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動き出した憲法改正

2017年05月18日 08時19分33秒 | 社会・政治
安倍晋三首相「私がやるしかない」 挫折が9条を変える機運を生んだ


 「民進党にとっては嫌な数字だろうね。憲法論議をサボタージュするやり方は否定されたことになる」

 首相、安倍晋三は今回の産経新聞社とFNNの合同世論調査結果について、周囲にこう語った。安倍が注目したのは、政党は憲法草案を国民に示すべきだとの回答が84.1%に、国会の憲法審査会は憲法改正の議論を活発化させるべきだとの答えが75.6%にそれぞれ上ったことだった。

 「国会議員は、憲法改正の発議案を国民に提示するための具体的な議論を始めなければならない時期に来ている。2020(平成32)年を、新しい憲法が施行される年にしたい」

 安倍は憲法施行70周年の3日、改憲派が都内で開いた集会に寄せたビデオメッセージでこう決意を述べ、9条に自衛隊の存在を明記した第3項目を追加する憲法改正を明言している。

 その安倍にとり、「安倍政権下での改憲には反対」という不可解な理由で、改憲論議を避けようとする民進党など野党の姿勢は厄介だった。だが、世論調査の数字は、そうした手法を強く戒めるものだ。

 「安倍さんが厳しい批判や嘲笑を浴びてまで、どうして2度目の首相を目指したのか。拉致問題解決と憲法改正のためだ。安倍さんは不退転、まっしぐらだ」

 安倍周辺はこう強調する。安倍自身、昨年4月の時点で周囲にこんな自負をみせていた。

 「自民党を見回しても、絶対に自分が改憲を成し遂げるというガッツがある人がいないんだ。だから、私がやるしかない」

 ただ、安倍も理想と現実のはざまで、時に迷い、時には一歩後退して発言をセーブし、「急がば回れ」の姿勢もとりながらここまでたどり着いた。この時は同時に、こうも漏らした。

 「憲法改正は、もう少し時間をかけなければならない。今はまだ、本格的に仕掛けはしない」

 当時はまだ、十分に機が熟していないと判断していたのだろう。昨年は6月に国民投票によって英国の欧州連合(EU)離脱が決まり、12月にはイタリアの国民投票で当時の首相、レンツィが求めた改憲が否決され、レンツィは退陣した。

 こうした国民投票の結果が読めない恐ろしさも、安倍は意識したに違いない。

 また、本丸である9条改正にしても初めから真っ正面に掲げていたわけではない。世論の動向や国内の政治情勢、国際関係などさまざまな事情を勘案し、総合判断して今回の結論を導きだしたのだ。

 「与党でまとめられる可能性が高いというものをと考えた。公明党が受け入れられなければならないという政治的な現実の中で、自衛隊違憲論争に終止符を打つということだ」

 周囲にこう述べる安倍は実は、昨年秋ごろから公明党に対し、側近議員らを通じて9条に3項を加える案を打診していた。公明党は憲法に時代に合わせて必要な条項を追加する「加憲」の立場だからだ。

 公明党は3日の安倍の表明に対し、表向きは驚いた様子を装ったが、実際は織り込み済みなのだろう。施行70年を経て、ようやく憲法改正が動き出した。

 安倍がまだ野党だった自民党の総裁に返り咲いて間もない平成24年10月半ば、知人に憲法改正のロードマップ(行程表)についてこう明かした。

 「12月の衆院選と来年夏の参院選で少しずつ改憲派を増やし、4年後の参院選後に憲法改正を成し遂げたい。その時は衆参ダブル選挙でいい。本当は来年の参院選後にもやりたいところだが、(国会で憲法改正の発議が可能となる)3分の2の議席を確保するのはそう簡単ではないだろう」

 2度目の首相に就く以前から憲法改正の青写真を描いていたのだ。実際は、28年4月の熊本地震発生もあって衆参同日選は見送られたが、安倍政権が明確なビジョンを持って改憲に臨んでいることが分かる。

