いわき鹿島の極楽蜻蛉庵

いわき市鹿島町の歴史と情報。
それに周辺の話題。
時折、プライベートも少々。

大内宿で歴史を学ぶ

2017-07-19 07:03:25 | Weblog
                                           分類:催
  春の研修旅行 (鹿島歴史の会)
 鹿島歴史の会では毎年春と秋の2回研修を名目に、「鹿島町」とは直接関連性がなくても鹿島公民館内での学習から外へ飛び出して小旅行を楽しんでいる。
 春は日帰り、秋は1泊の小旅行に決まっているが、これは主に会員同士の親睦を図ることを目的とされている。今年の春は7月4日の予定だったが大雨のために昨日18日に変更になったもの。
 

          《見学客は疎らだが、そぼ降る大内宿を散策するのも味わいがある》

 ところが、昨日も天気予報では天候が不順で、特に会津地方では場所によっては豪雨の危険性があるという状況の中で計画は実行された。幸い降っても小雨程度に治まり昼近くからは傘要らずになった。
 コースは、大内宿 ⇒ 湯野上温泉 ⇒ 塔のへつりがメインだが、会員には複数回行っているというのが圧倒的に多かったが、その場所の一部はまだ見ていないという人もいたので、研修旅行の目的を「下野(しもつけ)街道を行く」 というタイトルにして観て回った。


      《展望台から「塔のへつり」を眺めると、川の流れがいつになく増水して早かった》
 
             《大内宿で名物のネギそばを食しながら談笑する会員たち》

 【御浚(おさら)い】
 大内宿は、江戸時代の17世紀頃には会津西街道の宿場町として栄え、会津藩主も参勤交代の際にこの街道を通り、宿泊した地。
 しかし、明治17年に日光街道(国道121号)が開通すると、大内宿を通る人はいなくなり村は歴史から消え去った。
 再度、脚光を浴びるキッカケとなったのは昭和52年(1977)のこと。茅葺き屋根を研究していた学生が大内宿を訪れ、江戸時代と変わらぬ町並みに驚き、これをマスコミが取り上げたことで村が甦った。昭和56年(1981)には村全体が国選定重要伝統的建造物保存地区に指定され、観光地としての人気は更に高まった。


 鹿島公民館を午前8時に出発して、午後5時10分に無事帰還。
 天候によって心配されていた春の研修旅行は和やかな雰囲気の中で終了した。 ホッ
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鹿島墨彩会の作品を観る

2017-07-10 15:41:02 | Weblog
                                            分類:催

                              場所 : ひまわり信用金庫鹿島支店
                                   いわき市鹿島町走熊字小神山62-1
                                   ☎0246-28-8114
  会員の力作を展示
 見たいと思っていた気持ちが実現したが、とうとう最終日の今日(10日)になってしまった。
 活動内容は違うが、同じ鹿島公民館でサークル活動をしているというだけでも、仲間意識が湧いてくるくるから不思議なものだ。
 〈とにかく滑り込みセーフというヤツ


                  《ロビーの窓側に掛けられた出展作品》

 毎年、いわき市の「鹿島水墨会」は6月15日の 『信用金庫の日』 に合わせて企画開催されている。
 険しい渓流や、のどかな山村風景が主体で、今回は会員の7名が自慢の作品を出展していた。
 

                 《待ち時間の目を楽しませる作品の数々》

 展示された作品は次の通り(敬称略)
    山村好日  坂本華城
    無心      叶田堂山
    東山所見    〃
    奥入瀬渓谷 森 昭子
    ぶどう     叶田堂山
    深山渓谷  松崎良子
    汐見台   永山 茂
    ファミリー 李  鴎
    白梅    安部千穂子
    秀峰    坂本華城


               《作品展が開かれた、ひまわり信用金庫鹿島支店》


                                  
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矢田川の河川敷で草刈り

2017-06-11 12:26:42 | Weblog
                                           分類:地
  好天の下、うなる草刈機
 今日(11日)は小名浜地区河川愛護会連合会が提唱し、各地区ごとに行われる河川敷草刈り作業の日だった。
 走熊(はしりくま)地区では午前8時に、三和橋付近の空き地に12名が集まった。


