世相を斬る あいば達也

民主主義、資本主義とグローバル経済や金融資本主義の異様な違いについて

●明治以降の日本 弱い国ほど、見せかけの「強い国家」をめざす

2017年05月20日 | 日記
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●明治以降の日本 弱い国ほど、見せかけの「強い国家」をめざす

 以下は、内山節氏の連載「たそがれる国家」の一部である。まあ、この第一章で近代国家の“終わりの始まり”に触れているが、今現在、我々は、個人的好みに関わらず寄って立っていた社会(近代社会・国家)が、スローモーションで衰退してゆく様を見ることになるのかもしれない。気づこうとして見ていなければ決して見えない、大きな大潮流時代の変化なのである。

 よくある“総論と各論問題”のようなものだが、近代社会や現代社会と云うもの、建前である理念を旗幟として、民主主義や自由主義の旗を押し立てているわけだが、実に禁欲的である。禅坊主やローマカトリックの司祭のようである。しかし、彼らの中に破壊坊主や小児性愛者が散見するように、本音がちらほら見えている。それでも、社会主義にならないためにはと云う恐怖から、建前と本音の大いなる矛盾を内蔵させながら、必死で、建前を守ることによってつくられたリベラル社会なのである。

 しかし、現実の社会は、民主主義、自由主義、公正、公平、平等等々とはかけ離れた、経済競争社会の歴史であった。不自由と不平等の上に成り立つのが、民主主義や自由主義の隠れた前提だとも言える。富国強兵や経済競争が、時代の寵児であったわけだから、そこには不自由と不平等が常に存在した。資本主義と云うもの、金が金に吸い寄せられ大きく育つ原理なので、金のニオイがしない所には寄りつきもしないように出来ている。

 無論、その状況を放置しておけば、大多数の国民は疲弊し、死滅するか、大衆蜂起によって内乱等が起きることになる。多くの労働者の生産労働で成り立っている強欲資本主義なのだが、死滅するとか、労働争議などばかり起こされるということは、生産が滞ることであり、資本にとっても死活問題になる。無論、国家も同様なことが言える。そこで、津々浦々への再分配(ほどこし)のテクニックが駆使される。

 この“ほどこし”が再分配で、社会保障の充実にあてられる。よくよく考えると、社会保障の充実も、実は、生産労働力を、生かさず殺さず穏当に確保する“資本”の知恵だともいえる。まあそれでも、応分の再配分が分け与えられるのであれば、民主主義と資本主義と云う水と油のような概念をベストミックスすることで、危ういながらも安定を保つことが出来る社会が実現する。第二次大戦以降の50年くらいは、大戦後の復旧復興で好循環していた。

 しかし、大戦後のインフラ整備などが一段落した後は、地球上に一時の平穏が訪れたのだが、それでは“資本”にとって何らのゲインもない安穏な世界が成就し、その強欲を満足させることは出来ないわけである。おそらく、その強欲は、一定の破壊と再生産(自由のための戦争)を希求しただろう。また、資本は、金融資本と云う新手の蓄財方法を生みだし、世界中の金融市場を駆け巡ることで食欲を満足させてきた。

 しかし、大戦後70年以上過ぎる辺りから、上述の自由奪還と云う名目の諍いを意図的に追加してゆく場所もなくなり、遂にはイスラム圏諸国と云う迷路でも、資本が要求する戦争を企てることになった。金融経済市場も、米欧日の金融緩和政策の限りを尽くし、“資本”の際限のない食欲を満足させようと試みているが、グローバル化した資本の資質は、金融資本を駆使する専門家の守備範囲を逸脱して、予期せぬ方向に暴走する勢力となっている。マネーがモンスターになってしまった。

 つまり、アメリカと云う覇権国家の若輩さが露呈して、収拾のつかない世界が現れつつあると云うのが現状と認識できる。若輩にして移民国家であるアメリカと云う国が覇権国であると云うことは、危機を穏便に終息させる能力も機能も知恵も持ち合わせていないので、グローバル化した民主主義や資本主義は、本来の正体を見定めること不可能な現実に直面している。こうなると、自由主義や民主主義が欺瞞的に持ち合わせていた“建前と本音”の本音が剥き出しになって、理念を主張するリベラルな勢力は衰退してゆく。

