エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

現世考: 高校生,雪崩事故で殺されたのは,命と基本を忘れた大人の責任だ

2017-03-28 07:20:35 | 間奏曲

 

 

 

 
現代、というものの病 命と命は根源的に繋がっていることを否定する現代
   原発と安倍政権 〈お幸せ〉な私たち 改訂版  原発も、私たちがどんな社会で暮らしているのかを考える上で重要です。 私どもは、どんな社会で暮らしてい......
 

 栃木県北部の那須温泉のスキー場で,「春山安全登山講習会」で,高校生ら8人が亡くなる事故がありました。「亡くなる」,と言ったのは不正確で,正確には「殺された」のです。安全講習会で,死亡事故が起きたのは,いかにも皮肉です。

 私も,早稲田大学ワンダーフォーゲル部で,登山の基本を学びました。その時,学んだことは,登山は「登山計画」に基づいて行う,ということです。登山計画は,事前に,綿密に計画するものです。登山のコースを決めるだけではなくて,登れない場合の逃げ道,エスケープ・ルートも,事前にあらかじめ決めておくものです。その際には,地元警察や地元の山岳会などから情報を貰うことも,大切になります。そして,その登山計画に基づいて行動することが,登山の基本の基本になります。

 今回の事故は,その登山計画にはない「ラッセル訓練」を,やっちゃう,という基本の基本を無視したことから,起こしたことであり,明らかに指導者,教員らの過失です。8人の子ども等が殺されたのは,表層雪崩によって起きたのではありません。教員らが登山の基本の基本を無視した結果,8人の子ども等が殺されたのです。

 なぜ,教員等は,登山の基本の基本を忘れたのか? 

 私が教員らと関わった経験から言えば,教員等は,日頃から教育の基本の基本,すなわち,子どものポテンシャルを引き出す,それが子どもの命を大事にすることになる,という教育の基本の基本を無視していることが非常に多いから,だと考えますね。

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聖書の言葉: テロと「できた」

2017-03-28 06:06:47 | 聖書の言葉から

 

 

 

 
真実と≪聴く力≫とが、被災地の心理的支援に必要です
   北の浜  古くて新しい浜辺に行きましょう。 The Sense of Wonder 『不思議を感じる心』から p106の冒頭から。  ...>......
 


 テロ。そう聞くと,怖い。ギリシア語のテロ,τελῶは,1)終わらせる,終わる,2)成し遂げる,全うする,3)税金を納める,支払う,という意味があると言います。

 この言葉は,イエス・キリストがなくなる件に出てきます。『新約聖書』の4番目にある「ヨハネによる福音書」の第19章にもでてきます。

「  死

 28こののち、イエスは、もはやすべてが終わったことを知って、聖書が成就するように、「渇く」といわれる。29すっぱいぶどう酒を満たした器がそこに置いてあった。彼らはそのすっぱいぶどう酒を含ませた海綿をヒソプにつけてイエスの口ヘと差し出した。30すっぱいぶどう酒を受けると、イエスは「事は終わった」といわれた。そして、頭を垂れて息を引き取られた。

 前田護郎先生の翻訳は,聖書のギリシア語に忠実だとの定評があるので,「事は終わった」も正確です。でも,私は子どもの言葉で翻訳したい,という願いがありますから,「事が終わった」では満足できません。

 τετέλεσται,テテレスタイ。東大の大貫隆先生によれば,τελῶの受動相現在完了形は,英語の現在完了形が「経験」や「継続」を意味するのと異なり,現在の受け身を意味するのだ,と言いますね。

 それで,私はここのところは,「出来た」と従来から翻訳してんですね。「出来たというのは,極めて能動的に見えて,実は,受動的!

