満ちているのに、なぜかそれが硬直した教条主義的で底意地の悪い政治の駆け引きに絡め取られてしまう」――この矛盾は、いったいどこから来るのだろうか。≫と答えたようだが、内政的なリップサービスにしても、言い過ぎだろう。筆者の感覚から行けば、アメリカ人ほど独善的国民はいないわけで。善意も品格も、同国内における振舞いであるかもしれないが、ひとたび、他国に足を踏み入れたアメリカ人程、「国家差別」する国民は、見たことがない。これが、アメリカ国家の移民国家の欺瞞に満ちた統治システムなのだろう。笑ってしまう。

≪この構図は、オバマ氏が大統領に選出された日の、あの熱狂的な宣言にもあてはまる。「白人と黒人の和解」という提案をすることができるのは、黒人だ けである。赦しや和解を提案できるのは、虐げられて苦しめられた側の者なのである。相手を痛めつけておいて、「和解しましょう」と言い出すことはできない。 ・オバマ氏の悲願となった国民の融和は、黒人や低所得者といった社会的弱者に主導権を渡さない限り、達成することのできない目標なのである。≫、これも国内政治に限定された言説であり、アフガンやイラクやイラン、シリア、リビア、ロシアは、虐げられている側に、筆者には見えるのだが、違うのだろうか?

充分に、その趣旨を理解せずに同氏の著書『反知性主義: アメリカが生んだ「熱病」の正体』だが、今夜現在、酷く反省している。推薦図書に加えたこと、ここに深く反省している事をお伝えして、今夜の、意地悪評論を締めくくる。おやすみなさい!


≪ アメリカ社会がハマった「分断」の袋小路〜噴出する「反知性主義」
   "オバマの夢"が迎えた皮肉な結末
■オバマはムスリム!?
・アメリカでは、教会の説教師は政治家のように語り、政治家は説教師のように語る、と言われる。しかし、近代の大統領でオバマ氏ほど自分の信仰につい て多くを語った大統領はいない。それは、彼ほど自分の信仰について執拗に尋ねられ、疑問を投げかけられた大統領もいないからである。
・バラク・フセイン・オバマは、ケニア出身でムスリム系の父をもち、ハワイに生まれ、インドネシアのムスリム社会で育った。母方はカンザス州の伝統的 なキリスト教系家庭の出身だが、オバマ氏がキリスト教徒になったのは成人して後、1985年にシカゴの地域組織化活動に携わってからのことである。
・彼は、黒人教会が歴史的に果たしてきた役割の大きさを知り、シカゴのプロテスタント教会で洗礼を受けた経緯を、選挙の前にも後にも繰り返し語ってきた。
・にもかかわらず、彼がイスラム教徒だと思っているアメリカ人は今でも少なくない。
・昨年の調査では、29%がそう思っており、その数は共和党員に尋ねると43%、ドナルド・トランプ氏の支持者では54%にものぼる。教育程度の差も色濃く反映されており、オバマがプロテスタントだと知っているのは、大卒者では63%だが、そうでない人では28%にまで下がる。
・ネット上には、オバマ氏本人や周囲の人が何を言おうとも、彼が「隠れムスリム」だと固く信じて疑わない人びとがいて、数々の「証拠」を論じ立てている。日本ではほとんど報道されなかったが、オバマ氏の結婚指輪が大問題になったこともある。
・曰く、そこには「アッラーの他に神はいない」というアラビア文字の信仰告白が刻まれている、というのである。彼がイスラム教徒に好意的なのもそのためだ、という陰謀論である。

 ■反知性主義の発現形態
・このような風潮を、「反知性主義」の噴出と捉えることもできよう。アメリカには、反知性主義を生み出した歴史的な土壌がある。その表現は、病的で偏執的なこともあれば、健康で建設的なこともある。
・反知性主義は、しばしば既存の権威への反抗を旗印にするが、その反抗に精神的な拠り所を提供したのは、ラディカルな宗教的平等意識であった。神の前では、教育があろうとなかろうと、この世の権威があろうとなかろうと、誰もがみな平等であり、同じ重さの一票を投ずる権利がある。
・その発現形態はポピュリズムと踵を接しており、民主的選挙という虚構の大衆化で近年は特に目立つようになった。
・今次の大統領選挙における民主党のサンダース氏や共和党のトランプ氏の台頭も、この背景から理解することができる。
・候補者の選定は、以前であればすべて中央のエリート政治家に任せきりだった。ワシントンのお偉方が選んでお膳立てしてくれた候補者の中から、いちばんよいのを選べばよかったのだ。
・だが、今は違う。あらかじめ盛りつけられた皿の中から選ぶのではなく、ビュフェのように自分でそのお皿に食べたいものを盛りつけるのである。