 残されたのは“本音”だけなのだから、もうこれは弱肉強食の世界である。この弱肉強食の原理は非常に単純明快なので、力のある者と単細胞の者達から好まれる。それがいま現在だと言っても過言ではない。口先だけの理念は、我が国の安倍晋三の発言を聞いていれば明快に理解出来る。最終的には、津々浦々において、社会保障を削減し、消費税を上げ続け、再配分と云う概念を取り去り、自助・共助で民は生きてゆけと云う世界に向かっている。

 ということは、国家と云うものの成り立ちの根底が覆る。つまり、国家が国家であるための、主な要素がなくなることになる。ヨーロッパ、アジア或いは太平洋地域において、国家に代わるブロック傾向が出ているのは、国家消滅の端緒と見ても良いのだろう。地政学的に見た場合、日米豪ニュージーランド、イングランド、スコットランド等々は、国家と云う線引きが地図上でもわかり易いのだが、ヨーロッパ・中東・ユーラシア、アフリカ、南米などは、国家が国家である機能を失った時、容易に、その国家の国境と云うものが限りなく薄い線になってゆくことを暗示している。

 このように、地球上にグローバリズムが蔓延することで、国家の構成要素が幾つか欠落するようになると、国家とは何なのだと云う問題が意識されるようになる。国家が、自国の国民生活への関与を薄め、民は勝手に生きてくださいとなると、税金を払っている意味も欠落する。当然、その時々の政権は支持を失ってゆくが、次の政権も同様に支持を失う。つまりは、その国を司る政府がなくなる。要するに、無政府状態の国家が現出する。まあ、原理的に考えると、国家の喪失が、どのような形で進行するかは夫々だろうが、グローバリズム拡大と再配分資源の枯渇と云うふたつの要素は、国家や国境の意味を、限りなく喪失させる。

 欧米型民主主義とは、“武士は食わねど高楊枝”の風情がある国家体制と言って良いのだろう。民主主義と云う理念(建前)を前面に押し出し、現実(本音)を抑制することで、弱肉強食になる人間社会を平準化させ、国家などの体制を維持しようと云うシステムだ。こういう風に考えてみると、民主主義も、広義な視点に立つと社会主義の範疇に属していることが歴然とする。社会主義の中に、薬味として、ほんの少々“自由競争”を加えたに過ぎないことに気づくのである。

 武士が高楊枝でいられるのは、三食を一食で済ましている程度のもので、空腹ではあるが飢餓ではない。しかし、建前を維持する為の再配分機能が、一部富裕層に富が偏在することで機能不全に陥ると、次第に状況は飢餓に向かう。つまり、建前の崩壊が起きて、民主主義体制の維持は困難になる。こうなると世の中は、本音だけが剥き出しになりギスギスした社会が現れる。このような状況になると、全体主義が抬頭する土壌が生まれるし、内向き国家も抬頭する。このような視点で、現在の世界各国の政治のダイナミックで出鱈目な現象は、その予兆と観察することが出来るのだろう。

 内山氏と筆者の考えは同一ではないが、一定の枠内において、脆い政治体制である民主主義の崩壊が起きていると云う社会の大きな変動が起きていると云う視点で一致する。内山氏は、この流れが国家の黄昏と見定める。筆者の目から見た場合、現在は民主主義の弱体化を、国家のブロック化現象で乗り切ろうとしているように見える。しかし最終的に、その試みも黄昏を迎え、国家の多くは孤立に向かうような気がしてならない。日本などは、孤立に最も必要な条件を備えた国家であり、そうすることでバランスの取れた国家体制が生まれるように思えてならない。日本が、欧米型の民主主義、自由主義を真似ようとした試みの黄昏が近づいている。歴史認識が欠如した司馬遼太郎史観“維新礼賛”の没落も近い。内山氏の連載は当分続くようなので、続編も、当ブログで逐次参考引用させていただく。


