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ウーマン村本よ、国民を「愚民視」しているのは誰か 

2018年01月16日 16時10分02秒 | 社会・政治



井上達夫(東京大学大学院法学政治学研究科教授)

 2018年元旦に放映された「朝まで生テレビ!元旦スペシャル」(以下「元旦朝生」と略記)の中での、憲法9条と安全保障問題に関するウーマンラッシュアワー村本大輔の発言が、その後、ネット上で物議をかもしているということで、同じ番組に出演した私がオピニオンサイトiRONNAからコメントの寄稿を求められた。

 ネットの「炎上」は無視するのが私の基本方針である。しかし、村本は番組後、ツイッターで「元旦朝生」での私の発言についてデマを流布し、それが発火剤となって「東大教授の井上が偉そうに庶民をばかにしている」という類の井上バッシングも高まっていることを人づてで知らされた。これは憲法9条問題に関する私の立場に対しての完全な誤解・曲解であり、これを放置することは、私の名誉が傷つくということ以上に、憲法改正問題に対する国民の的確な理解を妨げることになるので、一言、コメントを寄せることにした。


 村本のデマとは彼のツイッターでの次の発言である。

 井上達夫さんには、君は愚民だ、と。小林よしのりさんにも、愚民思想だ、と。そして高須先生には国賊だ、と言われた。ぜひ3人におれの愚民国賊根性を叩き直してほしい。
――村本大輔(ウーマンラッシュアワー)‏@WRHMURAMOTO


  私は村本に「君は愚民だ」などとは言っていない。「愚民」ではなく「愚民観」という言葉を私は使ったが、それは番組の終わり近くで私が村本に対して話した、次の発言においてである。

 村本君の発言の裏に、ある種の愚民観を感じるのね。国民はよく分からないからとか。君は一見、国民の目線に立っているようだけど、実は、上から目線で見ている。(自衛隊・安保の存在が、戦力の保有・行使を禁じた憲法9条2項に反することは)ちゃんと説明すれば小学生でも分かる。これ(愚民観)は護憲派と同じ。(護憲派は)憲法改正プロセスはなんとしても発動させたくない。なんとなれば、魑魅魍魎(ちみもうりょう)が出てくる、日本は軍国主義に走る、と。日本の国民を信用していない。

 上の発言から明らかなように、私は「村本は愚民だ」と言ったのではなく、まさに真逆のこと、「村本は国民の目線に立つふりをしているが、実は、国民に憲法のことなどよくわかるはずがないと、上から目線で国民を愚民視している」と言ったのである。

 そして、より重要なことだが、憲法改正プロセスを発動させて、自衛隊・安保の現実と9条との矛盾の抜本的解決につき、国民投票で国民の審判を仰ぐ機会を国民に提供することをかたくなに拒否し続けてきた護憲派論客こそが、まさにこのような愚民観に立って、国民の憲法改正権力の発動を封じ込めてきたことを指摘したのである。彼ら護憲派は、愚民である国民に国民投票などさせたら、ひどいことになるぞ、9条だけが愚民たる国民が軍国主義へと暴走することの歯止めになっているのだ、と主張している。

 私は『憲法の涙』(毎日新聞出版、2016年)、『ザ・議論!リベラル対保守究極対決』(小林よしのりとの共著、毎日新聞出版、2016年)、『憲法の裏側 明日の日本は……』(香山リカとの共著、ぷねうま舎、2017年)など、一般市民に向けた一連の著書や、テレビ討論で、このような護憲派の愚民観を、これまで繰り返し批判してきた。

 最近の一例を挙げよう。昨年6月13日のBSフジ「プライムニュース」で私と議論した、代表的な護憲派憲法学者の1人である石川健治(東大教授)は、私に対し、「でも、9条をなくしたら、日本は軍国主義に戻ります。そうしたら、表現の自由、政治的言論の自由も弾圧される。井上さんは好き勝手な言論ができてるけど、それは憲法9条があるおかげですよ」という趣旨のことを述べたが、これに対し、私は最近著で次のようにコメントしている。


 9条が何かしら重しになって、魑魅魍魎を、悪魔、デーモンを抑えつけている、と。そのデーモンとは何者か。もし、デーモンが出てくるとしたら、日本は民主国家なのだから、それは軍国主義に狂い暴走する国民自身でしょう。しかし、いまの日本国民が9条変えたら狂うはずだなどという愚民観を偉そうに説く石川は何様のつもりなのか。国民に憲法価値を発展させる能力などないから、「賢明なる憲法学者」のご託宣に従えという彼は、プラトン的哲人王でも気取っているのか。彼は国民を責任ある政冶主体としては認めていない。(前掲『憲法の裏側』164頁)

