世相を斬る あいば達也

民主主義、資本主義とグローバル経済や金融資本主義の異様な違いについて

「産業構造改革」 役人まかせのビジョンで国家は変わらない、一人ひとりが…

2012年11月12日 | 日記
「Gゼロ」後の世界―主導国なき時代の勝者はだれか
クリエーター情報なし
日本経済新聞出版社


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「産業構造改革」 役人まかせのビジョンで国家は変わらない、一人ひとりが…

 筆者は現在の産業構造に詳しいわけでもない。故に、今後の日本社会が、どのような産業構造を主体に生きていくべきなのか、明確な回答を持ちえない。ただ、経済産業省が中心となり策定した「産業構造ビジョン2010」を読む限り、現状の産業構造の延長線上で考え得る、“KAIZEN”のプロセスを並べ立てただけと云う厳しい感想だけが残滓として残るだけである。経産省のサイトに行けば、こと細かく審議会が指摘したビジョンをPDFで閲覧可能だが、特に読むべきだと云うほど示唆に富んだものとは言い難い。文藝春秋が簡潔に「産業構造ビジョン2010」をまとめているので、参考に添付する。

≪ 産業構造ビジョン
 経済産業省は、6月1日、日本の産業が今後10年の間に、いかに構造転換をしていくべきかの道筋をとりまとめた「産業構造ビジョン2010」を発表した。これは、直嶋正行経済産業相がさる2月、「成長戦略と産業競争力の強化は一体。インフラシステム産業や、日本の感性を生かした文化産業を育成する必要がある」と強調し、産業構造審議会で検討を重ねてきた結果の報告書だ。
 同ビジョンでは、92年当時は世界2位だった日本の一人あたりGDPが08年には23位に転落、国際競争力も2010年は韓国にすら抜かれて27位にまで評価が落ち、半導体、液晶、など日本の高い技術の象徴といわれたハイテク製品が次々に世界シェアを失うなど、世界における日本経済の地位が低下している現状を分析している。そのうえで、この行き詰まりは決して一過性ではなく、産業構造、企業のビジネスモデル、国のビジネスインフラに起因していると警告している。
 では、この構造的問題をどう克服すべきなのか。同ビジョンでは、政府と民間企業の叡智を結集し、次の「4つの転換」が必要だと訴えている。
 一つ目は、自動車・電気産業依存の「一本足打法」から多様な「八ヶ岳構造」へ、付加価値の源泉を従来の「高品質・単品売り」から「システム売り」「文化付加価値型」へ、これまで成長制約要因とされてきた環境・エネルギーや少子高齢化に関連する分野を「問題解決型産業」へと転換すること。
 とくに、(1)インフラ関連とシステム輸出(水、原子力、鉄道など)、(2)環境エネルギー産業(スマートコミュニティ、次世代自動車など)、(3)文化産業(ファッション、コンテンツ、食、観光など)、(4)医療・介護・健康・子育てサービス、(5)先端分野(ロボットなど)の5つの分野を戦略的に強化し、成長の牽引役を担わせること。この5分野に予算を集中することで、「2020年までに総額149兆円の新たな市場と、合計258万人の雇用を生み出すことができる」と同ビジョンは述べている。
 二つ目は、日本企業はデジタル技術の普及と成長市場の新興国への移行にともない、「技術で勝っても事業で負ける」ようになったため、「技術で勝って、事 業でも勝つ」ビジネスモデルに転換すること。そのためには、従来の「(全部自分だけでやろうとする)垂直統合・自前主義」モデルを分業モデルにし、どの基 幹技術をブラックボックス化し、どの部分をオープンにして国際標準化をめざすかについて、事業戦略を構築する。
 三つ目に、グローバル化か国内雇用維持かという二者択一の発想を改め、「立地の国際競争力」を高めて、グローバル化の中でも国内で付加価値を生み、雇用を創出する発想に転換すること。このためには国際水準をめざした法人税改革や物流インフラの強化、グローバル化に対応できる高度な人材の育成が必要となる。
 四つ目は、政府の役割の転換。「企業が国を選ぶ時代」が本格的に到来したいま、戦略分野の支援、誘致、売り込み合戦に政府が先頭に立つなど、「市場機能を最大限活かした官民連携を構築しなければならない。
 なかでも注目されるのは、国税と地方税を合わせ、企業が実質的に負担する法人税の実効税率を来年度には5%程度引き下げ、将来的には国際的水準である 25~30%にすることを目指すと明記したことだ。欧州の30%前後、アジアの25%以下に比べて、日本の法人税は40.69%と突出して高く、これが企業の活力を奪い、設備投資を抑制させて国際競争力を低下させていると、経済界からかねて引き下げの要望が強かったからだ。
 しかし、政府は自公政権の時代から何度も「骨太の方針」などで構造改革指針を示してきたが、継続的に実現されてきたかどうかの検証はなされていない。今 回の「産業構造ビジョン2010」も、これをどう具体化していくのか、誰が主体となって推進するのか、はなはだ不透明である。
 産業構造ビジョンの策定について、ジャーナリストの富山創一朗氏は「日本が何で食べていくかを考えるのは重要だが、そんな大義名分の裏に、産業界に大号 令を発したいという経済産業省のノスタルジーが潜む。石油化学業界の生産調整で生き残りを図った1980年代の特定産業構造改善臨時措置法(産構法)の復活を目論んでいるというのだから、時代錯誤もはなはだしい」と指摘(「フォーサイト」3月号)、警戒感を示している。」(文藝春秋編:今週のキーワード)
参考URL: http://www.bitway.ne.jp/bunshun/ronten/sample/keyword/100603.html

