『48歳の原点』(ブログ開設当時48歳⇒現在57歳なりました(^_^;)

還暦まであとわずか(-_-;)あと何年生きるのかしら?(^_^;)

『兄』

2017-03-14 15:53:20 | その他
享年62歳

肝硬変にもなったそうです
酒は一滴も飲まないけど?
寂しさを紛らわすために飲んだ?
否否、飲まないと思う

遺伝でしょう



ここまで書いて…力尽きました
一日経って…昨日3/14は長い一日でした


区役所の人との会話

兄は生活保護を受けていました
これは年々か前に(母が亡くなって2年後くらい)
もう、これ以上は兄の分まで面倒看切れない
たった一人の兄とは言え
自分の(わたし、ARちゃん、三女学費)生活もあり
パートの仕事(自分の趣味の分ですけど)
兄の生活費までは面倒を看られない
そして生活保護を勧め受けてもらうようにしました

母が亡くなり、妹もあてに出来ない
そこでようやく兄も気付いたようで
区役所の担当の人から聞いた話では
昨年の3月までは仕事に出て月8万円くらい働いていた
そして4月に肝硬変で入院をした
それ以降は体調が優れなかったようで
今年に入って数回訪問してくださったとのこと
3月にも会って話したと
自分の人生の話
生活保護に至る話もしたようで
妹であるわたしが面倒を看られないってことも
担当の方は理解してくれてて
兄が
妹との中が上手く行かなくなったこと
このことに付いては(涙ながらに)
「自分が悪かった」と言っていたようです

仲違いはしたけど
兄妹は兄妹です

憎しみ合って別れた訳ではないので
悔いはないです
悔いるくらいなら面倒を看ていました
わたしは兄に、兄のために
突き放しました
その結果、最後の最後でしたが
自分で自分自ら働こうって働いた
これは本当に良かったと思っています

働かなくてはいけない
そのことが解った
これで十分です

区役所の人から…妹のことを思ってる
これが解りました

また、生活保護受給者なのでお骨にするまで面倒看る
都営住宅の片付けもする
そう言うお話しでした

葬式を挙げる、遺品を片付ける
これをするなら生きてる内に面倒を看ろって話ですよね
確かにその通りなので最後までお世話になることにしました

そして警察の方
警察の人の話だと
近所の人の(お隣や同じ階だと思う)通報で
異臭だと思う
管理人に合鍵を与り開けたところチェーンが掛かってた
チェーンを切り中に入ると
電気は消えてて
ストーブとテレビが点いていて
右を下にして横たわり(テレビの方を向き)亡くなっていたと
夜ストーブを点けテレビを観てて
死因は脳出血だそうです
きっと痛みはあったでしょうけど眠るように亡くなった
良く「朝起きたら死んでた(ポックリ逝く)」
痛まず寝てる内に死ぬ、こんなのが理想の死に方でしょう
勿論それにしては若過ぎる、62歳は若過ぎるけど
最期は誰にも迷惑を掛けず(ご近所や警察の方にはご迷惑でしたが)
ひっそりと亡くなった
無念はあったでしょうけど
生きていても(肝硬変他糖尿の気も高血圧もあったでしょうし)
お金の工面も家族も無く
辛い部分もあったと思います
それを考えると母のもとに行けた
大好きな母と一緒、これが一番幸せかもしれません

ストーブが点けっ放しだったので
亡くなった後の遺体の腐乱が進んでしまった
なので見ない方が良いと思う、と言ってくれました

監察医の見解で3月6日死亡
死後8日経過
死因は脳出血

そして
お兄さんは綺麗好きでしたね
部屋が綺麗で驚きました
ゴミ箱にはゴミ一つなく
箪笥の引き出しも空っぽか、
入っている物はお店のショーケースのように並んでて
冷蔵庫も何も入ってない
他も綺麗に整頓されていました
お薬手帳も付けてて薬も管理もしてたようです
と言っていました
掃除当番もちゃんとやって町会費もキチンと払ってたようです
確かに神経質過ぎる兄なので解りますが…
それを社会に生かせるか?と言うのは疑問です

そして葬儀社の方の話
生活保護と言うのは5つの保護が(受給等)ある
お金、生活に必要なお金を与える
教育、教育に掛かるお金を与える(兄は適用ないけど)
医療、医療費の免除
住宅、都営住宅等、住む所を与える
そして最後亡くなった後、荼毘に臥す(身寄りのない人は都営で葬る)