 護憲派学者が愚民観をもつという私の主張を「元旦朝生」で村本が理解できたかどうかは分からない。しかし、この番組の中で、結果的に彼が、護憲派学者が喜びそうな愚民観を吐露したことは事実である。これに関し、2点、触れておこう。

 第1に、村本が「自衛隊がなんで違憲なんですか」と質問したのに対し、私が「君は憲法9条2項を読んだことがあるのか」と聞くと、「ありません」と答えたので、私が「自分の無知を恥じなさい」と言った。これに対し、村本は、自分は普通の庶民の声を代弁しているのだとし、自分への批判をかわそうとした。これは実に卑劣な論点回避であるだけでなく、彼が庶民を愚民視していることを暴露するものである。

 村本は政冶漫才で「これの問題は何か知っているか」と、お笑いによる庶民の政治的啓蒙(けいもう)活動をしている。昨年末のテレビのお笑い番組「ザ・漫才」で日本の原発など重要な問題について、なかなか切れ味のある突っ込みギャクで聴衆を笑わせた。私もこれを見たので、「元旦朝生」の放映前の打ち合わせで私の隣に座った彼に、「あれ面白かったよ」と感想を述べた。こういう漫才による政治的啓蒙をやっている村本が、改憲論議の焦点になっている9条2項を読んだことがないと居直ったので、私はあぜんとして「自分の無知を恥じなさい」と戒めたのである。私は、いっぱしの啓蒙家を気取る村本個人が当然有すべき最小限の基本知識を欠くことを𠮟ったのであって、庶民の無知を侮蔑したのではない。しかし、彼は卑劣にも、自分個人が矢面に立たされるのを避けるために、庶民は9条2項など読んだことがないと論点をそらしたのである。

 しかも、この論点そらし自体が庶民をばかにしたものである。戦後憲法の柱の一つである戦力放棄を定めた憲法9条については、例外はあるかもしれないが、普通の庶民も、神学論争などといわれる学者・政治家の解釈論争のことは知らなくても、その条文くらいは中学・高校の社会科の教科書や授業で一度ならず読んだはずである。憲法論議が再燃している近年、テレビのお茶の間向けワイド・ショー番組やニュース番組でも、頻繁に、9条1項・2項の条文はフリップ・ボードで聴衆に見せられている。「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」という2項の条文を虚心坦懐(たんかい)に読み、これを自衛隊・安保という軍事的現実と比較するなら、学者・政治家などのエリートの詭弁(きべん)に毒されていない庶民は当然「何かおかしい」と思うはずである。

 私はこの庶民の感覚こそが正しい、間違っているのは自衛隊・安保の現実と9条との矛盾を隠蔽してきたエリートたちの詭弁の方であると主張してきた。ところが、村本は庶民感覚から発せられるべき「なんで自衛隊が合憲なんですか」という問いを発せず、「なんで自衛隊が違憲なんですか」とエリートの詭弁に媚びた問いを発し、さらに、「9条の条文も読んだことのない庶民」というイメージを一般国民に重ねた。これは国民に対し失礼なだけではない。9条問題につき憲法改正国民投票で国民の審判を仰ぐことを拒否したい護憲派の憲法学者・知識人たちは、村本のこの庶民像を歓迎し、「そら見たことか、9条の条文すら読んだことのない国民に憲法改正国民投票などさせていいわけがない」と主張するだろう。


 第2に、憲法改正国民投票が政治的アジェンダにのぼり、国民が主権者としての選択を迫られる立場に置かれると、それまで無関心だった人々ですら、真剣に自分たちで問題を考え議論するようになるということを、これまで世界中で行われてきた2500件以上の国民投票についてのデータを網羅的に収集し解説した最近の文献(今井一・他編著『国民投票の総て』[国民投票/住民投票]情報室、2017年)に基づいて私は指摘した。これに対し、なんと村本は「英国のEU離脱国民投票は、国民が離脱派のフェイク・ニュースにだまされてやったんでしょう」と言ったが、これは「国民投票は危険なポピュリズムの温床になるから、やめろ」と主張する護憲派エリート学者がよく行うのと同じ反論である。

