世相を斬る あいば達也

民主主義や資本主義及びグローバル経済や金融資本主義の異様さについて
定常で質実な国家像を考える

自棄を起こしてしまいそうな酷暑の中 溶けてなくなりそうな日本を思う

2013年08月14日 | 日記
経済成長という病 (講談社現代新書)
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●自棄を起こしてしまいそうな酷暑の中 溶けてなくなりそうな日本を思う

 東南アジアよりも暑くなっている日本の気候。エアコンが嫌いな筆者も、流石に冷房や除湿の世話になっている。体温調整が上手く出来ない高齢者などにとっては、死と隣り合わせの日本列島と云う感じだ。ちなみに明日の東京の予想気温は摂氏35度だが、バンコク30度、クアラルンプール32度、シンガポール29度、ジャカルタ28度、マニラ29度なのだから、天気図の解説は別にして、アジアで一番暑い国になっている。まぁ、一過性であることを祈りたいものだが、今月一杯がこんな調子と云うのだから、笑いごとでは済まされない気候変動かもしれない。

 この暑さの影響かどうか判らないが、内閣府の「国民生活に関する世論調査」や黒田日銀総裁、安倍首相自身のコメント等々を聞く限り、景気は順調に推移し、大船に乗ったつもりで、国民は日々精進せよ、と云うご託宣である。非常に景気も好く、予定通り消費税も上げられそうだ。ちょっと心配もあるから、投資減税や法人税減税などもセットにして、秋の臨時国会に臨もうとしているようだ。現状は、自公民与党政権に逆らうパワーは何処にも見当たらないのだから、デタラメでもなんでも言える状況になっている。ナチスに学ぼう!なんちゃっても、曲解された~と叫べばオッケー国家が誕生している。

 「国民生活に関する世論調査」によると、71%の国民が現在の生活に満足しているのだそうだ。あまりの冗談ではないのだろうか?仮に、この数字が真実であるなら、日本人の5割程度は準禁治産者なのではないかと云う疑問さえ浮かんでくる。薄商いの東京市場は、法人税減税と云うメッセージに反応した海外資金の一部が買いに出たようだが、海外投資家の日本を分析する能力は、意外にいい加減なものである。彼らは、金融工学理論に則して、投機を行うわけで、将来の日本市場が魅力的と云う判断で動いているわけではない事を忘れないでおきたい。彼らは売り買いで利益を得るのがビジネスであり、市場が上がっても下がっても、それは関係がないことを肝に銘じておこう。

 ところで、足元の日本の経済は、現実はどうなっているのだろうか。筆者の立場は、何度も言うように、幻想に過ぎない経済成長に命を預けるような無謀は出来ないと云うのが持論なので、経済成長を錦の御旗にする経済政策や国家像は、時代感覚に瑕疵があると云うことなので、安倍晋三の経済政策など歯牙にもかけたくないところだが、日本の潮流が未だ経済成長に縋ろうと云う「空気」がある以上、その考えに沿って論を進めるしかない。筆者の論を展開すれば、自由貿易など寿命がきている、自給自足経済思考を持つべき、の一言で済んでしまうのでコラムになりようもない(笑)。

 断言できることは、まったく景気は好くなっていないと云う事だ、残念!と云う事である。「街角景気」は2カ月連続で低下している。景気は“気”であると云うように、その“気”が落ち込んでいるのだ。そりゃ当り前で、嘘がいつまでも通用する筈もない。自民党はガセネタでネジレ国会を解消したに過ぎない。問題の設備投資だが、6期マイナスだ。企業が国内市場目当てに、国内で設備投資するモチベーションはゼロである。「企業の収益増加―設備投資の活性化―雇用の好循環―所得の増加」その方向に言っていると、日銀も政府も強弁しているが、笛や太鼓で躁状態にも拘らず、企業も国民も寝たきりで、起きる気配はない。

 安倍首相が矢継早に、投資減税だ、法人税減税だ、とリップサービスを継続すること自体が実体が相当に怪しいことを証明している。実体経済が本物の動きをし始めたら、首相が事あるごとに経済や景気に言及する必要すらないのだ。あきらかに5月に日経平均が15,627円をつけた時点で終わったのだ。「気」による目先の誤魔化しの限界が来たのだ。おそらく企業人の誰もが、本当に景気が好くなると思っていないのが本音だろう。まぁ景気を煽って、売り上げが若干伸びるとか、輸出が伸びるかも程度の期待はあったろうが、あくまで企業内の好循環に過ぎず、国家経済の好循環に波及するとは思ってないだろう。

 雇用が改善していると強弁し続けるが、非正規労働者が増えたと云うことで、正規社員数は、着実に減少している。ここで、秋以降の竹中風味の経済成長戦略を本気で始めたら、給与所得者の可処分所得は限りなく減少と云うスパイラルに入るだろう。そもそも、少子高齢化がこれほど顕著に現れた国家の人口構成で、経済のパイが大きくなったら、それは異常だろう。異次元ではない、異常の世界のなのである。民間企業に雇用を増やせ、給料を上げろと言っても、無駄な事である。彼らは株主資本主義で雁字搦めになっており、雇用の拡大や賃金の上昇をフリーハンドするツールは、既に株主によってもぎ取られているのだ。この事実を強く認識すべきである。

 以前から言われ続けていることだが、国民に消費する需要欲がないのである。供給は21世紀分は充分に備えている。仮に需要のある市場があるとしても、それは海外である。グローバル経済に呑みこまれた日本企業が生き残るには、国内生産を守るモチベーションがゼロなのだ。幾つかの成長分野は残されているが、それら分野は知的財産に繋がるような分野であり、一般の給与所得者が従事できる世界ではない。これからの国家経済を考える時は、経済学者のレベルでは不可能な領域に日本は突入している。

 自由主義経済で日本は生きていくのか、グローバルな世界経済で互して闘えるのか、そういう根源的議論を抜きに、小手先の政策で、どうこうなる時代はとつくの昔に終わっている。年収200万円で暮らす生活に甘んじて、成長する世界と互してグローバル経済世界で生きるのか、あらゆる価値基準をガラガラポンして、内向きな国内に閉じこもるかである。おそらく、無理しない内向き国家の方が、長生きはするだろう。あり得ない経済成長を求める事は、角をためして牛を殺すことである。規模の成長がなくとも、価値の成長を追求する国家観こそ、いま求められている。最後は、持論で締め括ることになった(笑)。

自由貿易という幻想 〔リストとケインズから「保護貿易」を再考する〕
クリエーター情報なし
藤原書店


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