                    《時間前に作業開始のスタンバイ》

 梅雨の時期を控えて昨日の天気は不安定で雨が降ったり止んだりしていたから、今日の草刈り作業にも影響が出るかとやや心配もしていたが朝から好天に恵まれた。

           《水色に塗られている橋の道路は鹿島街道で遠景が鹿島台団地》

 毎年、矢田川の土手を両サイド(片側が約500m)を当地区が受け持つのだが伸び盛りの雑草を刈り上げるのには終えるまでに汗が噴き出てくる。

               《土手でも場所によっては困難極まる草刈り場もある》

 矢田川は鹿島町で最も長流で、常磐上矢田の獺沢(おそざわ)を源として鹿島地内を貫流し、小名浜の南富岡に至って湯本から流れくる藤原川と合流する。
 この矢田川に合わさる比較的距離の長い川が2つある。1つは常磐松久須根の五安沼(ごあんぬま)より発する松久須根川で、もう1つは上蔵持の鈴ノ沢より発する蔵持川である。
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高齢者講習(車)の受講

2017-05-27 09:56:42 | Weblog
                                            分類:PV
                               場所 : 湯本自動車学校
                                    いわき市常磐水野谷町千代鶴1-2
                                    ☎ 0246-43-7781
   安全運転 を肝に銘ずる
 自動車運転免許証の更新時期が迫ってきたが、その前に福島県公安委員会から 「高齢者講習通知書」 が届いていた。
 70歳以上になると、この講習を受けて 「高齢者講習終了証明書」 を貰い、運転免許証と、更新連絡書(公安委員会から届いたハガキ)を持参して運転免許センターか、指定された警察署へ行かなければ更新はできないので受講してきた。
 ※75歳以上になると講習予備検査 〈認知機能検査〉 も受験の必要あり。


                     《DVDによる映像授業》

 私の年齢からいって今回の受講は2回目になるが、指導基準が前回に比べて厳しくなってきたのを実感した。
 前回では教官が 「みなさん高齢者講習と聞くと、もしかして自分は免許証を取られてしまうのではないかという不安と緊張があるかと思いますが心配ありません。認知症が極端に進んでいて誰が見ても、この人は運転は無理だと思う方以外は引っ掛かりませんので安心して受講して下さい……」 というようなことを説明していたので受講者も心に多少の余裕があった.
 しかし、少子化社会が進むにつれて年々高齢者が急増している現状では、高齢運転者の制度改正を適時行わなければならない必要性に迫られているようだ。
 昨今、テレビや新聞で報道される高齢者による高速道路の車線逆走行や、アクセルとブレーキの踏み違いによる大事故が多発しているところから見ても納得できる。


         《シミュレーション(simulation)による運転技能の判断= 受講教本から》

 これまでとの相違点は、高齢者講習と認知機能検査を受けた後に 「認知機能検査結果通知書」 が渡されるが、総合点によって3分類化され、次回から講習内容・時間・授業料も分かれるようになる。
 第1分類 48点以下 医師の診断が必要 ⇒ 更新。 講習時間 2時間 ¥4,650円
               認知症の診断結果が出た場合には更新不可。
 第2分類 75~49点以下  講習時間 3時間 ¥7,550円
 第3分類 75点以上      同上
 
いずれも、免許有効期間中に交通違反があった場合は、臨時適性検査を受けることになる。
△70歳以上の高齢運転者は普通自動車の前後の定められた位置に高齢者マークを付けるように
  なっているが強制ではない。
  ただ高齢で運転するという自意識を高めることと、並行車や対向車に注意を促す意味では効果がある。


 
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おかしいぞNHK

2017-05-24 07:44:57 | Weblog
                                          分類:PV
  省略言葉が蔓延している番組名
 テレビは事故・突発的な災害・社会情勢の変化・暮らしの情報などを知る上で聴覚だけでなく、同時に視覚によって確かな判断ができるので文明の利器そのものだ。
 日本で初めてテレビ放送が開始されたのは昭和28年(1953)だから 「何を今更言っているのか」 と冷笑されそうだが、時代の変遷によって番組の内容も大きく変わっていることを知らされる。
 その辺りをちょっと書いてみたくなった。


