気ままなひとり言のページ

日常の出来事など気ままに日記帳風に書き込んでいます。

自然の猛威をまざまざと!

2011年04月30日 19時01分21秒 | 出来事

晴れのち薄曇り、お天気は下り坂のようです。

ブログの記事は 被災の故郷での話題が続きます。
一泊二日の予定しか取っていなかったので、あまりゆっくり滞在は出来ませんでした。
24日(日)10時ごろ、 生まれた町を後にしました。
その帰り道では 町が消えてしまった光景を見ることになりました。
すべて走行中の 車中からの撮影です。

 
前日の葬儀の後も この道は通りました。
その時は大雨の中、初めて通る道の案内と悲惨な光景とに 気が動転していました。
晴れた翌日には 泥紛れの がれきの光景がはっきりと遠くまで 見渡せました。
民家は一軒も残っていませんでした。川に流された地区です。

 
幹線道路は復旧を急いだのでしょう。ただその両側にはがれきの山が広がっていました。
大船渡線の線路が通っていた地区ですが その姿はありませんでした。
29日に新幹線は全線運転再開しましたがこの在来線の再開のめどは立っていないそうです。
ガソリンスタンドは 壊れた店舗の中で営業していました。

 
大きな被害の原因になった気仙川の氾濫。海への河口付近は あの山の向こうです。
川には無残ながれきなどが浮かんでいたり、堰き止めたりしていました。
この日は 何事もなかったかのように 穏やかに流れていました。

  
気仙沼市の海岸付近を通った時の写真です。トップの穏やかに見える海もここで撮影です。
重機の音が響いて、がれきを積んだ自衛隊の大型車両が往来していました。
ここでも手作業で がれきの撤去・捜索をしている隊員の姿も ありました。

 
弟が入院している病院施設の付近にも 災害派遣の車があり、宿営地のテントがありました。
2時間ほど弟を見舞ってきました。津波の被害を免れた地区です。
沿道には満開の桜が咲いていました。本来なら春の訪れを喜び、いい季節なはずなのです。

   自然豊かで 静かな町の地形だけでなく生活までをも 変えてしまった大震災。自然の猛威をまざまざと見せつけられました。
消えてしまった街並み。これからどう復興していくのか、見守っていこうと思います。
悲惨な悲しい出来事の記事が続きましたが いつか昔の故郷の姿に戻った、いいえ!それ以上の町に生まれ変わった写真を ご紹介できることを 希望したいと思います。
もう少し写真がありますので、まだ話題が次回へと続きます。

今日の歌   故郷(ふるさと)

うさぎおいしかのやま こぶなつりしかのかわ
ゆめはいまも めぐりて わすれがたきふるさと

いかにいますちちはは つつがなしやともがき
あめにかぜにつけても おもいいずるふるさと

こころざしをはたして いつのひにかかえらん
やまはあおき ふるさと みずはきよき ふるさと

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海が近くに感じた故郷

2011年04月29日 19時28分25秒 | 出来事

今日は「昭和の日」、暖かな祝日です。

 3月11日の東日本大震災の日から 50日ぐらいになります。
被災の町では合同の 四十九日の法要が行われ、犠牲になられた方・行方不明の方を含めご冥福を祈ったようです。

そんな被災の故郷へ帰省してから一週間になろうとしていますが、まだその時の話題が続きます。

野菜や果物・調味料など積んでいった 支援物資は 葬儀・納骨式終了後、遺族に渡して来たり、留守宅をお願いしている叔母宅実家の近所のお宅や、今度 実家を使用することになった被災の親戚のおじ などに 差し入れてきました。
津波の被害がなかった地区でも 水道施設がまだ復旧していなし、買い物をするお店が流されてしまったり、と生活が大変で 配られている支援物資に頼っているそうです。
叔母の家は 飲料可能な井戸水を一時的に利用していました。

 
実家の菩提寺の墓地も地震の被害を受けていました。
墓石も転倒してしまいました。大変です。たくさんの墓石に被害がありました。

 
海の見える高台の墓地ですが、地盤が崩れてしまったところもありそうです。
修復できるのか、新しく造らなければいけないのか、石材屋さんが点検してくれるそうです。

 
お世話になった叔母に別れを告げ、留守を託し、帰路につきました。
私の母校の小学校の横を通りました。なんてことでしょう!学校の目の前まで津波の跡が!
ここからは海なんって見えなかったはず!住宅地や畑が無くなってすぐそこに海が見えていました。


 この小学校は避難所になっていますが、立ち寄って来ませんでした。
きっと知人家族もいたことでしょう。時間的に先を急がなければなりません。
左へ曲がれば被害の大きかった市街地へ行けます。
 あの生き残った奇跡の一本松の方へも・・・
でも前日の大雨で道路が冠水し、通行止め箇所もあるそうです。
安全な迂回路の山道へと登って行きました。10時ごろでした。

 
災害派遣の自衛隊の宿営地が設けてありました。テントがずらずら~っと!
帰りの道沿いには こんなテント村がいくつかありました。
全国からの応援隊員さんなのでしょう。ご苦労様です。
健康に気を付けて頑張ってほしいと、願わずにはいられませんでした。

 

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故郷で見つけた春

2011年04月28日 22時09分30秒 | 出来事

暖かな日が続いています。
明日からGWが始まりますね。私はほとんどカレンダー通りです。

被災地にも春が訪れていました。実家の近くで見つけた春です。

 
りんごの花の蕾は まだ少し硬かったです。
山の麓に広がるりんご園には津波の影響はなかったようです。

 
実家の庭には梅の花が満開でした。水仙の花も主が居なくてもきちんと咲いていました。

 
ふきのとうが綿毛のような花になっていました。つくしも にょきにょきと!


