エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

#黄昏のニューヨーク :#現代の礼拝の神髄=「共に見る」悦び #聴くに徹する生き方そのもの: あるスピリチュアル・カウンセラーの言葉から

2016-11-08 05:22:13 | 間奏曲

 

 

 
道徳教育と倫理の伝承
   よろしくね。  毎日、お忙しい生活をしておられるお母さん。ご苦労様です。 一生懸命に生きておられることでしょうね。 今日はどんな一日だったでしょう......
 


 現代の礼拝。それには、決まった形、決まった場がありません。でも、そこには、生かされている、圧倒的で、しかも、静かな喜びに満ち溢れているものです。一昨日、インターメッツォ: エリクソンの叡智 : サイコセラピーこそ、現代の礼拝で、「みんなが恵みを感じている時に、例外なく、ひとりびとりが元気を取り戻す、それが現代の礼拝です。すると、その礼拝を共にする人たちは、ひとりびとりの人が信頼するようになります」と申しましたね。そうしていたら、昨日「ドキャメンタリ―wave 黄昏のニューヨーク」で、終末期によりそう、1人のスピリチュアル・カウンセラーの働きを紹介する番組を拝見することになりましたね。

 やっぱり、サイコセラピーこそが、現代の礼拝だ、との感を深めました。

 紹介されたスピリチュアル・カウンセラーは、ニューヨーク在住の岡田圭さん。元牧師さんとのこと。終末期のスピリチュアル・カウンセラーになって、10年。一日、3人ほどを訪問すると言います。年間150人ほどを看取るとも。

 その岡田圭さんが、自分の仕事について語ることには、現代の礼拝の神髄が、ハッキリと示されています。

 「健康な人は、ぜんぜん意識しないで、あるいは、意識できないで、永遠に生きるような態度で生きている。ホスピスの患者さんたちこそが、病状のこととか、終末期のことを、いろいろ、告げられて、『いのちには限りがある』、『命がいつ終わるか、ということは正確には分からない」という状態で、毎日の生活を強いられている。そこから出てくる、『自分なりに、じゃあ、今、何が一番大切で、どういう風に自分は生きていたいか?』ということを真剣に考える、その真剣さから出てくる言葉というものは、『どのように生きるのか?』と言うことに共通する、大切な教え、その知恵が詰まっている1人1人が独自の言葉を使って、それを表現する。そんな大切な時に、それを目撃して、そういう教えを聞かせていただける、というのは、それは『ただありがたい』と言うよりも、『忘れちゃいけない』、『心に留めて、それを大切にして生きていかなくてはいけない』

 「痛みということについても、数字で計れる痛みだけじゃなくって、身体の痛み、心の痛み、いろいろありますから。『本人の語り方、その人の言葉から、どこまでその痛みを汲み取れるか?』 それをただ問題として捉えて、問題解決しなければいけないんだ、ということだけじゃなくて、1つの機会と捉えて、いろんな発見の機会だと捉えて、『そこから何が見えてくるか?』と、その人の全体像を理解できるように、そのような聴き方をします。」

 

 

 畏敬の念と、信頼し合う気持ちが一緒になる時の、「共に見る」悦び

 その日常生活の礼拝は,祈りそのもの聴くに徹する生き方そのものになります。

 

 私どもも、そのように生きて生きたいものですね。

 

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