エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

聖書の言葉: 怨まれる恵み

2017-03-06 04:01:06 | 聖書の言葉から

 

 

 
自分の人生の必然性、自分の人生を唯一無二と思えた人は幸いなるかな
   瞳の美しさ このブログと全く関係のない子です  学校でクラスから飛び出す、教員のいうことを聞かない、授業に出ても、授業を「妨害」するような発言を繰......
 

 今宵の聖書の言葉,怨まれる人達 δεδιωγμένοι デディオグメノイ。怨まれてうれしい人って,おそらく一人もいませんね。でも,その怨まれることが何で恵みなんだろうか?

 これは,『新約聖書』の最初,「マタイによる福音書」の第5章10節です。

10さいわいなのは義のゆえに迫害される人々
  天国は彼らのものであるから。

 「山上の説教(垂訓)」と呼ばれるイエスの教えの最後のところですね。「迫害される人々」と訳されているのが,δεδιωγμένοι デディオグメノイ

 ここのところも,実に臨床的。サイコセラピーの現実です。

 この「天国」は,「神の支配する関係」のことですから,「損して始めるやり取り関係にある,はじける悦びを分かち合う関係」です。「義」も「損をして関わる」ことでしょ

 この「損して関わる人」は,上下関係につけ込んで,自分が得しようとしている者にとっては,許しがたいことなんです。ですから,怨まれ,嘲りの的になり,意地悪されることのなる。ところが,その虐めている連中は,上下関係につけ込んで得しているんだけれども,心からの喜びを知りませんから,日々の生活に退屈してんです。つまらなそうな顔してますよ

 ですから,イジメられても,はじける様な喜びに比べたら,何てこともありません。退屈している暇もありません。

 ですから,イエスは,

10さいわいなのは義のゆえに迫害される人々、
  天国は彼らのものであるから。

と言ってるんですね。

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