アグリコ日記

岩手の山里からお届けするさまざまな動物や植物、生き物たちとの共同生活。

今、地球は、 8 

2017-02-26 09:40:57 | 思い
 まず少しだけ、僕の短い創作話に付き合ってもらいたい。
 創造の初め、原初の存在はただ一つそれだけで存在し、それ以外の何ものも無かった。その存在の状態を僕らの持つ非常に限られた概念で説明することはできない。だから比較的それに近い比喩によって表してみる。例えばそれを、輝く一点の光になぞらえてみようか。眩くてとても見ていられないほどの光。しかしある時その「光」は考えた。この世界には今自分しかいないけれど、もし自分が二つに分かれたら、いったいどうなるだろうか。そこで自分自身を等分に分割してみた。一方が光っているときはもう一方は消えている。次の瞬間に一方は消えてもう一方が輝いている。つまり交互に点滅する二つの光に分かれたのだ。そうして分割されたものは、輝きは半分になったけれど、似ていてまるで正反対の「違うもの」になった。「光」は、これは面白いと思った。
 そこで今度は、二つのものを更に分割してみた。すると点滅頻度は半分になり、輝きもまた半分に落ち、しかしそれぞれが真逆の性質を持つ二つずつに分裂した。これで全部で4つの異なるものが誕生したことになる。つまり点滅頻度を減らせば、よりたくさんの(違った)ものを造ることができるということだ。原初の存在はそれをたくさん、たくさん繰り返した。更に光を偏向させることによって青、赤、黄色といった色のバリエーションも生まれた。また点灯と消灯の時間の割合を調節することによって、輝きの強度を微調整することもできた。そのようにして、各階層ごとに、さまざまな外見、様々な性質を帯びた非常にたくさんの存在が生まれていった。あまりに多くなったので、ある時点から数えるのもやめてしまった。この原初の存在の「創造」の活動は現在も進行中だし、僕らの魂もその中のある一時点で生まれたものである。
 ある点滅頻度に属する存在たちには、それより低い頻度のモノたちの動きがまるでスローモーションのように見える。そして更に低いレベルを見ると、ある時点からそれはもう自分と同じように「生きている」ようには見えない(例えば、1000年単位で明滅するものを見たとしても、僕らの感覚ではまるで明滅しているようには見えない)。また点滅頻度の高い方に目を向けると、上にある者たちは活動が俊敏で思考も行動も理解の域を超え、そしてある線を超えるとただ輝くだけの光になってしまう。やはり自分たちと同じように「生きている」ようには見えない。更に上に行けばあまりに眩しすぎて光とさえも認識できない。つまり点滅頻度の階層ごとに、それぞれ認識できる幅(知覚可能な範囲)がある。それは自分の属する領域を中心に、上下限られた範囲に収まっている。それが、僕らが他の次元の存在たちを知覚できない、あるいは同じ「生きもの」として認識できない理由だ。でもどの存在も、原初の存在からすれば同じ創造の産物であり、それぞれの次元でちゃんと生きて活動しそのもの特有の意識を持っている。
 もう一つ、存在するものたちには特徴がある。点滅頻度が時々、というか頻繁に変わるのだ。ある種のブレと言おうか誤差と言うか。もしかしたら数限りなく分裂を繰り返した結果できた副産物なのかも知れない。点滅頻度はある時点ではこのレベルで、そして次の瞬間には少し上(または下)のレベルでと微妙に変化する。どうやらその幅も、認識可能範囲と密接に関わっているらしい。点滅頻度が高い位置に移動すれば、それに応じて認識可能領域も上にシフトする。その変動は、速度が非常に早く繰り返される(例えば一秒間に数億回という単位)ので、存在はある幅を持った点滅範囲内のすべてに(ほとんど同時に)存在しているように見える(これを振動数になぞらえれば、例えばこの存在は50Hzきっかりです、ということではなくて、だいたい30~80Hzに跨って存在してるということを言っている。その範囲のすべての振動数領域に跨って(異なった世界に同時に)それは存在している)。
 この話を、光の点滅ではなくて、振動や波長に置き換えてもいい(いずれどのような表現をしようとも、僕らは「創造の実態」を正確に認識することも表現することもできないと思う)。目下のところ一般的には「波動」として表現するのが一番人口に膾炙していて、またいろいろと説明しやすい。そこで少し表現様式が変わって済まないが、ここからは僕も「波動」に統一して話を進めたいと思う。
 三次元の世界のことを話そう。次元というものは、上下だいたい性質の似通った波動の範囲内を僕らが便宜的に「三次元」とか「五次元」とか呼んでいるに過ぎない。実際は「ここからここまでが物質次元で、そこから上はいきなり非物質の世界」というようにカキッとしたものではなく、波動はほんの僅かな差で織り重なり合うように(無数に)存在している(よく「玉葱の皮」に例えられる)。だから同じ三次元でも、より下の階層に近い三次元もあれば、ずっと上の(エネルギー世界に近い)三次元もある。三次元と上の次元の中間(どちらも混ざり合っている領域)も多々ある。次元の境界部分は次の次元への移行領域となっている。
