
日本の国は昔から外来文化を摂取し、それを自己流にアレンジして日本独自の文化を作ってきた。非常に多くの人が認めている考え方で、たとえば古代の日本は圧倒的な中国文化の影響を受けてきたが、科挙と宦官の制度だけは受け入れなかった。そこに日本独自の選択がはたらいている、といった具合に議論が進むのである。さらに、外国文化の波にさらされた後は内省の時期とでもいうべき時代がやってきて、たとえば平安時代に「かな」が発明され、源氏物語、枕草子といった女流文学が花開く。
こうした波を繰り返してきたのが日本の国で、波の転換点をもたらすのは次のような経緯になるだろう。物見高くて、お人好しの日本人は、外来文化を取り入れるとなると、余計な警戒や計算はなしに(ということは無批判にもつながるが)ひたすら学ぶという姿勢をとる。外交上やむを得ないという動機が混じっている場合もあるが、総じて好奇心、向学心のなせる業という側面が大きい。ところが、もとより模倣していた外国は日本ではない。外来文化を取り入れてきた当の日本人が、ある種の行き詰まりに陥る日がやってくる。そしてある日(といっても何年、何十年もの積み重ねがあるわけだが)、根本的な差異に気づく。そこから内省の時代が始まるわけである。
明治維新からずっとヨーロッパ・アメリカ文明を追い続けてきた日本にも、ようやく転換点が訪れていると思う。その証拠は、これだけの圧倒的な文明にさらされながら、ついに文明の基礎となっているキリスト教にはなじまなかったという一事につきる。日本にも各派のクリスチャンは存在する。しかし、圧倒的な数の日本人は改宗しなかった。宗教的には極めてルーズだといわれている日本人が、である。ルーズというのは多神教だからである。したがって、ルーズという観点そのものが、一神教(この場合はキリスト教)からの偏見であることを確認する必要がある。このように、我々が何気なく使っている言葉(ということは考え方のことである)一つをとってみても、常に一神教のベクトル(偏差)がかかっていることに気づかない訳にはいかない。我々は内省期に入ったのである。
これまでいろいろと書き散らしてきた“独り言”も、明治維新以来、われわれが罹ってきた呪縛を解こうとする試みと取っていただければ幸いである。呪縛が解ければ、我々の混乱は少なくなり、逆に我々の方から発信すべき文化を生み出すことができるだろう。少し楽観的に過ぎるかもしれないとは思うが、先端技術や料理のような有形のものは、すでに世界中へ輸出されている。われわれの思想は常に人間と等身大である。造物主の神がいなくても、高い規範を持って人間は生きられる。神戸・淡路大震災のときの日本人の行動は世界の賞賛を浴びた。別の意味で、フィリピンのジャングルで戦後長い間、孤独に耐えて戦っていた横井庄一さん、小野田寛郎さんが世界に衝撃を与えたことも我々の一面を示すものである(私は賞賛に値すると思っているが)。昨今の日本は確かに漂流している。特に政治はひどい。しかし、新しいうねりを避けることはできないだろう。
こうした波を繰り返してきたのが日本の国で、波の転換点をもたらすのは次のような経緯になるだろう。物見高くて、お人好しの日本人は、外来文化を取り入れるとなると、余計な警戒や計算はなしに(ということは無批判にもつながるが)ひたすら学ぶという姿勢をとる。外交上やむを得ないという動機が混じっている場合もあるが、総じて好奇心、向学心のなせる業という側面が大きい。ところが、もとより模倣していた外国は日本ではない。外来文化を取り入れてきた当の日本人が、ある種の行き詰まりに陥る日がやってくる。そしてある日(といっても何年、何十年もの積み重ねがあるわけだが)、根本的な差異に気づく。そこから内省の時代が始まるわけである。
明治維新からずっとヨーロッパ・アメリカ文明を追い続けてきた日本にも、ようやく転換点が訪れていると思う。その証拠は、これだけの圧倒的な文明にさらされながら、ついに文明の基礎となっているキリスト教にはなじまなかったという一事につきる。日本にも各派のクリスチャンは存在する。しかし、圧倒的な数の日本人は改宗しなかった。宗教的には極めてルーズだといわれている日本人が、である。ルーズというのは多神教だからである。したがって、ルーズという観点そのものが、一神教(この場合はキリスト教)からの偏見であることを確認する必要がある。このように、我々が何気なく使っている言葉(ということは考え方のことである)一つをとってみても、常に一神教のベクトル(偏差)がかかっていることに気づかない訳にはいかない。我々は内省期に入ったのである。
これまでいろいろと書き散らしてきた“独り言”も、明治維新以来、われわれが罹ってきた呪縛を解こうとする試みと取っていただければ幸いである。呪縛が解ければ、我々の混乱は少なくなり、逆に我々の方から発信すべき文化を生み出すことができるだろう。少し楽観的に過ぎるかもしれないとは思うが、先端技術や料理のような有形のものは、すでに世界中へ輸出されている。われわれの思想は常に人間と等身大である。造物主の神がいなくても、高い規範を持って人間は生きられる。神戸・淡路大震災のときの日本人の行動は世界の賞賛を浴びた。別の意味で、フィリピンのジャングルで戦後長い間、孤独に耐えて戦っていた横井庄一さん、小野田寛郎さんが世界に衝撃を与えたことも我々の一面を示すものである(私は賞賛に値すると思っているが)。昨今の日本は確かに漂流している。特に政治はひどい。しかし、新しいうねりを避けることはできないだろう。