       《例えばひるブラ…?理解できるが、それで正しいのかとなると不安になってくる》

 時に全国各地を、アナウンサーとゲストが一緒にブラッと訪ね歩く」 という意味だと解釈できるが、果たしてそれが正解なのかとなると確証を得られない。
 「物事を深く考えないで番組を楽しんでください」と言われればそれまでだが、歳は重ねても幼児のように「なんで?」、「どうして?」という探求心が強いから、本当の意味を知らないでいると気持ちが治まらなくなるのは私の悪い癖 (性格) なのだろうか?
 民放テレビで 「ひるおび」 という番組があるが、あれも最初に見た時には 「昼の時間に人気を帯びる番組にしたい」 という局側の願望から付けられたものとばかり思っていたら、単に 「お昼の時間帯の帯番組」 だからだそうだ。
 民放テレビは兎も角として、NHKは正しい言語を伝えなければいけない使命も担っている。
 現にニュースのインタビューでマイクを向けられた人が仮に 「食べれない」 と答えてもテロップでは 「食べられない」 と表記するのだから、自局の番組も安直に命名しない方が良いと思う。
 因みに、NHKの省略番組名は意外に多い。幾つか挙げてみると「シブ5時」「ごごママ」「うたコン」「スタパ」「シブラジ(ラジオ)」などのオンパレードだ。

 よく政治家の一言が物議をかもして大騒ぎになると、本人は「言葉足らずだった」とか「解釈の相違だ」とか言って逃げの態勢に入るが、真意を伝えようとすればするほど言葉や文字は正確でなければならないと思う。 
 民放テレビのように視聴率を上げるためだけの番組名に、NHKが誘引されて過剰反応を示さずにデンと腰を据えて真のNHK道を貫いて欲しい。
 
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大日如来が本尊の専明院

2017-05-18 06:48:07 | Weblog
                                           分類:歴
    鹿島の神社仏閣を見てある記
                            所在地 : いわき市鹿島町下矢田字前原51番の隣地

  修験宗の廃止などで一時、廃寺になった専明院
 修験者(山伏)の霊場だった羽黒山は、寂光寺と言って神と仏の修合の寺院でしたが、その教えを広く布教するために多くの霞下の寺院を出先機関として建立しました。

                   《平成13年に再々建されたという堂宇》

 出先機関としての寺院は、磐城では楢葉郡内に久之浜の常光院、磐城郡では狐塚に善行院、磐前郡内には下矢田の専明院(写真)と野田に柳沢寺があり、各々数ヶ寺の末寺を有していました。
 専明院は如来山・行覚寺といい、本尊は大日如来です。延宝8年(1680)の「行屋改之覚」によると、その開山者、創建時は不詳ですが天文14年(1545)湯殿山よりの法流を受けた覚仙祐海聖人によって中興開山されました。
 配下の寺は延喜式七社に指定された鹿島神社の別当である上矢田の神宮寺、水祝儀の歳事を行う沼之内の地蔵寺など17ケ寺が属していました。



 明治元年(1868)の神仏分離令や、同5年の修験宗の廃止に伴い廃寺となりましたが、建造物は残り湯殿信仰の祭場として用いられていました。
 昭和2年、新たに再建されたが、平成13年に再び堂宇が再建されました。

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しゅみごん桜

2017-05-13 06:42:12 | Weblog
                                            分類:史
                                 所在地 : いわき市鹿島町船戸字八合
  しゅみごん様 に寄り添う桜
 須弥権現(しゅみごんげん)の所在を知らせるかのように巨大な桜の木があるが、地元の人たちはこれを 「しゅみごん桜」 と呼んでいます。
    
                     《二代目ともいわれている巨木の桜》

 しゅみごん桜は、鹿島街道沿にある久保の磨崖仏と 「ガリバーいわき鹿島店」 の間にある道を入っていった左の山側にあります。
 目通り周囲2m30cm、枝張り東西23m、南北16m、樹高約20mに達する山桜です。
 その桜の根元の岩壁に二体の磨崖仏に似た石像があり 「しゅみごん様」 と呼んで祀(まつ)ってあります。磨崖仏とは自然の山などの岩壁に彫られた仏像ですが「しゅみごん様」も、そのような岩壁に彫られているものです。
 長い間、風雨に晒されてきた凝灰岩の仏像は辛うじて仏像の面影を残しているが、今でも正月には「〆環(しめわ)」をつけた榊を捧げ、秋の氏神まつりにはツトッコ氏神(新藁で作った神供え)を捧げています。