 そして、この地球上に「人間」として存在しているものたちにも、各自にそれぞれの「波動の幅(存在の幅/認識の幅)」というものがある。ある人はちょっと下の方、ある人は少し上の方、といった具合だ(注意してほしい。ここでは話をとても簡略化、直線的思考で表現している。実際はもっともっと複雑で込み入ったものだ)。だから幅の異なった二人の人間が出会った場合、お互いはそれぞれ相手の持つ幅と自分の持つ幅の重複した部分だけしか認識できない(例えば低い波動の人は相手の波動の高い部分を認識できないし、反対もまた同じことが言える)。だから同じ人を、ある人はとても好ましく思い、別のある人は忌み嫌うということが実際に起きる。どの人も、自分の世界の範囲内で、他の人(の全体の一部/一側面)を見ているのだから。わかりやすく言えば、同じ人を見ているようでいて実は違う人を見ている。これは存在としてどちらが上か下かという(三次元的な観念の)問題ではない。ただ、今この時点でそれぞれの存在する場所が少しずつ違っているということだ。進化の過程の中で、どの存在も常にその位置を変化させている。どの存在も、すべての階層を通り抜けて必ず進化する。直線的時間の概念で見れば、相互の位置関係が逆転する場合もよくある。だからあらゆる存在間に優劣の差はない。
 この事を少し別の角度から説明してみよう。意識は、常にそれより微細な意識の集まりとして存在している。先の「人間のエネルギー体」を例に出そう。ヒトの体はエネルギー的に見れば輝く球である。そしてその球体は更に小さなエネルギーの集合体になっている。そしてそれら微細なエネルギーはすべてそれ自身の「意識」を持っている。実際この宇宙ではすべてがそうなのだ。例えば僕らの魂は、今ここに存在する「僕」という単一の意識だけで存在しているのではなくて、その他にも何千という別の側面を作っては他の次元、他の世界に飛ばしている。つまり魂は、何千という個別の意識の集合体だ。「僕」という存在はその一つであり、この世界を体験するために造られた魂の分身である。もっと適切な表現で言えば、「全体」が本当の「僕自身」であり、ここにある意識はそれをある角度から見た「一側面」に過ぎない。この「自分」という意識は、この先どんなに進化が進もうと、永久に失われることは無い。そして何千という側面の意識はすべてそれ固有の波動を持っているし、それを統合した全体としての魂もやはり固有の(それらを統合した)波動を持っている。
 これと同じことを「信念体系」に当て嵌めると、個々の「信念」はそれ特有の意識と波動を持っている。一人の人が保有する信念は、多分何万、何十万とかそれ以上になるだろう。それらがみな、そのポジティブ度/ネガティブ度に応じた波動を持っている。だから例えば安易に「あの人は波動が高い/低い」とは断定できない。その時に顕れる面(信念)に応じて、同じ人でも波動が高くなったり低くなったりする。どの人も、自分の中に低い波動のものも、高い波動のものも併せ持っている。信念体系を整理した結果波動が高まるというのは、中にあるネガティブな信念(波動が低い)を外すことによって、全体として波動の平均値がアップするということだ。このように一人の人の持つ波動は、(単一ではなく)常に帯域を持ち、その幅がカバーする領域に存在するさまざまな物事を自分の世界に取り込んでいる(だから全体的に波動が高い人でも、自分の中の波動の低い部分に応じて、(低いレベルの)いろいろな人や、いろいろな出来事と出会うことができる)。
 つまり、僕らはみんながみんな、同じ世界で生きているわけではない。出会う人も違うし、または同じ人に出会っても、その人のどのような側面と関わるかは人によって違う。考えてみれば自分の周りには、自分と似たような人が集まっていはしないだろうか。それより上も、それより下も、(いるにはいるが)数的にはより少なくて、しかも関係があまり長続きしない。中には上の次元にとても近いところにいる人もいるだろう。その人は、エネルギーとか意図について、より多くのことを感じているかもしれない。また逆に下の次元に近い人もいる。その人は愛とか思いやりとか分かち合いといったことにはあまり関心が無くて、所有欲やエゴに突き動かされているように見えるかもしれない。そして自分自身がどのような位置にいるかは、周りの人、関わっている人の傾向を見ればだいたいのところわかる。なぜなら人は、自分に近い領域にいる人の方により親密感を感じるものだからだ。同類を好む。自分と異質なものに疎遠さを感じる。その結果、付き合う人を無意識的に選別している。