 物事が、思い通りに進む方が珍しいのが政治の世界だ。だが、「踏まれた麦は強くなる」(安倍)とばかりに、自身の失敗も挫折も強みに変える安倍の楽天性と、改憲への執念がうかがえる言葉がある。

 25年夏の参院選で自民党が大勝する直前、安倍は周囲にこう振り返った。

 「人生、やればやれるものだ。仮に6年前の(首相時代の)参院選で適当な議席で勝って第1次政権が長続きしていた場合より、一度政権を失った今回の方が憲法改正に必要な議席に近づくことだろう」

 そんな安倍が当初は改憲項目として的を絞り込んでいたのは、改正発議要件を現行の3分の2から2分の1に引き下げる96条改正だった。日本維新の会も同様の主張をしていたが、野党や左派メディアから「裏口入学」などと批判され、有権者の評価も低く頓挫した。

 「国民が決めるということ、国民主権が発揮される機会を確保し、国民が意識を示す機会をつくるという意味でいいと思った。しかし、国民に理解されず、安倍政権が好き勝手やるためだと誤解されてしまった」

 安倍は周囲にこう語る。だが、その失敗が逆に、安倍の本来の主張ではあるものの、当初は国民意識が付いてこないとみていた9条に正面から取り組む結果につながった。

 北朝鮮や中国の脅威がかつてなく高まり、「自衛隊が違憲なのは明瞭だ。(中略)必要に迫られた場合には自衛隊を活用する」(共産党の志位和夫委員長)といった開き直りを許すような憲法の矛盾に、国民が気付いてきたことも大きい。

 安倍は第1次政権発足直後の18年10月、英紙のインタビューでこう宣言した。

 「21世紀という新しい時代にふさわしい憲法を、自分たちの手でつくるべきだ。憲法改正を政治日程に乗せるべく政治的指導力を発揮すると決心した」

 歴代首相のほとんどが、わざわざ就任時に「在任中は改憲しない」と述べてきた中で、異例の改憲発言だった。この時は、翌19年の参院選に大敗したことや持病の悪化もあって果たせなかったが、今度はどうか。

 現在、衆参両院でいわゆる「改憲勢力」は3分の2を超えており、かつてなく条件は整っている。安倍の指導力次第で、憲法改正は現実のものとなる。



安倍晋三首相の「2020年」ビジョン表明に反発噴出…自民党の「怠慢」は変わるのか


 自民党総裁である首相、安倍晋三が3日、憲法改正について「9条1、2項を残しつつ、自衛隊を明文で書き込む」「2020(平成32)年を新憲法施行の年にしたい」とのビジョンを打ち出すと、党内からは感情的な反発が噴き出した。

 「首相にも十分、発言に節度をお持ちいただくのが大事だ」

 党憲法改正推進本部長代行の船田元は12日、こう露骨に安倍を批判した。「施行時期なんて示したら野党が怒り、憲法審査会の議論が止まる」と嘆く推進本部メンバーもいる。

 憲法問題に長く携わる船田や党憲法改正推進本部長の保岡興治は、「憲法族」と呼ばれる。憲法審の前身の憲法調査会長を務めた元外相、中山太郎の門下生だ。少数政党に平等に発言機会を与えて野党に配慮する「中山ルール」を堅持する立場をとる。

 ただ、憲法審は与野党対立を恐れるあまり、9条をはじめとする憲法改正の議論にまともに踏み込んでこなかった。議論に消極的な民進党(旧民主党)の遅滞戦術に、自民党が引きずられてきた感がある。