                      《桜の根元にある二体の磨崖仏》

 「しゅみごん様」とは仏典などによると、もともとは須弥権現(しゅみごんげん)と呼ばれていたものが、いつの時代からか「げん」の言葉が外れて「しゅみごん」になったようです。
 仏典で須弥とは、そびえ立つ崇高な高山の意味があり、わが国では神として現れた姿を差すようなので、須弥権現は即(すなわ)ち仏ではなく神なのです。


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札所17番 高照観音

2017-05-12 07:12:05 | Weblog
                                          分類:史
                                   
                                  所在地:いわき市鹿島町走熊高照山(頂上)
  磐城三十三観音の十七番札所  本尊・十一面観音

 〈ご詠歌〉 世の中は ふもとにありや 東泉寺 日は高寺に 水はしりくま

 鹿島町にある観音霊場、二つ目の第十七番札所 『高照(たかでら)観音』 です。
 高照観音を祀る高寺山は海抜126メートルで、鹿島町地内では最も高い山です。観音堂は殆んど頂上に近い場所にあり、そこまで辿るには細い山道を約20分上ります。磐城三十三観音中で最もキツい試練の道のりです。 ご詠歌にある「東泉寺」というのは観音堂の一段下(※杉や雑木に覆われているが平坦になっているので何となく分かります)の地にあったが火難に遭い現在では存在しません。


                     《昭和45年に建立された現在の観音堂》

 走熊観音堂再建勧進趣意書によると「石城三十三番札所の一なる当十七番走熊高照山十一面観音菩薩は今を遡ること実に一千四百七十三年、一世の大徳徳一大師の御祈願に係るものにて云々」と、こと細かに記されていますから、年号は文明年間に遡ることになります。

              《何度も火難に遭った挙句に盗難で失くなってしまった観音さま》

 なんとも災難の多い観音堂で、永禄年間と元文年間に焼失して再建されたのですが、大正元年11月にも火難に遭い、京都から勧奨したと伝えられた等身大の木像十一面観音がお堂と共に焼失してしまいました。
 そのため、お堂は大正2年7月に再建され京都より唐銅(からかね)製のご本尊を再勧奨をしたのですが昭和4年2月に鹿島村内の家屋40戸が焼失したという走熊大火の延び火を受け、又々お堂と尊像を灰燼と帰してしまいました。
 火難に奪われたお堂の歴史には筆述に絶するものがありますが、地元の人たちは大同2年徳一大師開祖の伝えを誇りに、厚く観音を慶信して止まないのです。

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札所16番 久保中山観音

2017-05-10 07:09:41 | Weblog
                                            分類:史

                                   所在地 : いわき市鹿島町久保西之作
                                         金光寺境内裏の右方にあります
  磐城三十三観音の十六番札所   本尊・十一面観音     

 〈ご詠歌〉 中山と きいてのぼりて 朝日さす 森のこかげに たつは白なみ

 磐城三十三所観音霊場は、第一番目の札所が平・北目町にある北目観音(如意輪観音)からスタートしますが、鹿島町には二つの観音堂があるので、今回は第十六番の久保中山観音からを案内することにします。

                          《久保中山観音堂》

 久保地域に中山という地名はありませんが、昔、観音堂は久保と神白との境に当たる山林の栗木平という所に祀られていて、ここは今も巨石や背高い赤松が見られ、太平洋も遠望することもできます。
 ご詠歌の「中山」は、栗木平の前後に山があったために、お堂のあった所を「中山」に見立てて名付けたもののようです。栗木平は今も観音平と呼ばれ寺領地にもなっています。