 ここで少しややこしさに輪をかけることになるのだが、この「自分の位置(波動帯域)」は常に一定のものではなくて、それ自体その時の気分や思考などで容易く上下動する。気分が良くて楽しい時は上に移動し、逆に落ち込んでしまった時は下にといった具合だ(次元の観念では上がより統合、下がより分裂の性質を持つので、総じて言えば「愛、協調、一体感」的な感覚に包まれた時は上に、逆に「恐れ、憎しみ、敵対、分離」的な感覚では下に移動する。ローソク足で示された株価の移動平均線のようだと言えばわかりやすいだろうか)。だから感情や想像力豊かな「人間」という存在は、自分の存在の位置を常に上に下にと動かしている。「天国に昇ったような気分」「気分は極楽」「地獄に落ちた気分」「奈落の底に突き落とされた」などという表現は、あながち現実離れした表現とは言えないようだ。実際のところ僕らは、しごく日常的に天国に行ったり地獄に行ったりを繰り返している。信念体系に支配されて感情の上下動が激しいうちはなおのことだ。だから自分の位置というものは、その人の持つ信念体系と密接に関わっている。全体的にネガティブな信念をたくさん抱えている人ほど、結果的に下に引っ張られることになるからだ。
 さて今この地球上で、すべての人々の信念体系になんだか異変が起きているようなのだ。信念の顕れ方というか発動の仕方がどこか変わってきている。先も話したように、僕はこのところ何年も自分の信念と取り組んできた。以来自分の内面に視線を注ぎ続けていて、今ではいつネガティブな想念や感情が出て来ても、それを見逃すことはない(夢の中でさえ気づくくらいだ)。だからはっきりと、(自分としては)比較的早い段階で知ることができたのではないかと思う。このところ、信念の(特にネガティブ性の強い信念の)顕れ方が極端になってきている。活性化が激しいというか、過激に顕れるといったらいいか、とにかく今までとは違って順序だって現れるということをしない(憶えているだろうか、信念体系は階層構造になっていて、本来は上の方から順繰りに水面上に現れる仕組みだ)。しかし氷山の例えで言えば、なんだかいきなり氷塊ごと上に持ち上がったみたいなのだ。ずっと下に隠れていたはずの信念が、突然頭をもたげてきている。
 少し具体的に話そう。まずここ数年間に限っても感情の動き(情動)が飛躍的に増幅されてきている。今まで当たり前のように我慢していたことが我慢できなくなったり、見過ごしてこれたことが、できなくなってきている。小さなことに対しても、今までになく怒りが湧き起こったりもする。なんだか嫌なこと、不遇なことが身に起きるという嫌な想念が繰り返し湧き起こって離れない(そしてなぜかそれは速やかに現実化することが多い)。・・・なんだかネガティブな話ばかりになってしまったが、でも実際このとおりだ。多分気づいているかどうかはともかくとして、この現象は世界中のどの人にも顕れているのではなかろうか。もちろん各自の感受性も反応の鋭さもさまざまだし、信念体系の内容にも個人差があるので、みんなが一斉に同じラインに立っているということではない。
 幸い僕はそれと同時並行的にネガティブ信念を意識的に外す作業を進めていたので、そんなに酷い状況を招くことは無かった。でももし自分が信念体系という存在に向き合っていなかったとしたらどうなっていたろうか。もし昔の(強烈なネガティブ信念を抱えたままの)自分だったら、もしかしたらただでは済まなかったかもしれない。そして思い当たることがある。今(ニュースで流されているように。それが本当に現実の一部だとして)世界中で起きていることの原因は、実はこれにあるのではないか。世界中の人々に同じように、感情の増幅、特にネガティブ信念の活性化が目覚ましい形で起きているとしたら。このような変化は、遡ればもっと以前、10年も20年も前から始まっていたのかもしれない。その頃から目に見えて、過激な犯罪や行動が世界中で目立ち始めたような気がする。自分の心(信念体系)をコントロールできない人が、信念体系の暴走(発動の仕方の過激化)のままに今までして来なかった(抑えてきた)行動に出ている。なんだかそんなふうに思える。
 隠されていた信念が現れてくるという現象は、もちろん(それに取り組む人ならば)信念体系の縮小化に伴って誰にでも起きてくることの一つだ。しかし現状は明らかにそれだけでは説明がつかない。まず事は世界規模で現れている。信念体系に取り組んでいないような人に殊更現れている。特に今まで底の方に仕舞っていたような、ネガティブ性の強い、根源的な、闇の部分の信念が発現しているように見える。もっともこのような現象は、もっぱら信念体系の整理に努めている人にとってはこの上もない追い風となっている。なにしろ隠れていた信念が自分から顔を出してくれるのだ(信念体系に取り組むプロセスの中では、外すべき信念を見つけることが一番大変で時間のかかる作業だ。一度捕まえてしまえば、それはもう最終段階に入ったも同じ。その信念の正体を掴み、それが誕生した原因、その作用の仕方を把握してしまえば、後は時間の問題だ。その信念はもう外れたも同じと言っていい)。だからこういった世界的変化の状況は、(ポジティブに捉えれば)まるで(外圧的に)人類の信念体系の整理を強力にバックアップしてくれているふうにも見える。と、そこまで思い至って、俄かに腑に落ちるものがあった。そう、もしかしてこれは、僕らが信念体系を整理して(ネガティブ性を削ぎ落して)、波動帯域(次元の層の中での自分の位置)を上昇させるために起きていることではなかろうか。それがなんらかの理由で地球規模ですべての人間に一斉に起こっているのではないか。