 子どもが,セラピーが終結になった時に示す,あの輝く笑顔。国谷裕子さんが「根拠のない自信」を見出す,「相手がいちばん輝いて見えるでしょ。

 あの輝く笑顔は,いつでも,どんな場でも,イエス・キリストと同じで,「出来た」と,受け身で,しかも,能動的に言っています

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現世考: 脅迫国家ニッポンの野蛮

2017-03-28 04:35:05 | 間奏曲

 

 

 

 
トラウマのセラピーでは、芸術(表現)療法の効果は絶大
   受け身で自分を確かにする道  すべては、恵みなのかもわかりませんね。 Young Man Luther 『青年ルター』p189の第3パラグラフから......
 

 とんでもない!!

 昨日,3.27,2017  「菅長官は午前の会見で、翁長氏が実際に承認の撤回に踏み切った場合、「知事の職権の乱用」だとして、「一般論だ」と断りながらも、翁長氏個人に損害賠償を求めることもありうるという考えを示しました」(http://www.excite.co.jp/News/politics_g/20170327/Tbs_news_87126.html

と報道されました。 下品ですね。野蛮ですね。政府高官が,地方行政府の首長を脅迫しているのですからね。菅官房長は,北朝鮮がミサイルで日本を脅迫するのと同じくらい,下品で野蛮です

 このブログで何度か取り上げてきましたけれども,すでに,国立市元市長,上原公子(ひろこ)さんが,「紳士協定だった慣習法を,景観条例として実体法とします」との公約を実現したことに対して,わがニッポンの最高裁の鬼畜判事(鬼頭)は,すでに迷惑地所が国立市から得た賠償金3,000万余りを,国立市に寄付しているのにもかかわらず,国立市が上原公子さんに対して,さらに,3,000万円余りの損害賠償請求を認めてしまいました。

 司法が行政に隷属して,裁判官が,法と良心に従うという裁判官としての倫理と義務を,とうの昔にドブに捨てて,自分の出世を選んでいる状況です。司法の独立を行政が犯しているからこその,菅官房長の下品で野蛮な脅迫が起るんですね

 私どもは,政治を市民に取り戻すと同時に,司法も市民のための司法として,取り戻さなくてはなりませんね。

 

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インターメッツォ: エリクソンの叡智 : お母さんと赤ちゃんがゆったりと見つめ合う時間

2017-03-28 04:18:59 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 

 
現代、というものの病 命と命は根源的に繋がっていることを否定する現代
   原発と安倍政権 〈お幸せ〉な私たち 改訂版  原発も、私たちがどんな社会で暮らしているのかを考える上で重要です。 私どもは、どんな社会で暮らしてい......
 

 Toys and reasons. P.49-50。さらに,昨日の続き。

 

 

 

 

 

 ですから,ゆったりと顔と顔とを見つめ合うことは,ルネ・スピッツやジョアン・エリクソンがそういったみたいに,宗教画(聖母マリアの覗き込んだ顔と,オーラをまとってマリアがキリストと一体となっている様に)のようであるならば,ゆったりと顔と顔とを見つめ合うことは,神様を信頼することが人の発達の中で生まれる根っこなのかもしれませんし,神様が≪私≫と呼ぶものによって根源的に肯定される,人の≪私≫が中心にいて「善いよ」ということを信頼することの根っこなのかもしれません。神様が≪私≫と呼ぶものこそ,カリスマのある指導者たちを人が求める源であると同時に,宿命です。

 

 

 

 

 

 ゆったりと見つめ合うお母さんと赤ちゃん。とても大事な根源的信頼感の根っことなる関わり合いです。これが豊かにできることが,あらゆる人間らしい社会を作るうえでの基本中の基本です。

 ニッポンは,お母さんと赤ちゃんがゆったりと見つめ合うこともままならない程,低賃金・長時間労働させられ,質の低く,質が悪い子育て支援しか得られない政治しか実現していません。

 母親たちの働く環境と子育て環境があまりにも貧困であることが,すべての社会悪の根源です。お母さんと赤ちゃんがゆったりと見つめ合うことができないからです。

 

 

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