 ≪ 人類史の曲がり角!? 私たちは今、どのような時代を生きているのか
 【新連載】たそがれる国家(1)内山節

■はじめに
:次第に国家が意味を失っていく、いま世界はそんな時代に入りはじめたのではないだろうか。
:20世紀終盤にソ連が崩壊したとき、旧ソ連はいくつかの国に分解した。それが何を顕しているのかといえば、旧ソ連が国家としての意味を失っていたということである。だからそれは分解することになった。同じ時期に旧ユーゴスラビアやチェコスロバキアも分解している。それらの国もまた、国家としての意味を失っていた。
:このときは社会主義の崩壊として語られていたが、もうひとつ見逃してはいけないことは、国家の虚無化がすすんでいた、それ以前の国家が存在意義を失っていたということである。国家は黄昏化がすすむときがある。
:このときの動きは、これからの時代を先取りしていたのかもしれない。イギリスはこれからスコットランド、北アイルランド、ウエールズ、イングランドに分解していくかもしれない。ベルギーもふたつの国になる可能性を秘めているし、カタロニア地方はスペインから独立するかもしれない。そうなればバスクもまた独立をめざすことになるだろう。
:この地がイギリスであるメリットがスコットランドにとっては薄れてきたように、これからはいろいろなところで国家の虚無化が意識されていく。中国でも、少なくともチベットやウイグルでは独立が模索されつづけるだろう。
:日本をみても、沖縄にとっては日本である利益よりも不利益の方が大きくなっている。日本であるがゆえに国策によって基地を押しつけられる。とすれば独立して基地を撤去し、跡地をこれからの沖縄のために使う方が有利だと感じられける時代がはじまるのかもしれない。
:このような動きをへて、世界はどうなっていくのであろうか。

 * * *

:その前にもうひとつ、次のようなことも述べておかなければならない。それは独立という問題だけではなく、すべての人たちにとって国家の有効性が薄れてきていることである。
:今日ではあらゆる国で格差が拡大しているといってもよい。しかも先進国ではどこの国でも増税や社会保障水準の引き下げが議論されている。国家は国民にある程度の安定した基盤を提供する機関ではなくなってきた。国民にとっては、国民である有効性が低下してきたのである。
:さらに国家もまた、以前と比べれば政策の有効性が失われている。
:たとえば現在、日本、アメリカ、EUなどは、かつて例がないほどの金融緩和を継続している。これほどの緩和をすれば、インフレ化するのが普通である。ところがどこの国でもインフレは起こっていない。
:そのことは国や中央銀行が、金融のコントロール機能を喪失していることを意味している。そうであるのなら、インフレが発生したときにも国や中央銀行はインフレに対するコントロール機能をもちえない可能性が高い。
:多くの人たちが期待しているほどには、国家はその役割を果たせなくなっているのである。とするとこのような意味でも、国家の黄昏化、虚無化がはじまっていることになる。
:だがこのような変化が、制度的な国家を弱体化させるとはかぎらない。

 ■強い国家/弱い国家
:かつて1930年代にファシズムが台頭した。ドイツ、イタリア、スペイン、日本だけでなく、フランスでもファシズム政権が生まれる寸前までいっていた。
:このファシズムが指向したのは「強い国家」である。国民をひとつの政治潮流の下に統合し、政治、社会、経済などのあらゆる分野で国民総動員体制がつくられていった。
:しかしこのとき生まれたファシズム国家は、はたして「強い国家」だったのだろうか。
:そうではなかった。「強い国家」があるとするなら、それは持続性のある国家のことであり、この視点からみればファシズムは持続性のない「弱い国家」を生みだしたにすぎなかった。
:それは最近生まれたIS(イスラミック・ステイツ)が、彼らが主張したようにひとつの国家だとみなせば、制度的には批判を許さない「強い国家」をつくっていても、持続性のない「弱い国家」であるのと同じである。
:はっきり言ってしまえば、日本もまた明治になって「弱い国家」をつくったといってもよい。そしてその弱さは日露戦争によって拡大され、昭和に入るとさらに高められていった。
:日露戦争によって国民統合がすすみ、日本は「アジアの盟主」、「列強の一員」としての入り口を確立した。昭和に入ると、このかたちはますます高められていく。それは表面的には「強い国家」を成立させたかにみえた。だがその国家はたちまち崩壊していくことになる。持続性がなかったのである。
:仮に敗戦という事態がなかったとしても、この国家は持続しなかったことだろう。明治以降の日本は、ひたすら「弱い国家」をつくることになってしまった。
:このことに示されているように、根本的には「弱い国家」でありながら、表面的には「強い国家」が形成される。それは歴史上で繰り返し発生してきた。
:国家が黄昏れていく、虚無化していくとは、国家が持続する意味を低下させていくということである。だからそのような時代には、地域の独立運動も起こってくるし、国民にとっての国家の有効性も失われてくる。さらに国家の政策的有効性も低下していく。
:だがそのような時代には、表面的な「強い国家」を指向する動き、より強い国民統合をめざす動きも生まれ、この動きが勝利すれば持続性のないさらに「弱い国家」が形成されるのである。
:かつての社会主義圏の国家もそのようなものであった。それは表面的には「強い国家」であったが、根本的には持続性のない「弱い国家」だったといってもよい。
:さらに述べておけば、表面的な「強い国家」を指向する動きが強まってくる時代は、その奥で国家の黄昏化、虚無化が進行している時代だということである。
:国家の意味が低下していくから、その「危機」を克服する方向として「強い国家」がめざされ、その動きがさらに「弱い国家」を生みだしていってしまう。そしてそれは、最終的には、ひとつの時代の国家の崩壊をもたらす。かつてのファシズムや社会主義国家がそうであったように。