                       《白木造りの十一面観音坐像》

 現在、観音堂が祀られている場所は、前述のように金光寺境内の一角にあります。
 ご本尊の十一面観音像は、白木の寄せ木造り坐像で、その高さ1丈(尺貫法でいうと約3㍍)といわれ、頭上に化仏と阿弥陀立像をいただき、左手に蕾(つぼみ)を付けた蓮華を持っています。

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三代目の七本松

2017-05-07 17:21:39 | Weblog
                                             分類:歴

  史跡七本松                  所在地 : いわき市鹿島町走熊字鬼越83-1
                                     鹿島公民館敷地内
 鹿島街道の小神山信号は、江名・豊間方面から湯本へ向かう県道48号線と交差する場所だが、その付近に鹿島公民館があります。
 公民館入口の直ぐ側に旧道の十字路(信号付き)があって、2代目までの七本松はそこに植栽されていました。 ※ファミリーマートの駐車場辺りがそうです。


              《3代目になる若木の松は公民館の敷地内に植えられた》

 代々継いでいる七本松は地元民の古い歴史の伝承なのです。
 その昔、坂上田村麻呂が奥州へ征途の時に走熊地内を通りかかった折、東に向かえば江名の浜にも抜けられる三叉路(さんさろ)で休息し、戦勝を祈念しながら七本の松を道端の一角に手植えをしました。
 
 時を経て、慶応4(1868)年1月、鳥羽、伏見の戦で始まった戊辰戦争は、7月10日には鹿島七本松に於いて、薩摩藩(西軍)と平・仙台藩の攻防戦になって次第に東軍の敗色は濃厚となり7月13日、ついに平城総攻撃を迎えることになりました。

    
                      《史跡七本松の石碑》

 こうして2代目までの巨松は場所を異にして、昭和の初期まで天を突くように生え立っていたのですが、名木も寄る年波には勝てず、昭和10年までに5本が強風に倒れ、同11年に1本倒れ、翌12年には最後の1本も大風で倒れてしまいました。
 時の村長、志賀直哉は「一圓融合」の村是を以って村政に当たっただけに、村のシンボルである史跡七本松の名を後世にとどめたいと、村人に呼び掛け世継ぎの松(2代目)を同じ場所に植えたのでした。

 鹿島神社(現在の常磐上矢田町)の本堂内には当時の松を輪切りにして『一圓融合』と記された板が存在します=写真下。



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このアイデア、いかが?

2017-05-04 06:11:51 | Weblog
                                           分類:PV
   できることなら商品化したい
 日常使用している物で不便に感じたり、疑問に思ったりすることは沢山あります。
 でも、それ以上は深く考えないでその場限りで素通りしてしまうものですが、よく考えてみると日用品の中にはもっと改良できる(すべき)アイデアが潜んでいることに気付きます。
 洗濯物が干してある途中で風が出てきて、まだ半乾き状態なのに地面に落ちてしまい、もう一度洗い直すという体験から 『これはハンガーのフックが竿の直径よりも幅が広いからだ』 とは分かってはいましたが、何度か同じ思いをすると黙ってはいられなくなりました。、
 そこで今回、私が初めて特許(実用新案)なるものを申請して登録されたアイデア商品があるので紹介してみたいと思います。

   考案の名称  物干し用Wフックハンガー
   実用新案登録 第3209678号
   登録日     平成29年3月15日


      《竿に掛ける前のフック部分》              《竿に掛けた時のフック部分》
 ハンガーのフック本体に補助フックを重ね合わせて、支点となる箇所に自在に動くようにした止め具を取り付けたWフックです。


          《試作品ではなく描いたので、見てくれは悪いがこんな感じのハンガー》
 従来のハンガーで洗濯物を竿に掛けて干した場合は、風が吹くと竿から外れて落ちたり飛んでしまったりするという難点がありました。
 本考案は、洗濯物を野外の竿に掛けても風で落ちたり飛んだりしないような機能を提供することを目的として考案されたものです。



           《竿に掛けた時の状態で、フックは竿の直径よりも狭まるのが特徴》
 せっかく考案したものなので、私的には全国に普及して主婦の方々に重宝がられるのを期待しているのですが、その術を知り得ないのが残念でいます。
 ハンガーの販売を専門に扱っている企業、それに関する製造会社、何かにチャレンジしてみようと思っている町工場の社長さんなどが運よくこのブログを覗いてくれて、アポイントメントが取れるようになったらいいなと期待を抱いているのですが、さて結果はいかに!?
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平小鉄道の候補地だった

