いちいち日誌

自分の中だけではなかなかわからないことをいちいち文章にしてから考えるくせがあります。

いやいや、本当におひさしぶり!

2012年03月07日 | 日記
こんにちは!
もう誰も見ていない、そんな気がするブログにふらっとた帰ってきました。
ただいま。


昨日まで、あるお店に立って販売員をしてました。
朝10時から夜7時までお店に立って、売る仕事。
とても足が痛かったけど、興味深い体験でした。

やりたくないことはいっぱいあるけど、
ほったらかしの悩みもいっぱいあるけど、
やんなきゃならないこともいっぱいあるけど、
やりたいことはあまり見つからなくなっちゃった。
さみしい。



また、くるね。

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ごぶさたしております。

2011年02月18日 | 日記
こんにちは!

年、あけてしまいましたね。。。
もう2月ですね。。。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。



最近、好きな服屋さん(デザイナーさん)を発見いたしまして、
eriさん(motherの)なんですが、
とは言っても、今年に入って知ったもので、
実物も見たことなくて、着たこともなくて、
それで好きですってどうなのか、と思うけど、
好きなのです。

http://www.mothermother.com/mother/index.html

http://people.zozo.jp/eri/diary

ご一読あれ。



ああ、こういう服が着たかったーと
思い出させてくれました。
今も昔も、こういう路線では全くなく、
というか、路線も何も。。。てな具合。
お洋服はいつも「なんとなく」。
でも、好き!な世界は確実にあって、
でも、実際に日常で着るところまで行かなくて。
(実行力だったり、お金だったり、いろいろですが)

それでも、もしこれからお洋服を買うのなら、
しっくり来るものがいいし、
すっごく好きなものがいい。
“mother”
いつか着たいです。
お店に行ってみよう。今度東京に行った時に。


気づかされたのは、
本当のところで「女の子の世界」が大好きだということ。
小花柄のワンピース。
フリルのついたブラウス。
リボンをあしらった靴。

ただ「女の子女の子」なのではなくて、
「古くから大事に使いこまれた」感じがプラスされた“mother”。
もうたまらない世界観で、はああああああああ!となっています。
今。









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とまっておくれ。

2010年11月25日 | 日記
いつも感じていた。とまっておくれ、と。
どちらにしても先がないのなら、今、とまっておくれ、と。

会うことが決まったその瞬間に、つよく思うんだ。

余韻もまたいいけど、
会うことになったその日までの期待の時間も、とんでもなく素晴らしい。
「余韻を慈しむこと」は、口の中にある飴玉をちびちびとなめ続ける行為。
「未来を心待ちにすること」は、つみき遊びに近い。
なんだかよくわからないけど、ドキドキするし、ハラハラする。
楽しいはずなのに、終わりを知っているので、すでに寂しい。
でも、未知なる世界へ行けるんじゃないか?
見たことのない景色をみることができるんじゃないか?という薄い薄い期待も。

また、12月に会えることになった。(う、うれしい。)
飲み会もあるみたい。(さ、つみき用意だ。)
ついこの間の出張ではあまりにも傷心したのと、お酒に逃げたせいで、
またまたひどく恥かしい爆弾メールを送ってしまった。

「わたしが毎回おみやげをお持ちするのは、
部長がチョコレート好きという理由だけではないんです。
部長はどんな場面でも(それは飲み会の席だったとしても)、
なんて素晴らしい振る舞いをされるんだろう!
といつも尊敬の思いでおりまして、
わたしの方こそ、頂いてばかりだなと思っているからなのです。」

今となっては、とても恥ずかしい、さすがに。
でも、一方では、
「人生の中でこんなに自分のファンになってくれる人がいるんだ(驚)!」
と思ってもらえたら、それだけでよし◎。
私の中で、本当にゴールはない。
ただひたすらに、自分自身のモチベーションだ。
会えるだけでよし。
見れるだけでよし。
仕事で関われるだけでよし。
自分を「さわださん」と認識してもらえるだけでよし。
元気でお仕事をしていると風の噂できくだけでもよし。

後ろから「あんたは馬鹿か」と聞こえてくる気がするけど、
それもまたよし。
奇特な人でよし。
だって、強がりではなくて、本当に「好き」だという感情だけで、
心がほくほくしてしまうんだから、いいじゃないか。
と、思う。


超馬鹿話。


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自分のものになる。

2010年11月14日 | 日記
という感覚を
持ってはいけない、
と思っている。
第一に、まず、事実ではないこと。
第二に、これからもそういうことは絶対にない、
ということ。
そして、第三に、
もし仮にそうなったとしても、
この感覚を持ってしまった瞬間に、
それは終わりの始まり、
だということ。




今回はまた、
とてもしんどい出張だった。

どうせ何にもならないのに、
なんなんだ、この状態は。
早いところ、切り替えるべきだ。

と、怒りながら頭の自分はそう言って、
そう言われた心の自分が、
何も言えずに小さくなっていた。
きっと泣いていたと思う。

でも、あの人はいつもそうだけど、
ここぞというタイミングで、
メールをくれる。

私からのお土産の
単なるお礼のメールなんだけど。
最後の最後の夜に来たそのメールは、
小さくなって、
しょんぼりしていた私への、
あの人からのお土産だと思った。


おとといと昨日で渦巻いた
『自分のものにならないのに』ジレンマは、
夜中のメール(しかも素晴らしく短い)で、
一瞬にして消えていった。

単純。

と笑うしかない。


昨日会った女の子には、

「そんなもったいない時間をすごして、
何の意味があるの?
時間の無駄よ。
縁は切らないと新たな縁は来ないの。」
と、

頭の自分が泣いて喜びそうな言葉を言われた。




でも今、心の自分は言う。



「確かに、何にもならないよ。
歩いている時は、
誰かと楽しそうに話をしている
あの人の背中を
後ろから穴があくほど見つめるだけで、
手もつなげない。
抱きしめてもらうこともない。
まして、心を通わせることなんて奇跡の状態。
でもね、
たまにちょくちょく起こる
私にとっての小さな奇跡
(もう何個目ななっただろう?
という感じの夜中のお礼メール、
ふいにくれたアクセサリ&笑顔などなど)
は、全部を一掃してくれる。

昨日は、あのアクセサリを
密かにつけていった。
こんな馬鹿な自分は、
もう、どうしようもない。
だから、
どうすることもしないんだ。



ごめんね。

いつもありがとう。」
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Time To Say Goodbye.

2010年11月04日 | 日記
昔、朝の光の中。
女の子がこの曲で踊っていたのを見た。

まぶしい光の中で、
音楽が、ベールかオーロラみたいに揺れていた。
その中に身をゆだねるように、
そよぐように、
たわむれるように、踊っていた。

誰に見せるでもなく、
ひとりで。

その子の見てはいけない部分を見てしまったようで、
その場から動けなくなったのを覚えている。
一言で言えば、「恋をした。」

たぶん、「恋」に性別は関係ない。
と思っている。
その心の動きを、別に、
「恋」にあてはめなくてもいいとは思うけれども、
私はそれを「恋」と呼んでいる。

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