 ■トランプ現象の背景
:なぜそのようなことが起こるのかといえば、意味を失っていく国家があるにもかかわらず人々が国家に依存しようとすれば、その動きは国家により強力なものを求めてしまうからである。
:それは今日のアメリカ大統領選のトランプ現象をみてもよくわかる。なぜトランプが一定の支持を集めつづけるのか。その根本的に理由は、国家としてのアメリカの虚無化にある。
:ドルを基軸通貨とし、圧倒的な軍事力、経済力、政治力をもって世界に君臨したアメリカは過去のものになった。そしてそれは国内的には格差と新しい貧困や疎外感をもたらし、国家の黄昏化、虚無化を推し進めることになった。
:一部の国民には、この虚無化を発生させてしまった「犯罪人」として、これまでの「支配階級」が映っている。これまでの政治家、マスコミ、社会の既成のリーダーたち、そういった人たちがアメリカの黄昏化を招き、クリントンはその一人としてみえている。だから彼女は、その資質もあるにせよ、嫌われた大統領候補なのである。
:そしてその心情は、既存の国家を改革し、より「強い国家」を、「強い国家」の下での自分たちの地位の回復をもたらしてくれる大統領を求めることになる。
:その役割をトランプが果たしてくれるとは信じられなくても、そこにしがみつくしかない人たちを大量に生みだすほどに、いまではアメリカという国家の黄昏化、虚無化がすすんでいると考えればよい。
:だがそのような時代には、国家に依存しない自分たちの生きる世界を再創造しようという動きもでてくる。実際水面下では、日本でも、諸外国でも、その動きはさまざまなかたちでひろがっているのだが、そのことについては後に触れることにしよう。

■近代世界の終わりの始まり
:かつて、世界がグローバル化していけば国家の役割は低下するという意見があった。だがそれが幻想であることは、この間の歴史が証明している。
:確かにこの数十年の間に、企業の国際化や人、物の国境を越えた移動、通信のボーダレス化などは飛躍的に拡大した。だがそのことによって政治家も企業人も、さらにはそれぞれの国の人々も国家を不要とするような行動原理を確立することはなかった。むしろグローバル化した世界のなかでの国家間競争、そこでの支配権をめぐる争いが激化しただけである。
:中国経済のグローバル化が中国中心主義を低下させることはなかったように、あるいはアメリカがアメリカ中心主義を放棄することがなかったように、グローバル化はグローバル化した世界の下での「強い国家」をめざす動きをむしろ加速させた。
:国家の役割は、グローバル化によっては低下しない。だがいま世界ではじまっているのは、国家の黄昏化であり、虚無化である。その意味で根本的な弱体化がはじまっているといってもよい。内部から腐っていくように、国家の意味が低下していく。
:とすると、それはなぜ起きたのだろうか。
:そういう変化をとおして世界や社会はどのように変わっていくのだろうか。 そしてこれからも国家の虚無化が進行していくとするなら、それは近代世界そのものを終焉させていくことになるのではないだろうか。なぜなら近代世界とは、人々が国家の下に結集することによってつくられた世界だからである。その国家が虚無化してしまえば、近代的世界自体が土台を失うことになる。
:そういう思いをもちながら、私はしばらくこのテーマを追いかけてみることにする。
  ≫(現代ビジネス:国際―連載“たそがれる国家”・内山節)



 

明治維新の正体――徳川慶喜の魁、西郷隆盛のテロ
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