なので(遺体を引き取って葬儀をする)お気持ちがあるだけで
十分、お兄様には伝わるので
ここは区役所の人に(行政)お任せしましょう
そう言ってくださいました
誰もがわたしを責めるでもなく温かいお言葉で
本当に有難かったです

葬儀社の方も
警察の方もお話ししていましたが
元気な頃のお兄様のお姿のままお見送りしましょう
そう言ってくれて
火葬の日が決まったら連絡します、でした

結果…
警察の手を離れ
区役所の手配で葬儀社にお願いして
都営住宅の引き上げの時に立ち会わせてもらい
写真等を戴くお願いをする
生活保護者は全ての財産を管理される
亡くなった時に持っていたお金(金品全て行政の管理下)
遺体は葬儀の方か保管してくださり
手続き等終わって火葬場が手配出来たら連絡をくれる
一通り解りました

そして火葬後の話
お寺さんに電話をして事情をお話しすると
(生活保護⇒都営で火葬)
ご遺体がお骨になったら持っていらっしゃい
そして四十九日より早目に納骨致しましょう
安心しました

この後やることは連絡を持って
位牌ですよね
お位牌を作らなくっちゃ
8人家族で育ったわたし

わたしが18歳の頃
おばあちゃん(祖母)=母の一番上の姉24歳上
子供が居なく母と父を夫婦養子縁組したので伯母さんだけど祖母
糖尿病で目が見えなく、脚は壊死、64歳くらいで亡くなった

わたしが20歳の頃
おじいちゃん(祖父)=母の姉の連れ合い
伯父さんだけど祖父
おばあちゃん(デブさん=太ってたので)亡くなって
1年半後に74歳くらいで死亡

長女が生まれた年、わたしが24歳の頃
伯母さん=母の17歳上の姉
掃除で働いてていつも病院に行ってたのに
胃癌と解らず仕事を辞め直ぐに胃癌で入院⇒70歳くらいで死亡

二女が生まれた翌年、わたしが27歳の頃
父=42歳の厄年に血圧で倒れ、中気になり寝たり起きたり
死ぬ10年くらい前までは寝た切りで
施設に預けるって決まって施設に行く前夜に自宅で死亡=64歳

伯父さん=母の姉の連れ合い、父と同い年(大正11年生まれ)
伯母さんが亡くなって⇒生き別れの妹が出て来て(怪しいけど)
親戚に伯母さんが貸したお金を返せと裁判して
絶縁状態になって、以降知らないけど
多分、亡くなってる(生きていれば今年95歳)

わたしが53歳
母、昭和4年3月5日生まれ
大腸癌、胃癌、乳癌、闘病生活を経て
平成24年8月29日没、享年83歳

そして、わたしが57歳、5歳上の兄62歳
3月6日、母の誕生日の翌日亡くなりました

8人居た家族
残されたのはわたし一人です

お墓は
本当のおばあちゃん(母の母、養子縁組の祖母を伯母の母でもある)
本当のおじいちゃん(〃)
母の兄
あと誰か入ってるのかな?
N藤家のお墓
伯母さん(母の姉)
伯父さんも入ってるのかな?
K原家のお墓
おばあちゃん(養子縁組した母の姉)
おじいちゃん(〃連れ合い)


入っている
o澤家のお墓
何はこのO澤家のお墓に入ります
一つのお寺に3基のお墓があるので安心です
行けばみんなに会えます

このブログは長女が見ることがあるので
長女のためにも書いています(自分日記ですけど)
わたしが語らなければ
わたしが語ることが出来なくなったら
残された者に解らなくなってしまうので書いています

わたしの家系は短命です
母の83歳、その上の兄(80歳ちょっとで亡くなった)
それ以外は60代で亡くなっています
母の10人兄弟
女=養子縁組した姉、60代死亡
女=十条に住んでた姉、70代?疎遠
女=伯母さん、60代死亡
男=守谷の伯父さん80代死亡
男=子供の時に亡くなったらしい
男か女=同上
男か女=同上
男=トランペット吹き、60代で自宅で亡くなる
男か女=子供の時に亡くなったらしい
女=母
10人居たけど4人は子供の時か赤ちゃんで亡くなったらしい
10人全員居ない

新潟から3兄弟で出て来た大工3兄弟
親戚も疎遠になっているけど
今年中には色々な親戚に連絡を取ってみようと思う
そうでないと三姉妹のルーツが解らなくなってしまう

一日経って
少し落ち着きました
兄との思い出も色々思い出されます

母親、兄弟、姉妹
大切にしてください
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