世相を斬る あいば達也

民主主義、資本主義とグローバル経済や金融資本主義の異様な違いについて

●安倍晋三の“戦後レジュームの脱却”は国家の衰退につながる

2017年06月16日 | 日記

 

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●安倍晋三の“戦後レジュームの脱却”は国家の衰退につながる

「共謀罪」を何の為に成立させたのか、賛成した勢力も、反対した勢力も、あまり今回成立の法の法理を理解してない模様だ。実際問題、そもそも「法理」のない法案なので、理解するのが困難なのだ。取り締まる側が、現実的に、これこれ然々な捜査を、斯く斯く然々、簡便に出来たら、すごく便利だね。こんな感じで出来上がった継ぎ接ぎだらけの「共謀罪」なので、評価することが不可能な法律である。

評価の俎上に乗せられない法律は、それを悪法と云う。明治以降の日本社会は、法にせよ、社会にせよ、近代国家とは名ばかり、民主主義、三権分立等々、名ばかりにシステムを、猿真似で構築してきたわけだが、安倍晋三という鬼子の誕生で、その欠点が、如実に表れている。個別に凝視すると、それぞれの問題として分析できるが、それでは、全体が腐れはじめている事実を見逃すリスクが高いようだ。

以下引用の内山節の「国家の黄昏」に関する論考は、本質的問題に迫っている。内山の国家論のレベルを、多少低くしてみると、日本の民主主義の大欠点の幾つかが、今は見える時代になっている。現在の安倍内閣における、森友・加計問題などは、本質的に捉えれば、広義の贈収賄大疑獄事件である。本来であれば、地検特捜部の捜査が開始されて然るべきである。無論、準強姦犯を匿うような行為も、官邸の犯罪に類するだろう。しかし、官憲が動く気配はないし、後者に至っては、もみ消しに奔走している。

結局、民主主義、その原則である三権分立や法理に基づく「法解釈」と「法の執行」と云ううようなものが、民主主義における「建前」に準じて行われるべきものだが、“武士は食わねど高楊枝”“伊達の薄着”等々、佇まいを整える儒教の精神を踏みにじり、「本音」を前面に出す人々が権力を握った場合、「語るに落ちた」民主主義、権力行使が可能になる、そう云うことを、安倍政権は具現化しているということだろう。

最近は“SONTAKU”(忖度)という米語が通用するように、忖度の肝は、裁量行政がまかり通り、三権分立の精神は、完全に崩壊し、国家のあらゆる権限が、中央集権化して、人事と云う、情けない人生の一コマの為に国家が根腐れしてゆくというのだから、心底絶望的である。本質的に、民主主義は貴族社会における制度設計であったわけで、日々の生活に依拠する人々を想定していなかったものなのだから、生活者に民主主義を押しつけるのは間違いかもしれない。

内山氏が言うように、「国家」が根拠に基づいて成立している場合、その実態は、ひどく脆弱で、常に黄昏を迎える運命にある。無根拠に「国」がある場合には、自然に、そこにある、それだけなので強いが、憲法があるからとか、国家神道があるからとか、根拠づけをしようとすればする程、その基盤は脆弱になる。つまり、根拠の崩壊イコール国家に崩壊が訪れるからだ。これ以上書き続けると、無国家主義、アナーキーな方向に行きすぎるのでやめておこう。まずは、以下引用の内山節氏のコラムをお愉しみください。

 


≪ 安倍政権が「強い国家」を目指すほど、国家は結局弱くなる単純な理由
【連載】たそがれる国家(3)

