言語分析未来予測

上石高生
言葉の分析からの予測です。分析の正しさは未来に答えが出ます。分析予測は検証可能でなければなりません。

ジュセリーノ予言のネタばらし

2008年09月10日 06時37分35秒 | 分析
ジュセリーノ予言 - 言語分析未来予測
ジュセリーノが予言した2007年に起きるであろう日本の予言
 3月、東京近郊で大きな地震を予言→実際には能登半島沖で震度6強の地震。
 7月13日、日本で大きな地震を予言→実際には7月16日、中越沖地震。
 10月26日、巨大な台風が日本を襲う予言→実際には10月26日、台風発生も上陸せず。
 11月25日、千葉県で地震。125人死亡と予言→実際には11月26日、福島沖、M6.0の地震。
福島沖で地震 浜通りで震度4(朝日新聞) - goo ニュース
 ニュース記事ではマグニチュード5.9と推定とある。四捨五入でもしたか。死者は出てないようだ。
 しかしこの日本の一年間での予言にしては、地震と台風が確実な国であるので、このテーマに絞ったのは、ちょっと狡いのではないか?
 それでも東京が新潟となり、その次は日本という大まかさ、その次は台風は上陸もせず、最後は125人という日本人の命を賭けて自分の名声のためにバクチを打ったようだが、残念ながらと言うべきか、幸運にしてと言うべきか、どれも当たってないようだ。


 彼の予言とは、どうしても多くの人の不幸と引き替えでなければならない、というものらしい。
 彼が有名になるために、どのくらいの人が亡くならなければならなかったか、を考えると、これらのことを、とてもまともには聞いていられないというのが、それこそまともな人間性ではないかと思ってしまうのだ。

9.11犠牲者数、2973人。
米バージニア工科大銃乱射事件犠牲者数、32人。
中越沖地震死者、15人。
2004年スマトラ島沖大地震死者数、15万人以上。
2005年スマトラ島沖大地震死者数、86人。
チェルノブイリ事故死者数、4000人。
地下鉄サリン事件死者数、12人。
阪神・淡路大震災死者数、6433人。
合計、16万3551人以上。

 ジュセリーノ・ノーブレガ・ダ・ルース氏のこの6年での名声とは、このような世界中の16万3551人以上という不幸が必要であったという現実を見るに付け、とてもまともには聞いてられないものである。


 世界初、予言者自身を分析したものだ。
ジュセリーノ・ノーブレガ・ダ・ルース氏の分析
 超能力者は、予知夢に譲歩的で単に夢を書き写しているに過ぎないのである。しかしながら、さらにこの超能力者は、予知夢よりも、もっと現実に譲歩しなければならないのだ。自分の主観や主体よりも、予知夢よりも、現実には逆らえないでいる。
 つまりこの超能力者の能力とは、主体的なものでもなく、主観的な主張でもなく、創作でもなく、創造物ですらなく、夢と現実という2重に譲歩的であらねばならないもの、しかも絶対的に現実には逆らえないものである。
 マスコミには妥協的かつ迎合的なのは、前で書いた、第三者の大らかな肯定がないとそれを能力と言うことさえできないのであるのも1つの理由なのだが、元々メディアから発せられる膨大な情報に影響されているからである。そのような現実には絶対的に逆らえないのだ。それでマスコミに予言を提供することで高評を得ようとしている。思わせぶりな口ぶりだが、安直でかつ通俗的である。



 日本の地震での予言で、日付をより近づけるためのネタばらしがこの分析だ。
ジュセリーノ予言。日付について
 「2007年に起きるであろう日本の予言」というテーマで、1年365日の日付の付くように予言文を、一枚で4つの予言に4つの日付を付けて、それを92枚、3ヶ月程度で書くのだ。それで一年間の全ての日付が付く予言文ができあがる。後は1年過ぎてから日本のニュースと照らし合わせて、当たっている予言文を捜せばいいのだ。
 それにしても放送できたものが4つしかなかったとは、よっぽど確率が低いのではないか。的中率90%などとは、とてもじゃないが、お世辞にも言えないことである。



 結局、この予言者は、ニュースにおける「公の事実」を利用している、という身も蓋もないばらしとなってしまった。
ジュセリーノ・ノーブレガ・ダ・ルース氏の分析2
 ジュセリーノ氏の予言がより事件としての公の事実をそのまま表わしていればいるほど、それは「公の事実」であり、著作権を主張することはできない(か、より難しくなる)はずである。
 だからこそ「予知夢は深層的な能力が現出したものである」とし、「登記所の登録をしているのを証拠として」の予言として――公の事実でも――自分の著作として、その著作権を主張しようとしていると予測する。



 予知夢ができるのなら、ベストセラー小説を出版する前に見ることはできないのか、という素朴な疑問である。人が大勢死ぬことを言って有名になるよりは、より健全だと思うが、どうか。
ジュセリーノ・ノーブレガ・ダ・ルース氏の分析3
 ジュセリーノ氏は著作権に関わる内容を避けているのではないか。
 著作権に関わらない、ニュース記事での「公の事実」だけに興味を集中させているに過ぎない。だからこそ、著作権がないからこそ、そのような内容を本にできるし、テレビ出演もできるのである。
 おそらくジュセリーノ氏は「夢の内容は自分で決めることはできない。世界や人類への警告のために神から見せられているものなのだ」と主張することだろう。
 『神』という言葉は、オールマイティー、である。
 警視も「神は正しい」と考え、霊感商法の営業を行なうのである。自分の肩書きを利用してまで、だ。この言葉を持ち出せば、何でも許されると思い込んでいるのである。



 なぜジュセリーノ氏は日本への予言に拘るのか?
 それは世界でも有数の地震国であるから予言しやすいのだ。ともかく毎日、日付を付けて日本の地震予言を書けば、いつかは当たるはずなのだから。
 しかしそれだけではない。
 実はキリスト教は偽預言者に厳しいのである。だからキリスト教徒が1%ほどしかいない日本ではやりやすいのだ。つまり日本は彼にとっていいカモなのである。
悪魔と偽預言者
 この創世記、第3章でも分かるように、悪魔の言っていることは始めから“偽り”なのである。この点では偽預言者も同じであり、最終的には悪魔も偽預言者も、獣と一緒に永遠の恐るべき苦しみの中に投げ込まれるのである。
 偽預言者や占い師たちの決定的な過ちとは、自分の運命や不幸、自分の身に起こる災難などを知ることができるか? という矛盾が常に付きまとうことに気付いてないということなのである。
 偽預言者や占い師たちは、自分たちに降りかかる災難から自分自身を救うことができない、のである。
 神から祝福を受けた者は、長寿を全うできる。悪魔に呪われたヨブでもである。
 しかし悪魔と同類にされる偽預言者には、「突然、破滅がやって来る」のである。
 他人の不幸を平気で語る偽預言者や占い師は、自分自身に降りかかってくる突然の不幸から逃れられないことで、その偽りが明らかとなるのだ。
 ゼカリヤの預言では「……偽預言者たちは、自分の語ったことが成就しないので、恥をかく」と書かれている。

 だからキリスト教の盛んな国では、当たらない予言などはとてもではないが書けないのである。当たらない予言など書いたら悪魔と言われてしまいかねない。それでキリスト教の盛んな国ではいつも事象が起こった後の出版となってしまうのだ。

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