世相を斬る あいば達也

民主主義、資本主義とグローバル経済や金融資本主義の異様な違いについて

公選法とマスメディア世論調査 山本七平なら選挙違反と断言するだろうか?

2012年11月19日 | 日記
「本当のこと」を伝えない日本の新聞 (双葉新書)
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公選法とマスメディア世論調査 山本七平なら選挙違反と断言するだろうか?

 故山本七平氏の著書「空気の研究」では、同氏が端から編集者と渡り合う場面が臨場感たっぷり語られている。同氏が日本の道徳観について感想を求められ「日本の道徳は差別の道徳である。まず、そのことから道徳教育を説く必要がある」、「そそそ、そんなこと書いたら大変ですよ」と云う編集者のセリフから始まるのだが、日本の社会は、同氏が例示するような事例の連続性で成り立っている。この空気感の功罪は別問題として、日本人の意識構造や思考経路には、常にこの空気感が多かれ少なかれ存在している。

 周りと波長を合わせる。自己主張は程々に、“主張性3:協調性7”程度に世間の空気に合わせて生きるのが、一種日本人の処世術のようになっている。勿論、世代間でかなりの相違は存在するが、解剖してみると、その世代自体に、それなりに一定の“空気”があるわけで、共有の意識は、“世間の空気に違和感がない”自分を取り繕う“生きる知恵”のようなものを持っている。つまり、個性尊重とか、自分らしくとか、識者が幾ら語ろうと、彼ら自体が“世間の空気に違和感がない”言説の範囲を守らなければ、異端になるのである。小室直樹なども、今でこそ真実に接近した識者と理解されるが、当時彼は異端扱いされたのである。

 このような傾向は、欧米にも存在するだろうが、宗教と倫理の箍が嵌められていたので、教会の箍は緩やかなものとなった。また、侵略され、侵略する歴史の教訓は、自己確立に、相当のエネルギーを消化したのではと思われる。それに比べて、日本と云う四方を海に囲まれた国家で、他国からの占領をたった一回しか経験していない民族は稀だろう。この辺は、歴史学者や社会学者の領域なので適当に流すのだが、その特殊な国土国家構成と歴史の悪戯が、日本社会に「空気」と云う科学では証明しきれない得体の知れない“民族的呪縛”を生みだしたのである。最近では、都市部と農村部でも違いが出ているのだろうし、リアルな世間とヴァーチャルな世間が混在していることも念頭におく必要はあるのだろう。しかし、メジャーな民族(国民)に巣食っている「空気感」は未だ厳然と存在している。

 空気感は深追いすると大変なテーマなので、この辺で思考を停止しておく。筆者がなぜこんなテーマでコラムを書き出したかと云うと、朝日新聞の17、18両日に亘り調査した世論調査の報道を目にしてしまったからだ(笑)。その内容には触れないが、日本と云う国では国民の「空気」ともなり得る“世論調査”と云うものは、公正公平を求められる国政選挙においては、必ずしもフェアネスな行為なのかどうか、マスメディアの意図を組み込む可能性も排除できないし、その調査の公正さを証明するものも存在しない。勿論、「国民の生活が第一」を支持する筆者にとって不快な調査結果であった事も不快の原因であるが、日本と云う特殊な国家においては、マスメディアが創造する世論、風、空気が国民の意識に強く反映すると云う事実をないがしろにし過ぎているのではないかと思量するわけである。

 その前に、マスメディアへの露出を、一定の政治勢力に集中する事で、一部彼らにとって不都合な政治勢力をネグレットした報道をサブリミナル的に、国民に刷り込み、“中国共産党の反日教育”とまったく同じ構図の行為をしているのだから、マスメディアが垂れ流す政治報道が、かなりの範囲で国家の「空気感」を成立させられるわけである。そもそも、日々垂れ流すマスの持つ威力が功を奏し、潜在的空気を醸し、その上で「アナタはどう思いますか?」と聞き及ぶのだから、概ね当たり障りのない回答(空気を読んだ回答)をするのは、日本においては、まったく不思議でもなんでもないことなのだ。尚且つ、そのオウム返しが、其の儘投票行動に現れる危険も包含する。

  欧米的フェアネスの論理から行けば、それは国民の勝手であり、その歪曲的プロパガンダ手法に気づかない国民の自己責任であると云う説が有力になるだろう。しかし筆者は、日本は欧米ではない、と欧米の論理を拒否する。無論、嘆かわしいことだとも思うのだが、今夜は短絡的に拒否しておこう(笑)。ここまで考えてみると、マスメディアの政治報道そのものが公職選挙法違反なのではないか、と思うのだが(笑)、まぁそれは極論なので控えるとして、総選挙が始まるとなった時、つまり国会が解散した時以降は、世論調査を公選法で違反とすべきと考える。

 だいぶ古い記録だが、自治省の解釈で、公職選挙法第138条の3で、“人気投票”を禁止しているのだが、マスメディアの世論調査については以下のような見解に立っているようだ。
≪ 「人気投票」とは、通常、葉書、紙片等に調査事項を記載する方法によるものをさしますが、必ずしもその方法のみに限らず、その形式が投票の方法と結果的に見て同じである場合は、すべてこれに当たります。なお、世論調査という用語は、公職選挙法上の用語ではないので、当省としては、その用語を解釈する立場にございませんが、調査員が被調査員に面接して調査をした場合は、公職選挙法上の「人気投票」には当たらないと解しております。≫(当時の自治省の見解が生きている。現在は総務省管轄)

 昨日の朝日の世論調査も電話調査と書いてあるので、RDD方式(乱数番号法、Random Digit Dialing)による調査がなされたと考える。上述以外の政府見解の記録を現時点で持ち合わせていないので、詳細は判らないが、5歳児がプッシュホンを押してもカウントされるとか、調査員が被調査員に面接して調査とは相当に乖離があるだろう。勿論、政府の見解そのものが、マスメディア性善説に則った考えであり、到底悪意あるマスメディアを想定してない前提の見解である。

 ヤフーのみんなの政治における世論調査が正しいとも思わないが、マスメディアの世論調査がフェアネスに基づき行われている保証は何処にも存在しない。日本と云う国家においては、「空気感」が日常生活に直接的な被害を及ぼさない限り、敢えて否定や拒否をしないのが、日本人の文化だとすると、マスメディアの行動には、厳しいくらいの報道の倫理が求められるのだが、ネットへの規制には熱心だが、既得権益派に属するマスメディアへの規制は野放しと言っても過言ではないのである。記者クラブの存在も然りである。

 公選法が「べからず法」だと揶揄するくらいなら、マスメディアの世論調査などは、明らかに「人気投票」に他ならない。本来であれば、日本の“公選法”自体が異様なのだが、それはさておくとして、“べからず”を全方位に行うべきだろう。その意味で、安直な電話調査RDD方式を認めるとしても、固定電話4:携帯電話6のような縛りも必要な気がする。まぁ今夜はヤフーと朝日(各社同じだろうが)の乖離等を見ながら、思いついた事を書いてみた。ただ、このようなマスメディアの横暴を看過しているから、政権は我々新聞テレビ界が作っている、と云う傲慢で不遜な態度になり、真実を歪め、国家国民を裏切る世論、空気を生みだし続けることになるのだろう。誤報の類も、その傲慢と不遜のなせる業なのだろう。

「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))
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