 もう一つ思い当たることがある。まず最近身の周りの人が、めっきりと減ってきている(過疎化が進行しているせいだ、などと言わないでくれ。いや確かにここは限界集落ではある)。今まで会っていた人にあまり会わなくなった。疎遠な人とは更に疎遠になった。その一方で(僕個人で言えば)新たに出会う人たちは、なぜかみな親切で優しい人ばかりだ。その人たちには一定の傾向がある。道行く車の運転も穏やかになったようだ(高齢者ばかりだからだなんて言わないでくれ。それはそのとおりなんだが。しかし高齢者の運転には「穏やか」とはまた違うものがある)。僕は環境活動をしているからわかるのだが、地球や生きものに関心を示す人が目に見えて多くなった。あれやこれやを総合してみると、ニュースや報道で表現される社会とは裏腹に、世の中なんだか少しずつ良くなってきているみたいなのだ。このままで行くと生態系は回復して地球は再生し、人心は取り戻され近いうちに犯罪は無くなり、汚染や環境破壊はぱったりと止む、そんな社会が実現しそうだ(実際身の周りでは今までに見られなかった植物や動物がちらほらと現れ始めている。確かに生態系は回復の道を歩み始めている)。これはもちろん、本人の波動帯域が上がることによってそれだけ愛や思いやり的要素が強い世界にシフトするという、波動の原則に則ったことではある。でもそれはそれとして、少し違う見方もできないだろうか。愛や思いやりに目覚めた人が増えたように見えるのは、実際このような地球規模の変化(各人の情動の過激化やネガティブ信念の顕在化)に伴って、その機に乗じて自分の信念体系を組み替える人が実際に多く出てきているからではないのか。つまり今この時期に、ネガティブ信念をどんどん手放していく人と、その反対にそれに屈してますます波動を下げていく人との両端に分かれて行っている。その岐路に、すべての人が立たされているのではないか。
 人間ばかりではなくて、変化は他の存在たちにも顕れている。ここのところの天変地異、涼しかったり暑過ぎたりする夏、まるで暖かい冬、そうかと思えば異常なほどの寒波や雪といった天候不順。動物たちの異常行動、生息地や行動範囲の変化、知性の向上(全部ではないが、なんだか頭が良くなったように見える動物もいる)。植物相の変化、かつて無かった病原菌やウイルスの発現・・・これらはみな、この地球上の意識ある存在(微生物から人間、そして地球までの、「魂」を持ったすべての存在)になにかが一斉に起きている事を示している。その規模は地球温暖化や磁場の変化、化学物質汚染などによる環境破壊の影響(もちろんそれらは歴然としてあるが)を飛び越えてはいないだろうか。はっきり言ってしまえば、地球全体を包むエネルギーが変わってしまったようだ。漬かっていた水の温度が少しずつ上がっていたような、海水の塩分濃度が高まって氷塊がせりあがってきたような、いつの間にかとんでもない高周波に晒されていたような・・・ええい、もっと簡潔に話そう。地球が、その波動帯域を上げているのだ。僕らが信念体系を組み替えて自分の波動帯域を上昇させるように、それを今地球がしている。地球自体がそれをしているから、それに付帯する現象として、今僕らも(そしてすべての生物たちも)自らの存在の位置を高めようとしている。
 それが下ではなくて上の方への動きだということは、僕らの心のネガティブ信念のみクローズアップされることからわかる。つまり今移動中の波動帯域は以前より高波動で、より愛や統合(ポジティブ性)の強い領域だから、それに反するネガティブ性のものとは相容れない。潜伏していたそれらを顕在化して処分しようとしている(これがもし反対に下の方への移動だったなら、逆にポジティブ性の強い性質のものを異物化していたことだろう)。だから先に言ったことをこう言い換えることもできる。地球の波動シフトのこの時に、その流れのままに自分の内面を浄化してより高波動帯域に向かう人もいれば、それに逆らって今までの性質(ものの見方、価値観、信念、習慣、行動の傾向)にしがみつき、元の領域に踏み留まろうと(必死に努力)している人がいる、と(努力しているのはもちろん「古い信念体系」である)。