 ■「国家の祭司」のような役割
・8年前にオバマ氏が大統領選を制したときの歴史的興奮を記憶している人は多いだろう。いつかその日が来ることを予感してはいても、まさかこんなにも早く、アメリカに「黒人」の大統領が誕生することを、誰が予想できただろうか。
・熱狂的な大観衆を前にして、オバマ氏が勝利宣言で語ったのは、「われわれはもはや民主党員や共和党員ではなく、白人や黒人でもない、われわれはユナイテッド・ステイツ・オブ・アメリカだ」という統合のメッセージだった。
・そして事実、彼の2期8年間は、人種や所得や宗教で分断された国民を統合するための努力に費やされた、と統括できる。
・彼は、人種や性別や性的志向にかかわりなく、すべての人の人権と市民権が守られることを求めた。できるだけ多くの人が医療保険の恩恵を受けられる制度の導入をはかった。
・移民の受け入れを促進し、死刑制度への憂慮を公言し、所得格差を縮めるための施策を推進した。そして彼は、他宗教への寛容を説き、イスラム国家との 友好関係を築き、テロが起きてもけっして相手やその宗教を批難せず、乱射事件が起きるたびに現地へ飛んで、涙を流しつつ傷ついた人びとを慰めた。
・彼は、隣国キューバとの国交を半世紀ぶりに回復し、現職の大統領として88年ぶりに同国を訪れた。そして、現職のアメリカ大統領としてはじめて広島を訪れ、慰霊碑に献花し、被爆者を抱きしめた。オバマは、ほとんど「国家の祭司」だったのである。
・だが、こうした融和と和解を推し進めれば進めるほど、彼の目指していた統合は霞みがちになり、アメリカ社会は声高な反対論に晒されて、いっそう深い分断と亀裂に苛まれるようになった。
・オバマ氏自身も、アメリカが以前にも増して二極分解し、お互いへの不信感を募らせるようになっていることを、最近のインタビューで苦渋とともに振り返っている。
・「人びとはみな善意と品格と常識に満ちているのに、なぜかそれが硬直した教条主義的で底意地の悪い政治の駆け引きに絡め取られてしまう」――この矛盾は、いったいどこから来るのだろうか。

 ■統合への願いがはらむ皮肉な力学
・7月7日に起きたダラスでの銃撃事件は、またしてもアメリカの根深い人種間分断を全世界に見せつけることになった。問題が深刻なのは、それが単発の出来事でなく、先行するいくつもの事件の上に重ねられたさらなる悲劇だという点である。
・昨年6月にサウスカロライナ州チャールストンで起きた黒人教会銃乱射事件では、9人の犠牲者の中に同教会牧師で上院議員のクレメンタ・ピンクニー氏 が含まれていた。オバマ氏はその葬儀で式辞を述べたが、彼はその機会を、銃規制の強化などといったいつもの政治的アジェンダを推進するのに利用することもできただろう。
・だが、そうはしなかった――。
・彼の心を深く捉えていたのは、母を殺害された娘が犯人に語りかけた「わたしはあなたを赦します」という言葉であり、息子を喪った母が語った「わたしの全身は痛みに呻いています。でも神があなたを慈しんでくださるように」という言葉だった。
・オバマ氏は30分以上にわたる式辞を黒人教会の説教壇にふさわしく語り、赦しと和解こそが信仰の本質である、と締めくくったのである。それは、憎悪に分断された国を再び一つにしたいという、彼の政治的信念の中核でもあった。
・ところが、まさにそのようなメッセージこそが、彼の反対者たちを苛立たせることになる。なぜなら、「赦し」は犠牲者の側からしか与えることができないからである。
・この構図は、オバマ氏が大統領に選出された日の、あの熱狂的な宣言にもあてはまる。「白人と黒人の和解」という提案をすることができるのは、黒人だ けである。赦しや和解を提案できるのは、虐げられて苦しめられた側の者なのである。相手を痛めつけておいて、「和解しましょう」と言い出すことはできない。
・オバマ氏の悲願となった国民の融和は、黒人や低所得者といった社会的弱者に主導権を渡さない限り、達成することのできない目標なのである。
・それを認めるのは、これまで社会の強者であり主役であった人びとには耐えがたいことである。オバマ氏の掲げた「統合」という課題は、社会の各所でそれまでマイノリティだった者に主導権を握らせようとする危険な企てを意味する。
・「黒人のくせに偉そうなことを言うな」という反発を、オバマ大統領は個人としても幾度となく受けてきたことだろう。彼の目指した統合は、その反発の矛先を黒人社会全体へと拡げる、という皮肉な力学を生んでしまった。