■国家というもののとらえ方
国家のとらえ方は、時間幅の設定の仕方によって変化する。
:それはこういうことである。
:たとえば今日の私たちは電気のない生活など考えられない。ところが長い人類史のなかでは、人間が電気とともに暮らしたのはせいぜいこの100年間くらいのことであり、何をするにも電気が必要な生活をするようになってからは、まだ50年くらいしかたっていない。
:人類史全体をみれば、電気のない生活の方がはるかに長いが、いまの私たちにはそんなことは想像することもできない。
:国家も同じような面をもっている。50万年近い人類史をみれば、国家のない社会で人々が生きていた時間の方が圧倒的に長かった。
* * *
日本で国家の形成がはじまるのは律令制に向けた整備がはじまる頃で、乙巳の変(いっしのへん)、大化改新を起点としても、その前の冠位十二階の制定あたりを起点としたとしても、まだ1500年もたっていない。
:その前の「日本」は、権力者が発生してから以降も、朝鮮半島と結んだ豪族たちが存在していただけであって、「日本」という国家が意識されていたわけでもないし、彼らは国家の統治者でもなかった。
:しかも律令制の整備がすすめられてからも、国家を意識していたのは支配階層の人たちだけであって、普通の庶民たちにとっては国家は縁のないものであった。
:江戸時代までの日本では、人々は自分の暮らす地域を「くに」と表現していたのであって、それもまた確定された地域のことではなかった。遠方の人たちに対しては藩を「くに」として語ったが、同じ藩内の人に対しては自分の暮らす村や町、その周辺が「くに」になる。
:明治時代に入ると日本は近代国家の建設に向かうが、といっても多くの人たちは国民意識などはもっていなかった。それが芽生えてくるのは日清戦争以降であり、定着したのは日露戦争の頃だと考えてよい。
:現在の私たちは日本国民であることを意識しながら暮らしているが、その歴史は電気の歴史とあまり変わらないのである。
:にもかかわらず、電気のない生活を経験した人がほとんどいなくなったように、現在の人間たちは国家のない暮らしを経験したことがない。だから国家は絶対的に必要な基盤のように感じる。
:だが、もしも電気に変わる便利なエネルギーが開発されれば、次第に電気は衰退していくのと同じように、国家を必要としない時代や、国家の下で暮らすメリットよりもデメリットの方が大きい時代が生まれれば、国家もまた衰退へと向かうかもしれないのである。

 ■国家は本質的に無根拠である
ところでいま私は、「国家もまた衰退に向かうのかもしれない」と曖昧な言い方をしたのだけれど、なぜ曖昧なのかといえば、国家とはそもそも無根拠性を基盤にした創造物だからである。
:たとえば律令制を整備する過程で、日本の支配層は、日本という国家を形成しようとしている。しかしその動機は日本における支配権の確立であり、当時の朝鮮半島の混乱のなかで、中国とも朝鮮の国々とも違う自立した支配圏をつくりだすことにあった。
:つまりそれは、どのような統治権を確立するかという問題であり、その推進が国家を生みだしただけなのである。国家自身に成立根拠があったわけではない。統治権の確立が、結果として国家を生みだしたのであって、国家自体は無根拠性の上に成立している。
:江戸時代になれば幕府を軸にした武家国家が生まれてくるが、これもまた幕府による統治権の確立が日本という武家国家を生みだしたのであって、国家自体はやはり根拠なく形成されている。 :そしてそれは明治になっても変わることはなかった。
:欧米がもっている近代的な技術、経済、軍事力などを目にして、日本も近代国家を形成する方向にむかう。日本を取り巻く当時の国際情勢や日本の社会変化のなかで、より強力な中央集権国家として近代国家を形成する方向に、当時の日本はむかった。
:だがここでも、国家自体がそれを求めたわけではない。当時の政治に国家をよりどころにする必要性があったということであって、国家自体が近代国家をつくる根拠をもっていたわけではないのである。
:国家は、本質的に、無根拠な成立物なのである。 それは諸外国においても変わらない。ただし私たちは成立したものの内部で暮らしているがゆえに、それが根拠のある産物であるかのように感じるだけである。