 英国国民投票では投票前に、多数の国民が参加した公開討論やテレビ広告などで離脱派のEU分担金などに関する偽情報は徹底的に批判され、EU残留と離脱とのコストと便益に関する適切な情報が提供された上で、EU離脱派が勝利したこと、離脱派のフェイク・ニュースに国民がだまされたという主張の方が、負けた残留派が国民投票の後に流布させたフェイク・ニュースであることを前掲文献の調査報告に基づいて私は指摘した。EU離脱英国国民投票が離脱派による「愚民誘導」の結果だとする虚偽の情報を日本で流布させているのは、国民投票を危険なポピュリズムとして否定することで、9条をめぐる憲法改正国民投票の機会を国民から剥奪しようとしている護憲派学者たち、国民を愚民視する「エリート知識人」たちである。村本は、エリート知識人ぶって、「国民投票=愚民誘導」論を恥ずかしげもなく振りかざしている。国民を愚民視しているのは私ではなく、彼である。

 国民を愚民視する護憲派のエリート主義を批判し、村本にもかかる愚民観があることを指摘した私を、愚民観に立つ権威主義者としてネット上で批判する村本は、私の発言と反対のデマを流して自己保身を図るデマゴーグである。しかし、残念なのは、ネットで動画投稿されている「元旦朝生」すら見ずに、あるいは見たとしても、議論内容を自分で理解しようとせずに、村本のデマを信じて私に反発するネット追従者たちである。


 彼らは、反発する相手を間違えている。しかし、彼らの倒錯した井上バッシングは、護憲派にとっては、自分たちの欺瞞を暴露する「井上達夫という邪魔な存在」のメッセージに対して国民の耳をふさいでくれる、ありがたい現象だろう。私をネット上でバッシングしている輩の中にはこの種の護憲派もいるかもしれない。村本のネット追従者たちが、国民がエリートに誘導されるのではなく、自分たちで主体的に憲法問題を考え解決する民主的討議実践を促進したいと本当に望んでいるのなら、彼らがたたくべき相手は、私ではなく、護憲派知識人や、村本のような「庶民のふりして庶民を愚民視する政冶漫才師」である。

 昨年末の『THE MANZAI』(フジテレビ系)でお笑いコンビ「ウーマンラッシュアワー」の漫才を初めて聴き、「これは面白い、この村本という男、なかなか才能がある」と思ったが、これからは村本の漫才を聴いても笑えなくなるだろう。残念至極である。

 村本問題を越えて、9条と安全保障問題に関する私見にも簡単に触れておく。私は右の改憲派と護憲派双方の欺瞞を批判してきたが、護憲を標榜(ひょうぼう)しながら、政治的ご都合主義で憲法9条を歪曲(わいきょく)蹂躙(じゅうりん)してきた護憲派は、立憲主義に対する裏切りという点で、より罪が深いことを指摘してきた。護憲派の学者・政治家たちが、いかなる詭弁で憲法を蹂躙し、国民をだましてきたか、この欺瞞を是正する方途が何かについては、テレビのニュースや討論番組でも、一般国民に訴えてきたが、所詮、これらの媒体では断片的な発言しかできない。私の議論を十分理解してもらうためには、一般市民に向けて書いた前掲の一連の拙著を読んでいただきたい。

 国民がエリートにばかにされ、誘導されないためには、テレビやネット上での「識者」や「タレント」の発言に短絡的に反応するのではなく、さまざまな立場の主張内容と論拠を十分理解した上で、批判的に検討し、自分の頭で熟慮する経験を積むことが必要だと私は考えている。

 学界や論壇の中で研究活動・言論活動をしてきた私が60歳を過ぎて、一般市民を名宛て人にした上記のような著作を刊行するようになったのは、国民が「統治の客体」ではなく「統治の主体」になるための政治的自己啓発を支援したいという思いからである。政界・官界・司法界のみならず言論界でも日本のエリートたちは欺瞞化し堕落しており、国民自身が統治の責任主体として自己を成熟させない限り、日本はまともな立憲民主主義国家になれないという危機感が根底にある。

 実際、立憲民主主義の擁護を標榜する護憲派の政治家・知識人たちが、国民の憲法改正権力の発動を封印することで民主主義を蹂躙しているだけでなく、憲法9条死文化に加担して立憲主義も蹂躙しているのである。護憲派はいまでは専守防衛・個別的自衛権の枠内では戦力の保有・行使を容認している。しかし、私が原理主義的護憲派と呼ぶ立場は、この枠内なら自衛隊・安保は違憲だけど政治的にOKだから違憲のまま凍結させろと主張する。違憲状態凍結が護憲だなどというのはカフカの不条理小説も顔負けの倒錯である。

