エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

パレーシアは、「バカ」にはわからない

2014-01-10 03:48:46 | フーコーのパレーシア

 

 正直者が損をしやすい日本のような社会では、正直であるよりも、ウソとゴマカシが「得」なので、政治屋やお役人、「一流デパート」「一流レストラン」「一流交通機関」などのおじさんたち(おばさんたちもですよね)は、ウソとゴマカシに磨きを掛けているのですね。「人生金がすべて」「きれいごとより、まずは金」というわけですね。でも、パレーシアは、聴くものも、正直の大切がわかっていなくてはなりません。

 

 

 

 

 

 この件が興味深いのは、「パレーシアステス」、つまり、「真実を語る」人が必ずしも全くの自由人ではなく、王に仕える使用人であるケースだからです。この人は、もし、王様が「パレーシア」のやり取りをやるだけの頭がなくて、その人に自由に話す許しを与えるほどの頭もない人であれば、「パレーシア」を用いることができません。なぜなら、王様が自分で自分の始末ができない人で、情念に突き動かされ、正しいことを知らせてくれる使者に怒りをぶちまけるようでしたら、その王様は真実に耳を傾けることはありませんし、その国にとって、とんでもない政治家です。しかし、ペンテウスは、学のある王として、自分の使用人に対して、「パレーシアのある関わり」と呼びうる関わりを与えたのです。

 

 

 

 

 

 こうすると、安倍晋三首相は、実際、成蹊大学を卒業したかもしれませんが、「頭が悪い」し、「学がない」ということになりますね。必然的に。だって、パレーシア、自由にものが言えるってことに反対なのですから。はっきり言って、「バカ」なんですね。第一、特定秘密法を強行採決したり、ヤスクニ強制参拝したりする「キチガイ」なのです。今日のところの言葉を用いれば、安倍晋三という人は、「とんでもない政治家」なのですね。

 私どもは、バカになって、こんな「バカ」で「キチガイ」の「とんでもない政治家」から、日本と日本の政治を取り戻さなくてはなりません。

(注) 差別用語として用いた言葉はございません。

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