世相を斬る あいば達也

民主主義、資本主義とグローバル経済や金融資本主義の異様な違いについて

国民の知る権利を侵害する“公職選挙法” 目立つ総務省、警察・検察の裁量行政

2012年11月08日 | 日記
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国民の知る権利を侵害する“公職選挙法” 目立つ総務省、警察・検察の裁量行政

 今夜は見出しにすると程、筆者は何かが見えているわけではない。単に、日本の「公職選挙法」と云うものが、異様な代物なのだな~と思ったと云う感想的コラムを書くだけである。触発されたのは、7日付の東京新聞のトップ記事である。近所のコーヒーショップで読んだだけなので、その記事の内容は忘れた。ただ、東京新聞のネット版に「ネット選挙を解禁せよ」と云う記事があったので、参考として以下に添付する。

≪ ネット選挙を解禁せよ
 石原慎太郎前東京都知事が尖閣諸島の購入をぶち上げて日中関係をどん底に突き落としたり、田中真紀子文部科学相が大学の開設に突如待ったをかけて将来のある若者を翻弄(ほんろう)したり…。
 最近、この国の政治家はちょっと暴走しすぎではないだろうか。もっとも、そんな彼らに国を託しているのは、私たち有権者だ。人気に一向に陰りが見えないのは不思議である。
 さて、ポスト石原氏を争う都知事選の足音が近づいてきた。衆院の解散圧力も強まっている。来年夏には都議選、参院選が控えている。またぞろ暴走したがる高齢政治家、世襲政治家が当選するのだろうか。
 選挙が迫る度に持ち上がる話題といえば、インターネット利用の解禁だ。
 ケータイやスマホ、パソコンがこんなに普及したのに、公職選挙法は相変わらずポスターやビラ、街頭演説といったアナログの選挙運動しか認めない。 ネット利用が禁止されているのは日本くらいで、アナクロの極みと言える。
 ネットが使えれば、地盤、看板、かばんのない人も手軽に出馬でき、情報発信も安上がりだ。有権者は時間と場所を問わず、候補者情報をチェックできる。
 さらに、ネット投票が可能になれば、政治離れの激しい若者の投票率がアップして政界刷新が期待できるかもしれない。「一票の格差」の是正も大事だが、ネット選挙の解禁も忘れないでもらいたい。 (大西隆) ≫(東京新聞:私説・論説室から)

 現時点で、筆者が理解できたことは、公職選挙法と云うものが60年も前につくられた法律であること。パソコンどころかテレビもない時代に作られた法律と云う点が、第一の問題点。第二の問題点は、選挙に立候補する人間達の行動を取り締まることが、法が成立した時の目的と云うこと。つまり、主権者である国民が、候補者の多岐にわたる主張がどのようなものかと云う、選ぶ側の“知る権利”は一切考慮されていないと云うこと。第三番目に、総務省管轄の法律である点。つまり、戦前の内務省(当時は権力の頂点省庁といわれ、治安維持法・特高警察であり、国家公安委員会・警察庁の前身ともなる)の系譜に属し、行政が政治を縛る傾向がある点。第四に、実際に、この法律を行使する場合、警察、検察の裁量権が色濃く出る点である。

 あまりに度が過ぎる、この近代国家ではお目にかかれない、我が国の公職選挙法に対して、国連自由権規約委員会から、見直すように勧告まで受けているのだが、その気は現在の総務省にはさらさらないと云う状況だ。ここまで時代がかった法律を盾に、総務省、警察、検察は、日本の役人の裁量行政を好き勝手に駆使し、利権でも増やしているのでは?と云う疑いさえ抱く状況なのである。立候補に必要な供託金もうなぎ登りでバブルそのものだ。バブルがはじけてデフレ下だと云うのに値下がりの気配はない。国民は、候補者の主張を知る権利を侵害され、立候補する権利さえも侵害されているのかもしれない。ただ、筆者は現時点のネットの信頼性から考えて、ネット投票と云う考えにはくみする事は控える。

 ザザッと公職選挙法と云うものに目を通してみたが、もう半分くらいは滅茶苦茶の時代錯誤、噴き出すような条項が散見できる。時間の関係で言及は避けるが、興味のある方は一読する価値があります。読めば読むほど、国連じゃなくても、これは民主主義、自由主義の原則から逸脱していると言わざるを得ない。特にネット解禁が良いか悪いかの前に、この付け焼刃としか思えない、継ぎ接ぎだらけで、時代がかった法律自体をどうするのか議論するところから入るのが正しいのだろう。

 またまた、アメリカの所為にするわけではないが、戦後の適当な占領支配の中で、内務省の役人の能力に驚嘆、一定の裁量を内務官僚に与えた結果、戦後の日本の民主主義の形だけが整えられ、魂を入れることは怠った遺物だといえる。まぁアメリカに仏の意識はないだろうが、入魂は忘れたようだ。しかし、外観だけでも置き土産してくれた事を奇禍とし、入魂するのは日本人の義務かもしれない。 此処にも、刑事司法同様の日本の異質性が観察できる。どうも、米国は外形的民主主義を与えたつもりのようだったが、その後は関係省庁の官僚らの意のままに、主権者国民の立場に立った法の制定は置き去りにし、裁量権を膨大に与えただけなのだろう。勿論、法を改正乃至は制定するのは立法(政治家)の役目だが、現時点ではその役目が自分たちにあることすら記憶にないと言いたげである。

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