 またもう一つ気になることがある。このところなんだか意図が実現する速度が速くなっている。この物質世界はいわば「固形状」なので、通常意図が実現するには、「行動する⇒物体が動く⇒その結果変化する」というプロセスを踏まなければならない。だからなにかと相応の時間がかかる。例えばなにかの情報を得ようとしたら、パソコンに向かってキーボードを叩いて検索し、あれこれとサイトを渡り歩いてその結果お目当ての情報を手にする、といった具合だ。でもその過程が、気がついたら随分スピードアップされていたような気がする。なにかが欲しいと思うと、以前よりすぐに手に入るようになった。解決の糸口が、ふと思いつくことが多くなった。昨日心に浮かんだことが、今日現実のものとなった。あの人に電話をかけなきゃと思っていたら、ちょうどその時にその人から電話がかかってきた。ちょっと偶然だとは思えないことが多い・・・意図が現実化するスピードが速い。良いことも悪いこともである(自分のまだ把握していない信念(水面下の信念)も自分が日常的に用いている強力な意図の一つなので、その分だけ望まないことや意識していなかったことも起きる)。つまりこんなことが言えないか。地球を取り巻く世界が、いわば「ゲル状」に近くなっている。従来の固体性が薄れてより流動性の高い状態に移行している。物質とエネルギー状態との中間の地点に向けて、地球全体が進んできているのではないか、と。
 実はこの地球上の変化については、今までたくさんの人がチャネリングなどを通じて他の次元の存在たちから情報を得、それを発信してくれている。本もたくさん出ているから、それらを読んだ人も多いだろう。それらは種々様々な内容で、同じことを取り上げていてもなんだか言っていることが違い、いったいどれが本当なのかわからなくなってしまったりすることも往々にしてある。それにはいろいろな理由があるのだが、多くの場合媒介するチャネラー(日本では伝統的に「霊媒」とか「口寄せ」などと呼ばれてきた)の違いによるところが大きい。高次意識の存在は、思念や思考を「エネルギー」の形で持っている。それをチャネラーの持つ物事についての概念やボキャブラリーを拝借して言語に翻訳している。だからどの人がチャネラーかで、同じ思考でもまったく違った形に翻訳される場合があるのだ(例えばキリスト教文化の影響を色濃く持っているチャネラーを通すと、「神の国」的な表現を多用することが多いし、仏教的な人ならば極楽浄土や菩薩や観音様が現れたりする。また無神論的な人を介せば、これまたまったく違った表現になる)。実際、ある状態を四次元と言ったり五次元と言ったり、また同じ内容のことを空間的概念で説明したり非空間的概念で説明したりと、そのことを理解していないと矛盾だらけに思えることが多い。でもこの場合に大切なのは、表現のうんぬんではなくて、なにを伝えようとしているかなのだ。話の内容のエッセンス(本質)を見なければならない。だから受け取る側として実際的には、とりあえず理解できないことは飛ばして、確かにそうだと心(ハート)が示す事柄だけをピックアップしていくのも一つの手だ。(強いて言うなら、とても下手で、しかも世界観が違い過ぎる通訳を介して外国人の話を聞いているようなものだ。通訳如何で全然違った内容に翻訳される。けっしてチャネラーの努力を無下にするわけではないが、実際の状況はこれにとても違い)。
 また中には明らかにおかしい内容のものもあるので、それらは無視して構わない。寄せられる情報すべてが正しくて役に立つものとは限らない。発信元の中には、やはりネガティブな存在たちもいる。そういった存在は、必ずと言っていいほど受け取り手のエゴ(自意識に関わるネガティブ信念の集まり)につけ込んで来るので、特にエゴの強い人は丸め込まれやすい(僕らはまだエネルギーを知覚することに慣れていないので、彼らの発する意図がどのような性質のものなのか(善意か悪意か、ポジティブかネガティブか)を見抜けないし、「作り話」をウソとも見破れないことが多い)。どれが取り上げるべきでどれがそうでないかは、ネガティブな信念を外していけばそのうち自然と判別できるようになってくる。が、それまでは少しでもおかしいと思うものはペンディングにして、確実と思えるものだけを採用していくのがより現実的だ。「人」を信じないで、言っている話の内容(そのエッセンス)だけを精査する。それが正しければ、例えそれが子どもの口から出ようと翔んでるギャルの口から出ようと、それは正しいのだ。逆にもったいぶって自分を高く見せようとする気配が感じられれば、相手はあまり信用できないかもしれない。
 そうして流布しているメッセージのほとんどで一貫しているのは、今この地球に、とんでもないこと(悪い意味ではない。何千万年、何十億年に一度という頻度の歴史的宇宙イベントだという)が起きつつあるということだ。正直な話とてもSF的だ。もしこんな状況でなかったら、特に懐疑的な僕なんかは到底受け入れなかったかもしれない。ふうん面白いな、と単なるオハナシとして片づけてしまいそうだ。でも恐ろしいのは、それがなにより自分の現実に即していることだった。僕自身が、僕の身の周り(世界)の変化が、それを証明してしまっている。特にこの十年余りの僕自身が、それに沿った体験をしてしまっている。だから僕は最終的に、新しい情報、新しいものの見方を取り入れざるを得なかった。
