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世相を斬る あいば達也

民主主義や資本主義及びグローバル経済や金融資本主義の異様さについて
定常で質実な国家像を考える

21世紀は女性の世紀なのかもしれない 生物学的には“先祖返り”ということだが

2012年10月23日 | 日記
政治家崩壊 ~「情」の政治を取り戻すために~ (徳間ポケット)
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21世紀は女性の世紀なのかもしれない 生物学的には“先祖返り”ということだが

 現代ビジネスの政治を考えるでお馴染の毎日新聞の「毎日フォーラム」の≪めきめき向上する日本の「女子力」サッカー、レスリング、柔道……五輪メダル続出[スポーツ]≫と云う特集は、スポーツ界に限ったテーマでまとめているのだが、筆者はスポーツ以外の世界のことに思いを馳せながら読んでいた。そういえば、昔、海外から見た日本女性の評価はベストテン入り(男の身勝手な評価基準なのだが)していたが、日本男子は番外地だった記憶がある。あのランキングはあてにならないとしても、当たらずとも遠からずな印象は今でも持っている(笑)。

 ロンドン五輪に限らず、世界にはばたく日本女性の活躍は目を見張るものがある。このような現象を眺めていると、21世紀も、「20世紀的男社会」な観念で生き続けようとする日本と云う国のイキザマの分岐点を明示されているような気がしてくる。世界に羽ばたく日本女子の雄姿(敢えて使う)は目を見張る。男子柔道の哀れさが際立ってしまった松本薫選手の金メダル、予選敗退の男子を尻目にメダルを取った女子バレー等々枚挙にいとまがない。なでしこサッカーの活躍も凄かった。五輪に限らず、ゴルフなどでもアメリカゴルフ界に乗りこみ活躍する女子が目立つ。

 その昔、大宅壮一の「戦後強くなったのは女と靴下(ストッキング)」と云う造語があるが、当該造語には“ただし、実権は男にあるが…”と云う含みが残されていた。当時も、20世紀においても、各界における女性の活躍は散見するが、あくまで、男社会の観念に寄り添う形での女性の社会進出が、もてはやされた傾向がみられる。つまり、核に“男社会がある中で”と云うエクスキューズが含まれていたように感じる。

 しかし、近時の各界における女性の台頭は、そのような特別視する環境で生まれているわけではない、と云う印象が強くなってきている。考えてみれば、生物発生学においては、人間の原型はメスであった事を考えると、“先祖返り”に過ぎないと云う考えも成り立つ。平均寿命においても、明らかに女性が上回っており、根本的に女性の方が生物学上優位にある事は証明するまでもないのだろう。案外、人類が社会文化史において、弱いふりをすることで、より優位な地位を確保する智恵を得たのかもしれない。

 あまり大仰に論を展開できるほど検証したわけではないが、筆者はそんな気がしてならない。フェミニストでもなんでもない、一人の人間としての感想なのだが、世界的には、女性が社会進出を試み、浮ついた存在ではない形で根づく機運は動き出したのだと認識する。或る意味で、男社会中心に築いてきた社会制度や政治体制が、突破出来ない巨大な壁に進路を阻まれている今、女性が世界の閉塞を救ってくれる可能性は結構あるのではないだろうか。

 “清濁併せ呑むと”云う表現があるが、筆者の感覚からすると、女性は“清濁併せ持つ”ことが自然に身に就いた生き物のような気がしている。男は、必死なって併せ呑むのだが、女性は一時に併せ持つことが可能なのではないだろうかと、フト思う。あくまで想像の範囲だが、出産と云う大事業と育児子育てと云う難行苦行に耐えうる心身を兼ね備えているのではないかと云うことになる。時に、女性は出産子育てに家事全般、そしてワーキングマザーたりうる。人間の一生で、これだけの難事業をこともなげに(事もなげではないかもしれないが)こなせる女性と云うもの、男の視点から見ると、実は怖ろしく凄いことなのである。

 男の場合、仮に出産は別にして、それ以外のことを女性側に放棄され、忠実に彼女ら通りのことを行おうとした場合、おそらく人生の何かを犠牲にするしかない不器用さを発揮する。ある男は発狂するに違いない。しかし、女性はそれを難なく受け入れる心身の度量がある。この動物学的力量の差は歴然としており、ジワジワと女性の力が社会を構成する主体なり得る可能性を秘めているのではないかと思う今日この頃だ。

 世間では、女は一時の感情に流され情緒的過ぎるなどと云う言葉も聞かれるが、男たちの作り上げた都市伝説のような気もする。最近の政治家どもを観察していると、男の方が女性以上に感情に流され情緒的にみえる(笑)。語弊はあるが、最近の犯罪等々をみても、男の犯罪は短絡的で一時的発作のような事件を多発させているが、女性の事件は長期に亘り犯罪を行う傾向まで見えている。表現は悪いが腹が座っているのだ。(勿論、そのような行為を是とするわけではない)

 「肉食女子」「草食男子」と云う言葉が生まれた社会背景にも、男社会の制度的金属疲労が顕著になってきた証拠と見ても良いだろう。国家間のいざこざを武力を持って決着つける事を好む男社会の限界は、グローバル世界において露呈している。核爆弾と云う人類破滅の武器を所持した時点から、武力で決着をつける潔さ(男社会における理屈)など、女性から見ると笑止千万な解決方法なのだろう。鉄の女サッチャーが居るではないかと云う反論もあるが、彼女は男社会を背景に生きた政治家である。

 男である筆者には、掴み切れない想像図なのだが、女性社会の論理が21世紀、そして22世紀と繋がる時、我々が想像しえない世界観が生まれているかもしれない。直面する課題でいえば、我が国の少子高齢化社会における労働人口の確保など、女性の清濁併せ持てるパワーを発揮させられる環境整備をすることで、5割は確保できる問題なのだろう。筆者は、男社会から女社会への変貌を遂げるべき、と主張しているわけではない。ただ、女性が持ち合わせている考えや力を社会で広く共有する度量を男たちが持つべきだろうと考えている。

 男社会では、女性的思考経路を軽蔑する傾向があるわけだが、軽蔑している男たちの思考経路が、軽蔑している女性よりも軽蔑に値しているかも、と云う振り返りなくしては、新たな発想も生まれず、用無しな男社会となってしまうのかもしれない。民主主義、資本主義経済がグローバル世界の中で閉塞している現状は、おそらく今までの発想で打開しようとしても、悉く試みは打ち砕かれるのだろう。相当長く続いた男社会だけに、その思考経路に女社会の発想を組み入れるのは容易ではないが、そのようなパラダイムシフトが求められる時代が来ているのかもしれない。無論、一朝一夕になされるシフトではないが、共生の時代とは女性の時代なのだと思う。筆者の生きている間に実現することはないだろう。

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