満開の椿の花の先には 津波に流され 変わり果てた風景と
何事もなかったかのような穏やかな海が広がっていました。

今日の歌   思い出のグリーン・グラス

汽車から降りたら 小さな駅で 迎えてくれる ママとパパ
手を振りながら呼ぶのは 彼の姿なの
思い出のグリーン・グリーン・グラス・オブ・ホーム
帰った私を迎えてくれるの
思い出のグリーン・グリーン・グラス・オブ・ホーム

昔と同じの 我が家の姿 庭にそびえる 樫の木よ
子供のころに のぼった 枝もそのままよ
思い出のグリーン・グリーン・グラス・オブ・ホーム

悲しい夢みて 泣いてた私 ひとり都会で迷ったの
生まれ故郷に立ったら 夢が覚めたのよ
思い出のグリーン・グリーン・グラス・オブ・ホーム

笑顔でだれも迎えてくれるの
思い出のグリーン・グリーン・グラス・オブ・ホーム

 

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変わり果てた故郷

2011年04月27日 21時36分51秒 | 出来事

強い風が吹いています。暖かな南風でしょうか。

数年ぶりで帰省した23日の夜も 強風が吹いて雨も一段と強くなりました。
今日は 実家のある地区での話題です。
目の前から 家々や線路が消えて海がとっても近くに感じさせる風景が広がっていました。


夕方5時過ぎ、納骨式が終わって、葬儀に参列していた叔母を乗せ、
悲惨な光景が広がる道を 実家へと車を走らせました。
町の中心街へは 気仙川にかかっている橋を渡らなければなりません。
大きな橋2本とも流されて、真っ直ぐ海岸通りに抜ける事は出来ませんでした。


山沿いの迂回路を利用しました。初めて通る道です。泥紛れのがれきが見えています。
住所から想像すると 内陸地のこの地区からは海は見えません。
津波の影響を受けるとは想像もしていませんでした。
川を逆流して押し寄せた津波の影響で、無残な姿となっていました。

 
夜遅くまで吹き荒れていた風雨は 翌朝には おさまり、青空が見えてきました。
23日の夜は 叔母宅で夕飯をごちそうになり、結局泊めてもらうことになりました。
叔母の庭先からは海が見えます。目の前の電柱のところまで 津波が押し寄せたそうです。

 
前夜に 大雨の中 真っ暗で実家への道が分からなかったことが嘘のようです。
5年ほど前に新しくできた道路の、右と左で運命が分かれたようです。
右側が被災地区。左側は免れた地区。実家の家も叔母の家も 左側にあります。


少し坂道を登って実家につきました。今は留守宅となっています。
弟は体調が悪化し 避難していた町で 入院してしまいました。

 
留守宅には 被災者家族の荷物が入っていました。
一階が水没、二階がなんとか助かったその荷物らしいです。ご長男が行方不明とか。
その被災者から実家の一部を貸してほしいと依頼があり、弟に代わりそれを許可してきたのです。
叔母とは従兄弟同士で 私にとっては初対面の親戚のおじさんでした。

弟の生活空間は そのままでという条件で 同居扱いとしてきましたが、留守宅を貸すって、ちょっと心配です。避難所生活が長引いてきて 高齢のお母さんにとっては 辛い生活だそうです。そんな話を聞かされては・・・。
近所でも 親戚の避難家族が同居している お宅が多いそうです。

 

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お別れの儀式

2011年04月26日 22時10分07秒 | 出来事

雲が広がった時間もあるようですが晴れの一日でした。

午後から CT検査のため病院へ行ってきました。半年に一度の定期検査項目の一つです。

 

被災地である実家の町への帰省の話題を続けます。

陸前高田市の南側に位置している長円寺という寺院での告別式に参列してきました。
桜の花が満開の寺院の駐車場に着き、車の中で喪服に着替えました。午後3時、冷たい雨が降り続いていました。

 
この伯母家族の菩提寺は津波の影響を受けてしまったそうです。
この地区で唯一被災していないこの寺院を借りての葬儀でした。
家族3人一緒の葬儀になりました。その最中にも、ちょっと大きな余震もありました。

 
ご遺体はすでに火葬されていたのでその葬儀後、墓地へと移動し 納骨を見守りました。
亡くなられたこの従姉には 生前 大変お世話になっていました。
すでに亡くなっている私の両親はじめ 地区のお年寄りの面倒をも見てくれていたようです。
67歳、早すぎます。実の姉のような 大事な親族を失ってしまいました。
母娘・ご夫婦一緒に どうぞ安らかにお眠りください。ありがとうございました。さようなら。
納骨式後、お弁当の包みを頂き、その場でお開きです。涙雨だったのでしょう、降り続けていました。

 
この家族は 4階建の病院が丸ごと津波にのまれた近くに住所があったのです。
気仙川を逆流してきた津波によって氾濫した地区を見守りながら実家へと向かいました。
犠牲になられた恩師のご自宅も この辺かな~。川の側の住所だったかもです。

想像していた以上に 山のふもとの奥までも被災されていました。
こんな地区までもが~!と、信じられない光景に ただただ驚くばかりでした。

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