 確かに地球の歴史にはサイクルがあって、おおよそ2万6000年周期で気候や地殻移動の変化が訪れているらしい。直近ではちょうどその半分、1万3000年前に全地球規模の気温の低下(平均気温が一気に5度かそれ以上低下して、地球全体が氷河期に逆戻りした。シベリアでは温帯環境下で食餌していたマンモスが、生きたまま氷漬けになっている)や、幾つかの箇所での隕石の落下らしき痕跡、地軸もこの時に約30度傾いて北極点が今の位置に移動したし、それに伴うような形での生物種の大量絶滅が起きている(この時期を古気候学では「ヤンガードライアス期」と呼んでいる。その原因には幾つかの仮説が唱えられてはいるが、いずれにせよ現代の科学的知見と発想では説明がついていない)。人類自体ももちろん絶大な影響を蒙った(例えば北アメリカではクローヴィス文化が消滅しているし、朝鮮半島は突然無人地帯となり、その後およそ6000年間ヒトの痕跡が見つかっていない)。これは7万5000年前に人類に起きた「ボトルネック現象」(種全体の個体数が激減して、その後爆発的に増える現象。この時に人類は突然数千人単位にまで激減している。やはり原因はわからない)を想起させる。この時の人類の経験が、各地で伝説や神話として語り継がれるものの原型となっている。
 そして地球と同じように銀河系にも当然「サイクル」がある(地球はプレアデス星団のアルシオネ星の周りをおよそ2万6000年かけて一周し、その中心のアルシオネが、更に銀河の中心を2億3000万年かけて一周する。今ちょうど、それらの軌道の最終地点が重なり合っている)。これが地球上の長期的な環境変化の原因となっているらしい。衛星が惑星の周りを回るとき、それは惑星上に潮汐という定期的な現象を産み、また惑星が恒星の周りを回るとき、それは惑星上に季節変化というサイクルを産む。同じように太陽が銀河系を回るとき、太陽系全体が一つの巨大なサイクルの中でなにがしかのエネルギー的影響を受けている(すべての現象は土台にエネルギー変化という原因を持っている。例えば月の周回が地球に及ぼす影響も単に潮汐だけではない。目に見えないエネルギー的な影響は女性の月経周期にも旧い暦にも刻されており、古代の人ほどそのことを認識していた)。その影響を科学的に立証し予測するには、今の人類の文明はあまりに存続期間が短過ぎて無理だろう。しかしこの地球や太陽系が、銀河系周回による影響を受けないはずはないのだ。それも自転や公転よりも更に大きな規模で。そのエネルギー変化が、今ちょうどこの地球をすっぽりと包みこんでいる。莫大なエネルギー量が銀河の中心から地球へと降り注いでいるようだ。そのエネルギーは恒星の、惑星の、生物種の進化を促す(惑星も「意識ある存在」である限り必ず進化する)。宇宙の中のあらゆる存在は絶え間なく「変化し続けている」。それはそれが属する生命系(「存在系」と言った方がいいかもしれない)の「サイクル」に則って進行している。今地球は大きなジャンプをする、そのタイミングに当たっているようなのだ。
 ここで先の「意識はより小さな意識の集合体」ということを再び思い起こそう。この物理的次元で(物質的な観点だけから見た場合)、地球の意識を構成している「より小さな意識」は、その中に含まれるものすべてである。すなわち鉱物、微生物、植物、動物、人間、そしてその他のすべての元素。これらすべてが一体となって、「地球の意識」を形成している。その中で最も主要な位置、大きな影響力を持っているのは「ヒトの意識」である。数的に言えば鉱物や微生物の方が遥かに上なのだが、意識レベルの高さ、そのカバーする領域の広さ、波動帯域の高さでヒトは地球の意識の構成上重要な位置を占めている。つまり地球がどのような意識でいるか、今後どのような動きをするかは、人類の意識の在り方抜きには考えられない。逆に言うなら、我々人類の意識の持って行き方次第で、終着駅が決まるということだ。さて、地球上の小さな意識たちは今、地球の次元上昇(いきなり四次元や五次元と言っているのではない。この三次元の中での上昇も含んでいる)に合わせて意識を高めつつある。そして僕ら一人一人を含む人類全体の波動の平均値も、(今現在地球の波動が以前より高い位置にあるのならば)それと同程度に上がっているはずだ。そう、実は今、世界で何十万人、何百万人という数の人が、既に三次元の上限近くに辿り着いているという。だからこそ地球は次元の層を「上」に向かって進んで行けるのだ。
 え?と思うだろうか。現在地球上にはさまざまな波動帯域の人がいる。だからある人にはとてもリアルで、他のある人には全然現実には見えないということも多々ある。それはそのとおりだ。人は自らの波動帯域内でしか存在を認識していない。例え高波動帯にいる人間と出会ってもそれをそれとして認識することはない。そして僕らが見えにくくなっているもう一つの原因があるのだが、それは「高波動の人」に対する誤った観念だ。僕らは一般に「悟った人」「聖者」「覚者」「聖人君子」というものに対して、(現実とはそぐわない)間違った概念を持っている。昔からこれこれこういった人が素晴らしい人だ。悟った人というのはこのようなものだ。人格の高い人はこういうことをして、こういうことはしないものだ、という(とてもステレオタイプな)観念である。実はこれは、ある意味人為的に押し付けられた概念であって、実質的に僕らの自由な発想や行動を遮り、信念体系の支配から抜け出せないように働いている。