世相を斬る あいば達也

「デモクラシーの限界 その先にあるもの」という視点に立って世相を斬る。唯我独尊の誹り怖れず

小沢一郎と橋下徹の思惑の一致は、日本の転換点になり得るか 共通の敵は ”霞が関”

2011年12月21日 | 日記
ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)
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小沢一郎と橋下徹の思惑の一致は、日本の転換点になり得るか 共通の敵は ”霞が関”


  日本と云う国家にとって、小沢一郎をターゲットにした西松事件以降の無為な2年半をどのように解釈するか、人それぞれだ。無為ではない、小沢と云う金に塗れた悪の政治家が正当な白洲に引き摺り出された、と歓ぶ国民も相当居るだろう。検察が強制起訴したのだから、悪いことしたに違いない。新聞だって、テレビだって、みんな悪い奴だと言っている。それに、水谷とか云う建設会社から1億円も貰ったそうじゃない、本当に酷い政治家だ。残念ながら、このような国民が過半数を占めているのが、我が国の現状だ。

 日本が特別アホの寄せ集めか、と云うと必ずしもそうではない。多くの国の国民も似たり寄ったりのアホの集合体なので、特別嘆く必要はない。しかし、欧米先進各国に比べると、脱亜入欧と叫んで130年が経つにも関わらず、ディベート能力において雲泥の差がある点が気にかかる。ディベート能力は生まれながらにして身につくものではない。単なるディスカッションや言い争いと異なる次元で起きる“論理的説得力”だと乱暴に定義しておこう。

 このディベート能力の巧拙が、実は国家の運営などにおいて非常に重要なファクターとなる。特に軍事外交分野では、この能力が優れているかどうかが最終的決め手にさえなる。時には恋愛で、高根の花の女性を口説き落とす有力なツールでもある。(笑)筆者が“脱亜入欧”を否定し、“脱欧入亜”な方向を支持する背景には、日本人が“論理的説得力”に馴染まない民族性を有している点にある。

 乱暴に切り刻むと、和をもって尊しとする国民性は、ユダヤ・キリスト教文化が背景の欧米とは水と油だと云う、保守的立場に立つからである。一度で良いから、ユダヤ教やキリスト教の教義を基本的に学んで貰いたい。とても“空気を読む”日本民族がおつき合いする人々でないことが歴然とし、愕然となる。特に旧約聖書のヨブ記なんてのを読むと驚く。選ばれた民、ユダヤ人は神から永遠の試練を受ける。その試練こそ、神の愛だ。虐げられれば虐げられるほど、試練が増幅し、選ばれた民、選民となるのだから、イスラエルは破れても破れても、めげる事はない。この精神が、欧米文化の基礎となっており、“空気の研究”なんて書籍まで生まれる日本人の空気空間とは、全然違うのだ。

 ハァツハッハ、またまた横路に逸れた。何が言いたかったのか忘れるところだった。拙コラム12月17日付「霞が関の悪魔は手ごわい 壊し屋『小沢、橋下、渡辺』の連携も選択肢か」でも書いたが、既に民主党は崩壊している。誰が何と言おうと、もう駄目だ。やはりひと言でいうなら「学級委員会」だったのである。故に、霞が関の呆れるほどの跋扈、狼藉を許し、役人のクーデター政権の樹立を、野田総理はじめ全閣僚が神輿になってしまったのだ。否、党役員も神輿と化した。 もう救いようはない。

 しかし、ヤケクソで政治行動を起こす必要もない。政治力を維持し、アホな国民をも引っ張り込む、論理性と合理性と情熱と理念、そして最も日本人が大好きな“空気”も生み出さなければならない。戦略的で、狡知で、勢いがあり、且つ誠実でなければならない。少なくとも、ワンイシューで構わないが、突破口を共通化させることだ。筆者は、民主党でも小沢信者でもない。何が何でも「国民の生活が第一」の政治シーンを最低限実現する事を支持する。呉越同舟も問題なし、親米も隷米も問題なし。糞味噌一緒のようだが、日本国家が近代化しない、一番の原因は国民の教養の低さにあると看破している。だからといって、それを教育からやり直すには、時間が幾ら必要か判らない。ウッカリすると、永遠に教育だけで終わる危険さえある。

  小沢、橋下は“脱霞が関”と云う我が国最大の元凶を敵に回し、闘いを挑み、空気を醸成すべき条件は整っている。枝葉末節に気を配る必要はない。おそらく“脱原発”でも一致するだろう。支配国アメリカの処遇は後日にしよう。(笑)敵が多過ぎては、多勢に無勢のリスクが増える。隷米風、市場原理主義風の仮面を被り、“空気を作ろう”先ずはそこからだ!

 個人的お知らせ:筆者の健康について多くの方々から心配のコメントをいただいた。取り敢えず、普通の高血圧レベルに落ち着いてきたのでご安心ください。まだまだ、悪口雑言、ひねくれたと云うか、マスメディアや識者らしき人々が語る切り口から、一歩退き、俯瞰的コラムを今後とも続けていけそうな状況だと云う事、お伝えしておきます。ただ、検査、検査の連続の為、暫くコラムの執筆も飛び飛びになります、特に体調の所為ではありません。健康回復時には、一層憎まれコラムを書き捲ろうかと考えております。(笑)ではでは、明日は脳のMRIです。



「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))
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