涅槃への一人旅

中年過ぎのオジさん、家族は独立して好き勝手にやってます。人間、死ぬときは一人。残った人生、もっと勉強してもっと知りたい。

35日目 大阪→奈良 二上山

2017-01-03 18:57:08 | 山登り
大阪と奈良の県境にある二上山から今年の初登り!

前回の比叡山で道が分からず、悔しい思いをしたので、今回は国土地理院の地図とコンパスを持っての挑戦。ガイドブックにある「地図読みを学んで安心登山」に従い、初心者向きの二上山にした。

最初は竹内街道という大和と河内をつなぐゆったりとした街道を登る。


地図に書いてない道を捜しながら、何とか「ろくわたりの道」の入口を見付けた。


しかしその後が大問題!ガイドブックには「長い階段を登ると・・・」とあるが、その長い階段がない。あるのは立ち入り禁止の電気会社の柵だけ。後で判明したことだが、どうも工事の影響が階段に及んでいたらしい。

そんなことは露とも知らず、シロウトなので地図とコンパスを手に取り、鉄塔と電線と等高線を頼りに山道のない山を彷徨いながら目的地を目指した。頂きを二つ越えたあたりで“長い石段”を発見!!


私が登ってきたのは、この手すりの右上あたりの草むらの中!!何とか正道に戻り、鹿谷寺跡に着く。


その後はスイスイと標高517mの二上山雄岳に辿り着く。


続いて二上山雌岳。その頂上から雄岳を撮影。




時間のロスが多かったため、山頂ではお湯を入れて3分で出来るカルボナーラにした。


途中、祐泉寺、當麻山口神社を通り、下山した。





第31回 昭和5年10月28日 午後7時5分過ぎ
 本日久し振りに家内一同子供連れにて弥八地蔵に参詣し、柳ヶ瀬見物をして帰る。
仏 ハハハ 今晩わ
○ はいはい
仏 今日は皆連れてよう参って呉れたな 皆仏に連れられて幸せの事じゃ
  仏に連れられて一処にお参りされたのは仕合せじゃ、そして皆喜こぶとなあ、心の中に仏を戴かしえ貰って、昨夕話しに行ったが皆きこうとしなかったで遠慮して帰った、今日は忙しいでお話も出来んが、皆喜こんで参って呉れたで一寸御礼に出て来た、もうわしもあんたの処え行くのもいばらくで終り、今日お話したかったが忙しいで、どうぞ毎日喜こんで呉れ、起きて居る内、寝て居る内お念仏を唱えて、其の上に一層喜こんで下さい。
○ ああお別れでございます。
仏 毎日毎日御苦労さんです。
○ お別れします、さようなら、ああお地蔵さんが行かしゃった。無情の風が吹いて来る、ああして次から次えと無情の風に誘われて、罪の深い人から終って行く、皆喜こばないかん、ああなったらいかんで
 ふと目を覚まし、今方自分が柳ヶ瀬の角に立ったら西からも東からも自動車が来て、其の中の死人が皆一人として喜こんだ顔して居なかったので可愛想可愛想と思って居たが、中が外から見えて、皆苦しみの相を表して居た」と云われた。先刻子供連れにて柳ヶ瀬え行った節、幾つもの葬式を見たのでかかる夢を見られたらしい。
○ 竹鼻地蔵さんか?
仏 ははははは ふふんふふん
○ よう来て下さったなあ、ははははは(大声)
仏 困るな、道の真中に座って(柳ヶ瀬え行った時次男がやんちゃを云った)
  はははは(大笑い)流石のわしも困るわ、ほんでもなあ、其の中に天真の所が有るで可愛いいけれど、他処の子なら愛想がつくが阿弥陀様は内の子他所の子の区別無い、罪の深い者程可愛いいと云って、火の中水の中御苦労下される。人間は内の子は可愛いいし、他所の子は穢ない、内と外とを別にする、阿弥陀様は合体じゃ、罪の深い者をどうしても助けたい、其処の処が勿体ない、業に業を重ねた者が…… 其の儘のお助け願えるが………
○ 今日竹鼻のお地蔵さん、説教になるな。
仏 わしの内の者も喜びの道に入ったであんたの顔向け立つわな(以前倉の中に居た家)見放されたわそれが最後じゃ、悪い奴を助けなおかんと云う阿弥陀様の御心労じゃ、あなたのお父さんの御信心、喜こばないかん、身内の人が皆寄って、聞いては喜こんで寄って来る。上べではいかん、真に喜こばないかん、毎日、皆阿弥陀s間のお蔭じゃ、毎日毎日御念仏唱えて喜こぶ、仏様を遠い処え置いてはいかん、自分自身に仏様の道を実現をせなならん。地獄の道を通ってはいかん、それを求道と云う、御釈迦様もおっしゃった求道に入ってはいかん、迷いの境涯から道を求める事は難しい。下には赤鬼青鬼が居る、上には…… 一目散に辿る外の道を辿れば何処え行っても行っても恐ろしい処ばかりじゃ、自力ではむつかしい。この業の深い者をそのまま着のみ着のままで受けてやるに、
其の処を聞かして貰うと飛びつく様に喜こぶものじゃ、其の処が聞かして貰えんと
○ さようなら、よう来て下さいました。毎日毎日来て下さいなあ。
仏 あんたとは笑いで言葉するが
  お互いに喜こべばなあ          午後7時30分
 此の頃時計の時刻も間違った事無し、ふと目を覚まし、今日一つ仏様からどこが悪いかを当てる事を教わりしとの事なり、疑って居る者にやると余計悪くなるとの事、今晩一寝入りして弥八のお地蔵様え参詣致し遅く帰宅なす、家人一同もうお話無きものと思い寝入りたる間に、嬉しさの余り亡祖父母お出でになりし由、阿弥陀山に参詣なす、父窪田帰宅後様子をうかがうにお話声の気配なり、静かに戸を開けしに亡祖父母共々初めて御一緒にお出でになり皆の喜こぶのをお喜こびあり、翌朝父より聞き知り勿体なき事と悔やむ、御物語なりしも書き記す事能わず。