2017-04-29 08:26:36 | Weblog
                                         分類:地
   幻となった鹿島の平小鉄道
 その昔(明治42年)、石城地方に平小鉄道(へいしょうてつどう)の敷設計画が立案され、実際にその候補地として ①湯本経由 ②鹿島経由 ③片浜経由の測量が行われていた。
 特に鹿島経由の9マイル(14,5キロ)は直線で平と小名浜を結ぶ最短距離なので有望視された。
 これは第19代内閣総理大臣の原敬の、鉄道網を全国津々浦々に拡大することによって地域発展を図ろうという積極策の表れであった。


      《実現していれば今頃、鹿島経由の列車 (電車) が走っていたかも》 -イメージ-

 ますます現実味を帯びてきたのは大正11年(1922)に「改正鉄道敷設法」が公布されて、今後整備する鉄道路線として全国145区間を発表された中に平小鉄道の名が挙がっている。
 磐越東線(愛称・ゆうゆうあぶくまライン)は郡山駅から平駅(現・いわき駅)を結ぶ鉄道路線だが、これを平駅から小名浜港まで繋ごうというものだったから上記3路線計画の地元民が活発な動きを見せ始めた。その前に小名浜町議会が経路は明示せずに鉄道院へ陳情した。

 大正12年に帝国議会に於いて、平~小名浜間鉄道速成に関する建議案が採択されるものの、立憲政友会の支持に対して地方線建設に消極的な護権三派内閣の成立で中止になってしまう。
 しかし、同14年に憲政会など護権三派が鉄道敷設の政策を一部転換して、平~小名浜の路線が復活した。
 昭和21年に帝国議会で鉄道敷設が可決されて、鹿島経由の8マイル7分(13,92キロ)も計画の中に浮上してくる。鹿島村(鈴木一男村長)では鉄道敷設陳情書を議決しているが、他の町村も黙認している筈がなかった。
 江名町議会で鉄道敷設速成を陳情、湯本町議会で路線変更の陳情を議決、高久村議会が鹿島経由から片浜廻りに変更を主張した。

 鹿島経由の平小鉄道敷設計画は明治時代以来優位を保ってきたが湯本・片浜の関係町村の勢いと、山々を切り拓いての鉄道敷設の困難、沿線の人口の少なさが加味されて計画から外れていくようになってしまう。
 結果的に、時代・政治・景気などの諸事情によって 『平小鉄道』 はどこの地域も 実現不可となって終焉を迎えたのだった。
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鹿島街道よもやま話

2017-04-24 13:31:52 | Weblog
                                            分類:地

 当初 『平小線弾丸道路』 として工事着工
 鹿島街道は商業の拠点と、国際港を抱える小名浜を直結する大動脈として発展してきたが、開通までの苦労は並大抵の事ではなかった。
 都市計画上の事業名は平・磐城線で、正式名称は県道小名浜・平線というが、開通当初から一般市民の間で鹿島街道という愛称で呼ばれ定着した。


                 《昭和30年頃の谷川瀬山(くうじ山付近)》

 昭和28年4月から、平と小名浜を繋ぐ弾丸道路(2級国道)の建設が進められ、失対事業として総工費2億円の5か年計画で着工した。
 いわゆる平小線弾丸道路だが、工事の進捗状況は過半年月が経過しても3分の1にも満たない有様で、「このさき何ヵ年を必要とするのか」という、一般失対事業による工事への批判が高まった時代もあった。
 
 平小線は平~小名浜間を直線コースとする15kmで、同線の完成は湯本廻りの小名浜線、江名廻りの小名浜線を短縮するものとして石城郡綜合開発の縦断道路としてその完成が渇望されていた。
 昭和28年4月着工と共に平地区、小名浜地区とも1日平均70名の失対労働者が就労したが、小名浜地区では地の利を得たのか一応道路改修工事でもあり工事は順調に進み、磐城の御代坂辺りの4km位まできたが、一方の平地区は平駅から30m道路から直結する幅員12m道路が新川橋から作られたが、谷川瀬山にぶつかって以来2年間で25,280名が山掘りに掛かり漸(ようや)く山半分を崩したまま遅々として進まなかった。