 2010年に策定したもののようだが、今審議会を開けば、これに電力の原発依存の脱却、再生可能エネルギー産業の構築を目指せとか、IPS細胞の基礎研究、及び応用研究を官民一体になり推進、医療製薬産業一大国家を目指す、みたいな文言が追加される程度で、多分ほとんど変わないだろう。そして、そのほとんどが、まったく前進せず、現産業が後退すると云う現象をみるだけになるだろう。このビジョン策定から2年が過ぎているが、現実は悪くなるばかりである。

 なぜ、こんな馬鹿げたビジョンが審議会を通じて策定されるのか。既存産業界の生き残りが前提の産業構造変革ビジョンであるため、夢も希望も無きに等しいものが出来あがるのだろう。審議する連中が既存の産業構造の利得者であり、それを総括する経産省が事務局を担当する以上、“改革”と云う名にふさわしい政策が打ち出せるわけもない。この程度のビジョンを打ち出すだけでも大変だったのだろうが、マヤカシの身の丈に合ったビジョンであるにも関わらず、それすらも進まないのだから、アリバイの為だけの政策ビジョンと評されて文句は言えないのだろう。

 ただ、現実に21世紀以降の我が国の産業構造を如何なるものにすべきなのか、そのロードマップは国家戦略として推進すべきものなのか、自由に市場に委ねるものなのか、そもそも立ち位置が何処にあるのか、そこからの議論になるのだろう。そう云う意味では、ビジョンの策定と云う行為は、民主主義、資本主義の領域内における狭義のイデオロギーの対立でもある。つまり、相当に政治色が反映されてしまうと云う代物だと云う事も念頭に入れて考える必要がある。要するに、意図的に政治色を排除しても、最終的には政治色が現れると考えるのが妥当なのだろう。

 脱原発を主張する人々が、どれほど政治色がないと主張しても、絶対的普遍性の共有がない限り、そこに狭義のイデオロギーは入り込むわけで、政治や政党との関係を避けることは出来ない。同等に並べて論じるのは乱暴だが、一国の今後の生き様を論じるときも、その考えの出発点には、政治性はつきものだ。現在の日本人の生活習慣には、何時の頃からか、政治宗教と下半身の話題に触れないで、澄まし顔で坦々と市民生活を送る約束事が出来あがっていた部分がある。