 ■和解の政治学
・オバマ氏自身もそのことに気づいていないわけではない。
・だから彼は、大統領になってからは、「人種カード」を切ることがほとんどなかった。アメリカの大統領は、黒人の代表ではなく、全アメリカ人の代表でなければならないからである。そして、これも彼を支持してきた黒人たちに不満を抱かせる原因となっている。
・こうした問題構成は、日本ではあまり論じられることがないが、90年代に始められた「和解の政治学」という学問分野でしばしば扱われてきたものである。「和解」や「赦し」は、宗教的な由来をもつと同時に、きわめて現実的な政治的帰結を伴う概念である。
・オバマ氏は、キング牧師や冷戦期の政治的神学者ラインホルド・ニーバーを尊敬する人物に掲げ、ナチスに抵抗して殉教したドイツの神学者ディートリヒ・ボンヘッファーを読むほどの神学的な素養をもっている。
・しかし、和解の政治学は、誰にとっても一筋縄ではゆかない困難を露呈させてしまった。和解や赦しへの道のりは、どこの国でも長くて険しい。足下の日韓・日中関係を想起すれば、その困難はわれわれにも理解できるだろう。
・だが、たとえ困難で紆余曲折が続くとしても、今後の世界が担ってゆかねばならない普遍的な課題の一つである。武力や政治力だけでテロを押さえ込むことは、おそらく今後も不可能だからである。

 ■アメリカのキリスト教を問う
・オバマ氏の施策は、イスラムへの好意的な発言だけではなく、妊娠中絶や同性婚などといった主題でも、キリスト教保守派の神経をことごとく逆撫でする結果になった。
・シカゴ大学で憲法学を教えていた経歴をもつ彼は、連邦国家アメリカが政教分離を国是とする「非宗教的国家」として建国されたことを明言したが、これもアメリカを「キリスト教国」だと思い込んでいる人びとの怒りを買った。
・歴史的にも憲法学的にも、オバマ発言の方が正しいにもかかわらず、である。
・キリスト教は、アメリカという文化に深く根を下ろし、その分だけ土着化し、つまりアメリカ化した。そのアメリカ化したキリスト教は、単純で内向き、生硬で直線的、そして自己肯定と自己慶賀に満ちている。
・だが、キリスト教は世界のどこでもそういう姿を取る、というわけではない。聖書の伝えるメッセージは、本来は常に超越的で彼岸的であり、この世の現実を批判する要素を含んでいる。
・アメリカのキリスト教もまた、常に現在のような姿であったわけではない。 オバマ氏は、大統領就任の宣誓式に際して、アブラハム・リンカンの聖書を用いた。リンカンは、神の意志がアメリカの意志と異なり得ること、アメリカ 国家と聖書の神との間には乖離があり、正義の神はアメリカをも審きのもとにおく神であること、を知っていた数少ない大統領の一人である。
・時代は今、「理念による統合」を願ったオバマから、「利害による分断」を恥じないトランプへと向かっているようである。もしオバマが統合に失敗したとすれば、それはアメリカの失敗であり、アメリカのキリスト教の失敗なのである。

*森本あんり(もりもと・あんり)
国際基督教大学教授・学務副学長。1956年、神奈川県生まれ。国際基督教大学(ICU)人文科学科卒。東京神学大学大学院を経て、プリンストン神学大学 院博士課程修了(組織神学)。プリンストンやバークレーで客員教授を務める。国際基督教大学牧師、同大学人文科学科教授等を経て、2012年より現職。主 な著作に『反知性主義』『ジョナサン・エドワーズ研究』『現代に語りかけるキリスト教』『アジア神学講義』『アメリカ・キリスト教史』『アメリカ的理念の身体』など。  ≫(現代ビジネス>オトナの生活>賢者の知恵・森本あんり・国際基督教大学教授)

PS:朝日文庫の保阪正康著『安倍"壊憲"政権と昭和史の教訓』をどうしてもgooさんは、絶対に読ませたくない判断に至っているようです。NTT故の縛りか忖度かは知らないが、かなり疑問のある処理方法だ。参議院選が終わったら、解放かなと思ったが、未だに、アフリエイトを受けつけない???



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1 コメント

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キリスト者とは何か? (kame)
2016-07-20 05:03:18
 僭越で大仰なタイトルで失礼しました。しかし、森本氏の今回のご本、まー、読むことは絶対にないでしょうが、神学者にしては、ドグマ化した前提を支える様々な聖書の文言が出てきませんなー。その種の本ではないという反論も感じましたが、こんな一方的な話をこの種の本で、述べているのであるならば、全くもって、説教師の本ですなー。
 常々、あえば氏の米批判には、従うところですが、さー、どこの国さ、つきあうべ、となったとき、無学無教養の投稿者など、困惑する次第です。当然のことながら、南シナ海における中国の振る舞いなど、全くもって、理解できない。翻って、中国地方のどっかの出身の指導者が、日中戦争をなかったかのように、考え、ひたすら従米反中路線に邁進するなど、理解しがたい。飛躍するようですが、無党派は外交政策に困っているのです。

 それより、もっと困っているのは、これです。

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 強欲な、悪辣な権力者たちを、許すな。

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