 連合国軍総司令部(GHQ)が草案を作った日本国憲法の施行から70年。憲法改正がいまだに実現しない原因は、長く与党を務める自民党の怠慢にあるといってよい。

 憲法施行時の首相、吉田茂(当時は日本自由党)は、9条改正が必要だと考えていた。吉田は主権回復後の昭和32年の著書で、こう記している。

 「どうしても不都合ならば適当の時期に再検討し、必要ならば改めればよい」

 自民党は30年11月の結党時、綱領に「現行憲法の自主的改正を図る」と明記した。しかし、改憲を目指して首相に就いた岸信介は35年、激しい反対運動に遭った日米安全保障条約の改定と引き換えに退陣を余儀なくされた。後継首相の池田勇人は「軽武装・経済成長優先」を掲げ、「在任中は改憲はしない」と明言した。

 以後、改憲議論をタブー視する空気が定着した。佐藤栄作政権の47年6月、党憲法調査会長の稲葉修は、当面の自衛力の保持などを盛り込んだ憲法改正大綱草案を策定したが、党内で議論されることはなかった。

 稲葉は法相だった49年12月、衆院法務委員会で「自民党員は綱領に準則して努力すべきだ」と訴えた。だが、50年5月の法務委で社会党議員にこの発言を問われた首相、三木武夫は逆に、こんな答弁をした。

 「(稲葉が)内閣の方針に反して憲法改正をやろうというような考え方は持っていないと、私は信じて疑わない」

 時は無為に流れて平成2年。湾岸危機で自衛隊の海外派遣の必要性が問われ、自衛隊と憲法の関係に世論の関心が高まった。

 だが、自民党は背を向けるように相次いで護憲派をトップに担いだ。3年に首相に就任した宮沢喜一は5年1月、政調会長の三塚博らが改憲議論の促進を唱えたのに対し、「そう易しい問題ではないと分かってくる」と牽(けん)制(せい)した。

 5年の衆院選に大敗して下野した自民党の総裁に就いたのは河野洋平だ。村山富市(社会党)内閣の副総理兼外相として入閣した河野は6年7月、参院本会議でこう言い放った。

 「国際情勢も大きく変化し、国民の意識の変革もある。党憲法調査会も現行憲法が定着していることを指摘している」

 河野はその後、党綱領から「憲法改正」を削除しようと動いたが、さすがに党内の反発で頓挫している。

 今回、安倍が自民党の頭ごなしに具体的な方針を打ち出したのは、局面を打開することで党の負の歴史に終止符を打つためだ。

 「幅広い合意形成を重視する」「慎重に進める」と繰り返してきた保岡は12日に面会した安倍に、民進党などの野党議員らと会食を重ねるなど、改憲のムード作りに努めていると訴えた。だが、安倍はそれでは事態は前に進まないと判断した。司令塔不在の民進党相手では、下からの合意形成は覆され、無駄になると考えている。

 安倍は、民進党も含む幅広い合意に基づく憲法改正から、自民、公明、日本維新の会の3党を中心とする改憲へとかじを切った。

 「政治は現実だ。いくら立派なことを言っても実現できなければ意味がない。私の改正案が自民党案と違うと批判する人は、公明党を説得してから言えばいい」

 こう周囲に強調する安倍の力業で、自民党に染みついた改憲への消極姿勢は変わるのか。長年放置されてきた重い宿題の解決は、ようやく入り口にさしかかった。



民進党は共産票欲しさにまともに議論せず、野党を後押しする朝日社説の矛盾


 11日に開催予定だった衆院憲法審査会は、またもや延期となった。自民党総裁である首相、安倍晋三の憲法9条改正などの提案に対し、民進党が「憲法審の議論に行政府の長が介入した」と反発したからだ。

 憲法審は国会開会中、週1回3時間の議論を行うのが原則だ。しかし、今年1月20日召集の今通常国会では、衆院では3回の実質審議を行っただけで、参院は一度も開いていない。なぜ、こんな露骨な国会議員のサボタージュが横行しているのか-。

