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朝鮮映画「愛と誓ひ」シンポジウムを終えて

2010-03-21 14:05:15 | 朝鮮映画とシンポジウム
朝鮮映画「愛と誓ひ」の上映とシンポジウム。

多くの方々が来てくださいました。
ほんとうにありがとうございました。

以下、ご報告です。

植民地期の朝鮮映画をどのようにみるのかについて、さまざまなご意見があった。
とくに志村喬が演じている国民学校の校長先生が日本人なのか、朝鮮人なのかで意見が分かれた。



朝鮮人ではなく、日本人だという方々のお考えは次の通りだった。

校長先生がみそぎにより体を清めるシーンがある。
剣術に励むシーンがある。
嫁の名前を「・・・さん」とよぶ場面がある。

いずれも校長先生の自宅での場面であるため、朝鮮人はこんなことをしない。
まして、家に帰ってまでしない。よって、日本人であるという結論。

それならば、特攻隊員として戦死した校長先生の息子村井少尉は日本人だということになる。これに関しては、校長先生が朝鮮女性と結婚、つまり、「内鮮結婚」によるこどもという方。いや、嫁のえいこ(朝鮮人であることが明確)さんと村井少尉こそ「内鮮結婚」という方もいらした。


当時、軍と朝鮮総督府による映画がどのような目的で制作されていたのか。

朝鮮軍報道部と朝鮮総督府が後援制作した映画「兵隊さん」(1944年6月封切り)に関して言えば(「軍と映画」『国民文学』6巻、1944年6月号より)

 近代戦において映画も武器であると述べながら『兵隊さん』について。
「今度徴兵制(朝鮮人対象)を迎えたのでどうしてもその趣旨を徹底するということ、今度の入営を控えへ、映画を通じて取敢ずの攻撃目標はそこにあると思う」(林朝鮮軍中尉)

「制作意図は徴兵制を控えて適令青年及その父兄に軍隊生活の意義と内容をあまねく知らしめようと、兵営と家庭の結びつきを主体とする興味あるエピソードを其処折り込んで興味のなかに軍隊に於ける厳格な訓練を家庭生活の内容と合わせて、紹介しようというような企画の下に脚本を頼んだわけです」(林中尉)

そうして、「映画といふものを用ひて明るく平易に解説して行くのが狙ひ」だとも話していた(朝鮮総力連盟西山広報課長)。

また、池田朝鮮総督府保安課通訳官は、行政面においては警察が中心になっているが、文化面における全体としての指導方針はあくまで文化的でなければならぬという面から「情報課あたりが、今後この方針を採って行くべきである」と話している。

だからこそ「兵隊さん」は「戦う半島の姿がここにある」という呼び込みで封切られた。
兵士適令者である朝鮮青年はどうあるべきか、母と父、兄、妹、友、社会がどうあるべきかが可視的に示されていたと思う。

昨日の朝鮮映画「愛と誓ひ」は、そのことがさらに強調されていた。と、私は感じた。
朝鮮総督による朝鮮人に対する「皇国臣民化」政策の中身は、戦局頽勢に伴い、「徹底の強調」「徹底の透徹」と変わって行った。

その際、朝鮮総督府は、朝鮮人に「国体の本義」を自覚させることに神経を注ぎ、方法として、朝鮮人に滝に打たれての「禊ぎ」をさせることや日本人式の生活様式を経験させることを採用していた(主として『文教の朝鮮』1942年~45年)。

そうはいっても、それを朝鮮の方々が日常生活において実践していたかどうかはわからない。大方の人が実践していなかったからこそ、朝鮮総督府が躍起になったのだと思う。
「愛と誓ひ」の中の校長先生のあり方は、朝鮮総督府が望む朝鮮人のあり方、朝鮮人校長先生のあり方であり、息子を特攻隊員として天皇にささげる朝鮮人父親のあり方だと思う。嫁のエイコは、夫を天皇の「御盾」としてささげる「皇国の妻」のあり方であったと思う。

このようなことから、私は、志村喬が朝鮮人の役を演じていたと思っている。朝鮮人はどう生きるべきか。 日常生活をどのようにして生きなければならないか。と。

とは言え、私の考えは孤立していたようだ。

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