 勿論、ネットの普及により、そのタブーは随分浸食されたが、やはりメジャーな市民生活における“空気”にまで至っているとは言い難い。自立してモノが考えられる人々が増えてきたと云っても、まだまだマイナーであり、共通認識には程遠い。このような自己認識しか持ち得ていない国家と国民が、何処に行くのかも判らない“日本”と云う国の将来ビジョンを考えることは不可能にさえ思える。しかし、考えなければならない時期が来ている。準備は出来ていないのだが、答えを選択しなければならないのだ。

 選択せずに、傍観者として国家の行為を見ていても、自己責任で考えて選択参加しても、最終的には国家と云う枠組みでの影響下に属するのである。それなら、せめて考えて選択くらいの参加はすべきではないのだろうか。任せて文句を言うくらいなら、誰に任せるかくらいの思考経路は働かせるべきである。次期衆議院選は、脱原発・再生エネルギーシフトを選択するのか、成り行き任せで原発依存からの脱却を夢見るのか、核保有まで視野に原発に邁進するのかである。消費増税問題も、TPPへの参加も、同じように選択肢が示されているわけで、選択には否応なく、政治性を帯びる事を覚悟すべきである。

 政治家のゴシップや失言や瑣末な違反等々に目を剥く限り、国民が国家ビジョンを考える端緒に着くことは出来ない。今後、この日本をどのような国にしたいのか、チャンと語らない政治家は信用してはいけない。美しい言葉で語りかける奴を信用してもいけない。約束を破っても、恥じらい一つ見せない政治家を信じてもいけない。正直、日本と云う国は、選択肢が幾つかある別れ道に差し掛かっている。具体的にどの道、この道と指し示す器量を、残念ながら筆者は持ち合わせてない。それぞれ考えて貰うしかない。難しく考えるもよし、単純に感じるでも良いだろう。最低限、自分で考えるか、感じて欲しい。

 ドミノ現象が必ず起きるグローバル経済に巻き込まれているのは事実だ。今さら引き返せないと考え、行き着くところまで行くしかない、と考える人もいる。500年も待てば、世界の平準化が成り立つかもしれない。或いは、一定の地域囲い込みで、グローバル・ドミノの罠から逃れようとする方法もある。また、グローバル経済から一歩二歩遠ざかり、内向き経済に依存する選択もある。おそらく、その思考は、哲学であるとか、宗教の教えであるとか、自己の大まかなイデオロギーで大別される筈だ。しかし困った事に、この辺の次元になると、新聞テレビのご託宣にすがる国民が多い我が国だけに、語るだけ無駄かもしれない。小沢一郎が常々言っている、自分の足で立ち、自分の頭で考えろ、と云う話は簡単なようで、日本人が最も苦手とするカテゴリーなのが悩ましい。

 本題の産業構造改革のビジョンを考える際も、現在巻き込まれている日本のグローバル経済状況と、既存の産業の“寿命時計”等々を、それなりに想像力を発揮し、物語を語る気軽さで、自分の脳内のスクリーンに描いてみて欲しいものである。筆者の場合、地産地消のなれの果てで、鎖国的幸福度国家の画像が浮かんでしまうので、ここでは言及は避けておく(笑)自分の生業上と云う観点で考え発言し、ビジョンを策定しても、それはKAIZENであり、ビジョンとはなりえない。

 そういえば、今日12日は小沢裁判の判決の日だ。まさかと思うが、まさかがない事を念じて、眠りにつくとする。マスメディアも自公も、無理やり解散を演出している(笑)。まぁ野田が民主党を破壊するつもりなら、解散もありうるだろうが、そこまで行っても、野田が得るべきモノが筆者には見えない。それとも野田には、亡霊でも見えているのだろうか?


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