 民進党代表の蓮舫は今月9日の参院予算委員会で、責任を自民党に転嫁した。一昨年6月の参考人質疑で、自民党の推薦人が安全保障関連法案を「違憲」と指摘したことを挙げ、「そこから、自民党の都合で動かなくなったのだ」と安倍をなじった。

 とはいえ、その後の経緯をたどると、民進党が難癖をつけては審議開催に抵抗してきたのが実態だ。背景には、憲法の全条項厳守を綱領に掲げる共産党と民進党との選挙協力がある。

 民共など4野党は、昨年7月の参院選で史上初めて国政選挙での候補者調整に乗りだし、32の改選1人区に野党統一候補を擁立した。選挙公約には、こんな言葉が躍った。

 「安倍政権下での憲法改正阻止」

 民進党は綱領に「時代の変化に対応した未来志向の憲法を国民とともに構想する」とうたっている。また、旧民主党時代の平成17年には「憲法提言」をまとめ、「より厳格な『制約された自衛権』を明確にする」とも明記しているにもかかわらずだ。

 現幹事長の野田佳彦は、憲法審での積極的な議論を求める安倍に、「本気で議論する気があるなら、自民党の改憲草案の撤回を」と反論する。自民党が、憲法審の議論では党草案を前提としない方針を強調してきたことは無視している。

 次期衆院選でも民共共闘を進めることや、党内には改憲派からコテコテの護憲派まで混在することから、無理に意見集約すれば党分裂も招きかねないことが、改憲に後ろ向きな原因だ。

 自民党前幹事長、谷垣禎一は昨年7月に自転車事故を起こす直前まで、安倍に対し、憲法改正のあるべき姿をこう説いていた。

 「発議後の国民投票で過半数を得るために、野党第一党の賛成を得るべきだ。史上初の国民投票で失敗したら、憲法改正は半永久的に不可能になる」

 ところが、今の民進党は共産票欲しさが優先し、自民党とまともに議論する気はない。民進党幹部はこんな本音を漏らしている。

 「もはや共産党との共闘なしには選挙を戦えない。改憲と護憲で党を割るわけにもいかない。改憲議論は急がず止めず、ずっとやっていればいい」

 民進党を後押しするように、左派メディアの護憲論も目立つ。とりわけ安倍の改憲論を批判するのは、例のごとく朝日新聞だ。

 朝日は憲法記念日の3日付紙面から、「憲法70年」と題した社説を16日まで集中的に計9本掲載した。「9条改憲論の危うさ」(9日付)「教育をだしにするな」(10日付)「国民分断する首相方針」(16日付)…。

 例えば、11日付の社説「首相は身勝手が過ぎる」の一節にはこうある。

 「報道各社の世論調査を見ても、国民の大半が改憲を望む状況にはない。なのになぜ、野党が改憲案を示す必要があるのか」

 首相の提案は世論と乖離(かいり)していると強調したものだろうが、4月下旬の報道各社の世論調査をみると、憲法改正が必要との意見は共同通信で60%、産経新聞とFNNの合同調査では52・9%あり、読売新聞では賛否が49%で拮抗(きっこう)した。

 13、14両日に実施した産経とFNN調査では、安倍の9条に自衛隊の存在を明記する提案に55・4%が賛成している。

 朝日の言う「国民の大半」とは誰のことか。現に朝日が16日付で掲載した自社の世論調査では、9条改正が「必要」41%、「不要」44%とほぼ並び、社説を自己否定している。

 衆参両院に、改憲を具体的に議論するための旧憲法調査会が設置された平成12年5月3日。当時の朝日の社説はこう記した。

 「朝鮮半島では南北首脳会談の開催が決まり、緊張緩和の流れも見え始めた。それなのに日本では、近隣の脅威を強調する9条改定論が飛び交う」

 以後17年の間に北朝鮮は核爆弾の開発に成功し、弾道ミサイルに搭載する技術も得たとされる。朝日は現実の脅威を直視してこなかったようだ。
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