              《いまや平~小名浜間には必要不可欠の鹿島街道・下矢田付近》

 標高80mの谷川瀬山の土砂切り崩しは約40,000㎥といわれたから、2年間で20,000㎥が切り崩された訳で、労務者1人当りの作業量にすると1日0,5㎥という一般公共事業からみれば実に10分の1という僅かな稼働率で、臨時石城失対事務所ではあと5ヵ年は掛かるだろうと見ていた。
 
 このため平小線の完成を待つ地元側では 「こんなに暇の掛かる一般失対なら特別失対または公共事業にしたほうがよい」 との苦情も出はじめた。
 これに対する失対事務所の話として 「31年度には水石山道路工事の失対労務所の配置転換で就労人員を拡充し、出来るだけ早く仕上げたい」 とのコメントがあった。

 いま、平~小名浜間を車で順調に走行できる時は、35分前後と掛からない便利な鹿島街道として生きている。前人の苦労に感謝しつつ、県内で最も日照時間の長い風土に恵まれ、いわきを象徴するような青空広がる鹿島街道になっています。
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自然と、季節の声

2017-04-18 12:05:52 | Weblog
                                           分類:PV
  ひと雨がウグイス蛙の春盛り
 夜明けが早くなって4時半頃になると、もう白々とした朝がやってくる。
 平と小名浜を直結している鹿島街道から少し外れた場所には昔ながらの原風景が残っていますが、写真は小山に囲まれた自宅前の田圃です。
 昨夜から今朝にかけての降雨で水が溜まり、それを待ち望んでいたかのように愈々、蛙のコーラスライブの開演となりました。
 あと10日前後で田植えの時期を迎えるのを知らせるセレモニーでもあります。


                 《昨夜からの雨で水を張ったような自宅前の田圃》

 ホーホケケキョ
 前の山では、そぼ降る雨の中でウグイスが、馴れない声を出して囀(さえず)っています。それは発生の練習でもしているのでしょうか、何回も何回も繰り返しているのを耳にしながら、私は寝床から清々しい感動と、微笑ましい気分に浸ることができました。

                  《ボケの花も水を得て元気に春を誇っている》

 上の写真は私が住んでいる隠居のような家で、見てくれは普通のように見えますが、リニューアル工事を施してあるからそう見えるだけのことであって、実は昭和4年に鹿島の大火があった直後に建てられた家なので築88年が経っている代物です。
 しかし、子供の頃から育ってきた家なので愛着がありとても好きなのです。
 周囲の自然が春夏秋冬をハッキリさせてくれ、対人関係でも1歩さがった位置に住んでいるので、余計な神経を擦り減らさないで済むという恩恵に授かりながらの生活が続いています。
 いつになっても目の前の自然が変わらないというのは、人の心もいつになっても童心のままでいられるような気がして安らぎさえ覚えます。
 ウグイスとカエルを身近にして共生できる幸せ感を、今朝は改めて知ったような思いがしました。
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矢田川の夜桜

2017-04-13 21:32:47 | Weblog
                                          分類:地
                           場所 : いわき市鹿島町
                                米田・走熊・久保・飯田地区の矢田川沿い一帯
満開の夜桜を提灯でライトアップ
 鹿島街道と並行して流れる矢田川の土手沿いに植えられた矢田川千本桜のさくら祭りは9日に行われましたが、30日までは午後5時から同10時まで毎日、提灯でライトアップされています。

              《落ち着いた雰囲気でじっくりと夜桜見物ができる矢田川》

 鹿島町の恒例行事になっているかしま ふれ愛 さくら祭り は鹿島地区地域振興協議会が、いわきのシンボル的行事の一環として位置づけて積極的に始めたものですが、早くも今年で第8回目を迎えました。

 《鹿島街道と江名・湯本線が交差する小神山信号付近の桜。赤い建物はビッグエコー(カラオケ店)》
 
        《鹿島ショッピングセンター北側駐車場から見た夜景(左側が矢田川土手)》
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