実際に波動の高い人というのは、これとは一風違ったように見える。ただ自由で、状況に応じてそこにあるものを受け入れ、なにより自分自身のありのままを受け入れて、既存の決まりや固定観念、外からの圧力に囚われずに生きている。型に嵌ったところが無くて、固定観念に囚われず、個性豊かだ(つまり自分の好きなことを各自している。いつの時代にも波動帯域の高い人たちは相当数いた。その中でイエスや釈迦は、あのような形で自分を表現した、比較的少数派に属する人たちだった)。それに近い人が君の周りにも一人か二人いないだろうか(ただしその人は場合によっては、社会から異端児的に見られていることがままある)。世間の評価や常識的判断とは裏腹に見えて、その人が明るく楽しそうで、いったい何をしているかわからないけれど不思議に活力に溢れていたりするなら、もしかしたら君が今まで持っていた彼に対するイメージは間違っていたかもしれない。
 ・・・と、いろいろ並べたが理屈としてはこのとおりだ。でも、ここで本当のことを話そう。僕が今の世界の変化について知ったのも、それがなぜ、どのようにして起こっているのかを理解したのも、もうたくさんの波動を上昇させた人たちが地球上にいるのを知ったのも、ただ単にそれがわかったからだった。そこに理屈などなかった。ただある時、それがすんなりと受け入れられた。信念体系が整理されるにつれて、それまでの考えもものの見方も変わって来る。同じ出来事に出会っても以前とは違った体験として受け取るし、同じ本を読んでも違った意味を汲み取ることがある。それと同じことは何度も何度も起きた。それに応じて僕の知識も認識も変わり続けた。ついこの前まで確信していたことが、衝撃的に剥がれ落ちる。目から鱗が落ちた思いがして感動の涙を流す。真実を手にして、新しい世界が開けたように感じる・・・しかしそれもまた僅か3ヶ月かそこらでまた覆る。実際そんなことが繰り返された。その間に学んだことがある。一般に僕らが言う「真理」とは、自分の意識の位置によって変わるものなのだ。宇宙には確かに普遍の法則というものがある。ただそれはほんの少し、片手で数えれる程度しかなくて、それ以外の法則や真実、真理と言われるものは、ただそれが通用する範囲(次元とか波動帯域)があるだけなのだ。その領域内でのみそれは真実として通用する。だから自分にとっての真実は、けっして他人にとっても同じとは限らない。今自分が持っている真実も、やがては真実でなくなる時が来る。いや元々それらは、単に「その波動帯域で普遍的な現象」に過ぎないのかもしれない。それが僕の今持っている真実の概念だ。
 だから僕がこれらの事を知ったのは、他の信念体系に関する多くのことと同じように、ある時それが「腑に落ちた」だけだった。ただそれをそのまま書けばなんだか説得力に乏しいように思えるものだから、いろいろと理論的な裏付けを足して解説を試みた、その努力がここに書いたことのほぼすべてだとも言える。僕にはそれを知る時が来た、ただそれだけのこと。そしてそれは、もうとっくに経験した人もいれば、これからする人もいる。そのタイミングを自分の計画に則って決めて来た人もいれば、大きなプログラムの中で設定して来た人もいる。そして今の僕には、僕にとってそれがどうして今この時期なのか、どのような全体像の中で設置されたことなのかが、少しわかって来たような気がする。
 だからこの機会に言っておくが、君も、この数年で自分の身に降りかかったこと、また生まれてから今まで自分が辿ってきた道を少し見直してみるといい。起きたことは一見してみなバラバラのように見える。どれも偶然に起きたことのように見える。でもそこで一歩か二歩後ろに下がって、全体を見てみよう。そこになんらかの必然的なもの、起きるべくして起こったという事実、不可思議的な必然性がないだろうか。「俯瞰して観る」ということは意外と難しくて、その時にならなければできないようなところがある。が、誰もがいずれわかるだろう。すべてはある目的に沿って起きている。そう、人生のすべては仕組まれたことだったし、仕組んだのは他ならぬ自分自身だった。魂はこれをするために、このタイミングで生まれることを選んだのだった。それまで僕は、こんな山里で一人信念体系なんぞに取り組んでいる自分がある意味特別なんじゃないか(人と違った道を辿っている)と思っていた。でも違った。地球のこの時期においてはすべての人が「特別」だった。これから、いや今現在、地球の変化に伴って多くの人、ほとんどの地球人が僕と同じように「自分自身の変容」を体験して行っている。
 僕の前をたくさんの人が歩いている。その人たちはいち早く新しい時代、新しい地球と人類の未来について、知ったことを発信してくれた。他の時代には到底手に入らなかった多くの情報を提供してくれた。そのおかげで僕もここにいる。本当にたくさんの人のおかげで今ここに立っている。そして僕の後ろにも、やはりたくさんの人が歩いているのが見える。この地球の変化は、いきなり現れて数年で終わりなんてことはない。また全員一斉になにかドラマチックな事件が起こるなんてことでもおそらくない。地球のペースは僕らの感覚では非常にゆったりとして見えるが、それでいて着実だ(僕の感じでは、まるで階段を上ってるように思われる。ポーンと上昇し、しばらく経ってからまたポーンと上がるみたいに)。今無数の人間が、各自の個性に合わせてその人なりのペースで、その波に乗っている。その様子は滔々と流れる大河のようだ。