 この立場に立つ共産党の志位和夫委員長は、自衛隊は違憲だが、日本国民の圧倒的多数が、自衛隊がなくても大丈夫と思う日がくるまでは、これを存続させると公言している。日本人に多少とも現実感覚があるなら、こういう日はこないだろう。来るとは信じ難い日が来るまで自衛隊を存続させるということは、いつまでも存続させるということである。しかも違憲の烙印を押し続けたままで。こんな欺瞞がありえようか。

 修正主義的護憲派と私が呼ぶ立場は、専守防衛・個別的自衛権の枠内なら自衛隊・安保は戦力の保有・行使を禁じる憲法9条2項に反しないから合憲だと主張する。世界4位か5位の武装組織である自衛隊が戦力でない、世界最強の戦力である米軍と日米安保の下で共同遂行する防衛行動が交戦権の行使ではないというのはあからさまな解釈改憲である。集団的自衛権行使を容認した安倍政権の解釈改憲を批判する資格は彼らにはない。

 最近では、さらに度を越した解釈改憲論も木村草太のような護憲派憲法学者から出ている。それによれば、自衛隊・安保は存在そのものが9条2項違反であるが、国民の生命・自由・幸福追求権の保障をうたった憲法13条が、戦力の保有・行使に対する9条2項の禁止を専守防衛・個別的自衛権の枠内で例外的に解除しているという。戦力という最も危険な国家暴力に対する憲法的禁止の例外的解除を、戦力に一切ふれていない憲法13条に勝手に読み込むのは法解釈の枠を超えた妄説で、国民の憲法改正権力を簒奪(さんだつ)する憲法学者によるクーデターと言ってもよい。

 しかも、これは護憲派の自滅を意味する。同じ理屈で安保法制支持者が集団的自衛権解禁を擁護することも可能だというだけではない。専守防衛・個別的自衛権の枠内なら戦力としての自衛隊も、自衛のための戦力行使も合憲であるとするこの13条代用論は、自衛隊に違憲の烙印(らくいん)を押し続けるという原理主義的護憲派の「封印」も、自衛隊は戦力(フルスペックの軍隊)ではないという従来の修正主義的護憲派の「封印」も破るものである。


 本来ならこんな13条代用論には護憲派から激しい批判が出てきて当然だが、新手の論法として黙認ないし是認されている。9条を変えないという結論さえ保持できれば、従来の護憲派が欺瞞的にせよ維持しようとしてきた「封印」ですら破っても、お構いなしなのである。護憲派が実は憲法破壊勢力だということの、これほど歴然とした証拠はない。

 問題は護憲派だけではない。北朝鮮の核ミサイル問題がこれほど緊迫しているのに、安倍首相は、9条2項を残したまま3項で自衛隊を認知するという実に中途半端な安倍改憲案を提示した。2項が生きるということは、3項で承認された自衛隊は2項が禁止する戦力ではなく、2項が禁止する交戦権の行使もできないという現在の欺瞞と矛盾がそのまま残されるということである。日本も軍事衝突にいつ巻き込まれるかもしれない状況下で、こんなのんきな改憲案を首相が示唆する安倍政権は、護憲派と同様、平和ボケに陥っている。その根底には、「大丈夫、一朝事があれば、アメリカが日本を守ってくれる」という米国に対する幼児的願望思考がある。

 護憲派は、いかに死文化されようと9条があれば日本は守られると信じ、安倍政権とその支持者たちは、トランプのような危険で不安定な大統領を抱えていても米国に追従していれば日本は守られると信じている。

 私は日本国民に言いたい。左右の政治家・知識人・運動家・ジャーナリスト・タレントたちのこんな嘘に従うのはもうやめよう。9条も米国も、日本と世界の平和を守れない。こんな幻想の保護膜から抜け出て、憲法と安全保障の問題を国民一人一人が自分たちの頭で考え、自分たちの手で立憲民主主義を発展させない限り、日本は自己を守ることも、世界秩序構築において主体的役割を果たすこともできない。国民を愚民視するエリートを信じてはいけない。しかしまた、己の無知に開き直らず、自己を批判し啓発する他者との議論から学び続けよう。そして憲法と現実の矛盾をいかに解決するか、その判断の権限だけでなく責任も国民自身にあることを自覚しよう。(文中敬称略)

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