C'est la vie.

人生ままならぬもの。成り行き任せか、C’est la vieか。電子のカオスの中で思いが遂げられたらと思う今日この頃。

名古屋城、再建するなら「木造」で

2017-05-15 01:06:13 | Weblog

 

 名古屋城を木造で再建するかが先日の名古屋市長選で争点になりました。空襲で焼け落ち、1959年に鉄筋コンクリートで再建されたものの、半世紀以上たって老朽化し、耐震性にも問題があることから「再建するなら本来の木造で」との声が出てきたようです。以下は無関係な人間の暴論ですが、名古屋城の場合、建築費は高くなっても「再建するなら木造が当然」だと思っています。あくまでも名古屋城に限定してのお話ですけど。熊本城に関しても意見があります。

徳川御三家、姫路城の規模2倍

 名古屋城は徳川家康の命で1612年に完成。御三家の尾張藩の城らしく天守閣は延床面積4564平方メートルで姫路城の約2倍の規模。1930年、旧国宝の第1号に指定されましたが、1945年5月の空襲で焼失し、14年後の59年、総工費6億円(現在で106億円)で再建されました。現在は年間の入場者数が190万人。名古屋観光の目玉として、最近では外国人観光客の姿も目立つようになっています。

大阪城、アジア(たぶん中国)からの観光客が目立ちます

現存する江戸時代からの城はわずか12

 さて、名古屋城、大阪城、熊本城など全国各地で観光スポットとされるお城ですが、大半が戦後に再建されたものです。江戸時代のものが現存しているのは、姫路城のほか、松本城、宇和島城など12しかありません。再建された城は戦後の建物ですから、みんな鉄筋コンクリート。中に入ると、普通のビルのように手すりのついた階段を上り、各階には刀や鎧の展示。最上階の展望台に上って市街地を見下ろす。多くが5階や6階ですが、エレベーターもなく高齢者には上がるのにひと苦労。先日も大阪城に入りましたが、一部にエレベーターがあったものの、各階のフロアは狭すぎて展示物もほとんど見られませんでした。


中途半端な展望台か博物館

 表現は悪いけど、これらの城は中途半端な博物館か展望台でしかなく、眺望ならあべのハルカスの方がはるか上です。しかも大阪城は豊臣秀吉の城は大坂の陣で焼け落ち、徳川幕府がつくったものも50年たたないうちに焼失。今の鉄筋コンクリート城が一番長く建っているとなると、「この建物って一体何だろう」という気がしてなりません。おかしな言い方ですが「張りぼて」のような気がしてならないのです。姫路城のような当時の姿を残した本物でない限り、わざわざ見る気にはなりません。


大阪城の展望台 

太平洋戦争で焼けた8城が候補

 でも木材で再現するとなると、それは大変でしょう。1600年代に焼失した大阪城、わずか50年ほどしか天守がなかった江戸城など図面も何もないでしょうから。そこで名古屋城です。空襲で焼けたということは1945年まであったということです。完全ではないにしても、国宝というからにはかなりの資料が残っているはずです。これと同じことが言えるのが広島城です。旧国宝であり、原爆によって焼失しました。ネットで調べると、首里城を含め8つの城が太平洋戦争で失われています。これらの城に限っていえば木造で再建するのは理にかなっているような気がします。

広島城、こちらも戦後の再建

本物の宇土櫓残ってる 再建は鉄筋で十分

 問題は熊本城でしょう。熊本のシンボルとはいわれているけど、1877年、西南戦争の際に焼失しています。再建は戦後のお城ブームの1960年。先日、天守の6階やつなぎの部分を壊して再建するなどの記事が出ていましたが、元々、歴史的な価値がないお城風のビルなのだから、一挙に壊して石垣を修理し、建て直した方が安くつくような気がします。エレベーターもエスカレーターも備えた展望台としたらどうでしょうか。幸い、熊本市には高層ビルは少なく、天守閣の展望台から阿蘇の雄大な眺めも見られます。それに天守閣はともかく、宇土櫓という小藩なら天守閣並みの立派な櫓が江戸時代から生き残ったのですから。

地震が起きる前の熊本城

 

熊本城の宇土櫓(地震前)

 

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