 今この時期に地球に生まれることを選んだ魂たちは、多分同じような目的と課題を持ってきているに違いない。単にネガティブな世界を体験したいという理由ならば、なにもこの時代を選ばなくていいわけだ(魂の世界には時間というものが無いので、自由に生まれる時代を選べる。今回は昭和の時代に、次の生まれ変わりには縄文時代にといった具合に、体験の目的に応じて適切な環境を選んでいる)。現在進行中の変動の真っただ中でなくては得られない体験、それはなんだろうか。それは多分、非常にネガティブな状態から非常にポジティブな状態へのジャンプという、「最高にエキサイティングな変容」ではないかと思う。しかも今回それを惑星規模で、全人類レベルやるというのだ。仮に宇宙がどんなに広かろうと、確かにこんなビッグチャンスはそう無いのかもしれない。その可能性の中に、僕らはいるってことだ。誰もが同じように平等に。
 この変化がこの先どのような展開を示すのか、もちろん僕にもわからない。誰もが行き先を選んでいる最中だ。選択の幅は、天国から地獄へと(昔に比べれば)格段に広がっている。そして全体の流れは明らかに上昇傾向にある。誰もが高波動の世界に移行しやすい好環境にいる(とは言っても実際に波動を上げるなんて、そんなに簡単じゃない!などとは言わないでくれ。楽にスイスイと上がるような、そんな簡単で詰まらないものを君の魂が選ぶはずはない)。変化がかなり進んでいるのは確かだが、大丈夫時間はある。君がここに生きているということ即ち、まだ十分に人生の課題(目標)を達成する可能性があるということだ(魂は無駄なことはしない。だからなにかしてるってことは、それが必ず「無駄ではない」ということでもある。ただしそれが今回の生の目的達成のためになることかどうかは、三次元意識である僕らが決める問題だ)。けっして焦る必要はない。
 ここで一言加えると、「急がなければならない」というのも、立派なネガティブ信念だ。この信念は、目隠しを当てて走らされる競走馬のような日常を創出する。だからこの信念が外れると、暮らしはとても穏やかなものになる。見過ごしていた細かなことに目が留まるようになるし、自分に対する労わりも、他人に対する思いやりの余裕も生まれてくる。それでいて不思議と生活が苦しくなることも無い。その体験は、ただの「信念」が君の世界の大きな部分を創って来たことをよく理解させてくれるだろう。それに今はもう、時間はかなり柔らかいものになっている。実は僕らには、常に目的を達成するために必要で充分な時間と情報、手段が目の前に用意されているのだ(ただそれに気づいて手に取るかどうかは自分次第だ)。そうして一歩二歩と踏み進んだ時には、多分今までの暮らしのあり方に修正を加えないとならなくなるだろう。今まで大切に抱えてきたもの(固執してきたもの)を幾つも手放すことになると思う。世間から、他人からの視線も違ったものになる。今までの人たちみんなとそのまま同じように付き合って行けるとは限らない。でもそれ以上に、新しく得るものがある。そしてやがては、失うものなんてなにも無くて、すべて得るものだけだったとわかる時が来るだろう(実際僕らがすべてを創っているのだから、欲しければまた創ればいいし、愛する人とはもっと密接に会えるようになる)(。
 なんと言っても僕たちは皆、自分の高次意識(魂)という最高のナビゲーターを持っている。今の状況は誰にとっても一世一代の正念場だ。だから魂も気合の入れようが違う(多分違うと思う)。どんな波でも必ず乗り越えていけるだろう。わざわざハードルを高く設定したのは、それまで君が(今までの転生で)たくさんの資質を蓄えて来たので、それくらいでないともの足りないというのが理由だろう。山に登り切った時に、それまでの道のりの価値が見えて来る。これからも急展開や激変は続いて行くだろうが、それだけ新しい時代は、現状とは遥かに隔たった世界になるということだ。
 僕は昔の自分、まだ信念体系にがっしりと捕えられていた自分を(読み手に)想定してこの手紙を書いた。今も僕は変わり続けているし持てる知識もどんどん変わっていく(だからそうでもしない限り、いつまでもなにも書くことはできなかった)。内容としては舌足らずなところや自分自身まだ整理のついていないこともあったが、でもこれが書けたこと自体とても嬉しい。道を拡げてくれた前を歩いている人たちみんなに感謝したい。そして君たちみなに、愛を贈る。僕はこの手紙が確実に届けられることを知っている。そして新しい世界で君と会えるのを楽しみにしている。

 (おしまい)
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