■根拠がないという「強さ」
だがこのことは、国家の弱さを意味しているわけではない。むしろ逆に、そのことにこそ国家の強さがあるといってもかまわない。
:根拠があって生まれたものは、その根拠が崩れれば存続する理由がなくなる。ところが根拠なく生まれたものは、ある種の超越的な基盤をもっている。根拠を超えているという超越性である。
:すなわち、その無根拠性がゆえに国家は超越的に必要なもののように感じられてくる。
:とすると、国家はその根拠を明確にしてはいけないものだということになる。つまり、曖昧性をもっていなければならないのである。そして曖昧なものである以上は、それが衰退していくときがあるとしても、それもまた曖昧にすすむことになるだろう。
:逆に述べれば、国家に明確な根拠をつくろうとする試みは、国家を弱体化させることになるだろう。
:たとえば昭和初年代、10年代の日本をみてみよう。このとき日本は明確な国家の根拠をつくろうとした。 国民は天皇の赤子として位置づけられ、天皇のために命を捨てることは最大の「親孝行」であり、国民の美徳であるとされた。皇居遙拝が義務づけられ、皇民化教育が強化された。 そして日本人はアジアの人々を欧米の支配から解放する任務をもった優れた民族であるとされた。国内的にも対外的にも、日本が日本である根拠が明確にされたのである。
:それは、一瞬、すべての国民がひとつの方向性に向かって団結する強固な国家をつくったかにみえた。 :だがわずか20年もたたないうちに、その結果は明らかになる。国家の崩壊というかたちで。
:根拠の明確化は国家の弱体化を招いていたのである。なぜそんなことが起こるのかといえば、国家の強さはその無根拠性にあるからである。根拠の明確化は、国家が誕生したそもそもの原理に反する。
:同じことがドイツやイタリアなどのファシズム政権下でも起こった。
:ナチズムがおこなったことは、ゲルマン民族の国家という根拠の明確化であり、優れたゲルマン民族を柱とする世界の確立という、これもまた国家の根拠の明確化である。だがそれらもまた、20年ももたないうちに崩壊した。

 ■安倍政権がはまる落とし穴
逆に述べれば、戦後の日本は強い国家を形成していたといってもよい。 1950年代後半からの日本の指針は、ひたすら経済発展におかれていた。経済発展が人々の所得をふやし、そのことが豊かな暮らしを実現する。この論理が日本を支配していた。国家よりも経済だったのである。
:この雰囲気のなかでは、国家の根拠も曖昧なままにおかれた。もちろん国民は税を納めなければならなかったし、税の使い道が妥当だとみんなが思っていたわけではない。だがそういうこと以上に、経済が戦後日本の根拠だったのである。
:それは国家に根拠を求めない時代をつくりだし、その雰囲気にある程度政治も対応することによって、無根拠性がつくる強靱さを成立させていたのが戦後の日本の国家だったといってもよい。何となくつづく国家が成立していたのである。
:とするといまの日本の政権は、自分たちの意志とは逆の政治を進めようとしていることになる。
:なぜ憲法九条を改正したいのか。それは国家の姿を明確化したいからであろう。
:なぜ国家への忠誠心を高めようとするのか。国家あっての国民であることをはっきりさせたいのであろう。
:そしてそれらの先に描かれていくのは、国家としての日本の根拠の明確化である。それを成し遂げなければ戦後レジュームからの脱却はできないと考えているのだろうが、この道は国家の弱体化でしかない。 :なぜなら、くり返すが、そもそも国家は根拠があって生まれたものではないのである。ゆえに無根拠性という強さを最大限に活かすことしか、持続的な国家はつくれない。
:このような視点からみれば、今日の世界は、国家の黄昏に向かっているようにみえる。
:強い政治、根拠のある国家を求める動きが広がり、扇動政治家たちがそれをあおり立てている。その姿のなかに、私はむしろ、黄昏れる国家をみている。
 ≫(現代ビジネス:国際・内山節―たそがれる国家3)

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